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【二章〈初夏〉】彼女を知ろう編

07.日々のはじまり

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 鍵を差し込んで、扉を開ける。
 ギイ、とやや滑りの悪い音を立てて、人気のない通路に響く。
 スチールラックが立ち並ぶ室内に足を踏み入れる。紙のにおいとほこりっぽさが漂う。なんだかきな臭い感じがするのは、保管庫という特徴のせいだろうか。
 区分プレートを辿って、目当てのファイルを抜き取り、床に広げる。まどろっこしくなってその場に座り込み、背後の棚に寄りかかった。

 施設内の資料室にやってきた。
 ここには異能力者のデータが保管されている。
 思考を巡らせる。二度目のザンセの精神世界について。
 俺が与えたものが反映されていた。それはいい。
 だが、また同じように殺された。
 その理由と原因を考察するために、まずは原点に返るべく、こうして施設内の資料室で調べ物をすることにした。

 この施設は、地域住民への行政サービスを提供・斡旋するための福祉行政機関である。
 生活に困難を抱える者への社会的支援、援助を行い、また各福祉施設との連携も行っている。
 その裏にて、異能力管理課という名も持っている。俺はそこに異能力者として登録・保護されている身だが、表向きは青少年の養護という形になっている。

 俺の異能力は、人の精神に侵入・干渉するというものだ。
 これはべつに俺だけが持つ唯一無二の力というわけではない。
 この異能力は、実は〈精神強襲パーソナル・レイダー〉という物騒な正式名称がついている。
 過去、同じ異能力を持つ人間がいた証拠だ。そして名前の由来は、実際に物騒だということを先人が証明しているからだ。
 精神という曖昧なものは肉体よりも守るのが難しい。情報漏洩、プライバシー侵害はもとより、心的外傷に繋がるおそれもある。
 しかも最悪の末路は、精神の核を破壊したことによる精神の喪失――つまり廃人化だ。基本的に全面的な使用を禁ずることが安全策といえるだろう。

 異能力によって発生した事件のファイルを読み漁る。
 今は、そんな危険視されてきた先人のデータが必要なときだ。
 今までは話を聞いたことがあるだけだった。こうして証言の文字起こしを目にするのは初めてだ。
 どうにも俺の先人はかなり狂気的な人物だったようで、異能力者として管理されていたのではなく、表沙汰の事件で捕まったことで発覚し、この施設に一連のデータが残ることになったのだそうだ。

 先人の凶行によって廃人化した人間が生まれているのは証言との一致で確からしい。
 つまり先人は、俺と違って精神の核の実物を目にし、そして破壊したことがあるのだ。
 ……が。どうにも、やわらかくて脆いんだとか、丁寧に一枚一枚ほじくって見つけて、指先でぷちっと……だとか、どれも狂言じみていてアテにならない。
 まともに話が通じる人物だとすら思えず、調べれば調べるほど、なんだかこっちの気が狂いそうだ。
 引きずり込まれそうな狂気といえばいいのか。ここのところ調べ物ばかりなのもあって、気が滅入ってきた。

 棚に頭を預ける。目を閉じる。
 精神の核が存在する、だなんて言われても。
 ザンセのまっさらな世界で正解がわからないのに、この先人は核までどうやってたどり着いたんだろう。
 彼にとってはまるでゲーム。遊び感覚。凡人の俺がとても真似できるとは思えないが――

「熱心だな」
「うわぁ!?」

 急に声がして、飛び起きた。
 久保田さんだ。誰も来ないと思って、完全に油断していた。

「久保田さん、いつからっ……」
「つい今しがただ。ドアを開ける音にも気づかなかったのか?」
「気づきませんでした……」
「相変わらず、集中するとすぐに周りが見えなくなるな」

 資料室で前例の異能力者について調べていると聞いて来たんだろうか。
 床に座っていると、ちょうどタイトスカートから覗く、曲線を描く脚に目がいってしまう。慌てて首ごと逸らす。
 相変わらず目に毒だ。久保田さんの格好は。本人が欧米人のようなメリハリの利いた体型だし、そこにビシッとフィットしたスーツ姿は似合ってはいるんだけど。化粧も派手でちょっと目のやり場に困る。
 久保田さんは床に広がっていたファイルに目を向けた。思わず隠すように自分のほうに引き寄せる。
 顔を合わせただけでなんだか怒られる気がしてしまうのはなぜだろう。許可は得たし、調べること自体は悪くないと思うが。

「前例の異能力者か……。彼は表沙汰の犯罪で捕まったそうだな」
「そもそも前科がありまくりで、以前から危険人物扱いだったみたいですけどね」

 恐喝だとか傷害だとか、軽犯罪歴から挙げるとキリがないほどだ。
 つまり重大な事件を引き起こすずっと昔から、あるいは幼少の頃から、とっくに価値基準が狂っていたんだろう。

「彼をここまで異常たらしめたのは、何が原因なんだろうな」
「さあ」

 そそくさとファイルを閉じて、棚にしまう。
 頭の疲労もあって、今日はここいらで打ち止めだと思っていたからちょうどいい。
 久保田さんと一緒に資料室を出て、施錠する。鍵は久保田さんに返す。

「何かわかったか?」
「精神の核については、ろくな情報がないです」

 鍵を受け取りつつ久保田さんは聞いてくる。
 収穫はあまりなかったことを正直に言う。せめても核の形状がわかれば。できたら壊し方もわかればと思っていた。
 知らないことだらけだ。〈精神強襲パーソナル・レイダー〉という異能力について。俺が生まれ持った能力のはずなのに。

「そうだ。来月から学校に復帰するんだろう?」
「そうらしいですね」
「そうらしいですねって。君の話だろう」
「俺は、学校なんかに通ってる場合じゃないと思うんですけどね……」
「教育の本分だ。研究依頼に夢中になって進路に困るようでは意味がないだろう」

 俺みたいな異能力者を、はみ出し者を、できるだけ普通の人と同じように歩ませること。保護・管理し、社会に適応させるための支援をすることが、久保田さんら管理課の目的だ。
 それが施設内の依頼にかまけて、本末転倒になるのは避けたいのはわかるが。

「まあ……。ずっと近距離で向き合ってても、進展はなさそうですしね。べつにいいか……」

 学校なんかいいから、ザンセの問題に向き合いたい。ザンセとの時間をなるべく作りたいと思っていたが、自分で自分を納得させるように呟く。
 ザンセ、か。
 四六時中、一緒にいたところで、何かわかるわけじゃないよな。案外、学校に通ってるぐらいが、程よい距離感になるのかもしれない。

 ※ ※ ※ ※ ※

 目の前には、パンケーキ。
 ふっくらと焼き上がった生地に生クリームと果物をたっぷりと乗せて、その上からさらに粉砂糖とハチミツでデコレーションした、まるで絵本の世界から飛び出してきたかのような造形だ。
 なんだか食べ物というよりも、展示品というか、絵というかおもちゃみたいというか。これぞ嗜好品って感じの、皿の上に無駄しか乗ってない狂気を感じる。

「食べていいぞ」

 真っ白なレース地のテーブルクロスを挟んで、ザンセは正面に座している。とんとんとテーブルを叩いて、目の前のパンケーキを示す。
 優しい木目調に、ぱっと明るいホワイトを差し色にしたのが特徴的な内装の店内だ。小人の家みたいな小さな円形の窓もザンセの肩越しに見える。

「食べて」

 ザンセ用に、わかりやすい言葉に言い換える。
 ザンセはパンケーキに一瞥くれると、食べてという言葉に反応したのか、用意されたフォークを手に取ってパンケーキに躊躇なく突き刺し、姿勢を下げてそのまま丸ごとかじりつき出した。

「あっ、ちょ、待って待って」

 せっかく乗っかっていた生クリームと果物たちが斜めって、雪崩のように皿の上にボトボトと落ちていく。
 そうか。切ってやらなきゃいかんのか。皿ごとこっちに引き寄せて、ナイフで切って、一切れ分を刺したフォークをザンセに渡す。
 めんどくさ。あと若干周りの目が気になる……。
 学校復帰は来週だ。その前に、今のうちにとできることを模索してみた。
 なるべくザンセの反応がありそうなもの……安直だけど女子が好きそうなもの……と連想してみて、口コミ評価やらリサーチして、駅前のパンケーキのお店にこうして連れてきたわけだが。
 ……。
 もぐもぐしてるな。
 普通に。
 他の席に、同じ商品が運ばれていくのが見えた。この店の看板メニューらしい。わあ~っと喜ぶ女性らの声が聞こえて、かわいい~と言いながらシャッター音がちょいちょい混じる。写真を撮ってるみたいだ。パンケーキがかわいいとな?

「甘っ……」

 絶対余るから、俺も半分ぐらいは食べるつもりで手を出す。
 なにこれ。糖度高すぎる。こんな甘いもん、逆に刺激だわ。甘さモリモリすぎて、何食ってんのかわかんない味するな。
 店内はやはりというべきか、見事に若い女性だらけだ。カップルもいるが、友達同士で来てる人のほうが多い割合だ。やっぱりこういうのは女性向けなんだろう。
 ザンセにも、ああいう女子みたいな一面はないんだろうか。これだけで喜べる神経というか、かわいいと思える感性とか……。

「……ないよなぁ」

 一人で勝手に呟いて、がっくり項垂れた。
 明らかに女性がターゲットで、実際女性だらけで、甘いにおいや黄色い声、こまごました装飾、五感に入ってくるものすべてが女子女子している。
 結構、恥ずかしいのを我慢してここに座ってるのに。
 普段と特に変わらないペースで、可もなく不可もなく。ザンセは平淡に、卒なく食べ終わった。


 何事もなく施設に帰ってきた。
 車を出してくれた人にお礼を言う。
 駅前までなら、俺一人なら歩いて行ける距離だし、バスもある。だが体力のないザンセを歩かせるのは不安だし、わざわざ交通機関に乗せるのも……という雰囲気で結局、送迎付きになってしまった。
 ショッピングモールが無反応だった時点でお察しだったが、送迎までしてもらってこれではばつが悪い。もっといろんなところへ連れ回してみたいが、移動範囲には限度があるし、いちいち送迎付きでは正直頼みづらい。
 他にはどんな場所がいいのか、アイデアも浮かばない。自分の引き出しの少なさに愕然とするしかない。

「たべて」
「うんうん。食べてきたんだね」

 いつもの広間にて、仁科さんがザンセとコミュニケーションを図っている。

「あま。あま」
「甘かった?」

 これは一応、ザンセから仁科さんに伝える、お出かけの報告という名のトレーニングだ。

「いいぞ」
「えーと……よかったんだ?」

 報告というか……。うん。なんというかって感じだけど。
 質問に対する返答を記憶の中から探して、一致させるために答える。それだけでも、本人に言わせる、考えさせること自体に意味がある。

「じゃあ、ジュースあげるから、こっちにおいで」

 ザンセは仁科さんについていって、キッチンのほうでジュースをもらっている。
 なんか、俺のほうが疲れた。めちゃくちゃアウェーな空間だったし、キラキラした雰囲気に気圧されて息苦しかった。
 やっと静かな場所に戻ってこられて、ソファに腰を下ろしてぼうっとしていると、耳鳴りが止んできた。頭が重たいという疲労感の正体はこれだったのか。

「最近、ザンセちゃんにたくさん言葉が通じるようになって、嬉しいなあ」
「そうなんですか?」

 ふと仁科さんは言った。
 ザンセは無言で俺の隣に座って、ジュースを飲んでる。

「そーだよー。おいでって言ったらわかってくれるようになったし。全然自分で動けなかったときと比べたら、ねえ」

 仁科さんは嬉しそうな笑顔をザンセを向ける。
 ザンセは仁科さんのほうに目を向けるだけだが。そうか。これだけでも、大きな前進か。
 自分の話だとわかって聞いているかは不明だが、普通に目が合うようになったんだよな。
 自分に声を掛けられていると判断できるようになったし、立ち尽くしていた頃と比べれば、動作もかなり人間らしくなった。ジュースを受け取ったらソファに座って飲むなんてのも、かなり自然だ。
 まあ、背筋を正したまま定期的にジュースを口に運ぶだけという、機械仕掛けじみた動きなのは変わらずだが。

 ザンセの生活自体は、そこまで変わらない。
 日課の散歩とお出かけの成果なのか、少しずつ体力はマシになってきたように思う。それだけでなく、コミュニケーション能力、日常の些細な動作や仕種一つにも、地味な変化は表れているんだろう。
 これだけ近くにいると、やっぱり見過ごしやすいんだろうか。そう思うと学校という時間は必要なのかもしれない。
 親は仕事に、子供は学校に、って感じでそれぞれ余所で経験をして、家に帰ってきてその話をする。そんなささやかな日常の連続が、精神面を育む大切な過程なのだろう。

 少し休憩していたが、ザンセは昼寝する気配がない。今日は元気そうだ。
 ということで、ダイニングテーブルでさっきの交流の延長のようなお勉強タイムが始まった。
 ザンセも、頑張ってるんだよな。ザンセなりに。
 俺も勉強するかと、いったん寮に戻って勉強道具を取ってきた。低いテーブルのほうで勉強道具を広げる。復帰前にもう一度、授業内容の見直しぐらいしておくか。

「……ん?」

 しばらく集中して、どのくらい経ったのか。
 ふと視線を感じて横を見ると、ザンセがでんと座っていた。正座して、きっちりと両手を膝に置いて。

「何してんだ、ザンセ……」

 何かしてくるわけじゃないが、真横からじーっと見つめられるとやりにくい。何しに来たんだ。

「そっちのお勉強は終わったのかよ」

 いつ来たんだろうか。気づかなかった。
 集中が切れてしまった。考え途中だったのに。ため息が出る。

「ザンセちゃん、ハチくんの邪魔しないであげてね」

 見かねたのか仁科さんが声をかける。
 ザンセは一度仁科さんのほうを見るが、何事もなく俺に顔を戻しただけで、微動だにしない。
 諦めてペンを放る。学校の勉強といっても、半分趣味みたいなもんだ。暇なら何かしら勉強に関連したことはやってるから、授業の進行度や範囲がわかれば、あとはだいたいなんとかなる。
 切羽詰まってるわけじゃないからいいけど、それより。

「なんすか、その呼び方……」
「あっ、ごめん。ザンセちゃんがしょっちゅう、はち、はちって言うから。いいなぁーと思って」

 ハチくん、て。すごいナチュラルに言われたな。えへ、と仁科さんはお茶目に笑ってる。
 そんなに言ってたっけか。
 なんか……なあ。むず痒いんだよな。

「ザンセちゃん、ずっとハチくんのこと気にしてたのよ。ここのところ広間にあんまり来てなかったじゃない?」
「ああ、そういえば……」

 調べ物ばっかりしてたからな。

「だから嬉しいのかもね。今日は長く一緒にいられて」

 まあ。お出かけもしたし、長くはいるけど。
 だから多少は許してあげて、って意味だろうか。

「そんな感情あるんですかね……。てか気にしてるんですか? ザンセが。俺のこと」
「うん。いないと、すっごくそわそわして見えるわよ」

 まじか。
 そんな変化が、仁科さんにはわかるのか。さすが大人の女性と言うべきか。

「俺がいないときって、勉強以外に何して過ごしてるんですか?」
「うーん? 特別なことはしてないわよ。テレビ見てたり……。あんまり今と変わらないかな」

 テレビの前に鎮座してるか、お勉強か、昼寝か、ってところか。

「これは? やってないんですか?」
「えっ。なあに、それ?」

 ザンセ用のタブレットを引き寄せて、俺がザンセに教えたパズルゲームを表示する。
 仁科さんは初見の顔だ。そういえば仁科さんに見せたことなかったような。俺が勝手に教えてただけで。
 自主的にはやらないのか。そうか……。

「それ、本当にそわそわしてるんですか……?」
「気のせいかなあ。でもちょっと、寂しそうに見えるのよね」
「そうなんですか……」

 疑わしかったけど、やっぱりちょっと、仁科さんの妄想入ってないか……?

「あ、さすがにもう眠そうね」

 気づけばザンセはやや下を向いているような、よく見れば半目になっているような状態だった。

「ザンセちゃん、眠い? お部屋に戻る? ソファで寝る?」

 扉とソファを順に指差して、仁科さんは誘導する。
 ザンセは指先を視線で追いかけた後、無言でソファに上がると、横になった。そこに仁科さんが毛布をかけてあげる。

「すご……」
「ん?」
「めっちゃスムーズですね。さすが、慣れてますね」
「そう? 難しいことじゃないよ」

 ザンセは一言も喋ってないのに、なんという流れるような誘導。俺だったら無理だ。
 はっきりと、わかりやすい言葉で、指差しやジェスチャーも付けて説明してあげたらわかってくれるよ、と改めてレクチャーを受けるも。

「人前じゃちょっと、真似できそうには……」
「ていうかハチくん。ザンセちゃんに変な言葉教えてないでしょうね」
「えっ。お、教えてないですよ」

 もののついでみたいに言われてドキッとする。
 ザンセの奴、なんか言ったのか?

「たまーに、男言葉混ざるのよ。いいぞ、食え、とか。絶対、ハチくんの影響でしょ」
「あぁ……」

 なんだ。その程度か。密かにほっとする。
 ……先日のことは、ザンセに変な影響を与えてしまっていないだろうか。
 お世話係の人も何人かいるし、研究施設の人たちもいる。一概に俺だけのせいとはならないだろうけど。
 ザンセの前では、発言に気をつけよう……。
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