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六章

十節

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 体調、魔力共に安定したランゲルハンスはニエと共に製剤に勤しんでいた。アイアイエ島でも製剤が行われ、キルケーの手伝いをフォスフォロと人魚がしていた。ビタミン剤を始め、大量の薬剤を南の街の民達が必要としている。

 ヴルツェルの血を引いた白い遣い魔が戻ったのはつい先日の事だ。遣い魔はアレイオーンに跨がり荒地に戻った。どうやらアレイオーンが滞在していた馬牧場まで足を延ばしたらしい。遣い魔は数枚の書状を持ち帰った。殆どが街の取締役のポンペオと言う男から、各管理者や有力者に宛てた書状だったがヴルツェルがしたためた書状もあった。それはランゲルハンス宛の物だった。

 ランゲルハンスは書状を開く。懐かしい字が眼に飛び込む。暫しの間、郷愁に浸るが字面を追う。険しい山脈が消えた事、南の街の暮らしが想像以上に荒んでいる事、呪縛を解き南の街に息吹きを吹き込みたい事等、様々な事が記されていた。南の街の事を多く記している中、文末を締めくくっていたのは『会いたい』と言う言葉だった。ヴルツェルからの書状は毎日来ていた。作業の合間を見計らったり、寝る間を削ったりして記したのだろう。彼らしく、言い訳めいた事は記されていない。忌憚なく己が想いを綴った書状だった。どれも最後には『会いたい』と締めくくられていた。

 作業の手を止め書状を読み返す夫の手許をニエは覗いた。

 ──まるで……恋人からの手紙のように気が付けば読み返しますね。

 手許を覗く妻にランゲルハンスは気付く。

「……妬いているのかね?」

 ニエは微笑む。

 ──弟子時代は妬いたでしょうけれども、今は妬くなんて考えられません。ヴルツェルさんはきっとアロイスがとても好きなんですね。

「……何故好きだと? 術後の晩に睦み合っていた際、部屋の外で得物を構えて佇んでいたと聞く」

 ──ええ。大昔、自らの手でアロイスの生を断とうとしたくらいですもの。それに……。

「それに?」

 ──かつて殺し合った仲なのに文末に『会いたい』と締めくくってます。南の街の事が前述で『会いたい』と言う事が本文のように。

「『会いたい』と吐き出す為に南の街の事を記していると?」

 ──南の街の事も大切なお話ですが、私にはそうも想えます。

「何故そう想う?」

 ──例え愛し方は違っても、私とヴルツェルさんは同じ人を愛してるのですもの。

「君が愛しているのはアロイスでありアロイジアである私だ。しかしヴルツェルは私を愛するどころか憎んでいる」

 ──そうでしょうか?

「そうだろうとも」

 ──では是非お会いして下さい。今回は私の方が正しい事を言っていると想います。きっとヴルツェルさんは親愛の情を見せて下さると想います。

「……また私が毒を飲まされたら?」

 ──あの方は自分の気持ちに気付かれてると想います。そんな事はもうなさりません。ヴルツェルさんはきっと信頼に足るお方だと想いますよ。

「やけに買いかぶるな」ランゲルハンスは鼻を鳴らした。

 ニエは唇に微笑みを湛える。

 ──だって私もヴルツェルさんもアロイスでありアロイジアである貴方を愛しているのですから。是非、行って下さい。

 鈍色の隻眼を伏せランゲルハンスは溜め息を吐くように笑う。

「……考えておく」

 ──まあ。この間からそればかり。

「君も言うようになったな。この案件ばかりは時間を要する」

 ──アロイスの気持ちも分かりますよ。例え疾うに許していてもどのような顔をして会いに行けばいいか分かりませんものね。

 ランゲルハンスは鼻を鳴らした。

 ──無表情でも嬉しいものです。ただ愛する人が側に居てくれば……。前向きにお考え下さいね。

「……心から伝えたい事を言えないのはもどかしいが、言えるのももどかしい。こんな時にライルがいれば茶化し場を和ませるものを」

 ──午前中に届いた書状を読んで白い遣い魔を引き連れ、直ぐにこの街を発ちましたものね。ライルさん、義理堅いお方です。

「何でもイポリトに『借りを返す』と言っていたな」

 ──彼から何を借りたのでしょうか?

「ディーが馳走になったらしい。些細な借りでも主として返さなければならない。……それが悪魔だからな」

 ──アロイスが私から眼球を、アメリアから左腕を取り上げたように全ては貸し借りで成り立っているのですね。

「ああ。しかし今回は借りた物の利息がやけに大きくなった。医者として莫大な人数の患者をライルとディーだけで診なくてはならない。対処しきれるかが問題だな」



 ディーとライルが先導に立ち、ポンペオのアジトを診療所にし、患者の診察が始まった。来る日も来る日も酷い症状の患者が運ばれて来る。歯がない者、骨折をしている者、手足が壊疽を起こした者……ディーとライルは休む間もなくそんな患者達を診察した。『現世じゃ反則技だけどね』とライルは笑いつつもアメリアに手伝いを頼んだ。彼女は患者に塗り薬を塗布したり包帯を交換したり簡易的な医療行為を手伝った。ライルやディーからの指示を的確にこなしつつも、思いやりに溢れ患者達の視線で物事を推し量るアメリアに患者達は信頼を寄せていった。症状が軽い者や比較的健康な者は積極的に彼女の手伝いをした。アメリアの周りには常に彼女の手伝いが働いていた。中でもトゥットと言う名の細身の青年はアメリアや患者の為によく尽くした。

 時々、診療室の奥にある部屋からポンペオの部下達の声が聞こえた。何やら文句を訴えているらしい。冷静なポンペオは一人一人の訴えを聞くと丁寧に解決策を提示していった。それに聞き耳を立てつつもディーは患者を診察した。

 慌ただしく時間が過ぎて行くが、毎日必ずキルケーとランゲルハンスから薬剤と食料が、そして現世へ赴かせた遣い魔から医療器具が届いた。

 一方、イポリトとヴルツェルは街を隅々まで視察する。そして雑務を済ませて合流したポンペオと共に街をどのように変えて行くか話し合った。

「……しかし人の誘致、移住となると土壌の改良以上に難しいのではないでしょうか? 治安を良くし、潤ったとしても不毛だった土地に人が積極的に移住するとは考え難いです」白い砂浜で海を臨みポンペオは眉を下げた。

「余程の魅力が無ければ来ない。農地にするにしても牧場にするにしても難しい」ヴルツェルは腕を組んだ。

「そこで提案なんだがよ」イポリトは得意げに笑う。

 ヴルツェルとポンペオはイポリトに注目した。

「不毛不毛って言っちゃいるけど結構魅力的な土地だと想うんだ。石灰の建造物、栄養は乏しいが透明度の高い海、珊瑚の死骸で出来た白い砂浜……現世じゃ貴重な資源なんだよ」

「何を言いたい?」ヴルツェルは問うた。

「頭が固ぇな。農地やら牧場やら既存の事業を売りにしちゃならねぇ」

「つまり他の地域の追随を許さず、この土地ならではの資源を売りにする、と」ポンペオは問うた。

「眼の前に売りにするモンが横たわってるじゃねぇか。海やら砂浜やら綺麗だろ? 金を持っている連中はそーゆうのに飢えてんだよ。アメリアの話じゃこの島じゃ特に目立って観光するような場所がねぇしな。宿泊施設作って遊べるようにすると人は集まるし、移住も考えるし、金も落としてくれるだろうよ。無論住民との兼ね合いも必要になる。客が優遇されて住民が爪弾きにされるのは戴けない。住民の文化や生活を尊重せにゃならん」

「観光業を主体にすると言う事か」ヴルツェルはイポリトを見遣った。

「ああ。この島で初めての観光地にするんだ」イポリトは悪戯っぽく微笑んだ。

「しかしそうなると莫大な金額が動きますね。当面の医療サービスはイポリトさんの計らいで何とかなりましたが……施設や住居、道の整備を行うだけでも実際は苦しいものです」ポンペオは俯いた。

「金は私が出そう」ヴルツェルが呟いた。

「頼むぜ」イポリトは頷いた。

 ポンペオは眼を見開く。

「ありがたいお話でお受けしたいのですが……先程お伺いしたようにヴルツェル様は最近まで島主の体内にいらっしゃった身。失礼な話、財産を持ち合わせていると想えません」

「腐っても四大精霊、ノームが一種ゴブリンだぜ」イポリトは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「……本来なら禁じ手でありハンスの如何わしい錬金術と匹敵する。しかしこの街の為になるならば私は財を投じよう」ヴルツェルは瞳を閉じ、呟いた。

「じゃ、俺は健康体の男達集めてインフラ整備だな。北の街のケイプに活きのいいあんちゃん達見繕って貰ってんだ。資材と人手が揃えば直ぐに始める。それまでは住民達の意見を聞きつつ街の整備考えねぇとな」

 イポリトは地図を片手に砂浜を後にした。

 夜が更け、診察を終えたディーは寝泊まりしている小屋に一人戻った。ライルは『フワフワの枕とフワフワのウサちゃんパジャマがないと眠れなーい』と言うので術で馬牧場に戻った。疲れた体を引きずり、サビだらけのドアを開ける。室内は暗い。どうやらまだ誰も帰ってないようだ。

 床に積まれた寝藁に背を預けていると『チクチクする』と背からダムの小さな怒声が聴こえた。

「悪かったな」鼻を鳴らしたディーはテーブルの脚に肩から凭れ掛かった。そして懐から星が入った小瓶を取り出すとそれを眺めた。

 星の囁きに耳を傾けていると誰かがドアを開けた。ディーは咄嗟に小瓶を掴み、懐に仕舞う。最後の患者を家に帰したアメリアが帰宅したのだろうか。

「……アメリア?」

「ごめんなさい。私です」帰って来たのはポンペオだった。

「そうか」ディーは再び小瓶を床に置いた。

 背負っていた麻袋を下ろしたポンペオは寝藁に座す。

「……皆さん、まだのようですね」

「そうだな」

 会話が続かない。ディーの返事を最後に二人は黙した。

 ポンペオは居心地が悪かった。部下にやらせたとは言え、ディーを拐かした。非がある故に二人きりで小屋にいるのは辛い。アジトに戻りたい所だが、帰れば部下達が様々な不平不満をぶつけて来る。昼は仕事の片手間に聞いてやらない事も無い。しかし体を休めたい夜にそれをやられると堪ったものではない。適当に何か嘘を吐いて丘で休もうか。

 両膝に頭を乗せて思案するポンペオにディーは声を掛けた。

「……ポンペオ」

「……何でしょう?」

「……居辛いなら、ディーが出て行ってもいいぞ。ここはポンペオのテリトリーだ」ディーは横目でポンペオを見遣る。

「そんな事ありませんよ」ポンペオは首筋を撫でる。

「無理をするな」ディーは重い腰を上げて立ち上がる。

「そんな事ありません。ただ……」

「ただ?」

 小さな溜め息を吐いたポンペオは首筋を撫でつつ言葉の続きを紡ぐ。

「……ただ」

 しかしそれきり言葉が続かない。

 ポンペオを見遣っていたディーはその場に座す。

「……ポンペオは自分の事を話さない。アジトの診療所で聞くのは部下の声ばかり。話すのが苦か?」

「いえ」

「……話せる間柄の人間が居ない?」

「……そうですね。皆、自分の事で精一杯だったから……それに古い話を知る人間が居なくなってしまった」ポンペオは溜め息を吐くように苦笑した。

「ディーは知りたい」

 ポンペオは猫のような瞳を見開く。

「何故?」

「知る事は全て良い事と言えない。が、折角出会ったなら少しでも知りたい。ニュクスもそうやって知り合った」ディーは床に置いた星の小瓶を見つめた。

「……その星はニュクス女神の?」

「ああ。知り合った時、ドレスの裾から一つ貰った」

「気に入った者を攫って行く夜の女王から星を貰うとは……ディーさんは面白い方ですね」ポンペオは笑った。

「ポンペオは何故カシラになった?」

「この街の人々は私の子供のようなものです。何も生み出さない地で空かせた腹を抱える者の為に日に幾度となく海に潜り漁をしました。……だからこんなに華奢でも私はこの街の『カシラ』なのです。……『カシラのヒレとエラに栄光あれ』と人々が挨拶するでしょう? あれを私は人々の信頼の証だと想ってます」

「どうして『ヒレとエラ』なんだ?」

 ポンペオは首筋にあてていた手を退ける。すると首筋に四つ、亀裂が現れた。亀裂から真紅の体内が覗き傷口のようにも見える。亀裂は開閉する。

「エラ?」

「エラです。指の股にはほら」ポンペオは手をディーに差し出した。

 ディーの鈍色の瞳に水かきが付いた手が映る。

「ポンペオはマーマンだったのか」

 ポンペオは頷く。

「義弟のハリラオスとは血が繋がっていた訳ではありません。しかし同じ外見でした。彼は意志が固く、情け深い男でした」

 ポンペオは遠い昔話を紡いだ。
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