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その意味
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猫捜索を切り上げた辰臣と颯太は、救済センターまで戻って来ていた。
時刻は午後九時を回ったところで、元々依頼されていた終了時間からは既に一時間が経過していた。
辰臣は、衣服に張り付くほどに濡れそぼったレインコートを何とか脱ぎ終えると、それを入口横のラックへと掛けた。が、そこから滴る雫が見る間に床に水溜りを作ってゆくのを横目に見て、思わず小さな溜息を零す。
こんな風に知らず溜息が漏れてしまうのは、単に明日の朝イチに水浸しの床を掃除しなくてはならないという憂鬱さからではない。勿論、雨に濡れて冷えきった今の状態も不快以外の何モノでもないが、全ては先程の依頼のせいだった。
迷い猫などの捜索自体は、今までにも何度か依頼として引き受けた事はあった。飼い主の願いと動物たちを救う為ならば、然程苦にもならない仕事だと思っていた。少しでも動物たちの助けになればと始めたことなので後悔などしたことはない。それこそ、今日のように冷たい雨の中であろうと、朦朧《もうろう》としてしまう程の真夏の炎天下の中であろうと、だ。
だが、今回の場合は少し事情が違った。
明日には引っ越す予定だという家族と、このままでは離れ離れになってしまう猫を不憫に思い、急な依頼ではあったが引き受けた。だが、指定された時間を過ぎても諦めきれず捜し続けていた自分の元に、颯太が思いもよらぬ情報を持ってきたのだ。
『捜してる猫は、もういないのだ』と。
だから、捜索を止めようと。
初めは颯太が何を言っているのか分からなかった。少し荷物を取りに帰り、戻って来たと思ったら妙に神妙な顔をしてそんなことを言うもんだから、いったい何があったのかと逆に心配したくらいだ。
「イヤな話を聞いたんだ」
そう切り出した颯太は薄暗い中でも判る程に怒りを瞳に宿していて、それでいてどこか冷たい表情を浮かべていた。普段はわりとクールに振る舞い、あまり感情を表に出さない颯太がそんな顔を見せることは珍しくて、何かがあったんだなということだけは解った。
話の続きを即すと、颯太は少しだけ言い辛そうに口を閉ざしていたが、それでも意を決するように話し始めた。
「あの飼い主は、自分の体裁を守る為に辰臣さんに猫捜しを依頼したらしいんだ。元々見つけるつもりなんてなかったんだよ」
「体裁を守るって…。捜す気がないのに捜させたってこと?さっき、颯太はもう猫はいないんだって言ったよな。それなら、猫は今何処にいるんだ?」
何となく遠回しな颯太の物言いに、焦れて少しだけ苛立ちを含ませてしまった。それでも、彼は何処か言葉を選ぶようにゆっくりと続けた。
「猫は迷子なんかじゃなく、実際は既に飼い主の手によって保健所に連れて行かれたんだ」
処分して欲しいと。
「確認も取ったが、それは本当だった。初めは誤魔化そうとしてたけど依頼主が事実を認めた。思ってた以上に猫を心配している娘の手前、捜さない訳にはいかなくなったんだって」
「そんな…ことって…」
流石に思ってもみない、想像出来るハズもない衝撃の事実だった。それは颯太にとっても同じだろう。それに、動物を守る為に活動してきた自分を傍でずっと見てきた彼が、この事実を自分に伝えることはきっと重く、心苦しかったに違いない。
雨の中遅くまで付き合わせてしまった罪悪感もあり、気持ちの整理はつかないものの、とりあえず救済センターまで早々に戻ることにした。
帰り道。無言で二人歩く中、今まで苦に感じなかった雨が無性に煩わしく、濡れた衣服が酷く重く感じた。
(流石にちょっと…。やっぱり、ヘコむよなぁ…)
体裁の為だけに利用された、それ自体は別にいいのだ。そこに存在しないものを知らずに必死に捜し続けているさまは、端から見れば滑稽だろうけど。それでも、こちらとしてはタダ働きではないのだし仕事という意味では成り立ってはいる。ただ…。
(保健所って…。一番ダメな選択だって…)
それだけが、ただただショックで。せめて、行動する前に相談してくれれば救うことも出来たかも知れないのに…と悔やまずにいられないのだ。
動物を飼う以上、最低限覚えていて欲しいと思うのは傲慢だろうか。それは、かけがえのない大切な一つの命なのだと。
例えどんな理由があろうとも、飼う以上は最後まで責任を持って愛情を注いで欲しいと切に願わずにはいられない。
「はぁ…」
静かな室内に思いのほか大きく響いてしまった溜息に、自分で気付いて口をつぐんだ。すると、丁度奥から颯太がトレーに温かい飲み物を乗せて現れた。溜息もすっかり聞かれてしまったようだ。
「大丈夫…?身体冷えたろ?これ飲んで少しでも温まって」
「…悪いな、颯太。ありがと」
いただきますを言ってトレーからカップを受け取ると、颯太も自分の分を手に取りトレーを横の棚へと置いた。互いに無言で飲み物を口にして一息ついたところで、ずっと気になっていたことを口にする。
「なぁ、颯太」
「ん?」
「ずっと考えていたんだけど。依頼人が嘘をついてたこと、何で分かったんだ?」
颯太が戻って来た時に誰かと会って話を聞いたのだろうことは普通に推測出来たけれど、それが誰でどういう経緯だったのかが気になっていた。だからといってそこに深い意味などはなく、誰に聞いたの?的な軽い感覚だったのだけど。
時刻は午後九時を回ったところで、元々依頼されていた終了時間からは既に一時間が経過していた。
辰臣は、衣服に張り付くほどに濡れそぼったレインコートを何とか脱ぎ終えると、それを入口横のラックへと掛けた。が、そこから滴る雫が見る間に床に水溜りを作ってゆくのを横目に見て、思わず小さな溜息を零す。
こんな風に知らず溜息が漏れてしまうのは、単に明日の朝イチに水浸しの床を掃除しなくてはならないという憂鬱さからではない。勿論、雨に濡れて冷えきった今の状態も不快以外の何モノでもないが、全ては先程の依頼のせいだった。
迷い猫などの捜索自体は、今までにも何度か依頼として引き受けた事はあった。飼い主の願いと動物たちを救う為ならば、然程苦にもならない仕事だと思っていた。少しでも動物たちの助けになればと始めたことなので後悔などしたことはない。それこそ、今日のように冷たい雨の中であろうと、朦朧《もうろう》としてしまう程の真夏の炎天下の中であろうと、だ。
だが、今回の場合は少し事情が違った。
明日には引っ越す予定だという家族と、このままでは離れ離れになってしまう猫を不憫に思い、急な依頼ではあったが引き受けた。だが、指定された時間を過ぎても諦めきれず捜し続けていた自分の元に、颯太が思いもよらぬ情報を持ってきたのだ。
『捜してる猫は、もういないのだ』と。
だから、捜索を止めようと。
初めは颯太が何を言っているのか分からなかった。少し荷物を取りに帰り、戻って来たと思ったら妙に神妙な顔をしてそんなことを言うもんだから、いったい何があったのかと逆に心配したくらいだ。
「イヤな話を聞いたんだ」
そう切り出した颯太は薄暗い中でも判る程に怒りを瞳に宿していて、それでいてどこか冷たい表情を浮かべていた。普段はわりとクールに振る舞い、あまり感情を表に出さない颯太がそんな顔を見せることは珍しくて、何かがあったんだなということだけは解った。
話の続きを即すと、颯太は少しだけ言い辛そうに口を閉ざしていたが、それでも意を決するように話し始めた。
「あの飼い主は、自分の体裁を守る為に辰臣さんに猫捜しを依頼したらしいんだ。元々見つけるつもりなんてなかったんだよ」
「体裁を守るって…。捜す気がないのに捜させたってこと?さっき、颯太はもう猫はいないんだって言ったよな。それなら、猫は今何処にいるんだ?」
何となく遠回しな颯太の物言いに、焦れて少しだけ苛立ちを含ませてしまった。それでも、彼は何処か言葉を選ぶようにゆっくりと続けた。
「猫は迷子なんかじゃなく、実際は既に飼い主の手によって保健所に連れて行かれたんだ」
処分して欲しいと。
「確認も取ったが、それは本当だった。初めは誤魔化そうとしてたけど依頼主が事実を認めた。思ってた以上に猫を心配している娘の手前、捜さない訳にはいかなくなったんだって」
「そんな…ことって…」
流石に思ってもみない、想像出来るハズもない衝撃の事実だった。それは颯太にとっても同じだろう。それに、動物を守る為に活動してきた自分を傍でずっと見てきた彼が、この事実を自分に伝えることはきっと重く、心苦しかったに違いない。
雨の中遅くまで付き合わせてしまった罪悪感もあり、気持ちの整理はつかないものの、とりあえず救済センターまで早々に戻ることにした。
帰り道。無言で二人歩く中、今まで苦に感じなかった雨が無性に煩わしく、濡れた衣服が酷く重く感じた。
(流石にちょっと…。やっぱり、ヘコむよなぁ…)
体裁の為だけに利用された、それ自体は別にいいのだ。そこに存在しないものを知らずに必死に捜し続けているさまは、端から見れば滑稽だろうけど。それでも、こちらとしてはタダ働きではないのだし仕事という意味では成り立ってはいる。ただ…。
(保健所って…。一番ダメな選択だって…)
それだけが、ただただショックで。せめて、行動する前に相談してくれれば救うことも出来たかも知れないのに…と悔やまずにいられないのだ。
動物を飼う以上、最低限覚えていて欲しいと思うのは傲慢だろうか。それは、かけがえのない大切な一つの命なのだと。
例えどんな理由があろうとも、飼う以上は最後まで責任を持って愛情を注いで欲しいと切に願わずにはいられない。
「はぁ…」
静かな室内に思いのほか大きく響いてしまった溜息に、自分で気付いて口をつぐんだ。すると、丁度奥から颯太がトレーに温かい飲み物を乗せて現れた。溜息もすっかり聞かれてしまったようだ。
「大丈夫…?身体冷えたろ?これ飲んで少しでも温まって」
「…悪いな、颯太。ありがと」
いただきますを言ってトレーからカップを受け取ると、颯太も自分の分を手に取りトレーを横の棚へと置いた。互いに無言で飲み物を口にして一息ついたところで、ずっと気になっていたことを口にする。
「なぁ、颯太」
「ん?」
「ずっと考えていたんだけど。依頼人が嘘をついてたこと、何で分かったんだ?」
颯太が戻って来た時に誰かと会って話を聞いたのだろうことは普通に推測出来たけれど、それが誰でどういう経緯だったのかが気になっていた。だからといってそこに深い意味などはなく、誰に聞いたの?的な軽い感覚だったのだけど。
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