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06.音を奏でる君と

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「作るって言ってもなあ……」

 グレインは苦い顔だ。

「難しい?」
「いろいろ種類があるんだよ。素人が試しにできそうなものか……」

 そんなにすぐに作れないのか。
 グレインも、来る日も来る日も作業し続けていたみたいだし。

「あ、そうだ。これが再現されてるんだったらいけるかも」

 グレインはカウンターの下から何か引っ張り出してきた。
 タイプライターみたいな形の機械だ。蓋を開けて中を確かめている。

「これは何?」
「オルゴールの試作品を作るための機械、って感じかな。これで一回打ち出してみて、良さげならちゃんとしたシリンダーで作るんだよ」

 よくわからないけど、ふむふむと頷く。

「これなら初めてでも、それっぽいものが簡単にできる。あ、でも言っとくけど、店に並んでるようなものを期待しちゃだめだからね」
「どう違うの?」
「音が全然違うよ。あくまで試しのやつだから」

 ……やっぱりよくわからない。でも任せておけばなんとかなるだろう。
 動作確認を終えたらしい、カウンター上の石片を払ってその上に機械を置く。椅子を二つ並べる。グレインは腕まくりして作業体勢に入ったみたいだ。

「何の曲にする?」
「曲?」
「童謡とか、民謡とか。知ってるの何かあるでしょ」
「知らない」
「曲もないのにオルゴールは作れないよ」
「だって知らないんだもん」

 むぅと唇を尖らせる。

「じゃあグレインの考えたものがいい」
「えっ」

 グレインは固まった。

「曲は作らないの?」
「いや作るけど……」
「だったらそれがいい」
「えぇ……」

 彼は唸って、黙り込んでしまった。口元を押さえて、戸惑うように視線が泳ぐ。

「うーん……じゃあ。せっかくだし、そうだな……」

 並んだ鍵盤に指を触れる。
 コン、と少しこもったような音が鳴る。中には金属が入っているんだろうか。でもあんまり響かない。オルゴールっぽくはない音だ。
 何か考えながら指を動かす。メロディーなのか適当に鳴らしてるだけなのか、私には判別がつかない。
 初めは恐る恐る。私のことをちらちら気にしながらの様子だったが、次第にこちらを振り返る頻度は減った。
 目を閉じて、頬杖をついたまま、片手だけが鍵盤を鳴らしている。たまに口ずさむような、鼻歌みたいなのが微かに聞こえる。本人は気づいているのかいないのか定かじゃないが。
 集中しているみたいだ。こんな状況なのに。

「あ。ごめん。僕がやってたら意味ないか」
「ううん」

 我に返ったみたいだが、私は首を振る。

「もっとやってて」
「えっと……ごめん。じゃあ最後の打つとこだけやってもらおうかな……」

 私の出番は全然なさそうだ。教えるでも譲るでもなく、グレインは自分のことに集中しだした。
 それは、器用そうなのに、なんだか不器用な姿だ。
 考え込んで、周りの音が聞こえなくなってるみたいで。見えないものを、聞こえないものを掴もうとしているのに、一つのことしか見えていなくて。
 ふと、目を開ける瞬間はあっても、集中しているせいか目を細める。
 ここじゃないものを見ているような目。
 彼には、何が見えているんだろう。

「うーん……まあいいか。よし、じゃあ、僕の言う通りに打ってみて」

 一通り決まったのか。箱の中に部品をセットして、グレインと席を交換する。
 無機質なタイプライターみたいな機械。音が鳴るにしたって、こんなのを目の前に何が見えていたの?

「最初の音は……えっと」

 指示を待つつもりでいたら、それより先に手首を掴まれた。びっくりした。鍵盤に右手を置かされる。
 ……こ、このままやるつもり?
 どうしよう。そんな気持ちになってる場合じゃないのに。
 緊張して、手が震えそう……。

「あれ。どうだったかな……」

 いくつか音を打って、グレインは首を捻る。

「忘れたの?」
「え? あれ? ちょっと待って……?」
「忘れるものなの?」
「えーと……ごめん。一回どいてくれる?」
「え……やだ」

 私が譲らなかったから、諦めてそのまま思い出し思い出し、たどたどしいまま鍵盤を打つ。
 私、なぜか操り人形状態のままだけど……。
 鍵盤がそのまま中の部品と連動しているみたいだ。さっきと違って箱の中で小さな作動音が聞こえる。
 一音一音、間隔を調整しながら打ち終わって、部品を取り出す。試作用のオルゴールにシリンダーをセットしたら、あとはぜんまいを巻くだけだ。

「……一回やりなおしていい?」
「え。まだ聴いてないのに」

 グレインはなんだかすごい不服そうだ。
 とりあえず一回聴いてみたい。どんな感じなんだろう。

「わ……すごい。すごい。音鳴ってる!」
「そりゃあね……」

 巻いたぜんまいが戻っていく。セットしたシリンダーがゆっくり回って、打ち込んだピンが弾かれて音を鳴らす。
 お店で聞かせてもらったのと音が違うのはわかる。キンとしてなくて、響かない。なんかチープだ。
 でも、ちょっと感動した。本当に鳴るんだ。

「あ~~~~やっぱり違う……! こうじゃない……!」

 グレインは急に頭を抱えて突っ伏してしまった。

「び、びっくりした……」
「なんか気持ち悪い。音が。イライラする」
「そこまで言う?」

 なぜかまたやりなおすことになった。何が不満なのか本当にわからないけど。
 機械に部品をセットしなおす。再び操り人形にされる。自分でやってみたいけど、指示がないと何をしていいかわからない。

「あれ……えっと……」

 グレインは相変わらず度々ど忘れして、私の手を持ったまま横でぶつぶつ言ってるのが聞こえる。
 耳元……。そんな近くで。
 グレインは基本的に鍵盤しか見えていないのか、間に私がいることをたまに忘れてるみたいだ。
 姿勢が低くなっていて、密着してるせいで自分の心臓の音が聞かれそうだ。呼吸が浅くなる。だからそんな場合じゃないのに。
 隠すのに精一杯で、頭の中が真っ白で、何をやらされてるのかよくわからなくなる。

「あ。タイミング間違ったかも」
「いっ、痛い」

 ギリ、と私の手の甲にグレインの爪が食い込んだ。

「あっ、ごめん!」

 グレインは慌てて手を離して体も離す。

「夢中になっちゃった……ほんとごめん……」
「う、ううん。平気……」

 ……人に爪立てられたのも初めてかも。じっと眺めていると、グレインは心配そうに覗き込んできた。

「血、出てない? 大丈夫?」
「出てないよ」
「ほんと、ごめん……」
「ううん」

 いっそ出たほうが面白かったかも……。

 なんやかんやで、二個目の試作品。私には一個目との違いがわからないけど。
 一回聴いてみて、ぜんまいが止まった。

「もう一回やってみていい?」

 私が聞くと、グレインは突っ伏した顔を上げて私を見る。
 相変わらず不満そうだけど、諦めたように笑った。

「どうぞ。何回でも」

 何度もぜんまいを巻きなおして聴いてみた
 グレインも、何度も繰り返す同じ曲を、また遠い目をして静かに聴いているみたいだった。
 でもやっぱり、グレインの言ったとおり、お店で見たものと全然違うのが寂しい。音もだけど、グレインが見せてくれたものは箱も中身も華やかだった。
 オルゴールを机に置く。ぜんまいだけが自動で回って、繰り返し音を鳴らし続ける。
 やがては緩やかに音が止まる。
 ふと、聞いてみたくなった。

「グレインは、なんでオルゴール作るようになったの?」

 そんなに簡単に作れないようなものを、なんでやるようになったんだろう。

「家にあったからかなあ……」

 グレインは一巡したわりに、他愛もない感じで答えた。
 グレインにとっては特別なことでもなんでもないのかもしれない。
 手持ち無沙汰だったのか、グレインはこつんとオルゴールを爪で叩く。気晴らしのようにぜんまいをいじる。
 思い出したように、ポツリ言った。

「正直ね。あれ、手放すのが惜しかったわけじゃないんだ」

 顔を上げて目が合う。
 あれって……私が欲しいって言ったオルゴールか。
 何も顔に出さないように表情を引き締める。私がまた怒り出したり泣き出したりすると思ったのか、グレインは力の抜けた苦笑いを浮かべながら続けた。

「母は数年前にとっくに亡くなってるし。褒めてくれた作品ではあるけど……なんだって褒めてくれたしな。ずっと大事にしまっておくほどのものじゃないとは思う」
「それは私への挑発?」
「違うよ。そうじゃないんだけど……」

 キッと睨んだ私を宥めるように言いつつも。

「物だけ大事に取っといてもなあ。母が今でもあれを大事にしてるならともかく。とっくに亡くなってる人に贈ったものに執着してもしょうがなくない?」

 ……ていうか、お母さん亡くなってたんだ。
 それは今初めて聞いた。

「僕としてはあれはすでに役目を終えた作品だ。まあ、だからって見ず知らずの子供にいきなり渡すわけにはいかなかったけどね」
「それはそうだと思うけど……」

 裾を握りしめる。なんだか私の気持ちごと軽んじられたようで、涙が出そうになるのを堪える。

「じゃあ、いくら口先でいらないって言ったって、結局手放さないんじゃない」
「あー……たしかに?」

 強い口調で指摘するが、グレインは今思い当たったように間の抜けた声で返してきた。

「まあ、機会があれば整理したかもなってことで。率先して捨てるのも違うでしょ?」
「……それも、そう」

 ぐぬ、と口元が歪む。言い返せない。
 でも。母親へと、そのために作ったオルゴールだ。
 亡くなってるのなら尚更、思い出の品として大事にしておきたいものじゃないの?

「……怒ってる?」
「少し」

 グレインは恐る恐る、だけど苦笑い気味に聞いてくる。正直に頷く。
 理解できない。
 大事じゃないはずがないのに。
 どうしてグレインは、口先ではそんなことを言うんだろう。

「――あ」

 ぽう、と小さな光の粒が現れた。
 少し大きくなる。光の玉が漂って、私の近くに浮かんだ。

「シエラ。わかってるでしょうね」

 チーリィが、告げに来たんだ。
 世界が終わる時間。
 いつもと違って硬い声音だ。

「石になるわよ、アンタ」
「……うん」
「今のアンタは複製じゃないのよ」
「うん。わかってる」

 今さら言っても遅いことだ。

「そういえばそれって結局なんなの?」
「精霊。私の監視役だよ。チーリィっていうの」
「精霊……?」

 グレインはハテナが浮いている。言葉は知ってても詳しくは知らない、って感じだろうか。

「石……。そういえば、時限式だっけね……」

 そんなことより。
 グレインは改まったように呟いた。

「結局、何も変わらず、わからずかぁ。このあたりを解いても、オルゴール作りに挑戦しても変化なし……。このまま石になるの嫌だ怖い……」
「……ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃないよ! 諦めないで!」

 他に何も言えなかった。たしかに変化もなかった。
 グレインはガタッと席を立つ。勢いがついたせいで椅子が倒れた。

「時間ってあとどれくらい?」
「わからない。感覚でしか」
「あと他にできそうなことあるかな……! え、本当に石になるの僕? ここで人生終わるの?」
「……」
「黙らないで怖い! お願い!」
「そう言われても……」

 肩を掴まれて揺さぶられるが、本当に。

「本当に。ごめんなさい……」

 深く頭を垂れると、彼は現実を直視せざるを得なかったのか、希望を失ったようにその場に崩れ落ちた。

「本当になんで巻き込まれたの……? 僕何も悪いことしてなくない? 嫌だ、最期に作ったものが素人に教えた試作品なんかじゃ嫌だ……!」
「そ、そこ?」
「まだ作りたいものも作りかけの作品もいっぱいあったのに!!」
「悲しみ方独特だね……」
「チーリィさんは何かお出来にならないんでしょうか……」
「チーリィは私に干渉してはいけないルールだから……」
「なにそれ……」

 しばらく床に伏せていたグレインだったが、よろよろと立ち上がって自分で椅子をなおして座りなおした。

「まあ……もう親もいないし悲しむ人もそんなにいないし……。まだまだ作りたい後悔はあるけど、何か成し遂げたいことがあるわけでもなし……。振り返ってみれば、そんなに悔いのある人生でもなかったかな……」

 あれ。言ってることが一転してる。
 目の色が失せて、顔色が悪くて、視線が据わってる。死に直面した人間ってこうなるのかな。

「本当にごめん。私もなんとかしたいとは思ってたし、なんとかするつもりでここに来たんだけど」

 どう言葉を選べばいいのか。

「今このときになっても、方法がわからなかった」

 ただただ懺悔するしか、できることがなかった。
 グレインも今さらになって責める気もないのか、無言になった。背を丸めてカウンターに寄りかかって、視線は俯いて一点を見つめるようになってしまった。
 他に何かできること……できそうなこと。
 神様にひたすら懺悔?
 それとも、私が複製魔法の本質を理解できればよかった?
 もっと言えば、私が、オリジナルを作った人間に敬意を持てればよかった?
 自分で一回、ちゃんと作る苦労を味わってみるとか……。

「「……せめて」」

 でもそんな時間はない――
 そう思って口を開くと、グレインの声とかぶった。
 お互いに顔を見合わす。目を丸くする。
 言おうとしたのは、同じこと、だろうか。
 何もできずに、グレインはただ力なく笑って。
 私は、何の気休めにもならないかもしれないけど。
 せめても、生気が失せつつあるグレインの手を握った。

 ――その時間は、思った以上にすぐに来た。
 グレインの足元からパキパキと音が聞こえた。

「え……あ」

 グレインは自分の足元を見る。石になり始めている状態を目にして、視線が泳いだ。

「お……終わりか……。本当に……」

 口元が緩んだような、変な笑みを浮かべる。目は笑っていない。握った手の平が一気にじっとりした。
 石は徐々に足元から上ってくる。変な汗が吹き出ているのか。目も焦点が定まっていない。息遣いも途端におかしくなった。
 私の手を握り返すこともなく、グレインの指先は小刻みに震えだした。
 当たり前だ。
 怖いに決まってる。
 抵抗したいに決まってる。
 彼は私とは違う。
 私のほうは石化はまだだ。
 でも――

「……せめても、シエラが何が欲しいのか、わかればよかったのにね」

 だったらせめて。
 このまま手を握っていれば、一緒に石化できるかも……。
 強く両手でグレインの手を握ろうとしたら、手を払われた。
 手が離れて、グレインの右手もすぐに石が覆った。

「嫌な思いさせたみたいで……ごめんね」

 声は震えて口が上手く回っていない。
 諦めと恐怖が押し寄せて、それでもどうにもならないことを悟って抑え込もうとして。
 石が喉元まで迫る。
 何をすることもできない僅かな時間なのに。
 グレインは、笑顔を浮かべた。

「喜ばせて、あげたかった……」

 頬には涙が伝った。
 涙は石の隙間から落ちただけで、頭のてっぺんまで、あっという間に石で覆われた。
 水滴が石に少し濃い影を落としただけだ。
 白い肌も。やわらかかった髪も。震えていた手も。
 語りかけてくれた声も。向けてくれた、優しさも。
 今は何も、
 沈黙。灰色。色は失われて。体温も失せて。
 彼のすべてが、冷たい石に呑み込まれた。

「――あ」

 手を伸ばす。
 だってたった今まで。今この瞬間まで。
 傍にいてくれた。一緒に喋ってた。
 オルゴール。試作品だけど、一緒に作って――

「シエラっ!!」

 キンと高い声音が響く。

「アンタ。今何する気だった?」

 私の目の前に、人型のチーリィが現れていた。
 私とグレインの間に割って入って、私の両肩を掴んでいる。
 本来の姿だけど、サイズ感は人間と同じだ。触ることもできるみたいだ。
 あれ……なんで。チーリィがここに。

「ここは神が作った世界よ。ルールに逆らうことは、神への反逆と同義よ」

 だって私は石化を解く力を持ってる。
 だから解くことができるから。
 それを使って、目の前の人を元に戻そうと思っただけで……。

「アンタ、消えたいの?」

 チーリィの虹色の瞳が私を覗き込み、睨んでいる。
 消える、か。
 なんだか、チーリィが言うと、大げさに聞こえるな。まるで存在自体が消えるみたいな言い方だ。
 それって、ここに残されるよりもつらいのかな?

「……ごめん。チーリィ」

 くすっと、笑えてきた。
 チーリィはいつも心配してくれるな。勝手気ままに見えて。

「ねえ。もし私に何かあったら、チーリィは……」
「なによ。アタシの心配?」

 ……チーリィが親心で私を想ってくれてるのは、わかってる。

「アタシはノーダメージよ。決まってるじゃない。精霊の心配だなんて、そんなだからアンタはいつまでたっても小人前程度なのよ」
「そう」

 ツンとした態度に、また笑えてくる。

「……縁起でもないこと言わないで」

 チーリィは顔を背けて、いつもの光の玉の姿に戻り、そして掻き消えた。



 椅子に座りなおす。
 隣には、石像のグレインの姿だ。
 私の石化はまだなのかな。なんとなく、自分の手先、足先を眺めてみる。

「グレイン」

 呼びかけてみる。

「ねえ」

 聞きたいことがある。
 最後に言っていたこと。
 あれはなんだったの。何が言いたかったの。
 どうしてグレインが謝ったの。
 喜ばせたかったって、何? 私を?
 どこからそんな言葉が出てきたの?
 相変わらず、君の発想は不思議だ。

「私も……やってみようかな」

 まだ時間があるなら。どうせ暇だし。
 さっきのグレインの真似事でもしてみようかな。

 同じものを作ってみよう。お手本があればできるはず。
 シリンダーを隣に並べて、よく見て、真似して鍵盤に手を触れる。
 あ。その前に、部品セットしないといけないんだっけ。
 まあいいや。先に音だけ鳴らしてみよう。
 ……。
 ピンだけ見て音鳴らすって、無理じゃない?

 シリンダーをオルゴールにセットして、実際に聴いてみる。
 この音だろうかと鍵盤の上で探ってみる。
 うん。よくわからない。
 やっぱり音を探すのはやめて、そっくり同じシリンダーを作ることだけに集中してみる。

 部品ははめ込むだけでセットできたみたいだ。たぶん。
 同じ位置に同じピンを打ち込むだけのはずだ。
 でも、そもそも鍵盤とピンの位置が一致しない。なんとなく低い、高いでこっちのほう、はわかってきたけど。
 適当にやりすぎて、失敗したシリンダーだけが大量に出来上がった。部品のセットも上手くいってないときがあるみたいで、ピンが打たれてなかったり回らなかったりで、右往左往した。

 簡単そうに見えたんだけどな……。
 ていうかこんなのを簡単そうにやってたの?
 やっぱり、グレインには何が見えていたのかよくわからない。
 一番上手くできた気がするシリンダーを試作用オルゴールにセットして聴いてみても、全然違う。なんか気持ち悪い。音が。イライラする。

 思ったよりもまるで上手くいかないな。
 お手本があって真似をしたはずなのに、全然真似できてない。
 何度も何度もやりなおしたせいで、シリンダーがなくなった。資源が尽きて、私の挑戦は終わった。

「はぁ……」

 ちょっと、期待もあったのにな。
 もしかしたら一生懸命に物作りの真似事でもやってみたら、神様も許してくれるんじゃないかと思って。

「ねえ神様」

 何も変化しない石化世界を見回して、宙を仰ぐ。

「何をしたら許してくれるの?」

 石の天井をぼんやりと眺めながら、呟いてみる。

 ……結局。
 あの日、私が欲しくなったグレインのオルゴールは、複製品自体は出来上がっていた。
 複製魔法は上手くいったのだ。
 だけど、その複製品はすぐに自分の手で叩き壊してしまった。
 目にした瞬間、はっきりと、何かが違うと感じた。
 手に持った瞬間、紛い物であることが突きつけられた。
 なのに瓜二つの見た目に、おぞましさすら覚えた。
 こんな紛い物はいらない。
 ……私が欲しかったのは、こんなのじゃない。そう思って。
 紛い物が存在していること自体、耐えられなくなった。

 グレインを振り返る。
 石に覆われた人。
 目を閉じて、だけど表情は薄っすらと笑ったままだ。
 石像だけ見ると、満足げに微笑んでいるだけの男性像にも見える。
 私に声さえ掛けなければ。
 オルゴールを見せてくれたりなんかしなければ。
 こんなことに巻き込まれることも、なかったのにね。

 私が作ったシリンダーをセットして、オルゴールを鳴らしてみる。
 でもやっぱり聴いていてまったく心地いいものじゃなくて、すぐにシリンダーを付け替えた。
 本物のほうを。グレインが作った、だけど本人的には全然納得がいってなさそうだったものを、鳴らしてみる。
 そっちを聴いていると、やっぱりきれいな音だなと思う。
 同じものを使ってて、真似してみようとしたはずなのに。別物だってぐらい。
 正しい音、って感じだ。間もあるのかもしれない。自然と耳を傾けたくなって、そよ風が吹くみたいに心地いい。

 せめても、一人で作ってみたことを伝えたかった。
 べつに喜んでほしいとは思ってないけど。喜んでくれそうだとは思うけど。
 私も一応、やってみたって。
 でも全然真似できてないし、こんなの見せるのは恥ずかしいなさすがに。聴かれそうになったら慌てて止めるかもしれない。
 でもまあ。一人でも挑戦してみた。
 夢中になるほどじゃなかったけど。なんなら疲れてもう二度とやりたくないけど。
 グレインの手先の一端には、触れてみれたんじゃないかって。

 石の手。
 直前まで握っていた右手を差し出したようなポーズのままの石像。
 手は、触っても、ひやりと冷たくて硬いだけだ。
 当たり前だけどもう石の感触以外は何も感じない。
 あの日、夢中になる姿をずっと眺めていた。
 窓越しに、来る日も来る日も真剣な横顔を。子供のように無邪気に語る姿を。幸せそうなものがたくさん詰まった箱を指差して、語るときの嬉しそうな顔を。
 思い描くものを形にして、気持ちを込めたものを作り出すその手を。
 ――やっぱり、失いたくない。

 立ち上がって、石像に近づく。
 とん、と肩あたりに手を触れる。

「知らない」

 どこかから、ポツ、と声が聞こえた。

「知らないから」

 チーリィの声だ。姿は見えないけど。
 私が何をしようとしたのか、悟ったみたいに。

「ごめんね」

 ちょっと涙ぐんだような声音だった。
 平気だよ。
 虚空に向かって、笑いかけた。

 ここが、神様のルールに則って作られた世界なんだとしてもだ。
 彼に聴かせたい。見てほしい。
 もう一度――話がしたい。
 見たもの、触れたもの、それらを自在に石化にするのと反対の力を使う。
 解除するため。解放するため。
 この石で覆われた世界から――元の在るべき形に戻すために。

「っ――!」

 石化解除の力を使うと、火に触れたように手の先が熱くなり、すぐさま全身に広がった。
 逆らおうとしているからだ。神様が作った世界のルールに反した行動を取っているからだ。
 ……魔女は、時代の節目で封じられた存在だ。
 邪の者とされて、生まれ変わりが誕生した際には、必ず監視のための精霊が遣わされる。
 私は生まれ変わりだから複製魔法も知っていたし、初めてでも難なく使えた。
 だからこそ、神様は罰を与えたんだろう。
 これは神の鉄槌というよりも、制裁だ。
 魔女だという自覚を持たず、得られないものを望もうとしたから。

「……っ、お願い」

 でも、私への天罰で始まった世界だというなら。

「せめて彼だけは――元の世界に、帰してあげて……!」

 私はどうなってもいい。
 だけどグレインは違う。巻き込まれなければならない理由はなかったはずだ。
 私だけ、色もぬくもりも何もない世界に、無限に閉じ込めておけばよかったじゃないか。
 たとえここで石化を解いたとして、どうなるかはわからない。
 一時的に解かれても、石がまた再生するだけかもしれない。
 無駄な抵抗をしただけで、そうして私が石化する時間を迎えるだけかもしれない。
 元の世界に帰れる保証なんかない。
 それでも――

「あのね。グレイン」

 目の前が白んできて見えなくて、ちゃんと石化を解けているのかどうかもわからない。
 神様に申し開きしたほうがまだマシかなと思ったけど、やっぱりやめた。
 今、私が言いたい言葉は。
 それを聞いてほしい人は。
 溢れてきた言葉を、何のために伝えたいのかというと。

「……違うの。私が欲しかったのは、あのオルゴールじゃない」

 この石の下に何もかも覆われてしまった――この人だけ。

「私――」

 あのとき。
 目の前が拓けて、世界が輝いた。
 ときめいて、すべてが熱を持ってきれいなものに見えた。
 あの瞬間までは。
 オルゴールなんか知らなかったし、興味もなかった。

「私が、欲しかったのは――」

 たとえ見た目だけでも構わないと思った。
 本物ではない。私のためなんかじゃない。私とは無関係な人が作り出したものだ。
 そうと頭で理解してはいた。
 本物ではなくとも、形だけでも、同じものを手に入れる方法を求めた。
 私にできることは、これしかないと思った。

「っ、う、――――……っ!」

 頭に浮かんだ言葉は泡みたいに弾けて消えた。
 いよいよ身体がだめみたい。
 石化が解けてるかもわからないのに。いろんなところが痛いし。熱いし。頭がおかしくなりそう。両手両足をつままれてバラバラの方向に引っ張られてるみたいだ。
 まだたくさん、思い浮かぶ言葉があったはずなのに。伝えたいことも。言いたかったことも。
 何か、思い浮かんだはずなのに。
 全部、痛みに上書きされて掻き消えた。

「グレイン――」

 出力は止めない。構わずに続ける。
 ずっと牢獄か、石化か、消えるのか。
 それとも、このままここに一人取り残されるのか。
 どれが私にとって一番つらいのかはわからない。

「もう一度――っ、っ――」

 もう一度だけ、と言わず。
 何度も。何度でも。いくらでも。
 素敵なものを。わくわくさせるものを。ときめかせられるものを。
 あなただけは。
 また、元のように――……。

 ※ ※ ※ ※ ※

 心地いい音。
 わくわくする音。
 思わず胸が高鳴ってしまう音。
 私の気持ちが動かされた、あの音――

 石の階段を駆け下りていた。
 あの音を探して。
 走るうちに、広い空間に出た。
 向かい合わせの鏡のように、どこまでも続いている空間だ。
 私は変わらず、階段を駆け下りる。螺旋状の階段は、だんだんと石じゃなくて、透き通った見た目に変わってきた。
 走って、走って、走って。
 下に向かって走って、踏み外しそうになる。
 でも、行き先はこっちで合ってる。
 だから今度は、踏み外しても、もう一度踏み出して、また進み出す。
 探した。キラキラ光るもの。
 私が心を惹かれた、あの音。

 あ――
 声を上げたはずなのに。反響する壁がないからか、掻き消えた。
 階段を下りきった先には、大きな扉があった。隙間から光が漏れ出ている。
 その前には、扉を見上げて立ち尽くしているような、いつもの空色の髪の人がいた。
 グレイン……。
 彼は振り返る。
 その手には、オルゴールを持っている。
 それは私が探していた音。
 あのときのオルゴールだ。

 ピシ、と嫌な音が足元で鳴った。
 石片が崩れるみたいに、私とグレインの間に亀裂が入って足場が崩れていく。
 断裂して、徐々に離れていく。別々の岸になった。
 でも、グレインがいるのは扉側だ。
 あの扉は、きっと元の世界へ帰る道だ。
 なら彼だけは無事に帰れそうだ。
 よかった。
 私は……。

 ……もう望まない。
 それは君が一生懸命作ったものだから。
 大切な、ただ一人のために作ったものだから。
 私が横から掠め取ろうなんて図々しいにも程がある。
 きっと、これだ。
 神様が罰を与えたのは、きっと、私がこんな卑しい心の持ち主だったからだ。
 だからもう。
 望むことは。
 決して得られないとわかっているのだから。
 下手に下界のものに触れたりせず。
 期待に胸を膨らませたりせず。
 こんなにもキラキラしたものがあるんだと気づくこともなく。
 このまま、ここで、大人しく――

 だけど。

 足を踏み出す。
 前に向かって、走り出す。
 もちろん目先は、断崖状態だ。
 だけど。
 縁を力いっぱい蹴り出して。
 勢いよく、向こう岸に向かって、跳び出した。

 向こう岸に届く保証なんてない。
 届いたとして、どうしたいのかもわからない。
 ふわっと、ジャンプできたのは一瞬だけで。
 あとは、身体が宙に投げ出された感覚だった。
 ――あ。無理かも。
 と思ってももう遅い。
 もう踏み出してしまった。
 このまま落ちるだけかもしれない。
 じっとしていたほうが痛くなかったのかもしれない。
 だけど、私だって。
 得られないものがあるんだとわかっていたって。
 私にだって、欲しいものがあるんだ――!

 手を伸ばす。
 腕を目一杯、伸ばして、宙を掻く。
 届かない――かも。
 でもそれでもいい。
 伸ばしてみた。それだけで。十分――

 届くかどうかわからなかった手を、掴まれた。
 それと同時に、視界の端を何かが通過していった。
 え――あれ。
 今の。あれっ。
 オルゴールじゃ……?
 私の横を素通りしてったけど。落ちてったけど――?
 振り返る暇もなく、扉から漏れ出た光が強くなる。
 眩しくて、何も見えなくなった。
 だけど手首には、跡が残りそうなほど指が食い込んでいる感触がある。
 しっかりと掴まれているのだけは、わかった。


 ……この音。
 オルゴールの音。
 いつもの、導くための音じゃない。
 複製された音じゃない。
 これは、きっと。

 そうだ。
 君はいつでも。繰り返し。何度でも何度でも。
 私に呼びかけてくれてたよね。
 私は、そんなあなたに心を動かされただけだ。きっと。
 だって、私が欲しかったのは――


 ……オルゴールの音が、どこかで鳴っている。
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