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いらない能力
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当時、両親は離婚をしたばかりだった。
父親が外に愛人を作り家を出て行ってしまった為、自分は自動的に母親側に引き取られる形となった。
身勝手な父に裏切られ、離婚を承諾するしかなかった母は、本当なら悔しさや悲しさなどで一杯だった筈だ。それでも当初は自分の前では毅然とした態度を貫いていたと思う。
私は当時、まだ離婚の意味を理解していなかったけれど、父は元々あまり家に居ない方だったので、母に「さやはママと二人だけでも大丈夫だよね?」と、聞かれても「うん!」と笑顔で返していた程だった。
だが、女手一つで子どもを育てるのはやはり苦労も多かったのだろう。フルタイムで働き、帰って来た母が疲れ果てて動けずにいた時があった。
既に夜八時を回ろうとする頃、未だ夕食の支度にも取り掛かれず俯き座ったままの母に。
「ママ…だいじょうぶ?」
心配で何度も声を掛けたが大した反応は返って来ず。自分にも何か出来ることはないかと戸惑い、どうしようか迷っていた時だった。
その時、俯いて沈黙を続ける母の声が、何処からか微かに聞こえて来たのだ。
『もう疲れた…。何で私ばっかりこんな目に合わなきゃいけないの?もう、ウンザリよ…』
「…えっ?」
咄嗟に聞き返したその自分の声だけが冷たい部屋の中に響いた。それでも母は動かない。沈黙を守ったままだった。
「…ママ…?」
『これも皆あの人が悪いのよ。何であんなのと結婚しちゃったんだろ。結婚なんかしなきゃ良かった…』
その囁きのような声は、次第にしっかりと耳に届いてきた。
『あの人の子どもなんか産むんじゃなかった』
それからだ。人の心の囁きが聞こえるようになったのは…。本当はそれ以前にも聞こえていたのかも知れないが、ハッキリと自覚をしたのはその時だった。
「ママは、さやがいない方がよかったの…?」
思わず呆然と聞き返してしまった自分に。母はハッとすると俯いていた顔を上げて慌ててそれを否定した。
「咲夜、何を言い出すの?そんな訳ないでしょう?」
「だって…。ママが…っ…」
とうとう泣き出した私に母は動揺していたようだったが、今度は困ったような笑顔を見せると。
「ごめんねっ。お腹が空いてるのよねっ?もうこんな時間。今すぐ何か作るから待っててねっ」
そう言って、慌てて取り繕うように動き出した。
疲れた背中を見せながらもキッチンに立つ母からは、再び声ならざる声が聞こえて来た。
『ビックリした。心を見透かされたのかと思ったわ』
その日以降も、母の本音は何かしらの拍子に聞こえ続けていた。それでも最初は、自分に対しての母親の本音だけが特別に聞こえているのだと思っていた。
母にとって自分は枷でしかなく、疎ましい存在でしかなかったから。少なくとも父親が出て行った後は…。
そして、そんな母の後悔が強いからこそ、その気持ちが自分には特別に伝わってしまうのだと思っていた。
けれど後々それは母だけではなく、誰のものでも聞こえていることに気が付いたのだ。そして、表面上に出ている言葉や表情、行動とは反対の想いの方が多く聞こえて来るということも。
その人が心に秘めている想いの強さが強ければ強い程、囁きも大きくなるようだった。
でも…。
こんな能力が何になるというのだろう?
こんなもの、自分には必要なかった。ずっと気付かなければ良かったと、今は後悔しかない。
世の中、知らない方が幸せなことは沢山ある。少なくとも自分はこの能力さえなければ母の本音など知り得ることもなく、もう少し母と上手く付き合うことが出来た筈だ。
彼女は決して私という存在に対しての不満や文句を面と向かって口にすることはなかったし、離婚する以前と同様に母親として存在してくれていた。その心の奥底にある本音さえ除けば、彼女は一般的な良い母親だったに違いないのだ。
それでも…。
私は知ってしまった。
母は裏切った父のことをとても恨んでいて。そして、当然その血を半分引いている私を煩わしいと感じるようになっていったことを。成長していくにつれ、父親に似ていく容姿も母にとっては不愉快以外の何物でもなかったらしく、知り合いの人に『咲夜ちゃんは父親似だね』と言われる度に母の心は荒んでゆき、次第にそんな私を視界に入れなくなっていったのだ。
そんな現実が苦しくて。
たまに見せてくれる笑顔の裏で囁かれる母の本音が怖くて。哀しくて。
どんなに表面上で気を使ってくれていても素直に喜ぶことの出来ない可愛いげのない自分自身が何より嫌いだった。
でも実際は、自分がどんなに良い子でいようとも母にとっては関係ないのだ。私が父と母の娘である限り。
そんなの、やってられない。
気が付けば、母との心の距離は修復不可能な程に開いてしまっていた。
父親が外に愛人を作り家を出て行ってしまった為、自分は自動的に母親側に引き取られる形となった。
身勝手な父に裏切られ、離婚を承諾するしかなかった母は、本当なら悔しさや悲しさなどで一杯だった筈だ。それでも当初は自分の前では毅然とした態度を貫いていたと思う。
私は当時、まだ離婚の意味を理解していなかったけれど、父は元々あまり家に居ない方だったので、母に「さやはママと二人だけでも大丈夫だよね?」と、聞かれても「うん!」と笑顔で返していた程だった。
だが、女手一つで子どもを育てるのはやはり苦労も多かったのだろう。フルタイムで働き、帰って来た母が疲れ果てて動けずにいた時があった。
既に夜八時を回ろうとする頃、未だ夕食の支度にも取り掛かれず俯き座ったままの母に。
「ママ…だいじょうぶ?」
心配で何度も声を掛けたが大した反応は返って来ず。自分にも何か出来ることはないかと戸惑い、どうしようか迷っていた時だった。
その時、俯いて沈黙を続ける母の声が、何処からか微かに聞こえて来たのだ。
『もう疲れた…。何で私ばっかりこんな目に合わなきゃいけないの?もう、ウンザリよ…』
「…えっ?」
咄嗟に聞き返したその自分の声だけが冷たい部屋の中に響いた。それでも母は動かない。沈黙を守ったままだった。
「…ママ…?」
『これも皆あの人が悪いのよ。何であんなのと結婚しちゃったんだろ。結婚なんかしなきゃ良かった…』
その囁きのような声は、次第にしっかりと耳に届いてきた。
『あの人の子どもなんか産むんじゃなかった』
それからだ。人の心の囁きが聞こえるようになったのは…。本当はそれ以前にも聞こえていたのかも知れないが、ハッキリと自覚をしたのはその時だった。
「ママは、さやがいない方がよかったの…?」
思わず呆然と聞き返してしまった自分に。母はハッとすると俯いていた顔を上げて慌ててそれを否定した。
「咲夜、何を言い出すの?そんな訳ないでしょう?」
「だって…。ママが…っ…」
とうとう泣き出した私に母は動揺していたようだったが、今度は困ったような笑顔を見せると。
「ごめんねっ。お腹が空いてるのよねっ?もうこんな時間。今すぐ何か作るから待っててねっ」
そう言って、慌てて取り繕うように動き出した。
疲れた背中を見せながらもキッチンに立つ母からは、再び声ならざる声が聞こえて来た。
『ビックリした。心を見透かされたのかと思ったわ』
その日以降も、母の本音は何かしらの拍子に聞こえ続けていた。それでも最初は、自分に対しての母親の本音だけが特別に聞こえているのだと思っていた。
母にとって自分は枷でしかなく、疎ましい存在でしかなかったから。少なくとも父親が出て行った後は…。
そして、そんな母の後悔が強いからこそ、その気持ちが自分には特別に伝わってしまうのだと思っていた。
けれど後々それは母だけではなく、誰のものでも聞こえていることに気が付いたのだ。そして、表面上に出ている言葉や表情、行動とは反対の想いの方が多く聞こえて来るということも。
その人が心に秘めている想いの強さが強ければ強い程、囁きも大きくなるようだった。
でも…。
こんな能力が何になるというのだろう?
こんなもの、自分には必要なかった。ずっと気付かなければ良かったと、今は後悔しかない。
世の中、知らない方が幸せなことは沢山ある。少なくとも自分はこの能力さえなければ母の本音など知り得ることもなく、もう少し母と上手く付き合うことが出来た筈だ。
彼女は決して私という存在に対しての不満や文句を面と向かって口にすることはなかったし、離婚する以前と同様に母親として存在してくれていた。その心の奥底にある本音さえ除けば、彼女は一般的な良い母親だったに違いないのだ。
それでも…。
私は知ってしまった。
母は裏切った父のことをとても恨んでいて。そして、当然その血を半分引いている私を煩わしいと感じるようになっていったことを。成長していくにつれ、父親に似ていく容姿も母にとっては不愉快以外の何物でもなかったらしく、知り合いの人に『咲夜ちゃんは父親似だね』と言われる度に母の心は荒んでゆき、次第にそんな私を視界に入れなくなっていったのだ。
そんな現実が苦しくて。
たまに見せてくれる笑顔の裏で囁かれる母の本音が怖くて。哀しくて。
どんなに表面上で気を使ってくれていても素直に喜ぶことの出来ない可愛いげのない自分自身が何より嫌いだった。
でも実際は、自分がどんなに良い子でいようとも母にとっては関係ないのだ。私が父と母の娘である限り。
そんなの、やってられない。
気が付けば、母との心の距離は修復不可能な程に開いてしまっていた。
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