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1-1.飛鳥馬探偵事務所。別名、ぬいぐるみ探偵事務所

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『この探偵事務所を君に、飛鳥馬見介あすまけんすけに継いでもらいたい。それが亡くなられた君の祖父、飛鳥馬一江あすまかずえの遺志だ』

 それはまったく予想もしていない言葉だった。
 すぐに返事に詰まってしまったのは、付け慣れていないネクタイのせいだけではない。驚くような内容だらけで、まったく理解が追いつかなかったのだ。じいちゃんが探偵だったことも、この事務所の所長だったことも初めて知った。それを、俺に継がせるだって?
 誰の目にも明らかに戸惑った様子だったであろう俺を見て、俺の隣に立つ男性——南香澄みなみかすみがくすりと笑った。

「急に言われたら戸惑うよね。安心して。今すぐ決めろってわけじゃないから」

 傍に来て、そっと肩に手を添えてくれる。
 香澄さんはベージュのスーツという落ち着いた着こなしも、その言動も実に品があって大人びている。今日は大事な話があると言われていたので自分もスーツを着てきたが、なんだか横に並ぶと恥ずかしい気分になってしまうくらいだ。

「ただ、これだけは確認させて。この提案にちょっとでも興味……ある?」

 香澄さんが問う。
 だが、これにもすぐに返事はできなかった。
 すると今度は、

「おい、香澄さんが聞いてんだろ! バキッと返事しろよ!」

 攻撃的な罵声が背後から響く。この部屋にいるのは、俺と香澄さんだけではない。
 もう一人。居ることを意図的に無視していたのが、今の声の主だ。香澄さんと同じ空間にいるのが実にミスマッチな、赤い坊主頭の少年だ。上下は黒のジャージで、いかにもな威圧的なコーディネイト。今の罵声で確信したが、中身も見た目通りのようだ。

軍司ぐんじ。まだ出番じゃないから、大人しくしててね」
「ハイ!」

 驚くほど従順な返事。

「あと、大きい声で人を驚かすのはNGじゃなかった?」
「そうでした。ごめんね!」

 またも叫びながら、赤坊主は俺に向かって深々と頭を下げてきた。
 
「彼、悪い子じゃあないから」
「みたいですね。あ、もう頭上げてもらって大丈夫です」

 うす、と小さく答えて軍司と呼ばれた少年は顔を上げた。そして何事もなかったように腕を組んで座りなおす。俺がこの事務所に入って来た時と同じ態勢に戻った。

「じゃあもう一度。ちょっとでも興味、ある?」
「無いわけじゃないです。ただ……」

 言葉を選んでしまう。香澄さんはそんな俺を急かすことなく、待ってくれている。
 この人には、下手な言い訳やウソはつきたくないなと不思議とそう感じさせてくる独特の空気だ。おかげで、俺は自分の気持ちを正直に吐き出す決心ができた。

「祖父のこと、じいちゃんのことはそこまで記憶にないんです。遊んでもらったのも小学校の頃までだし。しかも孫は俺だけじゃなくて、兄貴も妹もいるんです。それなのに、なんで継ぐのが俺なんだろうって」
「それは素質、じゃないかな」
「素質? 俺が探偵に向いているってことですか」

 俺の言葉に、何故か香澄さんは少しだけ笑った。どこがおかしかったのだろう。
 
「どうだろう。君が思っている探偵に向いているかどうかは、まだなんとも。ただ少なくとも、この事務所を継ぐための素質は持っていると思うよ。それだけは保証する」
「それ、お世辞じゃないですよね」

 企業面接で手応えはあったのに、結果は出なかったときの面接官とのやり取りが頭をよぎる。こうやってスムーズに話が前向きに進むときと、しれっと褒められている時ほど危ないというのが経験則だ。もっとも、いまだ就職浪人の俺の経験則だとすべてうまくいかない経験でしかないのだが。

「根拠はちゃんとあるよ。電話でも伝えたと思うけど、ちゃんと連れてきた?」
「……一応」

 目線で促され、俺は持ってきたカバンを開ける。そのビジネスバッグの中には一応の履歴書と筆記用具、それから普段の面接なら絶対に持ってこないものが一つ。それは、レッサーパンダのぬいぐるみだ。10cm程度の大きさの、俺の手の中にぎりぎり収まる程度のそれは、もう20年以上人生を共にしてきたもの。昔じいちゃんに買ってもらってから、ずっと一緒に育ってきた相棒だ。

「お名前は?」
「……みっけ、です」

 家族はともかく、初対面の大人に名前を伝えるのはさすがに恥ずかしさを感じる。

「みっけ? 珍しい名前だね」
「名づけはじいちゃんです。俺の名前から取ってて。見介を“みるすけ”って読んで、それを縮めて、みっけ」
「なるほど。確かに飛鳥馬所長らしいネーミングセンスだね」
「じいちゃんが名付けたぬいぐるみを持っていることが、根拠ですか?」
「ううん。おじいさんが名付けてくれたぬいぐるみを、20年経っても大事に持っていること。これが根拠だよ」

 そう言って香澄さんは、俺が持つみっけの手を取る。小さく上下させているその様子は、まるで握手をしているようだった。さらに、背後にいた軍司もみっけに対して一礼しているのが見えた。
 なんだか、ちょっと不思議な人たちだな。態度が丁寧すぎるというか。ペットを家族同様に扱う人たちみたいな感じだ。人以外にも優しい、みたいな。

「この事務所は継ぐのは、親族なら誰でもいいってわけじゃないんだよ。お兄さんや妹さん、多くの人では務められない」
「探偵って、やっぱり特殊な仕事だからですね」
「その中でも、僕らのはもっと特殊なんだ。でも、君ならできるよ」
「……ぬいぐるみが好きだから?」
「ちがうよ。ぬいぐるみと、話せるから」

 笑いながら発せられた香澄さんの言葉に、またも俺は固まった。
 さすがに冗談がすぎる。もしかして、俺はバカにされているのだろうか。

「見介君さ。この探偵事務所を、君に継いでもらいたいって言ったの、誰だが分かってる?」
「え。香澄さんじゃ……」

 いや、そういえば違う。
 事務所を継いでほしい、それが祖父の遺志だと告げた声は、もっと太い中年男性のような声だった。落ち着きのあるこの香澄さんの声ではない。軍司はさっき怒鳴るまで一回も口を開いていないし、彼の高い声とも違う。
 しかし、この部屋には俺たち3人しかいない。

『意地悪が過ぎるぞ、南』

 また、この場にいる誰でもない声が響く。

「すみません。面白くてつい」
『許してくれ見介君。君を試すような真似をした。だが南の言う通り、君には素質があるんだ』

 事務所の中を見渡す。室内にはスピーカーらしい設備は見当たらない。電子的ではない、近くにいるようにしか思えない声の聞こえ方だった。それなのに、声の主がまったく見当たらない。

「おい、どこ見てんだよ。前見ろ、前」

 軍司が背中をつついてきた。
 だが俺の正面にはあるのは、立派なデスクだけだ。「所長」と書かれたプレートは置かれてるが、誰も座っていない。デスクの上にはペン立てと電話、それと——赤いだるまのぬいぐるみが一体、置かれているだけ。
 なぜだろう。今、ありえない可能性が頭をよぎった。デスクの上に置かれている“ある物”から、不思議と目が離せない。

『そう。私はここだよ。名はゼンだ。よろしく』

 勘違いだと思いたかったが、勘違いではなかった。
 今、俺と目が合っているだるまのぬいぐるみは、間違いなく、俺に話しかけてきていた。

「ゼンさんの声が、ぬいぐるみの声が聞こえる。それが根拠だよ、見介君」
 
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