飛翔英雄伝《三國志異聞奇譚》〜蒼天に誓う絆〜

銀星 慧

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第九章 中原の覇者と魔王の片鱗

第百十三話 盟友の裏切り

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陳公台は、先ず広陵こうりょう太守、張超ちょうちょう(字を仲卓ちゅうたく)の元を訪れ、彼に自分の計画を打ち明けた。

公台の計画とは、兗州えんしゅうで反乱を起こす事である。

それを聞いて、始めは驚きを示した仲卓だったが、彼は直ぐにその意見に賛同さんどうした。
何故なら、彼は元々曹孟徳を毛嫌けぎらいいしており、兄の張邈ちょばく(字を孟卓もうたく)が宦官の孫と言う卑賤ひせんな家柄の者と仲が良く、親しく付き合っている事が我慢ならなかった。

彼は早速、従事中郎じゅうじちゅうろう許汜きょし王楷おうかいらを仲間に取り込み、陳留ちんりゅう太守である兄の孟卓の元へと向かった。
しかし、弟から話しを聞いた孟卓は当然それに猛反発した。

「曹孟徳は、私の親友で恩人でもある…!彼の居ない隙きに兗州で反乱など、起こせる筈があるまい…!」

弟の仲卓らは彼を説得しようと試みたが、彼はがんとして首を縦に振らず、幾ら話しても聞く耳を持たなかった。
暫しその様子を黙って見ていた公台だったが、やがて孟卓の前へ進み出て、彼と二人切りで話したいと申し出た。

やがて孟卓と二人で居室へ入ると、公台がいきなり床に平伏ひれふして彼の前に額突ぬかづき、それを見た孟卓は訳が解らず驚いた。

「孟卓殿、貴方あなたは私が見込んだ通りのお方です。貴方こそ、曹孟徳様の親友と呼ぶに相応ふさわしい…!」

「…?!一体、どう言う事だ?」
孟卓がいぶかしげに問うと、公台は顔を上げて真っ直ぐに彼を見詰める。

「孟徳様は…今、怒りでおのれを見失っておられるのです。周囲の者は皆、孟徳様に同情し、それをいさめる者は居ない…孟徳様は、陶恭祖とうきょうそと部下の張闓ちょうがいの首を斬るまでは、決して侵攻を止めないでしょう…!」

やがて、公台はその瞳に大きな泪を浮かべ、声を震わせて言葉を続けた。

「私は…私の理想のあるじを失いたく有りません…!貴方が真の友人なら、孟徳様の暴挙を止めるべきです…!」
「…その為に、反乱を起こせと申すのか?!」
「他に孟徳様を止める手段は御座いません…!」
「………っ!」
孟卓は暫し言葉を失い、鎮痛ちんつうな面持ちで、泪を流す公台を見ると低くうなった。

「だが…我々の力だけで、兗州を制圧する事が出来るであろうか…?」
例え反旗をひるがえしたとして、兗州の守備の為に残されているのは、荀彧じゅんいく夏侯惇かこうとんなどの優秀な将たちで、彼らをくだす事は困難に思われる。
不安をらし迷いを示す孟卓に膝を進めると、公台は赤い瞳に強い光を宿して言った。

「孟卓殿、この計画を実行するには、方の協力が必要です…!」


城外に広がる草原に少し冷たい秋風がそよぎ、少女の長い髪を揺らしている。
彼女の腰の高さには、夕暮れの空にえる小さな青紫色のはなが咲き乱れ、その様子はあたか神仙境しんせんきょうの如き美しさであった。

少し離れた場所から、飛焰ひえんを連れた奉先と従者のしゅんが待っている。
暫しその様子を眺めていた奉先は、やがて飛焰の綱を俊に手渡し、ゆっくりと彼女に歩み寄ると、その背中に声を掛けた。

貂蝉ちょうせん、そろそろ城へ帰ろうか。」

んだ幾つかの花を腕に抱き、貂蝉は振り返って彼を見上げた。

「うん。見て奉先、とても綺麗きれいな華でしょう?」
「ああ、そうだな。」
「“桔梗ききょう”と言うのよ。この華は…お母様が、とても好きだった華なの…」

長い睫毛まつげを下げ、少しうつむく貂蝉の横顔はとてもはかなげで、くるおしい程に愛らしい。

「…そうか」
それを見詰めながら、奉先は静かに彼女の前へ腰を落とし、その顔を見上げた。

「貂蝉、実はな…俺はもうすぐいくさへ行かねば成らぬ。お前も知っている通り、雲月うんげつはもうすぐ出産を迎えるが、俺は側に付いていてやれそうに無い…お前と俊に、雲月の事を任せたいのだ。彼女の側にいてやってくれ。」

貂蝉は稍々やや瞳を曇らせ、悲しげな眼差しで彼を見詰めている。

「直ぐに、戻って来る…?」
「ああ、出来るだけ早く帰って来るよ…」
不安そうに問い掛ける彼女の細く小さな手を握り締め、奉先は微笑を浮かべながら答えた。

「分かったわ…絶対に、早く戻って来てね…!」
せつなさを押し殺す様に少し声を震わせて言うと、貂蝉は彼の首に腕を回して強く抱き着く。
少し強い風が貂蝉の髪をなびかせ、二人の周りを囲む桔梗の華たちを大きく揺らしていた。

奉先の元へ張孟卓と陳公台が訪れたのは、その日の朝の事である。
二人から徐州で起こった事件の経緯けいいを知らされると、奉先は暫し言葉を失った。

巨高きょこう様と、虎淵こえんが……っ!」
やがてまぶたを閉じ、深く慨嘆がいたんらす。
苦悶くもんを表情に浮かべる奉先に膝を向け、公台が彼を真っ直ぐに見詰めて言った。

「奉先様、余り時間が御座いません。今この瞬間も、徐州では民の命が奪われているのです…!孟徳様を止められるのは、貴方しか居ない…!」
「ああ、解っている…一晩だけ、考えさせてくれないか…?」

額に手を押し当て、眉間みけんに深くしわを刻む奉先の姿を見ると、孟卓は公台の肩に手を乗せ、

「分かりました。奉先殿、我々は明日また伺いますので、返事はその時にお願いします。」
そう言って公台の肩を小さく叩き、退室をうながす。
やがて二人は、室内に一人項垂うなだれたままの奉先を残し居室を後にした。

「公台殿、気持ちは解るが余り拙速せっそくに過ぎては良くない…彼にも少し考える時間を与えてやらねば…」
廊下を歩きながら、孟卓が黙ったままの公台に声を掛けると、彼は不意に立ち止まり、後ろを振り返って奉先を一人残した居室の方を鎮痛ちんつうな面持ちで見詰めた。

「はい、そうですね…」

どれくらいのときったであろうか。
奉先は、暗く薄ら寒い居室の中に一人瞑座めいざし、只管ひたすら考えをめぐらせていた。

彼には孟徳の気持ちが痛い程良く解る。
出来る事なら今直ぐにでも彼の元へ駆け付け、その肩を強く抱き締めたいと願ったが、彼の顔を見ればたちまちその感情に押し流され、己の自制心じせいしんかなくなるであろう。

それでは意味がない…
離れた場所から、彼を客観視きゃっかんししなければ駄目なのだと、己に強く言い聞かせる。
彼の怒りの矛先ほこさきを別の方向へ向かわせる為に…
頭ではそれは良く理解出来た。
しかし、きっと孟徳は自分を許さないであろう。そう思うと激しく胸が痛む。

不意に、室内に冷たい空気が流れ込んで来るのを感じ、奉先はふと瞼を開いた。
薄暗い部屋の片隅に、何か大きな黒い影の様な物がうごめいている。
やがて蠢くその影から、くっくっと喉を鳴らして含み笑いをする不気味な声が聞こえて来た。

『…迷っているな、奉先…』

その声には聞き覚えがあった。

『あの時、わしは言った筈だ…あの小僧は、わしと同じ目をしているとな…!』

奉先はじっと動かず、その大きな黒い怨霊おんりょうの姿を凝視ぎょうしした。

董仲穎とうちゅうえい…あんたは、もう既に死んでいる…!今すぐ消えろ…!」
『くっくっくっ…奉先、お前は曹孟徳に利用されるだけだぞ…奴は、お前に隠し事をしている…!』
「…!!」
未央宮みおうきゅうでの壮絶そうぜつな記憶が、まざまざと彼の脳裏によみがえる。

『…奉先は、何も知らない。真実を知っているのは…俺だけだ…!』

苦しげにあえぎながら孟徳が語った言葉である。
あの時、彼は何を話そうとしていたのか…

『何故、奴は真実をお前に語らない…本当にお前を信用していると言えるのか…?』
亡霊ぼうれいは、奉先の周りを彷徨うろつきながら彼に話し掛けて来る。

『奉先…わしとお前は、案外上手くやって行けたとは思わぬか…?曹孟徳は“奸雄かんゆう”だぞ、奴を信じるな…!奴はお前を利用し、漢王朝を滅亡へと導くであろう…!』 

「違う…!漢王朝を滅亡させようとしたのはお前だ…っ!」

奉先は強く剣把けんぱを握り、振り向きざまに亡霊の影を断ち斬る。
胴体を真っ二つに斬り裂かれながらも、仲穎の亡霊は不気味な笑みを浮かべて相変わらずくつくつと笑い声を上げていたが、やがて黒いもやに姿を変え闇の中へ溶け入る様に消えて行った。

再び室内に静寂せいじゃくが戻る。
あれはうつつか、それともただのまぼろしだったのであろうか。
だがそんな事はどうでも良かった。
奉先は床に片膝を突き、振り下ろした剣を握ったまま微動びどうだにしない。
やがて視線を上げ、虚空こくうを見上げながら呟いた。

「孟徳殿は、董仲穎とは違う…俺は、ただそう信じたかっただけなのか…」


曹孟徳は徐州じょしゅうへ向かう時、荀文若じゅんぶんじゃく程立ていりつ(字を仲徳ちゅうとく)と言う人物に兗州えんしゅうの守備を任せた。

程仲徳は、長く立派な髭をたくわえた、身長が八尺三寸|(約191cm)もある巨漢きょかんである。
その見た目からは随分ずいぶんと腕っ節の強そうな人柄に見えるが、彼は知謀ちぼうけた軍略家であった。
彼は若い頃から不思議な夢を幾度も見ており、その夢について以前、文若に相談した事がある。
その夢とは、霊峰れいほう泰山たいざんに登り、両手で太陽を掲げる夢だと言う。
のちに、その夢の話を聞いた孟徳は「とても縁起の良い夢だ」と言って仲徳を重用し、仲徳は夢にちなんで名を“いく”と改めるのである。

彼らは陳公台の不穏ふおんな動きを警戒しており、彼が謀叛むほんを起こすのではないかと常に心配していた。
公台は、この度の徐州侵攻についてひどく落胆した様子を見せていたのである。

そんな折、文若の守る鄄城けんじょうへ陳留太守の張孟卓からの使者が訪れた。
使者の話しに依ると、陳留で反乱が起こり城の殆どが離反りはんしていると言う。
その為、呂布軍を援軍として迎え鄄城へ送るので、城へ入れて欲しいと言う事であった。

孟徳は徐州へ全兵力を向けていた為、守備の兵はわずかしか残されていない。
文若はこの話を鵜呑うのみにはせず、速やかに他の城と連絡を取り合い、濮陽の夏侯元譲かこうげんじょうを呼び寄せて連携れんけいを計った。

所が、元譲が濮陽を離れた事を察知した呂布軍は鄄城へは向かわず、真っ直ぐに濮陽を急襲し攻め落としてしまったのである。
実はこの時、張孟卓は既に兗州の城のほとんどを寝返らせる事に成功していた。
孟卓は名士めいしであり、声望せいぼうも高かった為、皆彼に従ったのである。

「陳公台殿が謀叛したのはまだしも、孟徳様の盟友めいゆうである陳留太守が裏切るとは…」
そう言って、文若は深い溜め息をく。

も角、俺は濮陽を救援に向かう。孟徳が戻るまで、持ちこたえてくれ…!」
鄄城には孟徳の家族がいる。何としても、呂奉先の兵を濮陽で押しとどめておかなければならない。

「呂奉先は歴戦れきせん猛者もさ。夏侯将軍、御油断ごゆだん無きよう…!」
「ああ、分かっている。」
元譲は心配げに見送る文若に大きくうなずき、兵を率いて濮陽へ引き返して行った。

しかし、奉先は元譲が濮陽へ引き返す事をあらかじめ予測しており、降伏をよそおった将を彼の元へ送り込んだ。
文若の不安は的中し、戦経験が少なく兵も寡兵かへいであった元譲はすべも無く、濮陽へ辿り着いた所で敵兵に捕縛ほばくされてしまったのである。
縄で縛られた元譲は、奉先の前に引きえられた。

張仲卓と共に寝返った許汜と王楷は、元譲が有能な将である事を知っている。
彼を生かして置けば後々厄介やっかいであると主張し、彼らは元譲を斬首しようとしたが、

「彼は人質ひとじちだ。手を出しては成らぬ…!」
奉先はそう言って、彼らの主張を退けた。

「養父の丁建陽を暗殺し、新たに主君となった董仲穎も殺した…今度は孟徳を裏切り、彼を殺すのか…?!」
縄に縛られた元譲は太々ふてぶてしく奉先を睨み付け、冷静な声色こわいろで問い掛ける。
奉先は彼を見下みくだす様な目付きで睨み返し、

「それがどうした?曹孟徳は、元々俺の主では無い…全力で叩き潰してやる…!」

そう答えると部下を振り返り、直ぐさま元譲を牢へ閉じ込めるよう命令した。

その頃、元譲が捕らえられた事で夏侯惇軍は大混乱におちいっていたが、部下の韓浩かんこう(字を元嗣げんし)が彼らをかっして軍をまとめ、ようやく落ち着きを取り戻していた。

その後、元嗣はわずかな手勢を率いて果敢かかんにも呂布軍に攻撃を仕掛けたのである。
元譲を人質に取っていた呂布軍は、曹操軍を脅して輜重しちょうや金品を要求していたが、彼らの思わぬ反撃を受けて総崩れとなり一旦濮陽まで撤退した。
元嗣は、更に猛烈に呂布軍の陣へ特攻とっこうし、遂に捕らわれた元譲の元まで辿り着いた。

元譲を人質に取った兵たちを前にした元嗣は怒りをあらわに彼らを怒鳴り付けたが、元譲を見ると泪を流し、

「夏侯将軍、我々は賊徒ぞくとを討ち果たさねば成りません…!」
そう言って、ただちに容赦無い攻撃命令を下した。
敵兵たちは慌てふためいて命乞いをしたが元嗣は許さず、敵兵たちをことごとく討ちたおした上、元譲をその場から救い出す事にも成功したのである。

果たして彼らの活躍により、兗州の城の殆どが敵に寝返った中、鄄城、東阿とうあはんの三城だけは屈する事が無かった。

徐州侵攻を諦め、兵を引いた曹孟徳が兗州に戻って来た。
鄄城で家族と荀文若に再開した彼は、反乱の経緯を聞かされると怒りに拳を震わせた。
やはり、反乱の首謀者は陳公台だったのである。

「公台が、我が盟友の孟卓をそそのかしたのか…!」

孟徳は強く歯噛みをしてうなり声を上げた。

「俺が迂闊うかつだったばかりに、濮陽を呂布軍に奪われてしまった…奴は全力で我々を叩き潰すと豪語ごうごしている…!」
元譲が神妙しんみょうな面持ちで孟徳にそう告げると、彼は蒼白そうはくになった顔を上げ深く眉間に皺を寄せる。


「…奉先が、俺をたおすだと…?!」


孟徳は込み上げる怒りの炎を燃やすかの如く、血走った目をいからせて虚空を睨み付けた。
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