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第二章 飛躍の刻と絶望の間

第二十七話 赤い月夜

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衛賢えいけんの屋敷から、大量の金銀財宝を持ち出した三人は、三日程掛かって、呂興りょこう将軍の待つ城邑へ戻って来た。

「奴には、女房と四人の子供がいた筈だ…全員、始末したか?」

将軍は財宝の入った甕を眺めながら、三人に問い掛けた。

「いえ…あの屋敷には、居ませんでした…」
管狼が戸惑い気味に答えると、将軍は目を上げて彼らを睨んだ。

「全員を見付け出し、皆殺しにせよ…!」

「そこまでする必要が…?」

将軍は振り返ると、不満を抱いた表情で立っている奉先の目前に迫り、鋭く睨みつけた。

「今はまだ幼い子供だが、やがて大人になり、父のかたきを討とうとするだろう…災いの芽は、早い内に摘まねば成らぬ…!」

奉先は黙ったまま、将軍の鋭い眼光を睨み返す。

「お前は、まだ豎子じゅしに過ぎぬゆえ、理解出来ぬかも知れぬが…その甘さが、自らの首を絞める事になるのだ…!」

確かに、将軍の言う事には一理ある。
しかし、幼い子供を手に掛けるというのは、情のある人間にとっては難しい。
そもそも、人を殺す事に何の痛みも感じなくなっては、人とは呼べない。ただの獣である。

奉先は言い返したかったが、将軍が自分の言葉に耳を貸すとは思えない。
そのまま押し黙り、素早く将軍に背を向けると、部屋を出て行こうとした。

「おい!まだ話は終わっておらぬぞ…!奉先…!」

将軍の怒鳴り声が背後から聞こえたが、引き返す気にはなれなかった。



「にゃあ…」

はくが奉先の膝に乗りながら、喉を鳴らして体を擦り寄せる。
奉先は、物憂ものうげな眼差しで白の頭を撫でながら、じゃれつく白の姿を見詰めていた。

同じ部屋で、その様子を見ていた陵牙りょうがが、心配そうに声を掛けて来る。
「随分と、浮かない顔をしているな…何かあったのか?」

「……俺は、まだ人と呼べるか…?」

陵牙は怪訝けげんな顔で、奉先の顔を覗き込んだ。
「ああ、まあ…犬や猫では無いな。」

「俺は…今まで、何人もの人の命を奪って来た…彼らには、妻や子があったかも知れない…そういった者たちの恨みや、怒り、悲しみは何処へ向かうのであろうか…?」

奉先は、ぼんやりと虚空こくうを見詰め、誰に言うともなく呟いている。

「…俺は、いずれ殺された者たちの魂によって、復讐される日が来るのだろうな…」

「余り、考え過ぎては駄目だ…!相手をらなければ、こっちがられる…!そういうものだろう、いくさというのは…!」
陵牙は語気を強め、奉先に言い聞かせる様に言った。

「陵牙…お前は案外、たくましいのだな…」
奉先は陵牙を見上げ、そう言ってうつろに笑った。



数日後、再び将軍から呼び出された奉先は、屋敷の前まで来ていた。
門の前に、管狼と李月の二人が立っている。

その日の二人には、今までより親しげな雰囲気があった。
特に管狼は、奉先に向かって笑顔を投げ掛ける。

「良く来たな、将軍が居室きょしつでお待ちだ。早く行け。」

居室で対面した将軍は、珍しく酒に酔ってはいない様子であった。
奉先の姿を見ると、微笑を浮かべ、側へ近寄って来る。

「先日の事は、わしが悪かった…お前が、まだ子供だという事を、考慮してやるべきであったな…」
そう言いながら、奉先の両肩に手を乗せた。

「いえ…俺の方こそ、兄上に対して不遜な態度を取った事を、お詫びせねばなりません…」
奉先は頭を下げ、将軍に拱手する。

「何、気にする事は無い。わしとお前は義兄弟だ…!実はあの後、管狼と李月からお前の話を聞いた…二人共お前の事を見直していたぞ。特に管狼は、お前に命を救われたと申しておった。」

それで、管狼はあの様に態度が変わったという訳か…

「お前を義兄弟とした事を、あの二人はようやく理解してくれた様だ。」

「それは、何よりです…」

将軍は、嬉しそうに笑顔で奉先の肩を叩き、奉先も微笑を返したが、内心、将軍の態度の変貌へんぼう振りを怪しんだ。

何か裏が有りそうだ…

奉先は目でそう言っている。
その目を見詰め返す将軍は、口元に笑みを浮かべ、今度は奉先の肩を優しく撫で下ろす。

「仲直りと行こう…実は、今一度いまいちどお前に仕事を頼みたい。引き受けてくれるか?」

やはり…と言わんばかりに、奉先の目元は険しくなった。
将軍は笑貌しょうぼうを崩さぬまま、暫し彼の返事を待っていたが、黙ったまま答えぬので、多少の苛立ちを目元に現した。

「その男は、女子供を食い物にする下郎の輩だ…しかも、かなりの手練てだれであるから、お前でなければ倒せぬ…!引き受けてくれるな…?」

「………」

相変わらず黙したままの奉先は、険しい表情で将軍を見詰めている。

「何だ、褒美が欲しいのか?金なら、幾らでもやる…!」
「金など、欲しくは有りません…殺しの仕事は、これで最後にして貰いたい…!」

漸く口を開いた奉先は、語気を険しくしてそう言った。

「良かろう…お前の望み通りにしてやる…」
不満気ではあったが、将軍は一応納得して見せ、その後、再び笑顔に戻った。

「仲直りの、祝杯を挙げようではないか…!」

そう言って奉先の肩を抱き、敷物の上に座らせると、室外に控えた美しいしょうを呼び寄せ、酒をがせた。
奉先は浮かない眼差しのまま、陽気に振る舞う将軍と、夜まで杯を交わした。



翌日の夕刻、管狼と李月に案内され、その男が隠れ住んでいるという家へ向かった。

「男は、かなり用心深い奴で、用事がある時以外、殆ど外を出歩く事をしない。今も、家の中にいる筈だ…もう少し、暗くなってから侵入しよう。」
管狼がそう言い、向かいの建物に身を潜めた彼らは、そこから暫く男の家の様子を伺った。

やがて日が完全に落ち、辺りに暗闇が迫ったが、男の家に明かりが灯る事は無い。

「誰も、居ないのではないか…?」
「そんな筈は無い…良し、行ってみようではないか…!」

いぶかしがる奉先の肩を叩き、管狼は小さく言うと、李月に見張っているよう伝え、奉先を連れて男の家の方へ走った。

裏口の戸を開け、二人は中を覗く。
その日、月は異常な程に赤く輝いていた。
差し込む月の光りも、ほのかに赤く染まっている。

家の中はしんと静まり返っており、人の気配は全く無い。

「わしは、ここで見張っている。用心しろよ…奴は何処かに隠れているのかも知れぬ…!」
管狼が小声で奉先に呼び掛けると、奉先は黙って頷き、腰の宝剣に手を掛けながら、家の中へ静かに入って行った。

家の中は、ひどく殺風景である。
男の姿が何処にも無い所か、人が暮らしているという、生活感が全く見受けられない。
奉先には、始めから嫌な予感が付きまとっていた。

これは…

やがて嫌な予感は、確信に変わって行く。

罠か…!!

そう思った時、背後を何者かの影が走った。
素早く振り向き、奉先は腰から剣を抜き放った。

暗がりの中で、部屋を仕切る何枚ものすだれが揺れている。

何処だ…!

敵は、素早く彼の左側へ移動し、再び背後へ回ろうとしているらしい。

真後ろへ来た、と感じた瞬間、奉先は振り返り様に剣を振り下ろし、そこに立つ人影を、簾もろとも斬り裂いた。

斬り裂かれた簾が、奉先の足元にはらりと落ちる。
そこに立つ者の姿が、暗がりの中、赤い月の光りで照らし出された時、奉先は我が目を疑った。

立っていたのは、まだ年端としはも行かぬ、幼い童子であった。

その童子は、大きな瞳を上げて奉先を見上げている。
やがて、斬り裂かれた童子の着物が、真っ赤な鮮血に染まり、口から大量の血を吐き出すと、その場に崩れ落ちた。

「おい…!」
奉先は咄嗟に、右腕で倒れ掛かる童子の体を受け止めた。
童子は何かを言おうと口を動かしていたが、聞き取る事は出来ない。

やがて全身から力が抜け、童子の体はぐったりとして動かなくなった。

何故…!?何故こんな事に…!?

奉先の頭の中は錯乱した。
そこへ、異変に気付いた管狼が飛び込んで来る。

「何があった!?その童子は、どうした…?」
「…分からぬ…俺が、斬ったらしい…」

奉先は、絶命した童子を抱えたまま、暗闇に項垂うなだれている。
管狼は走り寄ると、腕から童子を引き離し、呆然とする奉先の肩を強く引っ張って立ち上がらせた。

「とにかく、もう行くぞ…!計画は失敗だ…将軍へ報告に行こう…!」

そう言うと、無理矢理引きずる様にして、その家から奉先を連れ出した。



そこから、どうやって将軍の屋敷へ辿り着いたのかさえ覚えていない。
気付いた時には、衣服や両手は血塗ちまみれれのまま、将軍の待つ居室の前に立っていた。

「どうだ?上手うまったか?」
焦燥しょうそうしながら、室内へ入って来る奉先をいぶかる様に、将軍が問い掛けた。

「…いえ、あの家に、男は居なかった…!」

奉先は落ち着き無く、床に胡座あぐらをかいて座っている将軍の前を歩き回っている。

「少し、落ち着いてはどうだ…?」
将軍はそう言いながら、自分の前の座席を指差す。

「何故、こうなったのか…分からない…!あそこには、童子しか居なかった…!」

「それで…?その童子を、お前は斬ったのか…?」

「暗がりで…良く見えなかった…!」
奉先は声を震わせて言うと、血に染まった手で自分の頭を抱えた。

「まあ、落ち着け…お前はきちんと、役目を果たしたではないか…!」

将軍のその言葉に、奉先は顔を上げ、振り返った。

「それは…どういう意味です…?」

「お前がる相手は、始めからその童子だったのだ…あれは、死んだ衛賢えいけんの息子よ。お前がらずとも、どの道命は無かった…」

冷めた目付きで、将軍はそう言った。
奉先には何の事か、一瞬では理解出来なかったが、やがて全身から一気に血の気が引くのを感じた。

自分は、まんまとめられたのだ。
愕然がくぜんとその場に立ち尽くす奉先の背後から、管狼と李月が入って来る。

「お前たち…始めから、知っていたのだな…?」
奉先は鋭く二人を睨み付ける。

「わしらは…ただ、お前を必ず一人で行かせろと言われただけだ…こんな事になるとは、知らされていなかった…」
管狼は、奉先から目を逸らし、俯きながら答えた。
彼は、嘘を言っていない様である。

奉先は、赤い目を上げて、今度は目の前に座る将軍を睨み付けた。

「俺に…わざと、童子を斬らせたのか…!?」

全身から怒りが込み上げて来る。
やがて、目を伏せた奉先は怒りに震え、まぶたを上げると同時に、左手で素早く腰の剣把けんぱを掴んだ。

その瞬間、管狼が走り寄り、奉先の腕を掴んで押さえ付ける。
せ…!」
背後から李月も掴み掛かり、あらがう奉先を羽交い締めにした。

それを見た将軍は素早く立ち上がり、奉先の目前に迫ると、彼の髪を鷲掴わしづかみにして首を上げさせた。

「貴様、何様の積もりだ…!ただの人殺しの分際で、わしに刃向かうとは…!」

「違う!俺は、人殺しでは無い…!」

取り押さえようとする、管狼と李月を振りほどこうと、奉先はもがいた。

「以前、趙泌ちょうひつという小男を殺せと命令した時、お前は、連れの小娘を逃がしたな…!その事に、わしは目をつぶってやったのに、それで聖人にでもなった気か!?良い気になるのでは無い…!」

奉先は憤然ふんぜんとし、赤い目をいからせて将軍を睨み付けたが、その姿を、将軍はただ冷淡に睨み返すだけである。

呼吸は乱れ、息をするのも苦しくなって来た。
次第に全身から、あらがう力が失われて行く。

「今まで、何人の人間をその手に掛けて来た…?その癖、童子一人殺せぬとは、笑止…!わしは、お前のその弱さを、克服させてやったのだ…!」

自分でも、訳が分からなくなって来た。
今まで自分は、何の為に剣を振って来たのか…?誰かをまもる為では無かったか…?

人を殺す為に、自分は生きているのか…!?

やり場の無い怒りと、悲しみが、強く胸を締め付ける。
奉先は遂に、その場に膝を屈し、頭を深く項垂うなだれた。

「そいつを、地下牢へ閉じ込めておけ…!反省し、わしに許しを請うまで決して出しては成らぬ…!」

将軍がそう言い捨てると、管狼と李月は奉先を立ち上がらせ、強引に部屋の外へ引っ張って行った。
それを冷ややかな眼差しで見送った将軍は、小さく舌打ちをしながら、窓の外から覗く赤い月を見上げた。



はくが小さな鳴き声を上げながら、部屋の入り口に爪を立て、かりかりと引っ掻いている。

「白、どうした?外へ出たいのか…?」
陵牙が近寄ると、にゃあ…と小さく鳴いて、大きな瞳で見上げる。

「仕方が無いなぁ…俺は、動物が苦手だって言うのに…」

陵牙は小さく溜め息を吐きながら、白の小さな体を、恐る恐る抱き上げ、兵舎から外へ出た。

夜風はまだ冷たく、肌を刺す様な寒さである。
陵牙は、白を腕に抱き、冷たい夜空に浮かぶ赤い月を見上げた。

「今宵の月は、何だか気持ちが悪い…それにしても、お前のあるじは遅いな…」

そう呟いて、白の小さな頭を撫でた。


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