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44話 最悪

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 俺を守ろうとする殺気立つメアちゃんの体からモクモクと黒い煙が立ち上り、それがみるみる広がっていく。

「うそ……だろ?」

 俺はその煙を見やり絶句する。
 闇のような煙が辺りを包み込んだと思ったら、中から巨大な化物が姿を現したのだ。

 見るものすべてを畏怖させるその容姿。
 その姿は……まさに幻魔獣!!


「グゥォォオオオオオオオオオオオオオッ!!」
「メア……ちゃん?」

 俺は眼前で変わり果てた姿のメアちゃんを見やり、目をまん丸くさせて息を呑んだ。
 それは俺だけじゃない。

 フラフラのフィーネアも両手で口元を押さえて大きく目を見張っている。
 目前に迫っていたゴロツキ共も足を止めて、突如出現した邪悪なる化身のような姿のメアちゃんに、その表情が絶望へと歪んでいく。

 小さくチワワのように愛らしかったメアちゃんが禍々しい闇をまとい猛々しく咆哮すると、地震が起きたように洞穴は大きく揺れ、ポロポロと雨のように土くれが降ってくる。

「ばっ、ばけもの!?」
「ななな、なんだこの化物は!?」

 ゴロツキ共は顔を引きつらせて後ずさり、巨大化したメアちゃんを前に怖気づいている。
 俺は今のうちだとフィーネアの手を握り後方へ走り出し、そのまま地上に出るための穴を開けて一気に駆け上がる。

 果てしなく続いているような暗闇を夢中で駆け抜け、手招きするような月明かりの下へ飛び出し地上へ出ると、「ガキと女がいたぞぉぉおおお!」怒気を含んだ男の声が俺に突き刺さる。

「クソッ! なんでこんなところにいるんだよ!」

 男の声に吸い寄せられるように武装したゴロツキ共が次々と押し寄せて来やがる。同時に大穴から獰猛な姿へと変貌を遂げたメアちゃんが勢いよく飛び出して来ると、ゴロツキ共は眼前の闇のようなメアちゃんに一瞬ビクッと体を強ばらせるが、すぐに恐怖を振り払うように鬨の声を上げて突っ込んでくる。

 メアちゃんは襲い来るゴロツキ共を前にしても怯むことはなく、勇ましい雄叫びを夜空に放ち立ち向かった。
 一人、また一人とメアちゃんに体躯を引き裂かれ地に落ちていくその姿に、俺は戦慄した。

 引き裂かれるゴロツキたちの体からは一滴の血も流れることはなく、上半身だけになってしまった男が素っ頓狂な声を響かせる。

「なっ、なんだ全然痛くねぇーじゃねぇーか」
「つーかお前その体どうなってんだよ!?」
「えっ……!? ギャヤァァアアアアアアアアアアッ!?」

 まるで地獄絵図だった。
 男たちの体は引き裂かれバラバラになっても上半身や下半身だけで動き回り、中には頭部だけになっても口を利く者までいる。

「はっ、吐きそうだ……」

 目の前で繰り広げられる光景はホラー映画……いや、バイオレンスなゾンビ映画そのものだ。
 幻魔獣ナイトメアに人々が恐怖した理由が嫌ってくらいわかった。

 だけど……ゴロツキたちが死ぬことは疎か痛みを感じることもないのだとわかると、メアちゃんに襲いかかり手にした凶器をメアちゃんの体へと突き立てた。

「グガァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!?」

 メアちゃんへと覆い被さるゾンビ男たちが次々と手にしたそれを突き立てていく。
 それはまるで朽ちた命へと群がる蟻のよう。

 痛みに耐えかねたメアちゃんの体がどんどん小さく萎んでいく。
 このままじゃメアちゃんがやられてしまう。

 俺は咄嗟にポッケから『風神飴』を取り出してサッと口に含むと、メアちゃんの体にまとわり付くゾンビ男たちに息を吹きかけた。

「ふぅぅうううううううううっ!」

 風神飴は俺の息をトルネードへと変えて、ゾンビ男たちを枯葉のように吹き飛ばす。
 転がるゾンビ男たち。

 俺はその隙に小さく愛らしい姿に戻ったメアちゃんの元へと駆け寄り、抱きかかえるとすぐさま走り出した。

「フィーネア走るんだ!」

 頷くフィーネア。
 俺はまだ喋れないフィーネアと共に走った。
 夜の女郎街を駆け回る。

 だけど女郎街からは出られない。
 もしもマムシの呪いが強力なものでフィーネアの魂に深く刻まれていれば、ここを一歩出た時点でフィーネアは……。

 この女郎街という名の牢獄から出るためにはマムシを、あのイカレるボンテージスーツの女王様をぶっ飛ばすしかないんだ。

 けたたましい無数の足音が追ってくる。
 俺は振り返ることなく細い路地へ駆け込みそこを抜けると、一瞬右足首が焼けるような熱を帯びた。

 刹那――派手に転び息が止まるほどの重い痛みが襲い、次の瞬間俺は絶叫した。

「うわ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」

 俺は叫んだ。
 喉が引きちぎれそうなくらい叫びのたうち回った。膝を曲げて右足首を掴み痛みの原因を探ろうとするが……掌にはヌメっとする感触――そこから下がない!?

 俺の右足首は失くなっていた。

「あじがっ……あじがっ! おでの゛あじがぁぁああああああああああっ!!」
「う゛う゛う゛ぅぅ゛……う゛う゛ぅ」

 泣き叫ぶ俺を抱きかかえるフィーネアが必死に何かを口にしている。
 俺は痛みでどうかしてしまいそうだった。

 水道管が破裂してしまったように勢いよく飛び散る血液。
 『死にたい』その言葉が脳裏をかすめる。こんなに痛いならもういっそひと思いに死んでしまった方がマシだ。

「わちきの城をめちゃくちゃにしておいて、女郎街ここから出られるとでも思っていたか?」

 痛みで身悶える中、耳につく金切り声が途切れそうな意識に入って来る。
 歯を食いしばり痛みに耐え、その声に目を向けると、そこには複数の手下を引き連れたマムシが立っていた。

「痛いか……ガキ? お前のチンケな体を細切れにしたところで、わちきの怒りは収まらない。あの城にいくらかかったと思ってるんだいっ! お前が壊したわちきのコレクションがいくらかかったと……思ってんだこのブタがぁ!!」

 マムシは地面に鞭を叩きつけてゆっくり俺へ歩み寄ると、刺のようなヒールで俺の頭を踏みつける。

「うっ……」

 フィーネアは俺を庇おうと身を乗り出すが、手下のゴロツキに羽交い絞めにされてしまった。

「う゛う゛う゛ぅ゛ぅ゛、うう゛」

 フィーネアは声にならない声を発して俺へと手を伸ばすが、その手はどんどん俺から遠ざかって行く。

「ムッ……キュッゥ……」

 メアちゃんも俺を助けようと力を振り絞り立ち上がろうとするが、小さな体を踏みつけられた。

 そして――俺を見下ろす女が悪魔のような笑みを浮かべて言う。

「お前……ただで死ねるなんて思わないことだね。生き地獄ってやつを教えてあげるわ! このブタがぁ!!」



 ◆



 それがしはスケベぇ~な格好のゆかり殿たち乙女を引き連れ、慎重に女郎街を移動するでござる。

 さしずめ今のそれがしはハーレム勇者とでも言うところでござろうか。

 しかし、ゆかり殿たちが女郎街で囚われの身であったということは、今回それがしが助け出すことによって、愛だの恋だの芽生える可能性が十二分にあるのではござらんか?

 いや、120%ゆかり殿たちはそれがしに惚れるでござろう。
 異世界は一夫多妻制でござろうか?
 もしも違ったら……この中から本妻を一人選び抜き、残りは愛人にするしかないでござるな。

 いや~罪深き男とはそれがしのことでござったか。
 ま、本命はゆかり殿として……ユーリ殿は悔しがるでござろうか?

 なんたって嘗て自分が二週間で振られてしまった相手が、それがしに惚れておるのでござる。
 今からユーリ殿の悔しがる姿が楽しみでござるな。ぷーくすくす。

「ねぇ……ちょっとキモくない?」
「なんか笑ってるんだけど」
「聞こえたらどうすんのよ……あんなのでも役に立つかもしれないじゃない」
「ここは愛想振りまいておくのが一番よ」
「でも、遊理くんて男らしくてかっこよかったわよね。私親指グッと突き立てられたとき泣きそうになっちゃった」
「ゆう君はあたしのゆう君なんだからやめなさいよね」

 乙女たちは何をコソコソと言っておるのでござろう?
 それがしは後方の乙女たちに耳を傾けたでござる。

「ええーズルい! 私だっていいな~って思ってるのに」
「彼になら何をされても許しちゃいそう」
「わかる! あのモフモフしたくせっ毛が可愛いわよね」
「だからやめなさいよ! あたしのなんだからっ」

 なんとびっくり武田信玄!?
 早くも乙女たちがそれがしを奪い合っているでござる。

 それがしの髪はくせっ毛ではなくキューティクル全開のストレートヘアーでござるが、まぁ細かいことは気にしないでござる。

 それにしてもゆかり殿はもう既にそれがしの彼女気取りでござるな。
 まっ、最悪月曜日から土曜日にかけて6人を交代で……と言うのも悪くないでござるな。

 そして日曜日はここ女郎街で……うふふ。
 それがし異世界に来れて良かったかもしれんでござるな。

「――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛」

 乙女たちがそれがしを奪い合う会話に花を咲かせていると、どこからともなく不気味な唸り声が聞こえてきたでござる。

「ねぇ、この声なに?」
「ゆう君よ……間違いない、この声はゆう君よっ! 明智君!?」
「わっ、わかってるでござる……たくっ、世話が焼けるでござるな」

 それがしたちは気色の悪い断末魔のような声をたどりそこへやって来ると……慌てて物陰に身を潜めたでござる。

 ゆかり殿は目の前の悲惨な光景に口元を押さえ泣き崩れ、他の乙女たちも青ざめていたでござる。

 それがしはチビりそうでござった。正確には二、三滴ほどチビったでござる。
 内緒でござる。

 と言うのも、それがしたちの視界に写るのは泣き叫ぶフィーネア殿と、ボロ雑巾のような痛ましいユーリ殿の姿でござった。

 ユーリ殿は意識が朦朧としているのか、虚ろな目で女王様のようなけったいな女に髪を掴まれて跪いているでござる。
 あと近くには黒く小汚い犬がいるでござる。

「はやぐ……はやぐゆうぐんをだすげであげで」

 ゆかり殿は泣きながらそれがしにユーリ殿を助けろと言うでござるが……正直無理でござるよ。
 ユーリ殿は異世界ヤクザたちに囲まれているでござる。

 あの中に飛び込んでしまえばそれがしも……それは自殺行為というものでござろう?
 なのでそれがしは……。

「今日は出直すでござるよ」
「「「「「「!?」」」」」」

 乙女たちが一斉に咎めるような視線を向けてくるでござるが……無理なものは無理でござる。

「あんたふざけんじゃないわよ!」
「さっき自分に任せろって言っておきながら、今更逃げるき!?」
「信じられない!?」
「クズすぎる!?」
「あんた勇者なんでしょ!? 友達がやられているのよ! 死んでも助けるのが男でしょ!?」

 一斉にそれがしに詰め寄ってくる乙女たち。
 その中でも特に異彩を放っているのが立ち上がったゆかり殿でござった。

 ゆかり殿は殺人犯でも見るような視線をそれがしに向け、ヤンキーのように胸ぐらを掴み取ると、グッと顔を近付け低い声でこう言ったでござる。

「ゆう君を見捨てる最低のクズは……いっぺん死んで来い!」

 ゆかり殿は投げ飛ばすように異世界ヤクザの前へとそれがしを突き飛ばしたでござる。

「イヤァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」

 どてっ……と鈍い音を立てて転けると、それがしはすぐさま立ち上がった。
 すると――穴があくほど突き刺さるヤクザの視線。

「………………」
「なんだこいつ?」
「どこから湧いて出やがった?」

 それがしは頭が真っ白になり、苦笑いを浮かべながら頭を掻いて、

「いや~夢遊病でござるかな? 寝惚けてこんな所にやって来てしまったでござるよ。あっ! お気になさらず続けて欲しいでござる。それがしお家に帰るでござるよ」

 それがしがクルッと身を翻し、カクカクとロボットのように一歩踏み出すと、先ほどまで喚くことしかしていなかったフィーネア殿が。

「明智っ!? 助けてくださいっ! ユーリが、ユーリがっ!!」
「あぁ!? こいつも仲間かっ!?」


 最悪でござる……。
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