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六章「彼と彼女の理由」

14.決断と決別

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 ダインの視線の先にいるのは、黒いローブ姿の男だ。
 ダインは最初に言っていたはずだ。周囲に魔術士が控えていると。
 こちらを攻撃してきた。俺を狙っていたのだろう。〈聖下の檻〉の配下なら当然だ。しかしそれを防いだのは、同じ構成員のはずの、ダインだ。

「ダインさん、腕……!」

 ミリアは声を上げる。
 結界術を発動させるためにか、前に突き出した片腕が、少し焼き焦げたような傷を負っていた。

「ごめん、ちょっと防ぎきれんかっただけ……。それより」

 ダインは、前方を見据える。攻撃態勢の魔術士を改まって目視する。

「……やっちまった」

 思わずといったように、小さく呟いた。
 どういう意味だ。咄嗟に行動に移してしまった、とでも言いたいのか。

「ダイン。今のはどういうつもりだ?」

 魔術士の男が、口を開いた。ダインに問いかけてくる。

「手を出すなと言われていたが。今のは、紛れもなく、その魔族を庇う行為だったな」

 魔術士は怒りの形相だ。仲間割れのような空気が流れている。
 それもそうだ。ダインは、敵のはずの俺を、攻撃から庇った。〈聖下の檻〉からすれば、疑う余地もなく、裏切りに値する行動だろう。

「……本当に、他から聞いていたとおりなのか。そちらを庇護するつもりなら、敵対するものと見なすしかない。それでいいのか?」

 魔術士は判断を煽るように問いかけてくる。
 他から聞いていた?
 ダインは、すでに裏切りの兆候があるものだと目を付けられていたのか。
 ダインは黙っている。反論、異論はないものとみていいのか。

「これも共犯なのか?」

 魔術士の背後から、もう一人、同じような格好をした者が姿を現した。同じ〈聖下の檻〉の魔術士だろう。
 背後の魔術士が、一人の女性を前に突き出す。後ろ手に拘束されたような格好で女性は倒れる。ダインは強ばるような反応を示した。

「ティナ……」
「こいつ。珍しく同行を申し出たと思ったら。故意に精霊術士を逃がすとはどういう了見だ? 共同の計略のつもりだったのか」

 ティナ。聞き覚えがある名前のような、どうだったか。ミリアもあっと反応を示す。俺は思い出せないが、故意に逃がすという言葉に、もしやと思う。
 先ほど、ミリアを囲っていた土魔術が消滅したことが過る。そのティナという女性が発動させ、任意に解除したものだったのだとしたら。
 あの場でミリアが駆け寄っていなければ、ダインの行動は止められなかったかもしれない。言葉だけで説得できていたかは怪しい。ティナという女性は、ダインを助力した形になるのだろう。
 二人して裏切るつもりなのかと、問われているのだ。

「命令に従え。ダイン。背けば、どうなるかわかるだろう」

 後方の魔術士が、ティナという女性に手を向ける。手の先には魔術反応の光が集まる。

「おまえたちが連れ帰ってきたあの女……マチルダとかいったか。あのままなら、あれも用無しで処分だろうな」

 黙ったままのダインに、追い打ちをかけるように、魔術士はさらに言う。
 マチルダ……マチと呼ばれていたあの鎖の女のことだろうか。
 魔術士はそれ以上は言わない。命令に従え。俺を始末して、ミリアを確保しろと言っているのだ。
 つまりそのティナという女性含め、人質ということか。従わなければそちらを殺すと。
 ダインは背を向けたまま動かない。顔は見えない。迷っているのか。何を思うのかは把握できない。

「ダイン」

 声をかける。だがこちらを振り返ることもない。
 ダインには、戦う意思が見えなかった。ミリアの話にも、耳を傾けようとしていたはずだ。
 ダインがここで俺を殺すことを選んでも、恨みはしない。立場上、仕方のない部分だ。むしろ今までそうでなかったのがおかしいのだ。
 だがもし迷っているのなら。俺たちと敵対したくない、という意思があるのなら。

「……殺せばいいのか」

 なら俺がなんとかすればいい。前方に視線を戻して、立ち上がる。
 魔術士数人など、魔人化を解放すれば簡単に仕留められるだろう。最重要なのはダインだ。こちらの味方でもない、雑兵の魔術士らなど、数人いなくなったところで問題はないだろう。

「クロウさん、まさか……」

 ミリアは不安げな声を上げる。ダインも察したのか俺を見る。
 ここで魔人化を使うことのリスク。それはわかっているつもりだ。

「ダイン。おまえなら、魔人化を抑えられるのだろう」

 ダインの隣に出る。
 抑える術もなく解放はできない。しかしダインがあちらと縁を切るというのなら、算段はある。

「魔人化って……」
「あの状態のことだ。魔人化を解放して、俺があれらをすべて殺す。その後は、貴様が止めろ」

 裏切りを防ぐ術として、戦闘員には呪術が仕込まれている。どのようにして発動するのかはわからないが、戦闘員同士の争いは禁則の可能性もある。
 だが俺はダインと違って自由に動ける。あいつらを黙らせられるのは、俺しかいない。
 これは、むしろ好機かもしれない。ダインが俺たちと敵対したくない、しかし呪術や人質の存在があって裏切れないというのなら、あれらと強制的に切り離してしまえばいいだけだ。

 魔術士は身構える。すでに魔術反応が出ていることから、いつでも攻撃できる態勢なのだろう。しかし慄いたように後ずさる。やはりそうだ。奴らだけでは俺に対抗する術がないはずだ。
 だからダインを即座に切り捨てることができない。裏切る可能性があったとしても、状況的に使わざるを得ないのではないか。あちらは、俺に魔人化を使わせた時点でほぼ負けなのだろう。
 それでいい。障害でしかない雑兵など俺が取り除く。ミリアの提案にも、支障はないだろう。

「ま……待ってくれ!」

 ダインは俺の前に出てくる。魔術士らとの間を阻むように両腕を広げる。

「殺さないでくれ! そんなの目の前でやらせられねえ!」

 懇願。
 ダインなら、力ずくで俺に向かってこられるはずだ。なぜそうしない。
 やはり、敵対する意思がないのだろう。戦いたくないが、状況的に従わざるを得ないだけだ。
 〈聖下の檻〉に対する忠心も考慮すれば、裏切りたくもないのだろう。ダインはそういう人物らしい。
 しかし今、ダインの心情まで考慮する余裕はない。

「ダイン! 従え!」

 ダインの背後からは、魔術士からの声がかかる。

「俺たちの命も握られてるんだ! しくじれば、次こそ、ただでは済まない! そいつら二人と、俺たち仲間の命、どっちが大事だ!」

 魔術士も訴えかけてくる。声音には余裕がない様子からして、本当に結界術を使えるのはダインだけなのだろう。戦力として手放すわけにはいかないはずだ。

「俺は……」

 ダインは曖昧に呟く。何か言いかけているようにも見えるが、言葉に詰まったように押し黙る。

「待って! そんなことしなくても――!」

 ミリアが制止しようとするが、遮るように、後方の魔術士がティナという女性を踏みつけた。息が詰まったような呻き声が上がる。
 ミリアは言葉を止め、ダインは焦るように振り返る。

「ダイン! これが最後だ!」

 魔術士は業を煮やしたように叫ぶ。
 ダインは太刀を握りしめ、俺たちに向けた。

「裏切るつもりは、ない」

 ダインは返答を口にする。
 だが、こちらを向いたままのダインは、血の気が失せたような顔をしていた。
 構えだけは取っているが、あれは無理だ。戦おうとしても、本来の力など発揮できないだろう。
 それにこちらも、そろそろ我慢の限界だ。
 従わせるために人質を取って、脅迫のために傷つけるとは。そもそもあの女性だって仲間のはずだ。そんなに自分たちの立場ばかりが惜しいのか。あまりに矮小だ。卑劣な手は、やはり〈聖下の檻〉の配下の証拠だな。
 右腕を掴む。左手の先に集中する。

「ダイン。おまえがミリアを守れ」

 ダインに近づく。
 ダインは躊躇うように一歩引く。やはり攻撃してこない。ダインが心情的に俺たちと戦えない、というのなら。多少強引にでも、こちら側に引き入れさせてもらうまでだ。

「でも、クロウさん、今それを使ったら……」
「だからって、このままではなぶり殺しにされるだけだ」

 ミリアは魔人化のリスクを危惧しているが、それ以外に打破する方法はあるものなのか。

「仲間に己の命を委ね、人質を取って脅迫する連中など、悪辣で矮小だ。あれらまで引き入れる必要もない」

 一番はそれだ。奴らとまで争わずに済む道を探すつもりはない。
 もう一歩、ダインに近づく。

「ダイン。俺たちに協力しろ」

 奴らと仲間でいるよりも、俺たちについたほうが、ダインも心情的に楽なのではないか。無理やり従わされたままでいる必要などない。
 左手に黒炎を集める。右腕の表面に熱が走る。自力で元に戻れる自信などない。ミリアと、ダインのことを信用するしかない。それでもこのまま、奴らになぶり殺しにされるつもりなど、毛頭ない。
 ふと、魔術士が懐に手を伸ばすのが見えた。魔術を発動するための動作ではない。懐から何かを取り出したらしいが、遠くてよく見えない。
 魔術士は、手の平の中に収まる程度の大きさの何かを、掲げるように前に突き出した。手の中が微かに、光ったように見えた。

「――ッ……!」

 唐突に、ダインが衝撃を受けたように体を折り曲げた。
 反射のように胸を押さえ、太刀を地面に落とす。

「がはッ……!」

 堪えきれなかったように膝をつく。口からは、ぼたぼたと血が滴り落ちた。

「ダインさん……!?」

 ミリアが青ざめたような声を上げる。ダインは苦しさを堪えるように、地面に爪を立てる。

「……決まりだな」

 魔術士は、手に持った何かを掲げたままだ。あれが原因なのか。

「呪術の一部だ。おまえが裏切るようなら、始末をつけるよう、渡されていた。おまえが敵に回るよりはマシだからな」

 魔術士は淡々と口にする。
 呪術の一部。手の先のものに注視する。透明の小さな容器らしきものにも見える。
 あの魔術士が、ダインの呪術を発動させたのか。戦闘員の呪術の権限は、研究員と呼ばれる上層部が握っているはずだが、口振りからして譲渡することもできるのか。
 ダインは、戦力として失いたくない唯一の結界術の使い手だろう。しかし寝返られたほうがより劣勢に陥る。そう判断し、切り捨てる決断をしたのか。

「あ……ッ、ぐッ……! がはッ……!」

 ダインは咳き込もうとして、呼吸の代わりのように血を吐く。まるで体の自由がきかなくなったかのように、のたうっている。

「ダインさん!!」

 ミリアが弾かれたように駆け寄ろうとする。だがミリアの周囲に、魔術の陣が浮かび上がった。
 岩の牢獄のような壁が地面からせりあがる。まずい。分断される。

「《――ジンロク》……っ」

 ダインが何か唱えた。魔術は何かに妨害されたように、粉々になって砕け落ちる。
 ダインの結界術か。だが、ダインはさらに激しく咳き込んで血を吐き出す。

「ダイン! これ以上邪魔をするな……!」

 魔術士は険しく叫ぶ。即死の呪術ではないことからして、向こうも、ダインを殺したくはないのかもしれない。
 魔術士の周囲が光り、黒い霧が発生する。辺りが黒く覆われて、遠くが何も見えなくなった。
 ダインとミリアの近くに寄る。視界は遮られているが、煙たさはない。においもしない。視野を妨害するだけのものだろうか。
 これではどこから攻撃がくるのかわからない。風で飛ばせるだろうか。
 右腕に意識を向ける。先の炎は寸でで止めたものの、強く意識を保っていなければ危うかった。ダインがこの状態では、解放するのは危険だ。魔術を使うのも限界だろう。
 魔人化さえ使えればと考えていたが、再び追い詰められていた。

「嫌……。やだ、待って……」

 ミリアはダインの傍に膝をついている。
 ダインはなおも息苦しそうに胸部を押さえて体を折り曲げている。口から溢れた血が、真下の草葉を鮮やかに濡らしている。
 全然違う人物だ。経緯も状況もまるで違う。
 けれど、思い出さずにはいられない。
 呪術による処罰。血を吐き苦しむ姿。助けられなかった。どうしても、その後悔が過った。

 裏切り者には呪術による処罰が下される。戦力や地位を有していたとしても、戦闘員であれば同じこと。ダインも扱いは変わらないのだろう。
 あちらは最初から、そのつもりだったのだろうか。ダインが裏切る事態を想定して、その際の手段を譲渡されていたようだが。
 以前まではそんな様子には見えなかった。疑われているのなら、俺を見逃し続けることなどできなかったはずだ。
 ……そうじゃない。逆か。
 俺を、見逃し続けたから。以前までは信用を置かれていたが、直近の行動が不信感を買い、危うい立場に陥っていたのだとしたら。

「も……さすがに、無理、か……」

 ダインは倒れたまま、掠れた声を発する。喋ると体が痛むのか、顔をしかめる。
 ミリアはさらに近づいて、手を握る。滴った血が付着した手だ。ダインは、微かに驚いたような反応で、顔を上げた。

「あんたが、何考えたのか。俺も、見てみたかったな……」

 ダインは小さく呟く。ミリアの顔を見て、気が抜けたような笑みをもらした。

「両方に、メリットとか……俺には、無理だと、思うけどね……」

 これは、俺たちが原因、なのか。
 その行動を選んだのはダイン自身の判断にしろ。理由を作ったのは、俺たちなんじゃないのか。
 俺は、ダインに生かされた。ダインが本意から俺たちと敵対していたなら、俺はとっくに始末されていただろう。ここまでたどり着くのはおそらく不可能だった。
 その恩義もある。だが単純に。
 人質という卑怯な手を使い。我が身可愛さに仲間に重圧を強いて。殺さないでくれと、仲間を庇おうとした男の背を、討った。
 ここまでくれば確定だ。あいつらは、生かしておく価値がない。殺さないでくれと頼まれてももう無理だ。
 切り捨てられたのならなおのこと。あれらはすでにダインの仲間じゃない。なら構わないだろう。やはり魔人化を使って殺す以外に、突破の道など、ないだろう。

「まだ間に合う……」

 早いところこの霧を晴らさなければ。そう思い行動する前に、ミリアが呟いた。

「まだできる……!」

 ミリアはダインの手を離して、立ち上がった。

「待って! お願い! 話を聞いてください!」

 ミリアは声を張り上げた。
 何をするつもりだ。奴らと対話など、無用だと思うが。

「呪術があるから、そのせいで逆らえないって! 望まないことをさせられてる人も、いるんじゃないですか!?」

 黒い霧の外側には、変わらず魔術士がいるはずだ。もしかしたらとっくに包囲されているのかもしれない。

「呪術を、消せるかもしれない! 従うしかない道を、変えられるかもしれない! 呪術から、あの組織から、解放される道があるかもしれないんです!」

 ミリアは見えない外側に向かって、声をかけ続ける。

「無理やり従わされてる人もいると思うんです! 本当は嫌っていう気持ちがもしあるなら、だったら、わたしたちに、任せてくれませんか!?」

 外側から返答はない。しかし徐々に霧が晴れていく。
 周囲には、防壁のような高い土壁が出来上がっていた。
 拓けていた景色が一気に狭まった。四方を囲われ、完全に行く手を塞がれている。ここは防壁のちょうど中心だ。集中砲火される位置だろう。
 防壁の上部には魔術士が数人立っていた。円を描くように、配置についているかのような立ち位置だ。あのティナという女性の姿は見えない。殺されていなければいいが。
 これだけの魔術士が相手では、時間を稼がれると厄介だ。さすがに無策でやってきたわけではないのだろう。

「任せろ、だと?」

 先ほどの魔術士が、口を開いた。俺たちを見下ろし、怪訝な反応を示す。

「……ああ。その魔族をあえて野放しにして、組織の崩壊を待てということか? 俺たちは無理やり従わされてるだけだからと?」

 戦闘員らとは、争いあわなくともいいかもしれない。呪術で縛って従わせるような上層だ。統率のとれた組織ではない。それは俺も考えたことではある。

「空言だな。こんな体だけ残されて、俺たちは二度と表の世界には戻れないのにか。俺たちに、行き場を失えと言いたいのか?」

 しかし魔術士は、否定で返してきた。

「何を目論んでいるのか知らないが。ここをしくじれば、俺たちはすべて失うかもしれない。安寧の保証などない、そんな上辺の言葉に騙されるとでも思ったのか」

 こいつらもこいつらで、一応は戦う理由があるのか。組織の壊滅、呪術からの解放は、こいつらにとっては利益には繋がらないのかもしれない。
 従う意思は変わらない。つまり、それは。

「なら貴様ら全員、ローレンスのやり方に賛同しているということでいいのか」

 望んで従っている。〈聖下の檻〉に骨を埋めるだけの覚悟がある、ということだ。

「非人道的な呪術の使い手の扱いも。儀式の実験による大量の犠牲も。自らの意思で加担し従っているとみていいんだな。……そういうことなら生かしておく価値はない。大勢の命が奪われようとも、少しでも心が動かないというのなら、それはやはり人ではない」

 ミリアはなおも説得しようとしているようだが。あいつらは切り捨てていいはずだ。あいつらにとっての利益など、不要だろう。

「ちょっと、クロウさ――」
「人ではないものと問答する意義などない。貴様ら程度に選択肢を与えようとしたのがそもそもの間違いだった」
「黙れ魔族! おまえの存在が、どれだけ俺たちを引っ掻き回してると思ってるんだ!」

 俺の言葉に憤慨したのか、魔術士は、罵声を上げた。

「仲間も奪われた! 居場所さえも脅かされている! おまえさえ現れなければ、何もかも予定通りに上手くいっていた! こんな、魔族なんかが生き残ってさえいなければ……!」

 魔術士にとって、魔族は天敵だろう。俺の存在は〈聖下の檻〉にとってよほど都合が悪いらしい。
 だが、予定通りに、というその内容は。ミリアを精霊の器として利用し、犠牲にし、自分たちだけが利を手にできた、という意味だ。
 ふざけるなよ。それの何がいいものか――!

「ミリアという一人の少女を犠牲にしようとしたのがそもそもの間違いだ! 上に従うしかない能無しが、その程度の覚悟で他者を踏みにじるな!」
「偉ぶるな、くたばり損ないが……! なぜ精霊術士なんかに執着を……! とうの昔に根絶やしにされていればよかったものを!」

 こいつ。力で敵わないからといって俺そのものを否定か。そうしなければ気が済まないのか。
 いや魔族自体をか。それは俺を生んだ母さんをも否定していることになる。
 他者依存の腑抜けめ。やはりこいつらは生かしておく価値がない。説得など無用、根絶やしにされるべきはあやつら――

「今はどれだけ恨んでるかどうかの話をしてるんじゃないんです! どっちも黙ってください!!」

 ミリアがキンとした声を張り上げた。怒気のこもったその威勢に、思わず場がしんとなった。
 ミリアに視線が集まる。ミリアは一度大きく息を吸い込んでからから、口を開いた。

「わたしを連れていってほしいんです。〈聖下の檻〉で、儀式をしてほしいんです!」

 ミリアが息を切らしながらもそう伝えると、魔術士は目を見開いた。

「な……儀式を……?」

 魔術士は動揺を示した。儀式後、ミリア自身がどうなるか、知っているからこそだろう。

「第一に、わたしを連れ帰れたら、それで皆さんの命は保証されるんですよね? もともとそのつもりだったんです。わたしと、それからクロウさんのことも連れ帰って、儀式をしてください!」
「何を言って……正気か……?」

 魔術士は驚きのあまり怒りを忘れたのか。意図を図るように問い返してくる。

「でも条件があるんです。クロウさんのことは殺さないで、わたしをボスさん……ローレンスさんに、直接会わせてほしいんです!」
「頭領にだと? その魔族を殺さずに……? 冗談抜かすな、そいつは俺たちを滅ぼす気満々じゃないか! そいつの目を見ろ、殺意に満ち溢れた魔物の目付きだ! そんな奴を生かしておけるわけがないだろう!」
「ごめんなさい、この人はちょっと頭に血が上りやすいだけなので!」

 ばしんとミリアに腹を叩かれる。思ったより強くてうぐっと呻き声が出た。
 たしかに。少し頭に血が上っていたかもしれない。一度冷静になったほうがいいか。ただし、決して上りやすいわけではない。

「あと目は、ちょっと、もともと睨んでるような目付きなだけなんです! でも、応じてくれるなら、あなたたちのことは殺しません。儀式の段取りについては、わたしがローレンスさんに直接交渉したいんです! 条件を呑んでもらえませんか!?」

 魔術士は逡巡してから言う。

「自ら儀式に協力する気なのか……? 何が狙いだ?」
「それを、ずっとお話したかったんです。というよりも、一緒に考えてほしいんです。両方にとって利がある道を見つけたいんです。まだはっきりとはわからないけど、でも、皆さんにとっても不利益な話じゃないと思うんです」

 魔術士はまだ慎重に探っている様子だが、耳を傾けてはいる。
 こいつらはしょせん下っ端だ。なんであれ儀式の手筈を整えることができるなら、自身の安全は保たれるのだろう。
 精霊の狂信者仲間ではなく、我が身が第一だというなら、悪い話ではないはずだ。

「騙されるものか! 先ほどから妙な言説ばかり、奇怪な目論見に耳を貸すいわれはない!」

 だが魔術士は、再び奮い立つように反論してきた。

「俺たちを殺せればなんでもいいはずだ。わざわざ自主的に協力するなどと言い出す意味がわからない。第一、貴様らの目論見に加担して、頭領に拒絶されたら終わりだ! たわ言も大概にしろ!」

 条件を呑む、目論見に乗るということは、事実上の加担になる。頭の判断次第で奴らの立場など簡単に一転するのだろう。保守的な奴らが、乗るわけはないか。

「……そうですか。聞いてもらえないんだったら、最初から、儀式をしてください、なんて頼む意味はないですね」

 するとミリアは、脅すように、低い声音で言った。

「ならこの場にいる全員。わたしも含めて。クロウさんに、全部殺してもらうだけです。そうして全部終わらせますから」

 頷こうとして、ミリアを二度見した。
 あいつらはどうなろうとべつにいい、が。
 俺が、ミリアを?

「な……」

 魔術士も息を呑んだように見えた。
 精霊術士が自害するとなれば、すべての可能性が断たれる。やはり避けたい最悪の事態なのだろう。
 ミリアからは強い意志を感じる。今まで見てきたから知っている。ただの脅しでこんなことを言い出す少女ではないと。
 そうか。ミリアは本気で、俺と一緒なら、死んでもいいのか。
 その覚悟があるから。もしもだめならいつでも、俺と一緒なら死ねると、本気で思っているから。だから、これだけ強いのか。
 なら俺も、躊躇ってる場合じゃないな。

「……そうだな」

 そもそもリスクを負わずに自分たちの願望だけ叶えようというのか、甘い考えだ。
 俺一人で組織を壊滅させるよりか、危険な選択だ。しかしそれでも、ミリアを信用したい。一緒にがんばりたいし、歩みたいし、最後まで一緒に生きたい。そう思ったはずだ。
 ミリアと、どこまでも一緒だ。その覚悟があれば、できるはずだ。

「やはりわざわざ回りくどいことをする必要はないな。ミリアが貴様らのような輩の手に渡る可能性があるのなら、永遠に手の届かないところに連れ去るまでだ」

 ミリアの肩に手を置く。自分のほうに引き寄せる。

「ミリアを奪って、貴様らも全員道連れだ。ミリアも望むならそれで構わない。俺はここでミリアを殺して、俺も死ぬ」

 自爆とは、相変わらず芸がないとも思うが。後先を考えない行動のほうが、あちらにとってはよほど脅威だろう。魔術士は目を剥く。

「くっ、魔族め……! 精霊術士ごと、何もかもすべて滅ぼすだと! やはり伝承通りなのか、破壊の化身め……!」

 とはいえ俺は本当にミリアを殺せるのかどうか。というかミリアまで殺す必要はまったくないと思うが。
 正直なところまだ半分くらいしか本気じゃないが。魔術士は、無事ビビってくれたらしい。

「その……くらいで、処分されたり、しないはずだ……」

 咳き込みながら、ダインが口を開いた。
 まだ息苦しそうだが、体を起こそうとしている。ミリアが膝をついて手を貸す。ダインはミリアの手を借りながら、顔を上げて、魔術士に言う。

「今、特に、人員不足だ。戦闘員を、そんな簡単に、切り捨てたりしない……」
「それは憶測だ。研究員連中は、相当焼きが回ってる。おまえだってその様子を見ただろう」

 魔術士は組織内の様子を思い返すように言う。その表情からは、微かに、恐怖のような色が滲んでいた。

「……ダイン。そもそもおまえが、なんでそこまでしてそいつらの味方をする? そいつらの味方をして何になる? 誰よりも頭領に信頼されていたはずだろう。俺たちには、他に行き場なんかないというのに。おまえは、本気で納得してるのか?」
「行き場、ね……」

 ダインは考え込むように呟く。ミリアはダインの傍についたまま、改まったように、魔術士に向かって口を開いた。

「皆さんに聞きたいんです。皆さんは、本当に、〈聖下の檻〉のやり方に従ってるってことでいいんですか?」

 説得のために選んだ言葉ではなく、真摯な問いかけだ。ミリアとしては、最も確かめたい部分だったのかもしれない。
 魔術士はややあってから、答えた。

「従うも何も。そういう環境だ。そうして生きてきただけだ。今までも、これからもだ」

 ……つまり何も疑わず、流れに従ってただ生きていただけ、ということだろうか。
 そしてこれからもそのつもりだと。そういうことか。やはり覚悟が足りていない。自立できていないとしか思えないが。

「じゃあわたしの村の人たちが儀式の実験に使われても、どうとも思わなかったですか?」

 ふとミリアが口にした出来事に、魔術士は表情を止めた。
 空気が凍りついたように感じた。ミリアが自らその出来事を口にするなど、自傷行為にも等しいのではないか。

「村の人たち、おじいちゃんおばあちゃんだらけだったでしょう。連れていくのも大変だったと思うんです。あなたたちみたいに魔術も使えない、力もない、抵抗できない弱い人たちを犠牲にしても、あなたたちは何も思わなかったですか?」

 ミリアの声音は淡々としている。ただ起きた出来事をなぞるように、魔術士の心中を図るように問いかけている。

「そのことを責めてるわけじゃありません。わたしに責める権利はないですから。でも、もしそれで、少しでも心を痛めてくれた人がいるなら。レヴィさんみたいな人がいるなら……」

 その名前が出てきて、ああと思い当たった。
 ミリアは、それを確かめたいのか。
 呪術さえなければ、俺たちの味方になれる。もしこいつらにも、同じような考え、感情があるのなら。
 だったら、助けたい。ミリアなら、当然そう思うはずだから。

「……悪いが、その程度を気に病む心は持ち合わせていない」

 魔術士は躊躇いがちに返してきた。

「表の常識で生きてるわけじゃない。あれが当たり前で、俺たちは、そういう生き方をしている。それは変わらない部分だ」

 やはり、こいつらまで持ち合わせている考え方ではないようだ。
 ミリアも察したのか、押し黙った。呪術で縛られている戦闘員とはいえ、誰も彼もが反発心を保ったままではないのだろう。

「だが……おまえの両親は、立派だった」

 魔術士は、不意にぼそりと言った。

「あの両親だからこそ、精霊術士たる素質を持つ娘が生まれたのだろうと。心が痛むことはなかったが、記憶に残りはした」

 魔術士の表情は変わらない。態度も主張も変わっていない。しかしその声色からは、ミリアに対する、多少の罪悪感のようなものが感じ取れた。
 ミリアの顔を見る。ミリアの横顔は、少し綻んでいるように見えた。

「儀式をしてほしいって……。自分が死ぬことも知ってる、精霊術士が、自ら言ってるんだ。どっちみち、戦ったところで、魔術士の力だけじゃ望み薄だろ」

 口元を拭い、呼吸を整えながら、ダインは言う。

「俺は、聞いてみたい。こいつらの目論見に、場合によっては、乗る価値はあるんじゃないかって……。そう思う」
「はい。ここで争いあってどっちかが滅ぶのは、望んでない。それよりも、新しい可能性に賭けてみたいんです」

 ダインはまだ若干躊躇っているような、自信のない口調だが、ミリアが補足するように言った。

「皆さんの力が必要です。協力してくれませんか?」

 天敵の魔族と戦わずに済むのなら、向こうだってそうしたいはずだ。
 魔術士は仲間を見やる。他の魔術士も動揺したようにお互いを窺い、目配せしあっている。
 まだ味方に引き入れられたわけではない。今から打ち明ける目論見の内容、説得次第だろう。
 俺には奴らを説き伏せられるだけの話術はない。そもそも不要な連中だと思って排除するつもりだった。
 つまり、ここからは。無論俺もできる部分は助力するが。
 おおよそ、ミリアのがんばり次第。ミリアに懸かっている、ということになる。
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