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二章「幕開け」
08.精霊の取引
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◇(レヴィ視点)
クロウとの戦闘後。
ミリアを幽閉しておいた、ここより離れた廃墟の地下へと戻ってくる。
ミリアには催眠の魔術をかけていたが、とっくに解けているだろう。
建物自体は、当然脆くなっているのだろうが、この町跡地の中では最も形状がはっきりしていた場所だ。地下室の扉もまだ機能している。そこにいれば魔物の心配はないだろう。
クロウが尾けてきている様子はなかった。下手を打てばミリアに危険が及ぶとわかっているからだろう。素直に身を引いたようだ。
利口なことだ。話が早くていいが、下手な嘘や心理作戦はおそらく通用しない。騙しにくさは、やはり難点だな。
無論、彼の動向も気にすべきところだが、そうもいかない理由があった。
「レヴィさ――」
急ぎ足でミリアのいる地下室に入り、扉を閉める。
堪えていたものを吐き出す。
「っ……がはッ……!」
外や、扉の外れたままの地上階で吐くよりも、ここのほうがずっと安全だろう。
口からは血が溢れ出る。血のにおいで魔物が寄ってきたら邪魔だ。この体では、複数の魔物に入られただけで処理が困難な可能性もある。
無理をして魔術を使いすぎた。私の体内では、呪術が再び息を吹き返したように、私が魔力で作った殻を破ろうと叩き始めていた。
「はっ……、はぁっ……。くそッ……!」
こんな体たらくな自分が情けない。
あの男に放ったのはどれも初級魔術だったのは確かだ。しかし、あえてそうしていたのではなく、それしか放てなかっただけだ。
あの男にはそれだけで十分だったとは思う。戦闘能力的には、まるで大したことがなくて、拍子抜けしたぐらいだ。
ただ、何事にも動じないあの精神力は、目を見張るものがあった。戦闘において最も邪魔な感情は恐怖心だ。慎重なのではなく、ただ保身に走ろうとすると、体が固くなってあっという間に動けなくなる。
恐怖心をなくす訓練。苦痛に耐える訓練。組織のため、精霊様のためにと称して、様々な訓練を受けてきた。それを乗り越え、耐え抜いてきた。
そうしてやっと手に入れたのが今の私だ。なのに、あの男は。
魔族が古来、猛威を振るっていた理由。
それは、魔術を無効化するという無類の能力に加えて、その異常なまでの生命力にあった。
あの男にその性質がどこまで残っているのかは疑問だが。あの男は、まるで初めから持ち合わせていたかのように、揺るがない精神力を物にしていた。
ただ生まれ持った肉体の頑丈さに甘えているだけだろう。なのにまるで当たり前の行動のように、平然と刃を手で受け止めたり、腹に受けたり。
口の利き方もずいぶんと生意気だった。私の魔術は、もっと、こんなものじゃないのに。本当の私の力は。あの男を跪かせるくらい簡単なはずなのに。
もっと自由なら。こんな呪術さえなければ。あんな男一人ぐらい――。
「レヴィさん……だ、大丈夫ですか……!?」
ミリアが、やや青ざめて聞いてきた。
……そういえば、いたんだった。一時的に失念していた。
ミリアは両手を後ろ手に縛られ、柱に繋がれたままだ。その格好で、よく他人の心配ができるものだ。
「……余裕ですね。私の心配ですか」
「体が、どこか悪いんですか……?」
「呪術ですよ」
もはや会話に頭を使うのも面倒になり、私は、正直に話すことにした。
「裏切り者に対して発動する、命に関わるものです。いくつも、複雑に絡み合って、体に染み付いて、雁字搦めに食いついてきているものです。それが一つ一つ、破裂していきます」
ミリアは息を呑む。
今さら呪術のことをばらしたところで、もう後戻りはできない。
それに、私には、僅かながら、光明が見えたのだ。
「貴女の恩人の方……クロウ、といいましたっけ。彼に会ってきましたよ。事情を説明したんですが、相当怒ってらっしゃいましたが」
「じ、事情も、何も……」
「ああ、ご安心を。多少殴りかかられただけですので。私はこのとおりですので、逃げさせてもらいました」
殴りかかったのはこちらだが。まあ細かいことはいいか。彼も事は把握していて、そして無事だということがミリアに伝われば。
「……レヴィさんは、精霊の力が欲しいんですか?」
ミリアは聞いてくる。
よく見ると顔にはやはり疲弊が浮かんでいた。ここに連れてこられてから半日近くは経とうとしている。幽閉されていれば当たり前か。
水と食糧は最低限の量は確保してある。それに、私の体のこともある。この幽閉状態は、そう長くは続かないだろう。
「……ええ。私が生き延びるための、最後のチャンスですから」
私は口元についた血を拭う。
立ち上がって、ミリアの近くにいく。ミリアは若干怯えた表情だったが、私はミリアの傍に膝をついて、話し出す。
「ミリア。貴女の中にもう精霊はいない。これが事実なのは、先ほど調べさせてもらってわかりました」
ミリアがまだ意識を失っていたときの話だ。その間に、体内から感じ取れる魔力反応はくまなく探させてもらった。
精霊、という一つの個体ともなるエネルギー体となると、人間に含有されている魔素とは別物扱いになるだろう。
人間に含有された魔素は、体内物質に融合して循環しているものだ。しかし精霊となると、本来人間の中にはないものだ。つまり本来人間には備わっていない、まったく別の器官が潜り込んでいる、という認識が正しい。
念には念を入れて、慎重に調べた。使っていないときは影も形もない、とはさすがに考えにくい。けれど可能性だけは考慮して、少しでも不可解な部分がないか、慎重に探った。
しかしやはり、何もなかった。ミリアの体内には、不可思議なくらい魔素が皆無というだけで、精霊の影は、それらしい痕跡さえも、どこにも見当たらなかった。
「なぜですか? 貴女は、持っていたはずの精霊の力で、組織を迎撃し、森一つを消し飛ばしたはずでしょう?」
森一つが消し飛んだ。襲撃部隊が全滅した。
その報告からして、それを引き起こしたのは精霊の力以外にありえない。
それを起こした際、あるいは直後に、何かがあったのだ。魔族の生き残りが精霊術士の傍にいたというほどの、私では計算しきれない、何か想定外の出来事が。
「ご、ごめんなさい。わ、わたしにも、よく、わからなくて……」
しかしミリアの口から聞き出すには骨が折れそうだ。
喋らせることにではなく、要領を得るかどうか。本人も言っているとおり、よくわかっていないのだろうし。
「ともかく。貴女の中には、もともと精霊がいた。それが何らかの理由で消滅した。それは間違いありませんね」
強い口調で聞くと、ミリアはそろそろと頷いた。
「だいたい知っているので、嘘はつく必要はありませんよ」
一応そう言っておく。組織との関係性や事件は把握している、と暗に伝える。
しかしそう言うと、やはり組織側の人間のように聞こえてしまうだろうか。
ミリアが今、一番恐れているのは、まずは殺されるのかどうか。しかし人質としての一般的な心情は置いておくと、このまま組織に引き渡されるのかどうかを、最も不安に思っていることだろう。
「ミリア。私は、貴女に危害を加えたいわけじゃない」
私は、怯えた表情のままのミリアに、前のめり気味になって言う。
「貴女を、伝説の精霊術士――その素質を持つ者として、頼みがあるんです」
膝をついて、低頭平身の姿勢で、私は言う。
「精霊を宿せる体質を持っているのは、おそらく現状、この世で貴女ただ一人でしょう。そして私は、精霊の力が欲しい……いいえ、必要としているんです」
ミリアに聞かれたときに答えたことだ。
私の探し物。精霊、と言えるほどはっきりとした形はないものだった。
ただ、生き延びるための方法。手段。それを探し求めているだけだ。
それが、もはや精霊しか考えつかなかっただけの話だ。
欲しいわけじゃない。執心はない。
ただ、それが私の命にとって、必要だというだけだった。
「精霊には、降臨の儀式、というものがあるんです。生まれたときから精霊を宿している、などという天性の素質を持たずとも、大昔は、それを利用して人間と精霊は交流していました。必要の際には、精霊は力を貸してくれる存在だった。人々の助けになってくれる存在だったんです」
〈聖下の檻〉――その組織内には、古い文献や伝承文から、精霊に関する情報は大量に散らばっていた。
確かな真相は不明だ。しかしいくつもの文献から、同一となる情報を抜き出し、再現を試みて、精霊という伝説上の存在の解明を進めていた。
「しかし精霊の魔術を盗み、研究し、自分たちが魔術を使えるようになったことで、人々は精霊への信仰心を失ってしまった。そんな今の人間に、精霊が応えるはずもありません」
情報が散らばっていたのは、組織の頭領が、精霊自体にしか興味がないからだが。
紙の上でしかない、ただの他人の伝承文気取りのものには興味はないのだと叫んでいたのは見たことがある。
それに頼って研究するしかないくせに、奇怪な人物だ、とは思った。しかし頭領の精霊に対する盲目さは筋金入りだった。
私のような末端の駒にまであえて情報を行き渡らせていた可能性もある。文献の情報を隠していたところで仕方がない、という考えだったのかもしれない。今となっては、謎のままだが。
ともかくそのおかげで、情報の入手は楽だった。精霊に関しては、一般的な知識以上は持っている自信がある。
おそらくは、ミリアさえ知らないことでも。
「貴女は、山間の小さな村で育ったはずです。そこは人目にさらされることなく、結界で守られた土地でした」
ミリアの故郷の話を口にする。
ミリアは、詳細はやはり知らなかったのか、興味を引かれたように目を見開いていた。
「古くから精霊に仕え、今なお信仰心を忘れずにいる一族の住む大地。それが、貴女の生まれ育った故郷の本当の姿なのです」
ミリアの村の一族は、あえて人里を離れ、他との交流をおおよそ断って生活していた。
山間にある、秘境の村だ。古くは、その大地に精霊が根付き、そこからミリアの一族を通して、人々と精霊は交流していた。
その地には、特殊な結界術が伝わっていた。精霊の魔術とはまた別の、その地にのみ伝承された、村と外界とを遮断する手段だ。
その調べがついてからは、まずは結界術を打ち破るための試行錯誤が始まった。
秘伝のものだ。しかし古くからその形のまま残されているものだ。進歩のないものなどすぐに破れるだろうと、頭領は笑っていた。
精霊関連の術式を分解し、調べ上げ、ついに打ち破る方法を見つけた。そして襲撃を仕掛けた。中にいる村人はすべて生け捕りだと、逃がさないように村に火を放った。
ただ、肝心の、精霊術士の素質を持つミリアのみを逃してしまったことが、唯一にして最大の失態だったが。
そこまでが、ミリアの村の襲撃事件の内情だった。
「大人は、何も教えてくれなかったでしょう。きっと貴女には、精霊への余計な知識よりも、ただひたすらな純粋さと、無垢な愛を持つ性質を育んでほしかったからです。時が来たら、すべてを打ち明けるつもりだったはずです」
なぜ当時ミリアは精霊の力を使わなかったのか。ただ一人、逃亡しただけだったのか。
森が消し飛んだ報告を聞いたときに、私なりに考えてみた。
村人は、精霊の力を秘匿としていた。その対象には、ミリア自身も含まれていた。
だから村の襲撃当時、ミリアは精霊の力を使わなかったのではなく、使えなかったのだ。
ではなぜ本人にでさえ、秘匿としていたのか。
それは、精霊術士として在るべき姿に育て上げるための、一族としての計画だったのではないか。
「精霊を従えることができるのは、今現在、貴女しかいない。しかし幼き頃は力に溺れ、呑まれる可能性があります。そうならないよう隠し、まずは貴女をのびのびと育てると決めていたはずです。ですがいずれは、精霊を奉る正しき象徴となってもらう算段があった。だから貴女には、影では、精霊に仕えていた一族としての期待が一身にかけられていたに違いありません」
大人は、精霊の力を持つミリアを守りながらも、ゆくゆくは、一族の象徴として、正しき精霊術士の姿として奉ることを計画していたはずだ。
だからミリアは何も知らされていなかった。知ってしまえば、心は邪悪に染まる危険性がある。
それよりも必要なのは、精霊という力に囚われない心。純粋な愛を持つ性質。自分たちにはすでに精霊は宿らないと知っていた村の大人たちは、ミリアに一心の期待をかけていた。だからこそ慎重を期して取り扱った。
それが、ミリアの村の、古くから精霊に仕えていたといわれる一族の、実態だろう。
「違う……と思います」
するとミリアは、悩むように目を逸らしながら、小さく言った。
「わたしは、精霊を従えてほしい、なんて、思われてなかったと思います」
「……ゆくゆくは、ですよ。貴女に適齢がきたら、きっと、必ず――」
「いえ。絶対に使うな、って厳しく教えられてきたんです。わたしには、精霊が宿ってる。けど、絶対に特別扱いもしないし、何も特別なことなんてないから、って言われて、育ってきたんです。両親だけじゃなくて、村の大人の人たち、みんな、そうでした」
ミリアは、反論してくる。
「普通の子として育つように、精霊の力なんて気にしないように、って。そういうふうに、周りの人たちは、わたしを育てようとしてたんだと思います」
「……そんなはずは」
ミリアが口にしたのは、的外れすぎる解答だった。
私は、思わず呟く。
「それだけ強大な力です。得ずに封じるだけの人間など、いるはずがありません」
「でも、わたしは、村が全部なくなるまで、一回も精霊の力なんて使ったことありません」
……たしかに。それは事実なのだろう。しかし私が想像する理由と、ミリアが語る理由はあまりに違いすぎる。
そんな馬鹿な話があるものか。
精霊の力を使うなと教え込まれてきた。それはいい。ミリアの精神の未熟さの問題などあるだろう。
しかし、ありえない。特別扱いはしないなど。普通の子として育つように、など。
あまりに、馬鹿げている話じゃないのか。
「なぜですか! 精霊ほどの力なら、なんだってできるはずです。精霊そのものを特定さえできれば、精霊自体に頼る必要だってなくなるかもしれない。擬似物質を作るでもいいし、エネルギーを抽出する方法を探すでもいい。そうして他人に譲渡する道を探すことだってできるはずです。サンプルさえ確定できれば、いくらでも使い道はあります。それをせずに、ただ封じようとするなど愚かだ! 伝説級の力を、みすみす捨てるつもりだったのですか!」
「捨てる……。そうじゃないです」
私が思わず声を荒げると、ミリアは変わらず、静かに言った。
「必要のない力なんです。使わなくてもいい力なんです。こんなもの、持ってちゃだめなんです」
持ってちゃだめ?
なんだ、それは。その意味がわからない。
持ってちゃだめな力など、あるものか。
力はなんであれ力だ。必要ないなど、ありえるはずがないだろう。
「わたしは、あなたのいた組織に、復讐がしたかった。この力なら復讐ができるはずだって、わたし……思い上がってましたから。でも違ったんです。そんなの、望んでたことじゃなかった。それを教えてくれた人がいるんです」
ミリアの口振りからは、すぐにその人物が浮かんだ。
「彼ですか……」
魔族の生き残り。クロウという男。
あれが、ミリアの心を変えさせたのか。他人を変えるだけの気質があった、ということなのだろうか。
「……愚かです。わかりません。ただただ愚かです。破壊の力だけじゃない。人を救う力にだってなるはずだ。なのになぜ」
ミリアは、精霊というものを間違って捉えている。
精霊とは強大な力。伝説級の力。だから邪悪だと、誤認しているのだ。
そうじゃない。力があることは、多くを助ける救いの手にもなるのだ。
「そう……人を救う力です」
私は、改まって、ミリアの前に立つ。
身動きが取れないミリアは怯えた顔で見上げている。
私は、胸に手を当て、畏敬の意を示すように、ミリアに向かって跪いた。
「ミリア。どうか、私を、救ってくださいませんか」
ミリアは、突然のことに、たじろいでいるようだ。
私は構わず続ける。
「私は、裏切り者です。もう組織の人間ではありません。ほうっておけば、裏切り者への処罰である呪術で殺されるほど、追い詰められています。私にはもう、死ぬか、戦うかしか選択肢がありません。それでも、もう二度とあそこには戻りたくないんです」
もはや、形振り構ってなどいられないからだ。
私はミリアに手を伸ばす。ミリアは居竦むが、強張ったその両肩に、ゆっくり手を置いた。
「貴女の体が生まれ持ったその素質で、私を、救ってくださいませんか」
ミリアの体には、生まれ持った素質には、その可能性が秘められている。
それを示すように、私はミリアの肩をぎゅっと握って、ミリアの目をまっすぐに見つめた。
「わたし……わたしには、そんな力は……」
しかし、今のミリアの中に、精霊の姿はない。それは承知済みだ。
「降臨の儀式を執り行いませんか」
私は、考えついた一つの方法を、提示する。
「精霊を、再び貴女の身に宿すのです。貴女の体でしたら、精霊は必ず応えてくださるはずです」
「そんなの……わ、わたしは」
「私には、儀式の知識もあります。最後の魔力を振り絞って行います。……正直なところですと、上手くいくとは、言い切れません」
ミリアは不安げに瞳を震わせている。
突然打ち明けられた村の事実と、持ちかけられた大きな交渉に、混乱して頭が追いつかないのだろう。
しかしミリアの思考を待っている余裕はない。私は強い口調で言う。
「ですが、ミリア。考えてもみてください。貴女は何もしなければ、このまま、おそらく一生、得体の知れない組織に追われ続ける身です。今回が、もしも私のような裏切り者ではなく、貴女を籠絡するために接触してきた組織の人間だったとしたら? 貴女は、どうやって自身の身を守ったのでしょう」
「それは……」
「接触なんていう生易しいものじゃなく。もしも再び襲撃に遭った場合、今の貴女が、どうやって生き延びるつもりでしょうか」
「……」
ミリアは口ごもる。
私はさらに、追い打ちをかける。
「まさか、彼に任せっきり、とは言わないですよね?」
ミリアの顔が強張る。
わかってはいたが、考えたくなかったことなのだろう。
突きつけられて、逃げ場を失ったミリアは、必死に反論の言葉を探す。
「で、でも。もし、その、精霊の力が戻っても。レヴィさんは、それをどうやって使うつもりなんですか……?」
「呪術を破壊してもらいます」
私は、正直に言う。
「それだけなんです。たったそれだけでいいんです。ですがたったそれだけが、もはや人の身には不可能なことなんです」
私は、自身の体を示すように、服を掴む。
「呪術さえ……この呪術さえ破壊してくれれば。ミリア。私は、貴女の味方になることができます。私にとっても組織は敵だ。もしも貴女が組織と戦いたいと言うのなら、私はこの身の全力を以て貴女に尽くします。私の魔術だって、もっと、こんなものではありません」
私は、ミリアの敵としてここにいるのではない。
ミリアの味方になれる。そういう存在だと、示す。
「戦わずとも、貴女たちの逃亡の旅路を護衛し続けてもいい。なんなら制約を作っても構いません。貴女の言うことに従わなければ、私の命はない、と」
「そ、そんなことは」
「それで構わない。貴女に仕えたほうがよっぽど幸せでしょう。お願いします。貴女の力が、私には必要なんです」
ミリアは、混乱した様子ながらも、私の言葉を聞いてくれている。
私も変に言葉を選んでいるつもりはない。すべて本音だ。
ただミリアに、呪術を壊す協力をしてほしいだけ。助けてほしいだけなのだ。
しかしミリアは、おずおずと、また目を逸らす。
「でも……。そんなの、わたし……」
普通の子として育てられた。精神はまだ年相応の未熟な少女だ。突然そんな大役を押しつけられても、戸惑うのは当たり前だろう。
すぐに答えが出ないことはわかっている。けれど、私には、猶予がない。ミリアが覚悟を決めるまで、待つ間に、死ぬかもしれない。
私は、服の留め具を外す。
「貴女は、あの組織を舐めてる。……いいでしょう。お見せします」
上半身の服を脱ぐ。これだけでも十分に伝わるだろう。
皮膚の一部が、はっきりと変色しているのだ。腐食したように、茶色のような、灰色のような不気味な色に染まり、ただれたように不自然に引きつっている。
人の体と、それ以外のものを疎らに繋ぎ合わせた跡だ。
このあまりにも歪すぎる体を見れば、一目瞭然だろう。
ミリアは、慄いた様子で呟いた。
「それ……」
「組織の実験によるものです。私はもともと、目に特殊な能力があるせいで、組織に誘拐されてきただけですから」
それも、本当だ。
「親の顔も知りません。声も肉体も男女どちらともつかないのは、数々の実験や改造で体質などのバランスがおかしくなったからでしょう。強力な魔術士となるべく、人間の体を捨てさせられました。私の体には様々なものが入れられ、混じり合いました。もう元には戻れません」
服を着る。あまり見続けても良いものじゃないだろう。
「これが、普通です。組織にいる人間は、おおよそ大半がこれだと思っていい。望む、望まないにかかわらずね」
非人道的なことを、平然とやる連中なのだ。
無論、ミリアだって、捕まればただでは済まないだろう。精霊術士だからといって、何も優遇されるわけではない。
あの頭領からすれば、ミリアなど、精霊を宿すためだけの器という名の道具に過ぎない。必要なのはミリアの生まれ持った天性の素質だけで、その中身は不要だ。真っ先に精神を排除しにかかっても、私としてはなんの違和感もない。いつものことだと思うだけだ。
一番穏便な扱いとしては、ミリア自体には即座に手を出さず、優秀な魔術士の種を募って、素質を持つ子が生まれてくるまで作らせ続ける、あたりだろうか。
あの頭領が求めているものは精霊。ただそれのみ。精霊を宿すだけの器になど、興味があるはずもない。
長い沈黙に感じた。ミリアはしばらく、俯いて黙り込んでいた。
よほどショッキングだったのだろうか。私は、もう慣れてしまったけど。
やがてミリアは、恐る恐る、顔を上げた。
「何を……すればいいんですか?」
その顔つきがやや変わっていたことに気づく。
ミリアは、怯えたままながらも、言う。
「精霊なんて、そんな簡単に、また元に戻るって、思えなくて……。降臨の儀式、っていうのも初めて聞きましたし……。上手くいくかもわからない、そんなの、絶対、危ないことなんじゃ……」
「危ないことですね」
私は、はっきりと肯定して、その先は言葉にするのをやめた。
暗に示す。それ以外に、もはや訴えかける方法は、ない。
「……レヴィさんは、本当に、精霊の力が欲しい……えっと、じゃなくて。必要、なんですよね?」
「当然です。そのためにこのような強行手段に出ているのですから」
「……」
ミリアは何か考え込んでいる。
もしもミリアが、ノーと答えた場合。叶わないのなら、いっそ――
「……わかりました」
ミリアは、ぽつりと言う。
「上手くいくのかは、わかりませんけど……」
その言葉に、私の体からは、徐々に力が抜け落ちていく。
「協力します。……それが、レヴィさんの助けにもなるんですよね?」
こちらを見上げたミリアの瞳には、まだ恐れこそあるものの、たしかに強い光が灯っていた。
まだ曖昧な覚悟かもしれない。危険なことに足を踏み入れる怖さは、拭いきれていないのだろう。
しかし、決意、してくれたのだ。
「はい。私自身、命がかかっていますので」
安堵のあまり、崩れ落ちそうになる。
それを慌てて正して、私は笑った。
「必ず成功させます。伊達に人間の体やめてませんよ」
クロウとの戦闘後。
ミリアを幽閉しておいた、ここより離れた廃墟の地下へと戻ってくる。
ミリアには催眠の魔術をかけていたが、とっくに解けているだろう。
建物自体は、当然脆くなっているのだろうが、この町跡地の中では最も形状がはっきりしていた場所だ。地下室の扉もまだ機能している。そこにいれば魔物の心配はないだろう。
クロウが尾けてきている様子はなかった。下手を打てばミリアに危険が及ぶとわかっているからだろう。素直に身を引いたようだ。
利口なことだ。話が早くていいが、下手な嘘や心理作戦はおそらく通用しない。騙しにくさは、やはり難点だな。
無論、彼の動向も気にすべきところだが、そうもいかない理由があった。
「レヴィさ――」
急ぎ足でミリアのいる地下室に入り、扉を閉める。
堪えていたものを吐き出す。
「っ……がはッ……!」
外や、扉の外れたままの地上階で吐くよりも、ここのほうがずっと安全だろう。
口からは血が溢れ出る。血のにおいで魔物が寄ってきたら邪魔だ。この体では、複数の魔物に入られただけで処理が困難な可能性もある。
無理をして魔術を使いすぎた。私の体内では、呪術が再び息を吹き返したように、私が魔力で作った殻を破ろうと叩き始めていた。
「はっ……、はぁっ……。くそッ……!」
こんな体たらくな自分が情けない。
あの男に放ったのはどれも初級魔術だったのは確かだ。しかし、あえてそうしていたのではなく、それしか放てなかっただけだ。
あの男にはそれだけで十分だったとは思う。戦闘能力的には、まるで大したことがなくて、拍子抜けしたぐらいだ。
ただ、何事にも動じないあの精神力は、目を見張るものがあった。戦闘において最も邪魔な感情は恐怖心だ。慎重なのではなく、ただ保身に走ろうとすると、体が固くなってあっという間に動けなくなる。
恐怖心をなくす訓練。苦痛に耐える訓練。組織のため、精霊様のためにと称して、様々な訓練を受けてきた。それを乗り越え、耐え抜いてきた。
そうしてやっと手に入れたのが今の私だ。なのに、あの男は。
魔族が古来、猛威を振るっていた理由。
それは、魔術を無効化するという無類の能力に加えて、その異常なまでの生命力にあった。
あの男にその性質がどこまで残っているのかは疑問だが。あの男は、まるで初めから持ち合わせていたかのように、揺るがない精神力を物にしていた。
ただ生まれ持った肉体の頑丈さに甘えているだけだろう。なのにまるで当たり前の行動のように、平然と刃を手で受け止めたり、腹に受けたり。
口の利き方もずいぶんと生意気だった。私の魔術は、もっと、こんなものじゃないのに。本当の私の力は。あの男を跪かせるくらい簡単なはずなのに。
もっと自由なら。こんな呪術さえなければ。あんな男一人ぐらい――。
「レヴィさん……だ、大丈夫ですか……!?」
ミリアが、やや青ざめて聞いてきた。
……そういえば、いたんだった。一時的に失念していた。
ミリアは両手を後ろ手に縛られ、柱に繋がれたままだ。その格好で、よく他人の心配ができるものだ。
「……余裕ですね。私の心配ですか」
「体が、どこか悪いんですか……?」
「呪術ですよ」
もはや会話に頭を使うのも面倒になり、私は、正直に話すことにした。
「裏切り者に対して発動する、命に関わるものです。いくつも、複雑に絡み合って、体に染み付いて、雁字搦めに食いついてきているものです。それが一つ一つ、破裂していきます」
ミリアは息を呑む。
今さら呪術のことをばらしたところで、もう後戻りはできない。
それに、私には、僅かながら、光明が見えたのだ。
「貴女の恩人の方……クロウ、といいましたっけ。彼に会ってきましたよ。事情を説明したんですが、相当怒ってらっしゃいましたが」
「じ、事情も、何も……」
「ああ、ご安心を。多少殴りかかられただけですので。私はこのとおりですので、逃げさせてもらいました」
殴りかかったのはこちらだが。まあ細かいことはいいか。彼も事は把握していて、そして無事だということがミリアに伝われば。
「……レヴィさんは、精霊の力が欲しいんですか?」
ミリアは聞いてくる。
よく見ると顔にはやはり疲弊が浮かんでいた。ここに連れてこられてから半日近くは経とうとしている。幽閉されていれば当たり前か。
水と食糧は最低限の量は確保してある。それに、私の体のこともある。この幽閉状態は、そう長くは続かないだろう。
「……ええ。私が生き延びるための、最後のチャンスですから」
私は口元についた血を拭う。
立ち上がって、ミリアの近くにいく。ミリアは若干怯えた表情だったが、私はミリアの傍に膝をついて、話し出す。
「ミリア。貴女の中にもう精霊はいない。これが事実なのは、先ほど調べさせてもらってわかりました」
ミリアがまだ意識を失っていたときの話だ。その間に、体内から感じ取れる魔力反応はくまなく探させてもらった。
精霊、という一つの個体ともなるエネルギー体となると、人間に含有されている魔素とは別物扱いになるだろう。
人間に含有された魔素は、体内物質に融合して循環しているものだ。しかし精霊となると、本来人間の中にはないものだ。つまり本来人間には備わっていない、まったく別の器官が潜り込んでいる、という認識が正しい。
念には念を入れて、慎重に調べた。使っていないときは影も形もない、とはさすがに考えにくい。けれど可能性だけは考慮して、少しでも不可解な部分がないか、慎重に探った。
しかしやはり、何もなかった。ミリアの体内には、不可思議なくらい魔素が皆無というだけで、精霊の影は、それらしい痕跡さえも、どこにも見当たらなかった。
「なぜですか? 貴女は、持っていたはずの精霊の力で、組織を迎撃し、森一つを消し飛ばしたはずでしょう?」
森一つが消し飛んだ。襲撃部隊が全滅した。
その報告からして、それを引き起こしたのは精霊の力以外にありえない。
それを起こした際、あるいは直後に、何かがあったのだ。魔族の生き残りが精霊術士の傍にいたというほどの、私では計算しきれない、何か想定外の出来事が。
「ご、ごめんなさい。わ、わたしにも、よく、わからなくて……」
しかしミリアの口から聞き出すには骨が折れそうだ。
喋らせることにではなく、要領を得るかどうか。本人も言っているとおり、よくわかっていないのだろうし。
「ともかく。貴女の中には、もともと精霊がいた。それが何らかの理由で消滅した。それは間違いありませんね」
強い口調で聞くと、ミリアはそろそろと頷いた。
「だいたい知っているので、嘘はつく必要はありませんよ」
一応そう言っておく。組織との関係性や事件は把握している、と暗に伝える。
しかしそう言うと、やはり組織側の人間のように聞こえてしまうだろうか。
ミリアが今、一番恐れているのは、まずは殺されるのかどうか。しかし人質としての一般的な心情は置いておくと、このまま組織に引き渡されるのかどうかを、最も不安に思っていることだろう。
「ミリア。私は、貴女に危害を加えたいわけじゃない」
私は、怯えた表情のままのミリアに、前のめり気味になって言う。
「貴女を、伝説の精霊術士――その素質を持つ者として、頼みがあるんです」
膝をついて、低頭平身の姿勢で、私は言う。
「精霊を宿せる体質を持っているのは、おそらく現状、この世で貴女ただ一人でしょう。そして私は、精霊の力が欲しい……いいえ、必要としているんです」
ミリアに聞かれたときに答えたことだ。
私の探し物。精霊、と言えるほどはっきりとした形はないものだった。
ただ、生き延びるための方法。手段。それを探し求めているだけだ。
それが、もはや精霊しか考えつかなかっただけの話だ。
欲しいわけじゃない。執心はない。
ただ、それが私の命にとって、必要だというだけだった。
「精霊には、降臨の儀式、というものがあるんです。生まれたときから精霊を宿している、などという天性の素質を持たずとも、大昔は、それを利用して人間と精霊は交流していました。必要の際には、精霊は力を貸してくれる存在だった。人々の助けになってくれる存在だったんです」
〈聖下の檻〉――その組織内には、古い文献や伝承文から、精霊に関する情報は大量に散らばっていた。
確かな真相は不明だ。しかしいくつもの文献から、同一となる情報を抜き出し、再現を試みて、精霊という伝説上の存在の解明を進めていた。
「しかし精霊の魔術を盗み、研究し、自分たちが魔術を使えるようになったことで、人々は精霊への信仰心を失ってしまった。そんな今の人間に、精霊が応えるはずもありません」
情報が散らばっていたのは、組織の頭領が、精霊自体にしか興味がないからだが。
紙の上でしかない、ただの他人の伝承文気取りのものには興味はないのだと叫んでいたのは見たことがある。
それに頼って研究するしかないくせに、奇怪な人物だ、とは思った。しかし頭領の精霊に対する盲目さは筋金入りだった。
私のような末端の駒にまであえて情報を行き渡らせていた可能性もある。文献の情報を隠していたところで仕方がない、という考えだったのかもしれない。今となっては、謎のままだが。
ともかくそのおかげで、情報の入手は楽だった。精霊に関しては、一般的な知識以上は持っている自信がある。
おそらくは、ミリアさえ知らないことでも。
「貴女は、山間の小さな村で育ったはずです。そこは人目にさらされることなく、結界で守られた土地でした」
ミリアの故郷の話を口にする。
ミリアは、詳細はやはり知らなかったのか、興味を引かれたように目を見開いていた。
「古くから精霊に仕え、今なお信仰心を忘れずにいる一族の住む大地。それが、貴女の生まれ育った故郷の本当の姿なのです」
ミリアの村の一族は、あえて人里を離れ、他との交流をおおよそ断って生活していた。
山間にある、秘境の村だ。古くは、その大地に精霊が根付き、そこからミリアの一族を通して、人々と精霊は交流していた。
その地には、特殊な結界術が伝わっていた。精霊の魔術とはまた別の、その地にのみ伝承された、村と外界とを遮断する手段だ。
その調べがついてからは、まずは結界術を打ち破るための試行錯誤が始まった。
秘伝のものだ。しかし古くからその形のまま残されているものだ。進歩のないものなどすぐに破れるだろうと、頭領は笑っていた。
精霊関連の術式を分解し、調べ上げ、ついに打ち破る方法を見つけた。そして襲撃を仕掛けた。中にいる村人はすべて生け捕りだと、逃がさないように村に火を放った。
ただ、肝心の、精霊術士の素質を持つミリアのみを逃してしまったことが、唯一にして最大の失態だったが。
そこまでが、ミリアの村の襲撃事件の内情だった。
「大人は、何も教えてくれなかったでしょう。きっと貴女には、精霊への余計な知識よりも、ただひたすらな純粋さと、無垢な愛を持つ性質を育んでほしかったからです。時が来たら、すべてを打ち明けるつもりだったはずです」
なぜ当時ミリアは精霊の力を使わなかったのか。ただ一人、逃亡しただけだったのか。
森が消し飛んだ報告を聞いたときに、私なりに考えてみた。
村人は、精霊の力を秘匿としていた。その対象には、ミリア自身も含まれていた。
だから村の襲撃当時、ミリアは精霊の力を使わなかったのではなく、使えなかったのだ。
ではなぜ本人にでさえ、秘匿としていたのか。
それは、精霊術士として在るべき姿に育て上げるための、一族としての計画だったのではないか。
「精霊を従えることができるのは、今現在、貴女しかいない。しかし幼き頃は力に溺れ、呑まれる可能性があります。そうならないよう隠し、まずは貴女をのびのびと育てると決めていたはずです。ですがいずれは、精霊を奉る正しき象徴となってもらう算段があった。だから貴女には、影では、精霊に仕えていた一族としての期待が一身にかけられていたに違いありません」
大人は、精霊の力を持つミリアを守りながらも、ゆくゆくは、一族の象徴として、正しき精霊術士の姿として奉ることを計画していたはずだ。
だからミリアは何も知らされていなかった。知ってしまえば、心は邪悪に染まる危険性がある。
それよりも必要なのは、精霊という力に囚われない心。純粋な愛を持つ性質。自分たちにはすでに精霊は宿らないと知っていた村の大人たちは、ミリアに一心の期待をかけていた。だからこそ慎重を期して取り扱った。
それが、ミリアの村の、古くから精霊に仕えていたといわれる一族の、実態だろう。
「違う……と思います」
するとミリアは、悩むように目を逸らしながら、小さく言った。
「わたしは、精霊を従えてほしい、なんて、思われてなかったと思います」
「……ゆくゆくは、ですよ。貴女に適齢がきたら、きっと、必ず――」
「いえ。絶対に使うな、って厳しく教えられてきたんです。わたしには、精霊が宿ってる。けど、絶対に特別扱いもしないし、何も特別なことなんてないから、って言われて、育ってきたんです。両親だけじゃなくて、村の大人の人たち、みんな、そうでした」
ミリアは、反論してくる。
「普通の子として育つように、精霊の力なんて気にしないように、って。そういうふうに、周りの人たちは、わたしを育てようとしてたんだと思います」
「……そんなはずは」
ミリアが口にしたのは、的外れすぎる解答だった。
私は、思わず呟く。
「それだけ強大な力です。得ずに封じるだけの人間など、いるはずがありません」
「でも、わたしは、村が全部なくなるまで、一回も精霊の力なんて使ったことありません」
……たしかに。それは事実なのだろう。しかし私が想像する理由と、ミリアが語る理由はあまりに違いすぎる。
そんな馬鹿な話があるものか。
精霊の力を使うなと教え込まれてきた。それはいい。ミリアの精神の未熟さの問題などあるだろう。
しかし、ありえない。特別扱いはしないなど。普通の子として育つように、など。
あまりに、馬鹿げている話じゃないのか。
「なぜですか! 精霊ほどの力なら、なんだってできるはずです。精霊そのものを特定さえできれば、精霊自体に頼る必要だってなくなるかもしれない。擬似物質を作るでもいいし、エネルギーを抽出する方法を探すでもいい。そうして他人に譲渡する道を探すことだってできるはずです。サンプルさえ確定できれば、いくらでも使い道はあります。それをせずに、ただ封じようとするなど愚かだ! 伝説級の力を、みすみす捨てるつもりだったのですか!」
「捨てる……。そうじゃないです」
私が思わず声を荒げると、ミリアは変わらず、静かに言った。
「必要のない力なんです。使わなくてもいい力なんです。こんなもの、持ってちゃだめなんです」
持ってちゃだめ?
なんだ、それは。その意味がわからない。
持ってちゃだめな力など、あるものか。
力はなんであれ力だ。必要ないなど、ありえるはずがないだろう。
「わたしは、あなたのいた組織に、復讐がしたかった。この力なら復讐ができるはずだって、わたし……思い上がってましたから。でも違ったんです。そんなの、望んでたことじゃなかった。それを教えてくれた人がいるんです」
ミリアの口振りからは、すぐにその人物が浮かんだ。
「彼ですか……」
魔族の生き残り。クロウという男。
あれが、ミリアの心を変えさせたのか。他人を変えるだけの気質があった、ということなのだろうか。
「……愚かです。わかりません。ただただ愚かです。破壊の力だけじゃない。人を救う力にだってなるはずだ。なのになぜ」
ミリアは、精霊というものを間違って捉えている。
精霊とは強大な力。伝説級の力。だから邪悪だと、誤認しているのだ。
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「そう……人を救う力です」
私は、改まって、ミリアの前に立つ。
身動きが取れないミリアは怯えた顔で見上げている。
私は、胸に手を当て、畏敬の意を示すように、ミリアに向かって跪いた。
「ミリア。どうか、私を、救ってくださいませんか」
ミリアは、突然のことに、たじろいでいるようだ。
私は構わず続ける。
「私は、裏切り者です。もう組織の人間ではありません。ほうっておけば、裏切り者への処罰である呪術で殺されるほど、追い詰められています。私にはもう、死ぬか、戦うかしか選択肢がありません。それでも、もう二度とあそこには戻りたくないんです」
もはや、形振り構ってなどいられないからだ。
私はミリアに手を伸ばす。ミリアは居竦むが、強張ったその両肩に、ゆっくり手を置いた。
「貴女の体が生まれ持ったその素質で、私を、救ってくださいませんか」
ミリアの体には、生まれ持った素質には、その可能性が秘められている。
それを示すように、私はミリアの肩をぎゅっと握って、ミリアの目をまっすぐに見つめた。
「わたし……わたしには、そんな力は……」
しかし、今のミリアの中に、精霊の姿はない。それは承知済みだ。
「降臨の儀式を執り行いませんか」
私は、考えついた一つの方法を、提示する。
「精霊を、再び貴女の身に宿すのです。貴女の体でしたら、精霊は必ず応えてくださるはずです」
「そんなの……わ、わたしは」
「私には、儀式の知識もあります。最後の魔力を振り絞って行います。……正直なところですと、上手くいくとは、言い切れません」
ミリアは不安げに瞳を震わせている。
突然打ち明けられた村の事実と、持ちかけられた大きな交渉に、混乱して頭が追いつかないのだろう。
しかしミリアの思考を待っている余裕はない。私は強い口調で言う。
「ですが、ミリア。考えてもみてください。貴女は何もしなければ、このまま、おそらく一生、得体の知れない組織に追われ続ける身です。今回が、もしも私のような裏切り者ではなく、貴女を籠絡するために接触してきた組織の人間だったとしたら? 貴女は、どうやって自身の身を守ったのでしょう」
「それは……」
「接触なんていう生易しいものじゃなく。もしも再び襲撃に遭った場合、今の貴女が、どうやって生き延びるつもりでしょうか」
「……」
ミリアは口ごもる。
私はさらに、追い打ちをかける。
「まさか、彼に任せっきり、とは言わないですよね?」
ミリアの顔が強張る。
わかってはいたが、考えたくなかったことなのだろう。
突きつけられて、逃げ場を失ったミリアは、必死に反論の言葉を探す。
「で、でも。もし、その、精霊の力が戻っても。レヴィさんは、それをどうやって使うつもりなんですか……?」
「呪術を破壊してもらいます」
私は、正直に言う。
「それだけなんです。たったそれだけでいいんです。ですがたったそれだけが、もはや人の身には不可能なことなんです」
私は、自身の体を示すように、服を掴む。
「呪術さえ……この呪術さえ破壊してくれれば。ミリア。私は、貴女の味方になることができます。私にとっても組織は敵だ。もしも貴女が組織と戦いたいと言うのなら、私はこの身の全力を以て貴女に尽くします。私の魔術だって、もっと、こんなものではありません」
私は、ミリアの敵としてここにいるのではない。
ミリアの味方になれる。そういう存在だと、示す。
「戦わずとも、貴女たちの逃亡の旅路を護衛し続けてもいい。なんなら制約を作っても構いません。貴女の言うことに従わなければ、私の命はない、と」
「そ、そんなことは」
「それで構わない。貴女に仕えたほうがよっぽど幸せでしょう。お願いします。貴女の力が、私には必要なんです」
ミリアは、混乱した様子ながらも、私の言葉を聞いてくれている。
私も変に言葉を選んでいるつもりはない。すべて本音だ。
ただミリアに、呪術を壊す協力をしてほしいだけ。助けてほしいだけなのだ。
しかしミリアは、おずおずと、また目を逸らす。
「でも……。そんなの、わたし……」
普通の子として育てられた。精神はまだ年相応の未熟な少女だ。突然そんな大役を押しつけられても、戸惑うのは当たり前だろう。
すぐに答えが出ないことはわかっている。けれど、私には、猶予がない。ミリアが覚悟を決めるまで、待つ間に、死ぬかもしれない。
私は、服の留め具を外す。
「貴女は、あの組織を舐めてる。……いいでしょう。お見せします」
上半身の服を脱ぐ。これだけでも十分に伝わるだろう。
皮膚の一部が、はっきりと変色しているのだ。腐食したように、茶色のような、灰色のような不気味な色に染まり、ただれたように不自然に引きつっている。
人の体と、それ以外のものを疎らに繋ぎ合わせた跡だ。
このあまりにも歪すぎる体を見れば、一目瞭然だろう。
ミリアは、慄いた様子で呟いた。
「それ……」
「組織の実験によるものです。私はもともと、目に特殊な能力があるせいで、組織に誘拐されてきただけですから」
それも、本当だ。
「親の顔も知りません。声も肉体も男女どちらともつかないのは、数々の実験や改造で体質などのバランスがおかしくなったからでしょう。強力な魔術士となるべく、人間の体を捨てさせられました。私の体には様々なものが入れられ、混じり合いました。もう元には戻れません」
服を着る。あまり見続けても良いものじゃないだろう。
「これが、普通です。組織にいる人間は、おおよそ大半がこれだと思っていい。望む、望まないにかかわらずね」
非人道的なことを、平然とやる連中なのだ。
無論、ミリアだって、捕まればただでは済まないだろう。精霊術士だからといって、何も優遇されるわけではない。
あの頭領からすれば、ミリアなど、精霊を宿すためだけの器という名の道具に過ぎない。必要なのはミリアの生まれ持った天性の素質だけで、その中身は不要だ。真っ先に精神を排除しにかかっても、私としてはなんの違和感もない。いつものことだと思うだけだ。
一番穏便な扱いとしては、ミリア自体には即座に手を出さず、優秀な魔術士の種を募って、素質を持つ子が生まれてくるまで作らせ続ける、あたりだろうか。
あの頭領が求めているものは精霊。ただそれのみ。精霊を宿すだけの器になど、興味があるはずもない。
長い沈黙に感じた。ミリアはしばらく、俯いて黙り込んでいた。
よほどショッキングだったのだろうか。私は、もう慣れてしまったけど。
やがてミリアは、恐る恐る、顔を上げた。
「何を……すればいいんですか?」
その顔つきがやや変わっていたことに気づく。
ミリアは、怯えたままながらも、言う。
「精霊なんて、そんな簡単に、また元に戻るって、思えなくて……。降臨の儀式、っていうのも初めて聞きましたし……。上手くいくかもわからない、そんなの、絶対、危ないことなんじゃ……」
「危ないことですね」
私は、はっきりと肯定して、その先は言葉にするのをやめた。
暗に示す。それ以外に、もはや訴えかける方法は、ない。
「……レヴィさんは、本当に、精霊の力が欲しい……えっと、じゃなくて。必要、なんですよね?」
「当然です。そのためにこのような強行手段に出ているのですから」
「……」
ミリアは何か考え込んでいる。
もしもミリアが、ノーと答えた場合。叶わないのなら、いっそ――
「……わかりました」
ミリアは、ぽつりと言う。
「上手くいくのかは、わかりませんけど……」
その言葉に、私の体からは、徐々に力が抜け落ちていく。
「協力します。……それが、レヴィさんの助けにもなるんですよね?」
こちらを見上げたミリアの瞳には、まだ恐れこそあるものの、たしかに強い光が灯っていた。
まだ曖昧な覚悟かもしれない。危険なことに足を踏み入れる怖さは、拭いきれていないのだろう。
しかし、決意、してくれたのだ。
「はい。私自身、命がかかっていますので」
安堵のあまり、崩れ落ちそうになる。
それを慌てて正して、私は笑った。
「必ず成功させます。伊達に人間の体やめてませんよ」
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