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最終章
09.それは小さな恋心
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丘を降りて、森跡地付近の町に来た。
宿を取る。ミリアはゆっくり話し始めた。
あそこには、元々森があったらしい。毒持ちの魔物だらけで、通称毒の森と呼ばれていたのだとか。
俺は、森の中で暮らしていたらしい。そこでミリアと出会った。盗賊団――精霊を狙う組織に襲われたこと。そして、クロウがミリアを助け出したこと。
「あれが、切っ掛けでした。全部のはじまり。わたしにとっては奇跡みたいで。嬉しいとか幸せっていうよりも、そのときは、ちょっと怖い、のほうが勝ってたかもしれません」
助け出したといっても、クロウのほうも死に体だったらしい。
そうまでして、命をなげうってまでして、ミリアの命を救った。
それが、クロウという男だった。
「理由がわからなかったんです。どうしてこんなに助けてもらえるのか。守ってくれるのか。だから素直に喜べないし、感謝しても、絶対に恩は返しきれないなってわかってたから……」
命懸けで助けられたなら、どう恩返しすればいいのか。同じように命を懸ければいいという話でもないだろう。
ミリアは精霊術士だといっても、当時は精霊という強力な力は消滅し、無力な少女でしかなかったとのことだ。
戦う力もない。一人で生きていく力もない。そんな状態で、返せるもの……。それは俺にも、思いつかない。
「……クロウさんは魔族だったから。今まで一人で生きてて、寂しかったんです。それもわかって、たくさん、いろんな話をして、一緒に進もうって決めて……」
クロウが魔族だったという話も聞いた。
とはいえ今の俺の体の性質は、人間と変わらないらしいから、気にしなくてもいいそうだが。
魔族については、バナードの家に書物や資料がたくさん置いてあったから俺も目にした。しかし、フェリックを人間なのかと疑ったが、そんなことを思った自分が元々人間じゃなかったとは驚きだ。
ただ、それなら、元のクロウの強さにも納得がいった。
「あとは……うん。恋仲じゃないけど。将来は約束した、みたいな関係でしたね。今思えば、だいぶ不思議でしたね」
「たしかに、そうだな……」
それは聞いたとおりなのだろう。クロウは粗野で無頓着で、一直線な人物だという印象だ。
ただ、それだけに、ミリアへの想いはより強く感じた。
現代では魔族は身を潜めて生きるしかなかった。生まれついての孤独と窮屈さだ。境遇は想像でしかないが、そんな中、ミリアと出会った。
ミリアにとってクロウはやはり英雄のような存在だが、クロウもまた、ミリアを唯一の理解者、傍に置ける大切な人として庇護していたのだろう。
「それで、クロウさんはこのままだと完全に魔族なっちゃいそうだったんで、儀式の生け贄にすることに決めたんです。わたしに精霊を降ろして、その力を使って、他の魂を引き換えにクロウさんの魂を取り戻して……」
「すまん……何を言ってるのかさっぱりなんだが」
今の俺の経緯も聞いた。正しくは、なぜクロウが記憶を失ったのか、だ。
儀式だとか魂だとかはさっぱりだったが、ともかくクロウが記憶を失ったのは、生け贄に使われて一度死んだから……らしい。
魔族化が進むクロウを助けるためには、それしかないと思ったのだと。ただし身体は修復できても、その中身、魂という曖昧なものを元に戻せるかは不確定すぎた。
それでも仇敵の組織と手を取り合って計画して、儀式を決行して、半年以上待ち、ようやく意識を取り戻した。
そこにいたのが、今までの記憶をすべてなくしたクロウ――つまり今の俺だったらしい。
「だからね。ややこしいことは抜きにすると、今のクロウさんは、記憶はなくなっちゃったけど、やっと意識を取り戻してくれたクロウさんなんですよ」
……ようやく納得がいった。
だからミリアもバナードも、俺を慎重なまでに大事にしてくれるのだ。記憶がないことで別人のような精神になっていたとしても、クロウには違いない。やっと戻ってきてくれた魂なのだから、と。
「こういう感じだったんですけど。どうですか?」
一通り話し終えたらしい。ミリアは肩の力を抜くように、俺に聞いてきた。
「自分が、元魔族だとは、まだ信じられんが……。隻腕の理由も、この傷痕も、そういう理由でできたものだったというのは、理解した」
それからミリアがなかなか話してくれなかったことにも納得がいった。こうして腰を落ち着けて聞くことができてよかった。
「魔族から人間へと変化した理由も。記憶を失って、今の俺というものができた理由も……」
だが、この話を聞いて、出てくるのは、結論というほどのものではなかった。
二人の経緯。苦境に立たされた二人が進んできた道のり。どれだけ寄り添い合って、支え合って、結びついてきたのか。
……まるで惹かれ合う運命の下にいたかのような二人だ、と思った。口には出せなかったが。
こんな二人に、勝てるわけがない。揺るぎない事実として、そう突きつけられているかのようだった。
「俺はやはり、元のクロウにはなれない。種族も違う。境遇も、環境も、あまりに違いすぎる」
ミリアの命を救うために焼かれて、ミリアの身を守るために自身の身体の一部を犠牲にして。フェリックのような人並外れた強者のいる組織に、一人立ち向かった。
すべて、ミリアを、彼女を救うため。守るため。
そんな存在に、とても追いつける気がしない。
ただただ、自信が失われた。俺は本当に、元のクロウが築いたものの上に立っているだけでしかない。成り代わっているだけでしかないのだと、思い知った。
「……ミリアが、俺を大事にしてくれる理由も、わかった」
これは、言うべきかどうか、悩む。
それでも、嘘はつけない。ミリアは、今までのことを真摯に話してくれたのだから。俺だけ隠し事をするのは卑怯だと思った。
「その上で。不徳かもしれないが……ミリアに、惹かれている自分も、いる。元のクロウがあってこそで、今の俺が何かしたわけではないのはわかってる。けど……」
正直に吐露しようと思った。
けどそこで、言葉が止まった。
今の俺にこんなことを言われても、迷惑だろうから。
ミリアが手を差し伸べてくれるのは、どんな形であれ、俺がクロウだからだ。俺自身は、まだまだ外の世界を知らず、他人というものも知らない。だから、優しく接してくれる彼女に惹かれているだけだ。
状況的なものだとわかってはいる。でもごまかし続ける自信もなかったし、目を逸らし続けられる問題とも思えなかった。
軽蔑されてないだろうか。こんなことを伝えられて、迷惑に思われていないだろうか。
だがミリアは、拒否する様子もない。そう言われても、彼女の中は何も揺らがないとばかりに。
「わたしはどうあれ、クロウさんを支えるって、決めました」
ミリアはまっすぐに俺を見て言う。
俺が言ったことを受け入れての言葉、というよりも。いつからか、彼女の中で出た答えを宣言するかのように。
「もしクロウさんが、一人立ちして、わたしとは関係ないところで暮らすようになったとしても。困ったことがあれば絶対に駆けつけますし、助けてあげられる限り助けます」
俺が一人立ちできるようになったとしたら、どういう生活を選ぶべきかと考えた話をなぞるように、ミリアは続ける。
「この先、もしクロウさんに、他に傍にいてくれる人ができても。大切な人ができても。助けを求められたら絶対に助けますし、絶対に、一人で放り出して困らせたりはしませんから」
俺が助けを求めるのであれば、俺がどういう道を選んだとしても。
ミリアは、それだけは決めたとばかりに……。
「待て。それは、俺がミリアから離れた関係になっても、という意味か?」
「はい」
そうかと納得しかけて、反芻して、思いとどまった。
この先、俺に他に大切な人ができる可能性。もし一人立ちして、人のいる場所で暮らすようになったとしたら、完全にないとは言い切れない話だろう。
そもそも現時点では、どこまでミリアと関わって生きていけばいいのかさえわからない。お互いに苦しいなら離れるべきだとは思う。
けど、たとえ離れたとしても。
「それは……その、記憶が戻らなくとも、という意味か?」
「はい」
「ええと……。いや。もし俺が一人立ちして、別の添い遂げる誰かができても……つまり、俺が自分本位に生きようとも、ミリアには何の見返りがなくとも……という意味か……?」
「はい。前のクロウさんがそうでしたので」
ミリアの意志をちゃんと確認しようと、あえて極端な聞き方もしてみる。
が、ミリアは、何も覆す気などないかのように迷わず頷くだけだ。
「前までとは違うクロウさんであったとしても、です。わたしが責任を持って、クロウさんが幸せだと思える道を、どんなものであれ全力で支えて助けますので。因果? みたいな仕方のないものだと思って、受け止めてください」
つまり、記憶や、距離、関係性の変化に関わらず。
取り戻してほしい記憶が戻らずとも、俺がどういう人生を歩もうとも。ミリアは俺を見捨てることはしない。助け続ける、献身し続けると。
そういう宣言……で合ってるんだろうか。合ってるんだろうな。ここまで確認して明確に返答されたら、もう認めるしかない。
そんな話があるか。尽くしてくれるとわかってるのに、見返りはいらないと言われて。それで本気で自分本位で生きられる人間がいるとしたら、相当図太いというか、頭が足りてなさすぎるだろう。
それは、あまりにも。だが仕方のないもの、と言われて、反論が封じられる。
元のクロウはいったいどんな思考だったんだ。お礼も何も返さなくていい、好きに生きろと言われて、恩を売られ続けることになるのか、俺は。
「お、重すぎないか? それは……」
「重かったですよ。とっても」
ひどい重荷だ。逆に生きづらい。だがミリアも経験者として頷いているようだ。
わかっていてやるのか。だからこそ、仕方のないもの、過去の俺の因果だとして、受け入れるしかない、のか。
「いや、生活面では、助かるといえばそうなんだが、その……」
それも正直な気持ちだ。
こないだは強がって、放り出されてもなんとか生きていくとは言ったが、このままだと浮浪者になる未来しか見えない。絶対に助けてくれると確約されているのは安心ではあるが。
「す、素直に、それでありがとうと言うのも、どうなんだ……」
「そうでしょうね」
……だめだ。今の俺が何を言っても、ミリアにとっては想定内でしかないようだ。
ミリアは本気で、それでいいのか。改まってそう言いかけて、ミリアのまっすぐな瞳と目が合って、やめた。
よくないなら、今までだって彼女はこんなに尽くしてくれなかっただろう。そうすると決めている、覚悟ができているから、言ってるんだ。
今の俺は、ミリアがクロウを助けようとした一心によって生まれたものだ。やっとのことで取り戻せた、記憶は違うけれどクロウには違いない存在だ。であれば大切にし続けるのは、当然の話だから。
「わたしのこの意志は変わらないので。あとはクロウさんがどうしたいか次第です」
自分の決断は終わったとばかりに、ミリアは俺に話を戻す。
「急かすつもりはないですし、なんならお家に帰ってゆっくり過ごしながら決めるでもいいですし。わたしはどんな決断でも、寄り添いますから」
また肩に触れてくる。今度は俺が真剣に悩んで、決断しなければならない番だというのに、触れられた箇所が人肌以上にぼうっと熱を持つ。
ミリア自身がどうするつもりかというよりも、これはやはり、俺の問題なのだ。本当に一人立ちできるのかどうか、といった具体的な生活の前に、俺自身がどうしたいのか、明確な意志を持つべきだ。
ミリアへの恩義と、感謝。記憶の有無によるすれ違い。それから、この小さな恋心のような気持ち。
それらを抱えた上で、何ができたらいいか。どう生きられたらいいのか。
元のクロウとして、ではなく。今の俺の意志として、自由な選択肢を持って、俺自身の判断で、見つけなければならない。
今の俺として、幸せだと思える道を。
宿を取る。ミリアはゆっくり話し始めた。
あそこには、元々森があったらしい。毒持ちの魔物だらけで、通称毒の森と呼ばれていたのだとか。
俺は、森の中で暮らしていたらしい。そこでミリアと出会った。盗賊団――精霊を狙う組織に襲われたこと。そして、クロウがミリアを助け出したこと。
「あれが、切っ掛けでした。全部のはじまり。わたしにとっては奇跡みたいで。嬉しいとか幸せっていうよりも、そのときは、ちょっと怖い、のほうが勝ってたかもしれません」
助け出したといっても、クロウのほうも死に体だったらしい。
そうまでして、命をなげうってまでして、ミリアの命を救った。
それが、クロウという男だった。
「理由がわからなかったんです。どうしてこんなに助けてもらえるのか。守ってくれるのか。だから素直に喜べないし、感謝しても、絶対に恩は返しきれないなってわかってたから……」
命懸けで助けられたなら、どう恩返しすればいいのか。同じように命を懸ければいいという話でもないだろう。
ミリアは精霊術士だといっても、当時は精霊という強力な力は消滅し、無力な少女でしかなかったとのことだ。
戦う力もない。一人で生きていく力もない。そんな状態で、返せるもの……。それは俺にも、思いつかない。
「……クロウさんは魔族だったから。今まで一人で生きてて、寂しかったんです。それもわかって、たくさん、いろんな話をして、一緒に進もうって決めて……」
クロウが魔族だったという話も聞いた。
とはいえ今の俺の体の性質は、人間と変わらないらしいから、気にしなくてもいいそうだが。
魔族については、バナードの家に書物や資料がたくさん置いてあったから俺も目にした。しかし、フェリックを人間なのかと疑ったが、そんなことを思った自分が元々人間じゃなかったとは驚きだ。
ただ、それなら、元のクロウの強さにも納得がいった。
「あとは……うん。恋仲じゃないけど。将来は約束した、みたいな関係でしたね。今思えば、だいぶ不思議でしたね」
「たしかに、そうだな……」
それは聞いたとおりなのだろう。クロウは粗野で無頓着で、一直線な人物だという印象だ。
ただ、それだけに、ミリアへの想いはより強く感じた。
現代では魔族は身を潜めて生きるしかなかった。生まれついての孤独と窮屈さだ。境遇は想像でしかないが、そんな中、ミリアと出会った。
ミリアにとってクロウはやはり英雄のような存在だが、クロウもまた、ミリアを唯一の理解者、傍に置ける大切な人として庇護していたのだろう。
「それで、クロウさんはこのままだと完全に魔族なっちゃいそうだったんで、儀式の生け贄にすることに決めたんです。わたしに精霊を降ろして、その力を使って、他の魂を引き換えにクロウさんの魂を取り戻して……」
「すまん……何を言ってるのかさっぱりなんだが」
今の俺の経緯も聞いた。正しくは、なぜクロウが記憶を失ったのか、だ。
儀式だとか魂だとかはさっぱりだったが、ともかくクロウが記憶を失ったのは、生け贄に使われて一度死んだから……らしい。
魔族化が進むクロウを助けるためには、それしかないと思ったのだと。ただし身体は修復できても、その中身、魂という曖昧なものを元に戻せるかは不確定すぎた。
それでも仇敵の組織と手を取り合って計画して、儀式を決行して、半年以上待ち、ようやく意識を取り戻した。
そこにいたのが、今までの記憶をすべてなくしたクロウ――つまり今の俺だったらしい。
「だからね。ややこしいことは抜きにすると、今のクロウさんは、記憶はなくなっちゃったけど、やっと意識を取り戻してくれたクロウさんなんですよ」
……ようやく納得がいった。
だからミリアもバナードも、俺を慎重なまでに大事にしてくれるのだ。記憶がないことで別人のような精神になっていたとしても、クロウには違いない。やっと戻ってきてくれた魂なのだから、と。
「こういう感じだったんですけど。どうですか?」
一通り話し終えたらしい。ミリアは肩の力を抜くように、俺に聞いてきた。
「自分が、元魔族だとは、まだ信じられんが……。隻腕の理由も、この傷痕も、そういう理由でできたものだったというのは、理解した」
それからミリアがなかなか話してくれなかったことにも納得がいった。こうして腰を落ち着けて聞くことができてよかった。
「魔族から人間へと変化した理由も。記憶を失って、今の俺というものができた理由も……」
だが、この話を聞いて、出てくるのは、結論というほどのものではなかった。
二人の経緯。苦境に立たされた二人が進んできた道のり。どれだけ寄り添い合って、支え合って、結びついてきたのか。
……まるで惹かれ合う運命の下にいたかのような二人だ、と思った。口には出せなかったが。
こんな二人に、勝てるわけがない。揺るぎない事実として、そう突きつけられているかのようだった。
「俺はやはり、元のクロウにはなれない。種族も違う。境遇も、環境も、あまりに違いすぎる」
ミリアの命を救うために焼かれて、ミリアの身を守るために自身の身体の一部を犠牲にして。フェリックのような人並外れた強者のいる組織に、一人立ち向かった。
すべて、ミリアを、彼女を救うため。守るため。
そんな存在に、とても追いつける気がしない。
ただただ、自信が失われた。俺は本当に、元のクロウが築いたものの上に立っているだけでしかない。成り代わっているだけでしかないのだと、思い知った。
「……ミリアが、俺を大事にしてくれる理由も、わかった」
これは、言うべきかどうか、悩む。
それでも、嘘はつけない。ミリアは、今までのことを真摯に話してくれたのだから。俺だけ隠し事をするのは卑怯だと思った。
「その上で。不徳かもしれないが……ミリアに、惹かれている自分も、いる。元のクロウがあってこそで、今の俺が何かしたわけではないのはわかってる。けど……」
正直に吐露しようと思った。
けどそこで、言葉が止まった。
今の俺にこんなことを言われても、迷惑だろうから。
ミリアが手を差し伸べてくれるのは、どんな形であれ、俺がクロウだからだ。俺自身は、まだまだ外の世界を知らず、他人というものも知らない。だから、優しく接してくれる彼女に惹かれているだけだ。
状況的なものだとわかってはいる。でもごまかし続ける自信もなかったし、目を逸らし続けられる問題とも思えなかった。
軽蔑されてないだろうか。こんなことを伝えられて、迷惑に思われていないだろうか。
だがミリアは、拒否する様子もない。そう言われても、彼女の中は何も揺らがないとばかりに。
「わたしはどうあれ、クロウさんを支えるって、決めました」
ミリアはまっすぐに俺を見て言う。
俺が言ったことを受け入れての言葉、というよりも。いつからか、彼女の中で出た答えを宣言するかのように。
「もしクロウさんが、一人立ちして、わたしとは関係ないところで暮らすようになったとしても。困ったことがあれば絶対に駆けつけますし、助けてあげられる限り助けます」
俺が一人立ちできるようになったとしたら、どういう生活を選ぶべきかと考えた話をなぞるように、ミリアは続ける。
「この先、もしクロウさんに、他に傍にいてくれる人ができても。大切な人ができても。助けを求められたら絶対に助けますし、絶対に、一人で放り出して困らせたりはしませんから」
俺が助けを求めるのであれば、俺がどういう道を選んだとしても。
ミリアは、それだけは決めたとばかりに……。
「待て。それは、俺がミリアから離れた関係になっても、という意味か?」
「はい」
そうかと納得しかけて、反芻して、思いとどまった。
この先、俺に他に大切な人ができる可能性。もし一人立ちして、人のいる場所で暮らすようになったとしたら、完全にないとは言い切れない話だろう。
そもそも現時点では、どこまでミリアと関わって生きていけばいいのかさえわからない。お互いに苦しいなら離れるべきだとは思う。
けど、たとえ離れたとしても。
「それは……その、記憶が戻らなくとも、という意味か?」
「はい」
「ええと……。いや。もし俺が一人立ちして、別の添い遂げる誰かができても……つまり、俺が自分本位に生きようとも、ミリアには何の見返りがなくとも……という意味か……?」
「はい。前のクロウさんがそうでしたので」
ミリアの意志をちゃんと確認しようと、あえて極端な聞き方もしてみる。
が、ミリアは、何も覆す気などないかのように迷わず頷くだけだ。
「前までとは違うクロウさんであったとしても、です。わたしが責任を持って、クロウさんが幸せだと思える道を、どんなものであれ全力で支えて助けますので。因果? みたいな仕方のないものだと思って、受け止めてください」
つまり、記憶や、距離、関係性の変化に関わらず。
取り戻してほしい記憶が戻らずとも、俺がどういう人生を歩もうとも。ミリアは俺を見捨てることはしない。助け続ける、献身し続けると。
そういう宣言……で合ってるんだろうか。合ってるんだろうな。ここまで確認して明確に返答されたら、もう認めるしかない。
そんな話があるか。尽くしてくれるとわかってるのに、見返りはいらないと言われて。それで本気で自分本位で生きられる人間がいるとしたら、相当図太いというか、頭が足りてなさすぎるだろう。
それは、あまりにも。だが仕方のないもの、と言われて、反論が封じられる。
元のクロウはいったいどんな思考だったんだ。お礼も何も返さなくていい、好きに生きろと言われて、恩を売られ続けることになるのか、俺は。
「お、重すぎないか? それは……」
「重かったですよ。とっても」
ひどい重荷だ。逆に生きづらい。だがミリアも経験者として頷いているようだ。
わかっていてやるのか。だからこそ、仕方のないもの、過去の俺の因果だとして、受け入れるしかない、のか。
「いや、生活面では、助かるといえばそうなんだが、その……」
それも正直な気持ちだ。
こないだは強がって、放り出されてもなんとか生きていくとは言ったが、このままだと浮浪者になる未来しか見えない。絶対に助けてくれると確約されているのは安心ではあるが。
「す、素直に、それでありがとうと言うのも、どうなんだ……」
「そうでしょうね」
……だめだ。今の俺が何を言っても、ミリアにとっては想定内でしかないようだ。
ミリアは本気で、それでいいのか。改まってそう言いかけて、ミリアのまっすぐな瞳と目が合って、やめた。
よくないなら、今までだって彼女はこんなに尽くしてくれなかっただろう。そうすると決めている、覚悟ができているから、言ってるんだ。
今の俺は、ミリアがクロウを助けようとした一心によって生まれたものだ。やっとのことで取り戻せた、記憶は違うけれどクロウには違いない存在だ。であれば大切にし続けるのは、当然の話だから。
「わたしのこの意志は変わらないので。あとはクロウさんがどうしたいか次第です」
自分の決断は終わったとばかりに、ミリアは俺に話を戻す。
「急かすつもりはないですし、なんならお家に帰ってゆっくり過ごしながら決めるでもいいですし。わたしはどんな決断でも、寄り添いますから」
また肩に触れてくる。今度は俺が真剣に悩んで、決断しなければならない番だというのに、触れられた箇所が人肌以上にぼうっと熱を持つ。
ミリア自身がどうするつもりかというよりも、これはやはり、俺の問題なのだ。本当に一人立ちできるのかどうか、といった具体的な生活の前に、俺自身がどうしたいのか、明確な意志を持つべきだ。
ミリアへの恩義と、感謝。記憶の有無によるすれ違い。それから、この小さな恋心のような気持ち。
それらを抱えた上で、何ができたらいいか。どう生きられたらいいのか。
元のクロウとして、ではなく。今の俺の意志として、自由な選択肢を持って、俺自身の判断で、見つけなければならない。
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