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第八章 江東の小覇王と終焉の刻
第九十七話 青州黄巾軍
しおりを挟む季節は巡り、初夏の日差しが庭の草木を青々と照り付ける頃、長安にある王子師の屋敷に一人の訪問客が訪れた。
家人に客を広間へ案内させそこで対面した子師は、その人物を驚きの表情を以って迎えた。
彼の前に現れたのは、この季節に良く似合う唐紅色の鮮やかな着物を纏った、実に美しい女性であった。
「子師様、お久しぶりで御座います。お元気そうで何よりです。」
彼女はそう言って子師に深々と頭を下げる。
子師は苦笑を浮かべつつ礼を返しながら、必死に彼女の事を思い出そうとしていたが、幾ら考えても思い出せない。
「…申し訳無いが、わしは貴女に何処でお会いしたのか、思い出せぬのです…貴女の様な美しいお方を、忘れる筈は無いのですが…」
正直にそう答え、子師が首を捻って良く整えられた顎髭を撫でるのを見ると、彼女は目を細め着物の袖を口元に当てて、くすくすと笑った。
「雒陽に居た頃、とてもお世話になった者で御座います…私を、お忘れですか?」
「雒陽で…ですか…?」
それを聞いても尚、子師には思い当たる人物が浮かばない。
しかし、長い睫毛の下から覗く彼女の黒い大きな瞳を見詰め返した時、子師は漸く思い出した様に目を見開き、
「あ、あなたは…もしや…?!」
そう言って、思わず声を上擦らせた。
やがて彼女は微笑を浮かべたまま子師に膝を進め、静かに胸の前で拱手しながら答えた。
「私は…麗蘭、と申します。」
酸棗の連合軍の元を離れた曹孟徳は、一度郷里に戻った後、陳留郡へ向かい、そこで再び縁戚の夏侯氏の力を借りて英気を養う事にした。
孟徳が虎淵と共に帰郷した時、その報せを聞いて真っ先に城門まで駆け付けたのは、一番若い従弟の曹子廉であった。
子廉は孟徳の顔を見るや、顔をくしゃくしゃにして目に大粒の泪を浮かべると、彼の体を強く抱き抱え声を上げて泣いた。
「孟徳兄、無事で良かった…!汴水であんたを護ってやれなくて悪かった、許してくれ…っ!」
子廉と孟徳は、董卓軍の徐栄に汴水で敗走させられ、二人で河を渡って逃げる途中に逸れてしまったのである。
「そんな事は気にするな。こうして再び会えたのだから、それで良いではないか…!それより子廉、そろそろ降ろしてくれないか…?」
力強く抱き竦められた孟徳は、彼の背中に腕を回して震えるその背を優しく撫でたが、孟徳の足は完全に宙に浮いており、彼は子廉の腕の中で稍々苦しげに藻掻いた。
「ああ、悪かった…!」
慌てて彼の体を降ろし、子廉は鼻や目元を赤くしたまま笑い掛ける。
「孟徳、子廉はお前が生きて戻らなければ、自分も後を追って死ぬ覚悟をしていたのだぞ…」
声のする方を振り返って見ると、二人に歩み寄って来るのは最も年長の従兄、曹子孝である。
「良く生きて帰ったな…!」
そう言って、子孝は白い歯を見せ孟徳の肩を強く叩いた。
卞水での戦の後、彼らは再起を図って敗残兵を掻き集めたが、部隊は想像以上に深手を負っており、とても直ぐには立ち直る事が出来なかった。
「鮑韜と衛茲が…?!」
仲間たちから話しを聞いた孟徳は、震える声で言うと強く唇を噛み締めた。
共に出撃した済北相の鮑信は重症を負い、彼の弟、鮑韜と陳留太守張邈の配下であった衛茲が、その時共に戦死を遂げていた事を初めて知った。
仲間たちの死を、無駄には出来ない…!俺たちは、もっと強く成らねば…!
溢れる泪を堪え握った拳を小さく震わせた孟徳は、この時強く胸に誓ったのであった。
虎淵と共に酸棗から幼馴染みの鈴星を連れ帰っていた孟徳は、彼女を伴って父、曹巨高の元を訪れた。
彼女を迎え入れた巨高は、驚嘆を交えて孟徳の話しを聞いていたが、やがて彼女に向き直り深々と頭を下げた。
「我々の力不足で…お父上の事は、残念です。」
それを見た鈴星は、瞳から大粒の泪を零し、
「いいえ、曹様は父の為に尽力して下さいました…!心より感謝申し上げます。」
そう言ってその場に泣き崩れる。
孟徳は震える彼女の肩をそっと抱き寄せ、その背を優しく撫でた。
鈴星は皆に歓迎され、その後正式に孟徳の妻となったが、間もなく孟徳は陳留郡へ向かう事となり、再び二人は離れて暮らす事となってしまった。
「徐州へ…?」
「ああ、父上がお前も一緒に連れて行ってくれるそうだ。」
不安な面持ちの鈴星の手を取り、孟徳は彼女に優しく微笑み掛ける。
この頃、徐州は陶謙、字を恭祖と言う人物が治めており、土地は豊かで黄巾軍の侵攻も良く防いでいた為、戦乱を避けて徐州へ身を寄せる流民が多かった。
“降龍の谷”の住人たちの行方を密かに調査させた結果、彼らもまた徐州方面へ逃れて行った事が分かっており、徐州には玉白が居るかも知れないという期待があった。
「姉上と虎淵も一緒に行く事になっている。姉上は、初冬には出産も控えているし、お前が側に居てやれば心強いであろう。」
それから、孟徳は自分の懐を探って何かを取り出すと、それを鈴星の手に握らせた。
鈴星は訝しげに自分の掌を見下ろす。
「それは、今まで何度も俺の命を救ってくれた物だ…俺だと思って、持っていてくれ。」
「綺麗…」
彼女の掌の上には、鮮やかに輝く翡翠の首飾りが乗せられていた。
鈴星は目を細めて微笑むと、
「分かった。孟徳、わらわの事忘れないでいておくれ…!」
そう言って、彼の頬に柔らかい唇を押し当てた。
兗州陳留郡へ向かい、そこに駐屯して兵を鍛えていた孟徳の元へ、袁本初から一通の書簡が届けられた。
その内容とは、青州黄巾軍の討伐依頼である。
本初はその頃、幽州の公孫伯圭と河北で睨み合っていたが、その機に乗じて仲違いしていた義弟の袁公路や、青州、徐州の黄巾軍が本初の背後を脅かし始めていた。
今や彼の周りは敵だらけで、頼る相手は孟徳を措いて他には居なかった。
更に本初は、青州黄巾軍の討伐に向かってくれれば、彼を「東郡太守」に任命するとの約束を書き綴っている。
この時期、本来は朝廷に依って任命さられるべき官職を、朝廷の権威の届き難い地方では刺史が勝手に任命すると言う例が見られた。
以前、董仲穎が孟徳を「驍騎校尉」に任命しようとした事があったが、彼はそれを蹴って雒陽から逃亡した為、現状は無位無官である。
従って、足元の地盤を固める為にも東郡太守の地位は彼にとっては魅力的であった。
一方この頃、兗州刺史の劉岱もまた、兗州へ侵攻し猛威を振るっていた青州黄巾軍を放っては置けないと、黄巾軍の討伐を考えていた。
そこへ曹孟徳が東郡太守として派遣されて来ると、泰山郡の済北相鮑信も彼の援軍として駆け付け、共に強大な黄巾軍を前に敵対する意欲を見せた。
鮑信は、先の戦で弟の鮑韜を亡くし、自身も重症を負ったにも関わらず孟徳の出兵に呼応してくれたのである。
協議をする中、直ぐにでも黄巾討伐に向かおうとする劉岱に、孟徳は自重を促し、鮑信は籠城を献策したが、
「黄巾軍は数こそ多いが、所詮は烏合の衆。ここで怖じけては、敵に侮られ隙きを突かれるであろう…!」
そう言って、劉岱は彼らが止めるのも聞かず出撃し、敢え無く敵に討ち取られてしまった。
そこで、新たな兗州刺史に孟徳を推戴する為、陳公台が鮑信の同意を得て尽力し、別駕従事や治中従事らを説得して回ってくれたお陰で、孟徳が兗州刺史の座をそのまま継承する事となったのである。
青州黄巾軍はその数凡そ三十万とも言われ、僅か一万にも満たない彼らにとって、まともに当たって敵う相手では無い。
孟徳と鮑信は三十万もの黄巾軍を相手に如何に戦うかを入念に話し合い、ある時、共に作戦の為の下見に出向いた。
所が帰り掛け、彼らは予期せぬ奇襲に遭い、僅かな手勢で奮戦したが敵に完全に包囲されてしまった。
鮑信は敵の囲みを突破し脱出に成功したが、孟徳の姿を見失っていた。
味方の軍勢が到着すれば、何とか互角に渡り合えるはずである。
しかし彼は、
仲間の到着を待っていては、孟徳の命が危うい…!
そう思うと居ても立っても居られなくなり、再び敵の囲みの中へ飛び込んで行ったのであった。
孟徳は敵の包囲を突破しようと、群がる敵兵を斬り伏せながら走ったていたが、その数は増える一方である。
遂に行き場を失い、狭い山道に追い詰められてしまった。
「くそっ…ここまでか…!」
全身に創傷を負った体で、孟徳は死を覚悟した。
その時、孟徳に襲い掛かる敵兵を斬り伏せ、馬で彼の元へ駆け付けたのは鮑信であった。
彼は孟徳の腕を取り、素早く馬の背に乗せると再び敵の包囲を破って脱出を試みる。
しかし、包囲は更に重厚となっており、一頭の馬に二人が乗っては逃げ切れそうに無かった。
「孟徳…今、天は俺に選択を迫っている…!」
「え…?!」
不意に天を見上げた鮑信が呟くのを聞き、孟徳が彼に問い返そうとした瞬間、彼は素早く馬から飛び降りた。
「此処は俺が食い止める、お前は先に逃げろ!」
そう言うや、鮑信は自分の乗っていた馬の尻を強く叩き、突然体が軽くなった馬は勢い良く走り出した。
「允誠!!」
孟徳は振り返って彼の字を叫んだが、その姿は忽ち遠ざかって行く。
「俺には、弟が待っている…天下を治め、太平を齎すのがお前の役目だぞ。忘れるな、曹孟徳…!!」
鮑信は振り返らず言うと腰の剣を抜き放ち、目を瞋らせて群がる敵に斬り掛かって行った。
窮地を脱した孟徳は無事に仲間の軍勢と合流し、その後、敵の部隊を撃退する事に成功したが、鮑信の姿を最後に見た戦場で再び彼を見付け出す事は遂に出来なかった。
允誠は、俺にとって誠の友であった…!
再び大切な仲間を失ってしまった孟徳は、夕暮れの戦場に佇み泪を流して彼の死を悼んだが、悲しみに暮れている暇は無い。
勢いに乗った青州黄巾軍は、兗州の城を次々に陥落させ、その数は百万にまで迫っていたのである。
残った仲間たちと黄巾討伐について再び話し合ったが、仲間たちは皆一様に表情を曇らせた。
そんな中、ただ一人余裕の表情を浮かべて聞いている者があり、孟徳はそんな彼を訝しげな眼差しで見詰めた。
それは涼し気な目元をした爽やかな美男子で、つい最近、袁本初に見切りを付け孟徳の元へやって来たばかりの若者である。
「お前には、何か策が有るのか?」
孟徳の問いに、俄に口角を上げ白い歯を見せると、
「戦わずして勝てば良いのです。」
そう言って、彼は爽やかに微笑した。
その人物の名は荀彧、字を文若と言った。
孟徳は文若に微笑を返すと、
「我が子房よ、お前の意見を聞こう…!」
と、その場の空気を一掃する様な明るい声色でそう言い放った。
“子房”とは、漢の高祖劉邦に仕え、共に劉邦の覇業を助けた蕭何、韓信と並び称される三傑の一人、張良の字である。
彼の言う「戦わずして勝つ」とは、春秋時代の軍事思想家、孫武に依って作られた兵法書“孫氏”の一節であった。
“ 百戦百勝、非善之善者也。 不戦而屈人之兵、善之善者也。”
『百戦百勝は、善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。』
孫氏の兵法については、孟徳も良く熟知している。
“孫氏”より以前、戦の勝敗は「天運」に依る物との考えが強かったが、孫武は人為的な戦略に依る物と考え、戦を徹底的に分析し、勝利を得る為の指針を理論化した指南書を作り上げたのである。
「戦わずして勝つとは、相手を降伏させよと言う事か?先ず相手に降伏を促す場合、こちら側が優位でなければ成らぬのでは無いか?」
「確かにその通りです。しかし、必ずしもそうでしょか?」
孟徳の問いに、文若は更に疑問を投げ掛ける。
実は数日前、黄巾側から孟徳の元へ降伏勧告とも取れる書簡が送られて来ていた。
『以前、済南の相であった時、貴方は行き過ぎた宗教を禁じ、祭祀の為の祠や神壇を破壊した事があったが、それは我々の奉ずる“中黄太一道”と同じ志しを持つ者の行いであった。今、漢王朝の命運は已に尽きており、黄家が立つ事が必然であるのに、何故それを妨げ天命に逆らおうとするのか。』
といった内容である。
「黄巾軍は圧倒的な兵力を持ち、我々を撃ち破る事は容易いでしょう。しかし我々に降伏を促すのは、何故だとお考えになりますか?」
「それは、これ以上の戦いが無意味だと言いたいからだろう。」
「勿論、それも有るでしょうが、この文面を見る限り、黄巾軍は孟徳殿に対して悪い印象を抱いておらぬと察するのです。」
文若はそこまで言うと、不意に孟徳に向かって拱手し、
「孟徳殿、どうぞ私を信じ、この文若を伝達の使者として黄巾軍にお送り下さいますよう…!」
広間に響き渡る声でそう言うと、その場の全員が瞠目して彼を注視した。
孟徳も同じ様に彼を見詰めたが、やがて目を細めて微笑を浮かべると、
「良いだろう。お前の知謀、存分に見せてみよ…!」
そう言って、彼に大きく頷いて見せた。
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