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五章
二節
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それから程なくしてランゲルハンスは行き場の無くなった一柱の神を迎え入れた。酒の神のディオニュソスだ。彼は付き人である葦毛のケンタウロスのスーホと共に島へ来た。
ディオニュソスはオリュンポス十二神の一柱であったがディオニュソス教団の神でもあった。酒の本質である興奮と狂乱を掲げた教団だった。ディオニュソスは疲れていた。信仰を受け入れず『如何わしい』と馬鹿にする者を罰するのに疲れた。信者であるマイナス達が人々に横暴を振るうのを眺める事にも疲れた。そして正妻ヘラが睨みを利かす、主神であり父であるゼウスの許に居るのも疲れた。昔のように気の合う仲間と共にワインを作り、嗜み、ひっそりと暮らしたかった。しかし現世やオリュンポスでは彼の名と顔は有名だった。彼の愚痴を風の噂で聞いたハデスはヘカテに相談した。ヘカテは良い場所がある、とディオニュソスと付き人のケンタウロスのスーホをランゲルハンス島へ送った。
ランゲルハンス島の地を踏んだディオニュソスは巨大な腹を揺らして笑い、喜んだ。精霊や悪魔以外、自分を知る人間は誰一人として居なかった。
ランゲルハンスはディオニュソスを歓迎した。これでハンスのキツい酒と別れられる、とヴルツェルを始め、精霊達も歓迎した。
しかし精霊達の住まう西の森はワインの原料となるブドウの生育や酒の醸造に向いた土地ではなかった。ディオニュソスはスーホや精霊と共に島の地質や水脈の分布を調べた。そしてブドウの生育に最も相応しい中央地帯に目をつけると引越しを画策した。以前から海から離れた場所に住みたがっていたサラマンダーのフォスフォロはディオニュソスに付いて行く事にした。
「折角仲良くなれたのに」プワソンはディオニュソスとの別れを寂しがった。
「寂しくねぇか?」ケイプは問う。
「なあに。スーホだってフォスフォロだって儂に付いて来るのだ。美丈夫が居れば百人力だ」ディオニュソスは豪快に笑う。
それを尻目にケイプはフォスフォロに耳打ちする。
「……尻に気をつけろよ?」
「言われなくとも」フォスフォロは苦笑した。
「息災で」ランゲルハンスはディオニュソスに握手を求めた。
「ああ。ハンスも達者でな」ディオニュソスはランゲルハンスの手を力強く握った。
ヴルツェルは不思議そうに神と悪魔の握手を眺めていた。
それに気付いたディオニュソスはヴルツェルに手を差し伸べる。
「ほら。お前もだ」
ヴルツェルはディオニュソスの手に触れた。すると力強く握られて驚いた。ディオニュソスは豪快に笑うと手を離し、スーホとフォスフォロを連れ立って中央地帯へと旅立った。
人付き合いが落ち着いたのでヴルツェルは軒先の柔らかな土に種を蒔いた。やがて芽を出し、茎がヴルツェルの背丈を軽く越え大輪の黄色い花を咲かせた。黄色い花は真夏の太陽を日がな一日追っていた。やがて無数の種を結び、花は枯れて頭を垂れた。
花の種を採取する頃、ランゲルハンスは久し振りに現世に召喚された。彼を召還したのは仲間に恨みを持った泥棒紛いの下等魔術師だった。
数本のロウソクが明かりを灯しただけの暗い部屋に召還された。容貌は明確に見えなかったが嫌な表情をした男だと想った。
男の姿をしたランゲルハンスは彼を見下ろすと話を聞いた。しかしあまりにも下らないので帰島しようと横眼を逸らした。すると不思議な者を見た。
部屋の隅には青白く光る不思議な瞳をした痩躯の青年が佇んでいた。美しい瞳をしていたが虚ろだ。瞳は鬼火のように冷たい光を放ち輝いていた。
ランゲルハンスは眼を細めた。しかし足許で跪く魔術師の男は痩躯の青年には気付いていないようだった。
長い黒髪を滝のように垂らし、酷く落ち窪んだ眼窩の青年は魔術師の男の背を見つめる。ランゲルハンスが青年を凝視していると彼は爛れた右手を掲げると唇の前で人差し指を立てた。
術者ではない彼に私が見えているのか。どうやら自分と同じ異形の者なのだろう。
察したランゲルハンスは返事の代わりに徐に瞬きをした。
すると突如として魔術師の男が胸を押さえて苦しんだ。あまりの苦しさに床に崩れた男は小刻みに震え呻き声を上げる。苦痛に邪魔されまともな言葉を発せずに泡を噴く。七転八倒した挙げ句に白眼を剥き、唇の端から泡を垂らして絶命した。すると男の胸から光り輝く玉が現れる。光の玉は尾を引いて宙に浮かんだ。
痩躯の青年は絶命した男に近付く。そして一礼すると爛れた右手を翳して光の玉の尾を胸から切り離した。青年は光の玉を床に押し付ける。すると光の玉は床に吸い込まれた。
「……君は死神か?」床を見つめる痩躯の青年にランゲルハンスは問う。
「……うん。やっぱり君は見えていたんだね」青年は慣れた手つきで包帯を巻く。
「名は?」
「僕は……ローレンス。君は?」
「私はランゲルハンス。アロイジア・ランゲルハンス。悪魔だ」
「アロイジア……」
女性の名だと想ったローレンスはランゲルハンスを見上げる。そして顔から徐々に視線を下ろす。何処からどう見ても眼前に佇んでいる悪魔は逞しい大男だ。
怪訝そうな表情を浮かべるローレンスにランゲルハンスは説明する。
「私は夢魔でね。両の性を持つんだ。仕事以外の時は女の体で生活している」
ローレンスは微笑む。
「……そっか。そうなんだ」
「疑わない君も君だな」ランゲルハンスは鼻で笑った。
「……僕だって死神だもの。死神が居れば悪魔もいる。それに他神族や魔族の事ぐらい勉強しなきゃ死神は務まらないよ。人間が増えてから様々な宗教団体が設立されて色々大変なんだ。至る所で戦争が起きる。人が沢山死んで悲しい。心も体も折れそうだ」
「君も苦労しているのだな」
ランゲルハンスとローレンスは互いを見遣ると静かに笑った。
「死神なのに君は面白い男だな」ランゲルハンスはその場に腰を下ろした。
「君だって。悪魔は魂を得る為に人を選ばずに契約すると聞いていたもの」ローレンスもその場に座した。
神と悪魔は様々な事を話した。ローレンスは本名や生い立ち、仕事を嫌っている事、悔恨残して死んで逝く魂を救う手はないのかと悩んでいる事を打ち明けた。ランゲルハンスは魔界を追われた事、現世でも天界でも冥府でもない空間に島を有しそこで精霊と共に暮らしている事、精霊達も自分も生きる場所を失い、そこへ辿り着いたという話をした。
「……じゃあ君の島は最後の砦だ」ローレンスは寂しそうに微笑んだ。
「ああ。傷ついた者が気兼ねなく暮らす島だ。ゼウスの息子のディオニュソスも居る」
「彼はもうオリュンポスや現世には居ないのか……。羨ましいな、静かに暮らせるなんて」
「君はオリュンポスに住まわないのかね? 始祖のタナトスである君は太古の神であるニュクスの息子だろう?」
「……オリュンポスに僕の席はないもの。あっても神々の関係が複雑な所は嫌だな。だからディオニュソスの気持ちはよく分かるよ。……一応、僕は冥府に籍を置いてるけど人に関わるから現世に入り浸りさ」
「何故、君は仕事が嫌いなのかね?」
ローレンスは瞳を潤ませ、小さな溜め息を吐く。
「……いっそ人間が全て悪人だったらと想うよ。神々に愛された者だけが逝けるエリュシオンの野があっても、生者にとって死は未知だもの。それに人間は一度死ねば再びこの明るい世界で暮らす事は叶わない。悔恨残して死に、愛する者と別離する魂達に触れるとやり切れなくなるんだ。ずっと彼らが生き続けられればって想わない日はないよ」
「……それは難しい話だな」
「でしょ? 以前ハデスに相談した事があるけど『生があれば死もある。私達は死の仕事をしているだけだ。それ以上でもそれ以下でもない』って諭されたよ。ハデスは強い男だなって想った。ゼウスとポセイドンと籤を引いて支配する世界を決めたとは言え、ずっと冥府で死者の魂を裁き続けてるのだもの。僕よりも辛い仕事かもしれない」
ローレンスは溜め息を吐く。
「それにしてもこの話をして怒られなかったのは君が初めてだよ」
ランゲルハンスはローレンスの子供っぽさに失笑する。
「君の神族では死神にも死を許されていると聞く。ある条件を果たせばと聞いたが君は死を望まないのかね? 死ねば辛いものを見なくて済むだろう」
「……出来たら死にたいよ。でも僕は無理だ。死ぬ為には次世代を残さなければならない。僕は子供にこんな悲しい仕事をさせたくないんだ」ローレンスは悲しそうに微笑んだ。
「君は優しすぎるな。……おとぎ話に登場する天使のようだ」
「……死神なのに天使って……おかしいね」
「気に入った。私の島に来るかね?」
「悪魔の誘い? やめとくよ。……僕の魂をいいように扱うつもりだろ? 実を言うと魔族と話す事すらハデスに固く禁じられているんだ。見つかると始末書だけじゃ済みそうにない」ローレンスは苦笑した。
俯いて悲しそうに微笑むローレンスをランゲルハンスは見遣った。死神にも関わらず人の死に悩み涙する、天使のように優しいローレンスの魂がどうしても欲しくなった。心根の優しい彼が島に居たらもっと楽しくなるに違いない。精霊達も暖かく迎え入れるだろう。
「……いつか君は私に願いに来る筈だ」
ランゲルハンスはシャツを破ると人差し指を犬歯で傷つけ、流れ落ちる血で絵を描いた。ローレンスは奇行に驚いたが、ランゲルハンスの真剣な眼差しを察し見守った。ランゲルハンスは悪魔召還の手順と陣の描き方を記すとシャツを差し出した。
ローレンスはそれが何であるか察し首を横に振る。
「ダメだ。一期一会にしよう。僕はこれきりの関係だと踏んだから胸の内を吐露しただけだ」
ランゲルハンスは鈍色の瞳を伏せる。
「……残念だ。君と友人になれたらと想ったが」
ランゲルハンスを悲しませたローレンスはバツが悪くなり、もぞもぞと口を動かす。このまま永遠に別れるのは後味が悪い。
意を決したローレンスは破れたシャツを受取る。
「……持ってるだけだからね。陣を描かないからね。離れてても永遠に会わなくても友達って事でいいよね?」
「ああ。君と私は友人だ」ランゲルハンスは微笑んだ。
ローレンスは困ったように微笑んだ。
神と悪魔はその場で別れた。
ディオニュソスはオリュンポス十二神の一柱であったがディオニュソス教団の神でもあった。酒の本質である興奮と狂乱を掲げた教団だった。ディオニュソスは疲れていた。信仰を受け入れず『如何わしい』と馬鹿にする者を罰するのに疲れた。信者であるマイナス達が人々に横暴を振るうのを眺める事にも疲れた。そして正妻ヘラが睨みを利かす、主神であり父であるゼウスの許に居るのも疲れた。昔のように気の合う仲間と共にワインを作り、嗜み、ひっそりと暮らしたかった。しかし現世やオリュンポスでは彼の名と顔は有名だった。彼の愚痴を風の噂で聞いたハデスはヘカテに相談した。ヘカテは良い場所がある、とディオニュソスと付き人のケンタウロスのスーホをランゲルハンス島へ送った。
ランゲルハンス島の地を踏んだディオニュソスは巨大な腹を揺らして笑い、喜んだ。精霊や悪魔以外、自分を知る人間は誰一人として居なかった。
ランゲルハンスはディオニュソスを歓迎した。これでハンスのキツい酒と別れられる、とヴルツェルを始め、精霊達も歓迎した。
しかし精霊達の住まう西の森はワインの原料となるブドウの生育や酒の醸造に向いた土地ではなかった。ディオニュソスはスーホや精霊と共に島の地質や水脈の分布を調べた。そしてブドウの生育に最も相応しい中央地帯に目をつけると引越しを画策した。以前から海から離れた場所に住みたがっていたサラマンダーのフォスフォロはディオニュソスに付いて行く事にした。
「折角仲良くなれたのに」プワソンはディオニュソスとの別れを寂しがった。
「寂しくねぇか?」ケイプは問う。
「なあに。スーホだってフォスフォロだって儂に付いて来るのだ。美丈夫が居れば百人力だ」ディオニュソスは豪快に笑う。
それを尻目にケイプはフォスフォロに耳打ちする。
「……尻に気をつけろよ?」
「言われなくとも」フォスフォロは苦笑した。
「息災で」ランゲルハンスはディオニュソスに握手を求めた。
「ああ。ハンスも達者でな」ディオニュソスはランゲルハンスの手を力強く握った。
ヴルツェルは不思議そうに神と悪魔の握手を眺めていた。
それに気付いたディオニュソスはヴルツェルに手を差し伸べる。
「ほら。お前もだ」
ヴルツェルはディオニュソスの手に触れた。すると力強く握られて驚いた。ディオニュソスは豪快に笑うと手を離し、スーホとフォスフォロを連れ立って中央地帯へと旅立った。
人付き合いが落ち着いたのでヴルツェルは軒先の柔らかな土に種を蒔いた。やがて芽を出し、茎がヴルツェルの背丈を軽く越え大輪の黄色い花を咲かせた。黄色い花は真夏の太陽を日がな一日追っていた。やがて無数の種を結び、花は枯れて頭を垂れた。
花の種を採取する頃、ランゲルハンスは久し振りに現世に召喚された。彼を召還したのは仲間に恨みを持った泥棒紛いの下等魔術師だった。
数本のロウソクが明かりを灯しただけの暗い部屋に召還された。容貌は明確に見えなかったが嫌な表情をした男だと想った。
男の姿をしたランゲルハンスは彼を見下ろすと話を聞いた。しかしあまりにも下らないので帰島しようと横眼を逸らした。すると不思議な者を見た。
部屋の隅には青白く光る不思議な瞳をした痩躯の青年が佇んでいた。美しい瞳をしていたが虚ろだ。瞳は鬼火のように冷たい光を放ち輝いていた。
ランゲルハンスは眼を細めた。しかし足許で跪く魔術師の男は痩躯の青年には気付いていないようだった。
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術者ではない彼に私が見えているのか。どうやら自分と同じ異形の者なのだろう。
察したランゲルハンスは返事の代わりに徐に瞬きをした。
すると突如として魔術師の男が胸を押さえて苦しんだ。あまりの苦しさに床に崩れた男は小刻みに震え呻き声を上げる。苦痛に邪魔されまともな言葉を発せずに泡を噴く。七転八倒した挙げ句に白眼を剥き、唇の端から泡を垂らして絶命した。すると男の胸から光り輝く玉が現れる。光の玉は尾を引いて宙に浮かんだ。
痩躯の青年は絶命した男に近付く。そして一礼すると爛れた右手を翳して光の玉の尾を胸から切り離した。青年は光の玉を床に押し付ける。すると光の玉は床に吸い込まれた。
「……君は死神か?」床を見つめる痩躯の青年にランゲルハンスは問う。
「……うん。やっぱり君は見えていたんだね」青年は慣れた手つきで包帯を巻く。
「名は?」
「僕は……ローレンス。君は?」
「私はランゲルハンス。アロイジア・ランゲルハンス。悪魔だ」
「アロイジア……」
女性の名だと想ったローレンスはランゲルハンスを見上げる。そして顔から徐々に視線を下ろす。何処からどう見ても眼前に佇んでいる悪魔は逞しい大男だ。
怪訝そうな表情を浮かべるローレンスにランゲルハンスは説明する。
「私は夢魔でね。両の性を持つんだ。仕事以外の時は女の体で生活している」
ローレンスは微笑む。
「……そっか。そうなんだ」
「疑わない君も君だな」ランゲルハンスは鼻で笑った。
「……僕だって死神だもの。死神が居れば悪魔もいる。それに他神族や魔族の事ぐらい勉強しなきゃ死神は務まらないよ。人間が増えてから様々な宗教団体が設立されて色々大変なんだ。至る所で戦争が起きる。人が沢山死んで悲しい。心も体も折れそうだ」
「君も苦労しているのだな」
ランゲルハンスとローレンスは互いを見遣ると静かに笑った。
「死神なのに君は面白い男だな」ランゲルハンスはその場に腰を下ろした。
「君だって。悪魔は魂を得る為に人を選ばずに契約すると聞いていたもの」ローレンスもその場に座した。
神と悪魔は様々な事を話した。ローレンスは本名や生い立ち、仕事を嫌っている事、悔恨残して死んで逝く魂を救う手はないのかと悩んでいる事を打ち明けた。ランゲルハンスは魔界を追われた事、現世でも天界でも冥府でもない空間に島を有しそこで精霊と共に暮らしている事、精霊達も自分も生きる場所を失い、そこへ辿り着いたという話をした。
「……じゃあ君の島は最後の砦だ」ローレンスは寂しそうに微笑んだ。
「ああ。傷ついた者が気兼ねなく暮らす島だ。ゼウスの息子のディオニュソスも居る」
「彼はもうオリュンポスや現世には居ないのか……。羨ましいな、静かに暮らせるなんて」
「君はオリュンポスに住まわないのかね? 始祖のタナトスである君は太古の神であるニュクスの息子だろう?」
「……オリュンポスに僕の席はないもの。あっても神々の関係が複雑な所は嫌だな。だからディオニュソスの気持ちはよく分かるよ。……一応、僕は冥府に籍を置いてるけど人に関わるから現世に入り浸りさ」
「何故、君は仕事が嫌いなのかね?」
ローレンスは瞳を潤ませ、小さな溜め息を吐く。
「……いっそ人間が全て悪人だったらと想うよ。神々に愛された者だけが逝けるエリュシオンの野があっても、生者にとって死は未知だもの。それに人間は一度死ねば再びこの明るい世界で暮らす事は叶わない。悔恨残して死に、愛する者と別離する魂達に触れるとやり切れなくなるんだ。ずっと彼らが生き続けられればって想わない日はないよ」
「……それは難しい話だな」
「でしょ? 以前ハデスに相談した事があるけど『生があれば死もある。私達は死の仕事をしているだけだ。それ以上でもそれ以下でもない』って諭されたよ。ハデスは強い男だなって想った。ゼウスとポセイドンと籤を引いて支配する世界を決めたとは言え、ずっと冥府で死者の魂を裁き続けてるのだもの。僕よりも辛い仕事かもしれない」
ローレンスは溜め息を吐く。
「それにしてもこの話をして怒られなかったのは君が初めてだよ」
ランゲルハンスはローレンスの子供っぽさに失笑する。
「君の神族では死神にも死を許されていると聞く。ある条件を果たせばと聞いたが君は死を望まないのかね? 死ねば辛いものを見なくて済むだろう」
「……出来たら死にたいよ。でも僕は無理だ。死ぬ為には次世代を残さなければならない。僕は子供にこんな悲しい仕事をさせたくないんだ」ローレンスは悲しそうに微笑んだ。
「君は優しすぎるな。……おとぎ話に登場する天使のようだ」
「……死神なのに天使って……おかしいね」
「気に入った。私の島に来るかね?」
「悪魔の誘い? やめとくよ。……僕の魂をいいように扱うつもりだろ? 実を言うと魔族と話す事すらハデスに固く禁じられているんだ。見つかると始末書だけじゃ済みそうにない」ローレンスは苦笑した。
俯いて悲しそうに微笑むローレンスをランゲルハンスは見遣った。死神にも関わらず人の死に悩み涙する、天使のように優しいローレンスの魂がどうしても欲しくなった。心根の優しい彼が島に居たらもっと楽しくなるに違いない。精霊達も暖かく迎え入れるだろう。
「……いつか君は私に願いに来る筈だ」
ランゲルハンスはシャツを破ると人差し指を犬歯で傷つけ、流れ落ちる血で絵を描いた。ローレンスは奇行に驚いたが、ランゲルハンスの真剣な眼差しを察し見守った。ランゲルハンスは悪魔召還の手順と陣の描き方を記すとシャツを差し出した。
ローレンスはそれが何であるか察し首を横に振る。
「ダメだ。一期一会にしよう。僕はこれきりの関係だと踏んだから胸の内を吐露しただけだ」
ランゲルハンスは鈍色の瞳を伏せる。
「……残念だ。君と友人になれたらと想ったが」
ランゲルハンスを悲しませたローレンスはバツが悪くなり、もぞもぞと口を動かす。このまま永遠に別れるのは後味が悪い。
意を決したローレンスは破れたシャツを受取る。
「……持ってるだけだからね。陣を描かないからね。離れてても永遠に会わなくても友達って事でいいよね?」
「ああ。君と私は友人だ」ランゲルハンスは微笑んだ。
ローレンスは困ったように微笑んだ。
神と悪魔はその場で別れた。
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