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第6話『見えない月、明けない夜』
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6-1
まるで水の中にでもいるみたいに、目に映るものすべてがグニャリと歪んでいた。真っ直ぐ歩くことも難しく、ガードフェンスや時には道路標識に掴まりながらなんとか歩き続ける。
すれ違う人がこちらを指差しながら笑っていた。大の男が必死になって歩いているのがそんなにおもしろいか? そう言ってやりたかったけれど、今は声を出すことさえも辛かった。
この足を止めたくない。目的地があるわけじゃないが、それでも歩き続けていたい。歩みを止めてしまえばきっと、自分はそこから永遠に動けなくなってしまうから。そんな予感が身体を突き動かしていたけれど、ついに限界を迎えて垣内正剛はコンクリートの上に倒れ込む。そしてその瞬間に胃のムカムカがグッと強くなり、堪えきれず軒下に嘔吐した。
なんて情けないのだろう。吐いたものの臭いと口の中のなんとも言えない気持ち悪さを感じながら、正剛はそう自嘲した。アルコールに対する自分の限界などちゃんとわかっていたし、酒を飲み進めているうちに身体が警告を送り始めていたことも理解していた。けれど――それでもこうなるまで飲まずにはいられなかった。
この日正剛は大事にしていたものをすべて失くした。いや、すべてというのは大袈裟だろうか。職は失くしてないし、住む家も残っている。けれど――その家の中は空っぽだ。自分が大事にしていた家族はもう、あの家にはいない。
半年ほど前、妻の浮気が発覚した。しかも妻自らにそれを告げられ、混乱しているうちに離婚届を突き付けられたのだ。
浮気相手と一緒になりたいから……そんな理由到底納得できるわけもなく、断固として離婚を拒否してきたけれど、夫婦間の不和が原因で一人息子がストレス性の蕁麻疹を度々出すようになり、これ以上一緒にいることはこの子のためによくないと判断して、正剛も渋々離婚に同意したのだ。
そして今日、その離婚が正式に調停した。妻側の浮気が原因での離婚だから、息子の親権は当然こちらに与えられるものだと信じて疑わなかったのに、まだ幼く、母親の存在が必要不可欠という理由で結局それもまた奪われてしまった。
息子のことはもちろんのこと、妻のことだって大事にしていたつもりだ。家庭のために身を粉にして働いたし、家事や育児にも積極的に関わってきた。それでも自分は妻に捨てられ、息子まで連れて行かれてしまった。
なんて理不尽なんだろう。百歩譲って自分に何か至らない点があったならまだしも、他の男を好きになったからという理由でどうしてすべてを奪われないといけないのだろう?
怒りや不満、疑問や消化不良感は尽きるところを知らないが、それでも決まってしまったものはもうどうしようもない。どれだけ正剛が嘆こうが、家族を取り戻すことはもうできないのだから。
(こんな情けない姿や事情を父さんに晒さなくて済むのがせめてもの救いだ……)
すい臓がんを患っていた父は、二年と少しの闘病の末亡くなった。それが約一年前の話である。孫の顔はなんとか見せることができたものの、それで安堵してしまったのか見る見るうちに弱っていき、最後は静かに息を引き取った。
母を亡くした経験から、父を亡くすときもきっと自分はまた嘆き悲しむのだろうと想像していたけれど、そのときが来ても正剛が塞ぎ込むようなことはなかった。それは息子や妻といった守るべきものがあったからで、強くあらねばという頑なな信念のようなものが支えとなったのだ。
だけど今はもう、それもない。本当に何もないんだなと思いつつ、ガードフェンスに背をもたれさせる。
今はアルコールのおかげで身体が暖まっているからわからないが、確か今夜は冷え込む予定だったはずだ。このままここに座っていればきっと凍死してしまうだろう。
(まあそれならそれでいい……)
ここで自分が死んだって誰が悲しんでくれるわけでもない。生きていたって何か楽しいことがあるわけでもない。ならこのまま死んでしまおうかと、相変わらず捻じれた世界を映し出していた目をそっと閉じる。
死んだら両親に会えるだろうか? 正剛のことを優しく迎え入れてくれるだろうか? それとも来るのがまだ早いと言って怒られるだろうか?
(俺はどっちでも構わないよ……)
会いたい。二人の顔を見たい。二人に甘えていたい。だけど正剛が今本当に会いたいのは――
『剛』
記憶の中の、あのときと姿かたちが変わらない彼が優しい声で名前を呼ぶ。正剛も彼の名前を呼んで、その身体に触れようと手を伸ばした。だけどその手に掴むことができたのは、切ないほどに冷たい、冬夜の空気だけだった。
◆◆◆
「なあ、剛」
「どうした?」
「男同士ってさ、結婚できないじゃん?」
「まあこの国の制度ではそうだな」
「前まではさ、それでも全然困らねえって思ってたけど、なんか今は結婚できたらいいのにって思うわ」
「なぜ?」
「この間ネットで見たんだけどよ、同性のカップルって片方が死んだとき、親族じゃねえからって死に目に立ち会わせてもらえなかったり、保険の受取人になれなかったり、いろいろ不便なことがあるらしいぜ? そういうのってなんか寂しいよな……」
「言われてみると確かにそうだな……。しかしなぜ急にそんなことを思ったんだ? そんな真面目なことを考えるような質じゃないだろうに」
「失礼だな! 俺だってたまには哲学するんだよ!」
「哲学ね……浩平とは一番遠い言葉だな」
「てめえ……泣かす!」
「うわっ!? 馬鹿っ、やめろっ! ズボン脱がそうとするんじゃないっ!」
「うるせえとっとチンポ出せよこの童貞インポ野郎!」
「俺はどちらでもないぞ!?」
◆◆◆
懐かしい日の思い出が、まるで映画のワンシーンのように夢の中で再生された。遠い昔――というほど年月は経っていないが、もうずいぶんと昔のことに思える、幸せな日々の記憶。結婚して子どもができて、それなりに満たされた日を送っていたつもりになっていたけれど、やっぱりあの頃の幸せに勝るものなどないのだと、目覚めて間もない朦朧とした意識の中で改めて思い知らされる。
開いた瞳が無機質な天井を捉える。ここは……自分の家の寝室じゃない。酔いつぶれて道端に倒れ込んだところまではかろうじて覚えているが、それからどうなったというのだろう?
(まったく思い出せん……)
酔いはだいぶましになったような気がするが、頭痛がひどい。それを堪えながら身体を起こせば掛けられていた布団が滑り落ちる。
辺りを見回すと、常夜灯に照らされたそこは飾り気のない五帖くらいの部屋だった。小さなクローゼットの他に家具らしい家具はなく、正剛が横たわるベッド以外には生活感があまり感じられない。
(ここはどこなんだ……?)
親切な誰かが倒れた正剛を部屋に連れ帰ってくれたのだろうか? さすがにまったくの赤の他人がそれをしてくれるとは思えないので、きっと偶然知り合いが通りかかったのだろう。職場の後輩だったりしたら気まずいなと思いつつ、頭痛を堪えきれなくなって再び枕に頭を預ける。
(別に連れ帰ってくれなくても、放っておけばよかったものを……。あのまま死ねたら楽だったのに……)
すべてを失くした正剛に、生きる意味や希望は見出せそうにない。仕事にやり甲斐を感じていたわけじゃないし、何か打ち込めるような趣味を持っていたわけでもなかった。心の支えとなっていた家族を一人残さず失くしてしまった正剛に、果たして生きていく意味なんてあるのだろうか?
あのまま死んでいれば、こんなふうにまたグルグルと悩んだり、落ち込んだりすることもなかった。親切に介抱してくれた人には悪いが、その親切心が今は少し恨めしい。
そんなことを考えていると、ふいに部屋のドアが開く。入ってきたのが男だということはシルエットですぐにわかったが、常夜灯の元では顔立ちがよくわからない。
「お、目ー覚めてんじゃん」
そう言った声は、正剛の聞き覚えのあるものだった。男らしく低いトーンだが、発音がはっきりとしていて聞き取りやすく、どこか自信を窺わせるような声。この声で笑うのも、怒るのも、からかうのも、悲しむのも、喘ぐのも、高三のときはよく聞いていた。今ではもう夢か妄想の中でしか聞くことの叶わなくなった、大好きな人の声。それとまったく同じ声が正剛に降り注いでくる。
胸が強く脈打った。一気に鼓動が速くなり、目がチカチカするような変な感情が身体の奥底からぶわっと溢れ出してくる。
常夜灯が一度消えたかと思うと、今度は部屋の中がパーッと明るくなった。照明の元に佇む彼の頭は坊主で、整った眉の下の切れ長の瞳がこちらを無遠慮に見下ろしている。その瞳に滲む感情は、決して敵意のあるそれじゃない。
「浩平……」
「久しぶりだな、剛。全然変わってねえからすぐにわかったぜ」
そう言って彼――正剛がかつて愛した男は、ベッドの淵に腰かけた。
夢でも見てるんだろうか? もう会えないと――会うことなど許されないと思っていた人が、目の前にいる。目の前にいて、普通に話しかけてくれる。泣きたくなるような嬉しさが沸き上がってくるが、瞳をギュッと閉じて涙が零れてしまうのをなんとか堪えた。
「マジでビビったよ。道歩いてたら剛が倒れてるんだもん。さすがにほっとけなくて俺ん家連れて帰ったんだけど、別によかっただろ?」
「あ、ああ……むしろすごく助かった。ありがとう」
「いいってことよ」
浩平は柔らかく笑った。笑った顔は最後に見たときよりも少し大人びてはいるものの、劇的な変化は見られない。よく考えればまだ三年ほどしか経っていないから、そんなものなのかもしれない。
(浩平、俺に笑ってくれるんだな……)
あんなひどい仕打ちを与えたのに、浩平はまるで何もなかったみたいに――仲違いする前のように親しく接してくれる。それが嬉しくて溜まらない気持ちにさせられたけど、顔に出せば気味悪がられそうな気がしたので表情筋に力を入れてやり過ごす。
「気分はどうだよ? 道で拾ったときはずいぶんとまあひどい状態だったみたいだけど」
「……頭が痛い」
「オッケー。じゃあ頭痛薬やるから飲んで少し寝とけ」
スッと立ち上がった浩平のフリースの裾を、正剛は慌てて掴んだ。
「行かないでくれっ」
離れたくない。そばにいてほしい。そんな思いが正剛の身体を突き動かしていた。
「ちょっと隣に薬取りに行くだけで、すぐ戻って来るって。そんな迷子のガキみたいな顔すんなよ。な?」
フリースを掴んでいた手をそっと引き剥がされる。それ以上面倒に思われたくなくて、もう一度手を伸ばすことはできなかった。
浩平にもらった薬を飲むと、三十分ほどで頭痛が少しマシになり始めた。ちょうどそのタイミングで家事を終えた浩平がまた寝室に戻ってきて、さっきと同じようにベッドの淵に腰かける。正剛も寝て話すのも変だと思って、起き上がってその隣に座った。
「結局寝なかったのかよ?」
「ああ……だが頭痛はだいぶましになった。薬のおかげだ」
「そりゃよかった。ホント久しぶりだよな、剛。今この辺に住んでんのか?」
「いや、家は県境のほうだ。今日は飲みに来ていて……」
「酒弱いのか? 相当べろんべろんだったよな、あんた」
「弱くはない。けど今日はかなり飲んだからあんなことに……」
家族を失ってしまったことの辛さと孤独を紛らわそうと、正剛は飲み屋で尋常じゃないほどの量の酒を飲んだ。それで急性アルコール中毒になって死ぬのならそれでいいと割と本気で思っていたけれど、そうなる寸前に店から追い出されてしまった。
「なんか嫌なことでもあったのか?」
「実は……離婚したんだ」
え、と浩平は驚いたように目を瞠った。
「奥さんに浮気されて……浮気相手と一緒になりたいからと、離婚を突き付けられた」
「マジか……そりゃきっついな」
「せめて親権だけでもこちらのものにならないかと頑張ってはみたが、それも結局叶わなくて、子どもごと連れて行かれてしまったんだ」
「その女、なかなか最低だな。つーかそれで親権認められないって何? 裁判員……いや、弁護士? はアホなのか?」
「まだ幼くてな。母親の存在が必要だろうという判断らしい」
「なんだよそれ」
浩平はまるで自分のことみたいに怒った顔をする。
「浮気しときながら子どもも連れてくとかどういう神経してんだよ、その女! 俺が剛ならぶん殴って川にでも流しとくわ!」
「物騒だな……」
正剛も最初に浮気のことを聞かされたときは激しい怒りを覚えたけれど、そこから妻に対する愛情はどんどん薄れていって、最後にはどうでもよくなっていた。けれど子どもは可愛かったし、正剛によく懐いていたので親権をあちらに渡すことは最後まで納得できなかった。
「そういえば……親父さん、どうなっちゃったんだ?」
「ああ……一年ほど前に亡くなったよ。なんとか孫の顔を見せることはできたけどな」
「そっか、残念だったな……。俺、剛の親父さんめっちゃ好きだったぜ? カッコいいし、優しかったし……もう会えねえんだな~」
「葬式、呼ばなくてすまなかった。呼んでいいものなのかもわからなかったし……」
「そんなんいいって。今度線香上げに行かせろよ」
「ああ」
そういう言葉が出てくるということは、これをきっかけにまた友人同士の関係に戻ってくれるということなんだろうか? ひょっとして自分は許されているのだろうか? 浩平の態度を見ていると、そんな希望が心の奥底にしまっていた箱から溢れ出してしまいそうになる。
(いや、そんな簡単に許されるような話じゃないだろ……)
父親のためだったとはいえ、正剛が浩平にした行いは何度振り返っても最低と評することしかできないようなことだったはずだ。今はただ、浩平側が大人な対応をしてくれているだけなのかもしれない。
けど……元に戻れるチャンスや可能性が少しでもあるなら、それを逃したくない。途切れてしまった絆のようなものを、もう一度取り戻したいと思わずにはいられなかった。
もしも元の関係に戻りたいならちゃんと謝罪をして、ケジメを付けるところから始めなければならないだろう。このまま何事もなかったように元どおりになるなんて、そんな都合のいい展開あるわけがない。だからちゃんと自分から言わなければと、正剛は決心して口を開く。
「浩平、あのときのことなんだが……」
「その話はしたくねえ」
だが、決心は一瞬にして拒絶された。何も受け付けない、という強い意志を感じさせるほどに浩平の声は鋭さを帯びている。
「そんなことよりさ、今日泊ってくだろ?」
「あ、ああ……浩平がいいならそうさせてもらいたいが」
「なら宿代払ってけよ? あとここまで運んでやった手間賃もな」
「そ、そうだよな……」
宿代なんて、まるで友人関係に戻ることを拒絶されたみたいだ。そのことに軽くショックを覚えつつも、彼に迷惑をかけてしまっていることは事実なので、宿代の請求にも応じようと正剛はベッドのそばに置かれていた自分のバッグに手を伸ばす。
「いくら払えばいいだろうか?」
「いや、俺があんたに金なんか請求するわけねえじゃん。そこまで鬼じゃねえよ」
浩平は苦笑混じりに笑った。
「だったらどうすれば……」
「身体で払え」
「えっ……?」
「え、じゃねえよ。あんただってそれがどういう意味かわかるだろ?」
もちろんそれが何を意味するかは誰に聞かなくてもわかっている。だけど――信じられなかった。浩平を深く傷つけた自分がまた求められることになるなんて、想像もしていなかったことだ。それをしてもいいと思ってもらえるくらいにはやっぱり許されているのだろうか? わからない。目の前の男が何を考えているのか全然わからなくて、頭の中がグチャグチャしてくる。だけどそう――もう一度浩平と身体を重ねたいと、正剛自身が思っていることだけは確かだった。もう一度浩平に触れたい。三年も触れられなかったその身体に己を突き入れ、一つになりたい。
じわじわと、まるで湧き水のように情欲が湧き上がってくる。久々に覚えるその感覚に戸惑いながらも、そういえば昔浩平と遊んでいた頃はいつもこんな感じだったなと懐かしいような気持ちにもなった。
「わかった。俺はそれで構わない」
「よし、決まりだな。じゃあさっそく今からしようぜ? あ、けどよ――」
浩平が意味深に言葉を区切った。こちらを挑発するようなにやけ面を向けてきたかと思うと、台詞の続きを紡ぎ出す。
「俺今タチしかやってねーんだわ」
6-2
髪の毛の先から足のつま先まで正剛は丁寧に洗った。最後にさっき浩平に教わったやり方で身体の中も綺麗にし、バルスームを出て身体を拭く。
久々の浩平とのセックス。不純だと思いながらも、結婚生活を続けながら時々そのときのことを思い出し、自分で自分を慰めたのも決して一回や二回の話じゃない。もう永遠に訪れることがないと思っていたその機会が、今日こうして唐突に訪れた。
けれどポジションはあの頃とは違う。あの頃は常に自分が浩平に突き入れる側だったけれど、今日初めて浩平から受け入れる側になれと要求された。受け入れる側の経験はないし、正直後ろに異物を突っ込まれるなんて少し恐いような気持ちもあったけれど、断れば本当に浩平と身体を重ねる機会を逃してしまっていただろう。その上せっかく再会したこの縁すらも再び切れてしまうかもしれないと危惧して、その要求を飲み込んだのだ。
寝室に戻ると浩平は全裸でベッドに寝そべっていた。あの頃と変わらない、ボクサーのような引き締まった身体。他の男のそれには反応することがなかったのに、浩平のものというだけで下半身が熱を帯びてくる。
「剛、ちょっと身体だらしなくなったんじゃねえの?」
「うっ……結婚してから筋トレしなくなったから……」
「まあいいけどよ。ほら、隣来いよ」
狭いシングルベッドに遠慮がちに上がらせてもらえば、浩平の手が正剛の頬に触れてくる。こちらをじっと見つめる瞳には優しげな色が灯っていた。それを正剛も見つめ返しているうちに、唇と唇が重なる。
薄いけど柔らかい唇、巧みな舌の絡め方、そして鼻孔を掠める肌の匂い――懐かしいそれらが一気に押し寄せる。どうしようもなく相手を愛おしく思う気持ちを溢れさせながらキスに答えていると、浩平が正剛の上に乗っかってきた。
「重くねえか?」
「ああ、平気だ」
むしろその重みすらも愛おしい。懐かしさと一緒に全身を駆け巡るその気持ちに胸を熱くさせながら、浩平の背中に腕を回す。
キスの続きは、まるで離れていた時間を埋めるみたいに長い時間に渡った。それがふいに止んだかと思うと、浩平の舌が正剛の耳朶を責めてくる。恥ずかしいと思いながらも感じてしまって、自分のものとは思えないような甘ったるい声が零れた。
浩平の愛撫は顔に似合わず丁寧で優しい。けれど正剛が強く反応する部分は執拗に責め、何度も何度も喘がされる。特に乳首はどこよりもしつこく愛撫され、浩平の唇が離れる頃には赤く腫れ上がっていた。
「剛のチンポは相変わらずえげつねえな~……」
まだ触れてもいないのにすっかり大きくなっている正剛のそれを見ながら、浩平が言った。
「別れた奥さん、受け入れるのに苦労してたんじゃねえの?」
「確かに辛そうだったが……」
痛がるので結局根元まで全部挿入することは叶わなかった。最初から全部受け入れられていた浩平が特別だったんだと初めて知った瞬間でもあった。
「まあ今日は俺が受け入れるわけじゃねえからいいんだけどよ」
浩平の手がそこに触れる。やっぱりでけえわ、なんて言いながら、何の躊躇いもなさそうに舌を這わせた。根元のほうからゆっくりと上がってきて、亀頭と陰茎の間の溝を舌先でくすぐるように舐められる。そのまま亀頭全体を濡らされたかと思うとついに口の中に含まれ、頭の中が痺れるような快感がそこからせり上げてくる。
「ああっ……はぁ……」
男をよく知る浩平の口は巧みに正剛自身を責め上げ、堪らず甘ったるい声を零しながらその快感の虜にされる。離婚した元妻は口を使った愛撫を嫌がったので、こうしてしゃぶられるのも浩平にされたのが最後だった。美味そうに頬張る彼の顔に妙な色気を感じつつ、そういえば最初の頃はその顔を見る余裕すらなかったなと昔のことを思い出していた。
射精の気配を俄かに感じ始めたところで浩平の口から解放され、中途半端に放り出されたそこがビクンビクンと脈打っている。
「俺も浩平のしゃぶりたい……」
浩平がそうしてくれたように、正剛も浩平に尽くしてやりたい。そう思うのに、浩平は首を横に振って答えた。
「それはまたあとでな。それより先にこっち慣らさねえと」
膝を腹のほうにグイっと押し込まれ、後ろの双丘をやんわりと揉みしだかれる。いよいよそのときが来たのかと俄かに緊張を覚えながら、浩平に言われて自分の両膝を抱えた。
「ちゃんと綺麗に洗えたか?」
「た、たぶん……」
「そっか。じゃあ指挿れてくから、力抜いてろよ?」
「ああ……」
何か温かいものが尻の谷間に垂らされる。たぶんローションだ。浩平はそれを指で正剛の入口に塗り広げ、優しくそこを圧迫してくる。
「おい、力入れんなよ。指が入んねえだろうが。あと自分がいてえだけだぜ?」
「そう言われてもっ……」
「ゆっくり息すりゃいいんだよ。とにかく息止めるな」
言われたとおりにゆっくり呼吸を繰り返していると、浩平の指がついに正剛の中に侵入してくる。痛くはないが気持ちよくもない。入ってきた異物に対して拒否反応を示すように全身が鳥肌立ったが、そんなのお構いなしに浩平は指を埋めてくる。
「よし、全部入ったぜ。一本なら余裕だろ?」
「余裕ではないがっ……」
「けど思ったよりきつい感じはないぜ? ひょっとして風呂場で慣らしたとか?」
「そんなことしてないっ」
というか恐くて自分じゃとてもそんなことできない。
「まあいいや。とりあえず無事入ったことだし、開発していきますかな」
「開発って……たぶん俺のそこは感じないと思うぞ? 今も正直不快感がある」
「最初はみんなそんなもんだよ。この俺だってそうだったんだからな」
「信じられん……」
浩平はそこを突くといつだって気持ちよさそうに喘いでいた。自分から跨り、腰を振り、もっと、もっとと正剛に強請って最後はいつも後ろだけでイっていた。そんな天性のド淫乱が最初は苦労していたなんてとても信じられない。
「大丈夫だって。剛のこと、ちゃんと気持ちよくしてやるから」
優しく笑った浩平の顔を、やっぱり男前だなと思いながらつい見惚れる。だけど意識はすぐに正剛の中で動き出した指のほうに持っていかれ、見惚れているどころではなくなった。
何かを探るように細かく動くのがなかなか気持ち悪くて、喘ぎじゃなくて下品な呻きが零れてしまいそうだ。それを懸命に堪えつつ、なんとかそれを誤魔化せないだろうかと別のことを考えてみたりしたけれど、それでもやっぱり不快感は無視できない。さっきまで元気いっぱいだった正剛自身も少し硬さを失っていた。
もうこれ以上はやめてくれと頼もうか? せっかく巡ってきたチャンスをふいにしてしまうのは残念だが、これ以上我慢が続くとは自分でも思えない。そう思って身体を起こそうとした瞬間――
「あっ……!」
まるで背筋を電流が駆け抜けたかと錯覚するような強い快感が、浩平の指を受け入れた場所から発生した。
「へえ、剛はここが感じるんだ~」
悪代官のような意地の悪い笑みを浮かべながら、浩平が同じ場所に触れてくる。するとさっきまで不快に感じていたのが嘘みたいに、下っ腹がじんわりと熱くなっていくような快感が連続して押し寄せる。
(なんだ、これっ……)
浩平がそこを刺激するたび射精感のようなものが込み上げ、すっかり萎えてしまっていた性器がグングンとまた硬さを取り戻していく。しまいには先走りまで溢れ始め、いやらしい銀糸を正剛の腹の上に垂らしていた。
「あっ、ああっ……」
気持ちいい。けど射精しそうでできないのがなんだかもどかしい。もういっそ自分で扱いてしまおうかと手を伸ばしたが、浩平に掴まれて阻止された。
「今日は自分で触るの禁止な」
「ど、どうしてっ」
「あんたをケツにチンポハメられねえとイけねえ身体にしてやりてえから」
「なんでそんなっ」
「別に悪いことじゃねえだろ? ケツでイけるなんて最高に気持ちいいことなんだぜ?」
後ろを暴く指の数が増やされ、そこがどんどん広がっていくのが自分でもわかる。そしてどんどん気持ちよくなってしまっている。女のようにされることに抵抗を覚える反面で、もっとそこで感じたいと思う淫らな気持ちが正剛の中に漂い始めていた。
「よし、こんなもんでいいだろ」
中を弄っていた指が引き抜かれ、浩平が膝立ちになる。正剛の身体を跨ぐようにして前進してくると、腰を突き出して半勃ちのそれを口元に押し当ててくる。
「ほら、剛が欲しがってた俺のチンポだぜ? しっかり奉仕してくれよな?」
初めてこれを咥えろと言われたときは、まだ少し抵抗感があった。けれど回を重ねるごとにそれはどんどん薄れていき、途中からは自分の愛撫で浩平が感じてくれるのが嬉しくなってきて、積極的に咥えるようになった覚えがある。
三年の間が空いた今だって、浩平を気持ちよくしたいと思う献身的な気持ちが正剛の中にある。口に含むのだって何の抵抗もない。
久しぶりに咥えた浩平からは、懐かしいような匂いがする。それを愛おしく感じながら丁寧に愛撫していると、口の中でどんどん容積を増していくのが伝わってくる。上目に表情を窺えば、男らしく整った顔は気持ちよさそうに目を細めていた。
浩平が望むのなら何時間だってしゃぶっていられる。なんなら口の中に出されるのだって構わない。そう思うのに、ある程度すると浩平自身が正剛の口の中から出ていってしまい、咥えるものを失くした口が妙に寂しく感じた。
「さてと、じゃあ今度は下のお口で咥えてもらうとしますかな」
「少し恐い……」
「こんな程度ので恐いとか言ってんじゃねえよ。俺なんかあんたのそのえげつねえもん咥えてたんだからな。まったく、あの頃の自分に感心しちまうぜ……」
正剛の膝がさっきのように押し上げられる。やっぱりこの尻が丸見えになる態勢は恥ずかしいけれど、浩平を受け入れるのにはどうしても必要だから仕方ない。それに四つん這いになって尻を突き出すよりはいくらかましだ。
ガチガチに硬くなったモノが入口に押し当てられる。思っていた以上の熱を感じて腰が引けそうになるが、受け入れると決めた以上逃げることはしない。
「さっきみたいに息吐いて力抜けよ?」
「ああ……」
指とは明らかに違う質量が、ズブズブとそこをこじ開けながら正剛の中に入ってくる。けれど指みたいなゴツゴツとした硬さがないからか、あるいは浩平がしっかり慣らしてくれたからか、不思議と痛みは感じない。
「全部入ったぜ……」
あまり余裕のなさそうな声で浩平はそう告げた。
「結構平気そうだな、剛」
「浩平がいっぱい慣らしてくれたから……それに浩平と一つになれて嬉しい」
「ついさっき恐いとか言ったくせにもう順応してんのかよ。やっぱ剛もケツの才能あるんだな」
あっても困らない。むしろ浩平にしてもらえるならあったほうがいいとさえ今は思える。
浩平の腰がゆっくりと動き始めた。中に入ったものが入口近くまで引き抜かれ、そしてまた正剛の奥深くまで戻ってくる。動くたびに先端がさっき指で弄られた場所を擦って、たちまちあの中から性器を扱かれているかのような快感に襲われる。
「あっ……あっ!」
「俺のチンポ気持ちいいのか?」
「気持ちいいっ……浩平のが俺の気持ちいいとこ擦ってきてっ、変になりそうっ」
「変になれよ。俺も一緒になってやるからな?」
膝を抱えていた正剛の手に浩平の手が重なる。優しく包み込まれるようにされたのに嬉しさを感じながら、徐々に速くなっていく腰の動きに正剛も何かを思考する余裕がなくなっていく。
「ああっ、あっ…あっ!」
「はは、すげえ感じてんじゃん! 初めてでそんだけ感じるとかなかなかだぜ?」
「だって浩平がっ…俺の気持ちいいとこばっか突いてくるからっ……あっ!」
ズン、と鋭く貫かれて一瞬目の前が真っ白になった。まさか受け入れる側でこんなに気持ちよくなれるなんて初めは全然想像できなかったのに、今は浩平に犯されて全身が悦んでいる。なんて淫乱なんだろうかと自分の痴態に情けないような気持ちになるけれど、こんなに気持ちいいなら淫乱でもなんでもいいやと開き直る。
「浩平はちゃんと気持ちよくなってるのかっ……? 俺の中っ、気持ちいいかっ……?」
「ああ、すっげえいいわこのケツっ……初物のくせにしっかり俺のチンポ咥え込んでっ、ギュウギュウ締め付けてくるわっ」
好きな人を自分の身体で感じさせられている。それが嬉しくて堪らない。あの頃にもそういう感覚や感情はあったけれど、あの頃以上に満たされたような気持ちになっているのは、自分が欲望をぶつけられる側になっているからだろうか?
「浩平っ……キスしたいっ」
「しゃーねえなやつだなっ……ほらっ」
身体を倒してきた浩平の首に手を回し、自分から引き寄せて口づける。まるで繋がった下半身を模するように舌を激しく絡み合いながら、その間も浩平のピストンは一瞬も止まらなくてキスの合間に喘ぎが零れる。
「剛っ……あんたいつからこんな可愛くなったんだよっ」
「可愛くなんかっ……ああっ!」
「いやすげえ可愛いよっ……一晩中犯したくなるくらい可愛いっ」
腰の動きが更に激しくなっていく。容赦のない動きに正剛はしばらく声も出ず、途切れ途切れに息が漏れるばかりだった。
気持ちいい。このまま死んでもいいとさえ思うほどに気持ちいい。頭の芯まで痺れさせるような快感に浩平の背中を強く抱き寄せながら耐え、けれどしばらくすると射精感が急激に込み上げてきてやり過ごすことができなくなってしまう。
「浩平っ……出るっ……出るっ!」
全身が打ち震えるほどの強烈な快感――挿入するときのそれの何倍も気持ちいいそれに息が止まりそうになる。
自分の下腹部に目をやれば、浩平の腹に挟まれたそこからドロドロと白濁が溢れ続けている。いつもならすぐに引いていくはずの快感も、今日はなかなか収まらなかった。後ろを抉られる感覚がさっきよりも鋭さを増し、まるで中から身体を溶かされているかのような錯覚に陥りそうになる。
「一人でイってんじゃねえよっ」
浩平が一度ピストンを止め、正剛の脚を持ち上げる。そして――何も告げられることなくさっきよりも更に激しい律動が始まった。
貪るという表現がぴったりと来るくらい浩平は正剛の中を撹拌し、腰を叩きつけ、吐息とともに気持ちよさそうな色っぽい声を零す。額からは汗が止めどなく流れ出し、正剛の身体に落ちて弾けた。
「すげえな剛っ……ずっと精子出っぱなしじゃねえかっ」
「だって浩平がっ……あっ、あっ! あんっ…浩平のチンポがっ、気持ちいいっ、からっ……あっ!」
浩平のそれしか要らない。浩平のそれさえあれば他に何も要らない。快感に蝕まれた意識の中でそんな淫乱な雌のようなことを叫んでしまう。それほどまでにこのセックスは気持ちよくて、満たされて――だけど相手が浩平じゃなければきっとこうはならないと確信している。
やっぱりこの男が好きだ。大事にしてきた家族がいなくても、自分が雌にされてしまうのだとしても、この男と一緒にいたい。箱の中に大事にしまっていた気持ちはとうに全身へと巡り渡り、今や正剛のすべてを包み込んでいた。
肉がぶつかり合う音と中を抉る音が響き渡る。信じられないくらい奥まで入り込み、それが一気に引き抜かれて再び奥に飲み込まれる。鮮明に感じるその感触に悲鳴に近いような喘ぎを零しながら、もっと浩平に気持ちよくなってほしくて中を締め付ける。
「剛っ……俺もイクからなっ」
「イってくれっ、浩平っ……俺の中に出してくれっ」
「言われなくてもそうするっつーのっ……ちゃんと全部受け止めろよっ」
身体が激しく揺さぶられる。もう何が何だかわからないままに白濁を溢れさせ続けながら、浩平のそれが放たれるのを今か今かと待ち続ける。
「ああイクっ……中に出すぞ剛っ」
「出してっ……浩平の全部俺の中にっ……!」
そうしてひときわ深く中を突き上げられた瞬間、触れ合っていた浩平の腿がブルっと震えた。一瞬遅れて中に温かいものが注ぎ込まれる感触がして、正剛はそれにどうしようもないくらいの幸福感を覚えるのだった。
6-3
幸せな夜だった。好きな人と触れ合い、一つに繋がり、離婚した元妻との間にあったそれとは比べ物にならないほどの愛に満ち溢れた時間だった。
後ろに受け入れるのは初めてだったにも関わらず、浩平がインターバルをほとんど置かずに結局三回もしたからか、中がじんじんと痛む。けれどそれも繋がった証なのかと思うと妙に嬉しいものがあった。
身体を起こし、ベッドから立ち上がったところで正剛は股の痛みによろめいてしまう。こういうところも痛くなるのかと何だか照れくさいような気持ちになりながら、浩平を探そうとリビングに続くドアを開ける。
「おう、やっと起きやがったか」
浩平は炬燵に入ってテレビを観ていたようだ。どこに座るべきか迷いつつ、正剛は浩平の一つ横のスペースに遠慮がちに入らせてもらう。
「ケツの調子はどうよ?」
「少し痛い……」
「まあ処女であんなに激しくされちゃあ切れても不思議はねえな。薬局で薬勝手塗っといたほうがいいぜ?」
「そうする」
炬燵の中で少し足を伸ばすと浩平の足に触れた。そして触れた瞬間に正剛から離れていってしまい、そのことに少し寂しさを感じてしまう。
「起きたんなら顔洗って来いよ。そんで帰れ」
「えっ……ここにいちゃ駄目なのか?」
「これから人と会う約束してんだよ。だから帰れ」
「わ、わかった……」
せっかく再会できたのだし、もう少しゆっくり話をしたかった。けれど用事があるというなら帰る他ない。仕方なく顔を洗い、帰り支度をして後ろ髪を引かれるような思いがしながらも玄関に向かう。
「あ、連絡先教えてもらってない……」
靴を履いたところでそれに気づき、正剛は見送りに来てくれた浩平を振り返った。
「連絡先? そんなの教えるわけねえだろ」
「ど、どうしてだ……?」
「今度こそもう二度と会うつもりねえから」
冷たく鋭い言葉が不意打ちのように正剛の胸に突き刺さる。
「なんでそんなっ……昨日俺のことあんなにいっぱい抱いてくれたのにっ……」
「そんなん単に溜まってて、都合よく見た目がタイプの男が目の前にいたからだっつーの。性欲処理だよ、性欲処理」
あんなに優しく、それでいて情熱的に正剛の身体に触れてくれたのに、そこに何も気持ちがなかったなんて信じられない。いや、信じたくない。けれどこちらを真っ直ぐに見つめる浩平の目には、冷たい輝きが灯っていた。
「あんたまさか、俺があのときのこと許してるとでも思ってたのか?」
「だってっ……道端で倒れてる俺のこと、助けてくれたじゃないかっ」
「あんたじゃなくても顔見知りなら普通に助けてやったよ。俺はそこまで薄情じゃねえ」
「じゃあどうしてあんなっ……優しく抱いたりしたんだよっ。憎んでるなら、乱暴に扱って外にでも放り出せばよかったじゃないかっ」
「今度は俺の番だと思ったから」
浩平の声と瞳が更に冷たさを増す。
「今度は俺が甘い夢を見させたあと、あんたを地獄に叩き落としてやる番だって思ったから」
浩平の手が一息に伸びてきたかと思うと胸倉を掴み上げられ、正剛はバランスを崩して倒れそうになる。
「あのとき俺があんたに突き放されてどんな思いだったかっ……どんだけ苦しんだか思い知らせてやりたくなったんだよっ」
「……悪かったって思ってる。本当に申し訳ないことをしたとっ……」
「反省すれば許されるわけじゃねえんだよ! マジですげえ好きだったのにっ……あんたとなら恋人としてやっていけるって思ってたのにっ……なんで俺に優しくしたんだよ! なんで気持ち持たせるようなことしたんだよっ!」
「だって俺も浩平のことが好きだったからっ……」
あのとき浩平に抱いていた気持ちは、思い違いでもなんでもなく本物の愛情だった。もしも過去に戻れるなら、今度は父の夢を諦めて浩平を選ぶ。だけど過去に戻る方法なんてどこにもない。
「結婚してからもずっと浩平のことを想っていた……今だってどうしようもないくらい愛してる」
「そんなこと言われたってなんも嬉しくねえよっ! つーかてめえの言葉なんぞ今更信用できるかよっ……俺を捨てて女と結婚してガキつくってっ……そんなやつのことなんかっ……!」
掴まれた胸倉を今度は強く押され、背中が玄関のドアに叩きつけられる。息が止まりそうになるような痛みを感じたが、それ以上に――心のほうがずっと痛い。これが好きな人に突き放された痛み。突き放す側もずっと辛いんだとあのときは思っていたけれど、突き放される側はその比じゃなかった。好きな人に否定される。そばにいることを拒絶される。それは想像以上に重く圧し掛かり、まるで火を吹き付けられたような切なさを伴って正剛を苦しめる。
呆然としている正剛をよそに、浩平は玄関のドアを開け放つと、正剛の身体を外に蹴飛ばした。
「てめえなんかっ……死んじまえっ!」
バタン、と激しい音を立ててドアが閉まる。まるで繋がっていた互いの世界が分断されてしまったかのようだ。そんな強い喪失感を抱きつつ、浩平を求めて閉まったドアに手を伸ばしかけ――そしてその手を引っ込めた。
自分は許されてなどいなかった。むしろずっと憎まれていたのだと思い知らされた。最低なクソ野郎だという事実は何年経ってもきっと変わらないのだ。そんな自分にこのドアを叩く資格などない。どれだけ叩きたくてもそれをしては駄目なんだと自分に言い聞かせ、正剛はおずおずと立ち上がる。
行く当てもなくトボトボと歩いていると、途中で涙が溢れ出した。それを拭いもせず垂れ流していると、すれ違う人たちが怪訝な顔をして通り過ぎていく。
大きな橋に差し掛かったところで正剛は歩みを止めた。欄干に胸をもたれさせ、眼下を流れる河の流れを意味もなく眺める。
これで本当に自分はすべてを失くしてしまった。穴の開いてしまった心からは大事な感情がすべて抜け出てしまい、空っぽになったそれは少しずつ凍り付き始めている。
この世界にはもう、大事なものなんかない。考えても、考えても、今自分が何のために生きているのか、これから先何のために生きるのか、それが一つも出てこなかった。ならここで人生に終止符を打つのもいいかもしれない、と眼下の景色を眺めながら思いつく。
死ねばこの耐えがたいような喪失感からも、どうしようもないくらいの寂しさからも解放される。もう何に悩むことも、何を考えることもしなくていいんだ。そう思うと急に気持ちが楽になった。死ぬことが恐くないわけじゃないけれど、この塞ぎ込んでどうにもならなくなるような気持ちを抱えながら生きていくよりはずっとましだ。
正剛は欄干に足を掛ける。このまま前に体重をかければ簡単に河の中へと落ちてしまうだろう。その寸前で留まって、これまでの人生を振り返る。
いい人生だった、と言えるようなそれじゃなかった。中学生で母が亡くなって、社会人になると父が亡くなって、そして結婚した妻に裏切られ、子を奪われ……むしろ散々な人生だったなと、情けなさ半分にいろんな出来事を振り返る。
けれどそんな中で唯一色鮮やかに記憶に残った思い出もある。それが浩平と過ごしたあの懐かしい日々だった。ただそばにいるだけで、あれほどの幸せを感じられた相手は他にいない。本当に、心の底から彼のことを愛していたのだと、この人生の最後の瞬間までその強い気持ちに苛まれる。
「浩平っ……」
自分以外の誰かと結びつくなんて想像するだけでも腹立たしいが、それでも彼には幸せになってほしい。自分でも驚くほど優しい気持ちになりながら、正剛はついに重心を前に傾ける。
「――おいっ!」
その瞬間、鋭い声が鼓膜を震わせると同時に後ろからものすごい力で引っ張られ、正剛はそのまま欄干から滑り落ちる。背中からコンクリートの上に叩きつけられ思わず咳き込むが、幸いにも頭を打つことはなかった。
「あんたは何してんだよっ!」
顔を上げると、浩平がさっきの別れ際に見せたそれよりも更に怒ったような顔になってこちらを見下ろしている。
「振られたくらいで死のうとしてんじゃねえよっ! アホか!」
「だって俺にはもうっ、何もないからっ……生きてたってしょうがないっ……それに浩平だってっ、さっき死ねって言ったじゃないかっ」
「本気でそんなふうに思ってるわけねえだろボケ! いつまでもメソメソしてねえで、とっとと次の相手見つけりゃいいだろ! その面と性格ならいくらでも相手見つかるだろうが!」
「けどっ……お前以上に愛せる相手には絶対出逢えないっ……妻のことだってっ、お前以上に愛することはできなかったっ」
「ならあのとき俺を振らなきゃよかっただろ! そうやって後悔するくらいならっ……俺と付き合ってりゃよかったんだよっ!」
ポタ、と水滴が正剛の額に落ちてきた。それは一粒落ちてくるとまるで小雨のようにぱらぱらと降り始め、正剛の顔を濡らしていく。浩平の瞳から零れ落ちてきているのだと、少し遅れてから気づいた。
浩平がどうして泣いているのかわからない。どうしてここにいるのかも……。何か言葉をかけるべきだろうかと戸惑っていると、胸倉を強く掴まれる。
「そんなに俺がいいのかっ……?」
そう訊いてきた声も瞳も、嘘偽りは許さないと言っている。
「俺はっ……浩平がいいっ……」
「ならここで誓えっ! 二度と俺を突き放したりしないってっ……どんなことがあっても、俺以外のやつに鞍替えなんてしないって誓えっ!」
「誓うからっ……浩平のそばにいさせてくれっ……俺を独りにしないでくれっ……」
素直な気持ちを吐露すると、胸倉を掴んでいた手の力が緩んでいく。そしてその手が今度は正剛の背中に回り、強い力で抱きしめられた。
「もしもまたあのときと同じようなことしたら、今度はあんたを殺して俺も死ぬからなっ……」
「うんっ……」
優しい温もりが浩平の身体から流れ込んでくる。途端に涙がまたぶわっと溢れ出した。恥も何もなく子どものようにわんわんと声を上げて泣きながら、正剛は浩平の身体にしがみつく。その背中もまた、正剛と同じようにしばらくの間震え続けていた。
まるで水の中にでもいるみたいに、目に映るものすべてがグニャリと歪んでいた。真っ直ぐ歩くことも難しく、ガードフェンスや時には道路標識に掴まりながらなんとか歩き続ける。
すれ違う人がこちらを指差しながら笑っていた。大の男が必死になって歩いているのがそんなにおもしろいか? そう言ってやりたかったけれど、今は声を出すことさえも辛かった。
この足を止めたくない。目的地があるわけじゃないが、それでも歩き続けていたい。歩みを止めてしまえばきっと、自分はそこから永遠に動けなくなってしまうから。そんな予感が身体を突き動かしていたけれど、ついに限界を迎えて垣内正剛はコンクリートの上に倒れ込む。そしてその瞬間に胃のムカムカがグッと強くなり、堪えきれず軒下に嘔吐した。
なんて情けないのだろう。吐いたものの臭いと口の中のなんとも言えない気持ち悪さを感じながら、正剛はそう自嘲した。アルコールに対する自分の限界などちゃんとわかっていたし、酒を飲み進めているうちに身体が警告を送り始めていたことも理解していた。けれど――それでもこうなるまで飲まずにはいられなかった。
この日正剛は大事にしていたものをすべて失くした。いや、すべてというのは大袈裟だろうか。職は失くしてないし、住む家も残っている。けれど――その家の中は空っぽだ。自分が大事にしていた家族はもう、あの家にはいない。
半年ほど前、妻の浮気が発覚した。しかも妻自らにそれを告げられ、混乱しているうちに離婚届を突き付けられたのだ。
浮気相手と一緒になりたいから……そんな理由到底納得できるわけもなく、断固として離婚を拒否してきたけれど、夫婦間の不和が原因で一人息子がストレス性の蕁麻疹を度々出すようになり、これ以上一緒にいることはこの子のためによくないと判断して、正剛も渋々離婚に同意したのだ。
そして今日、その離婚が正式に調停した。妻側の浮気が原因での離婚だから、息子の親権は当然こちらに与えられるものだと信じて疑わなかったのに、まだ幼く、母親の存在が必要不可欠という理由で結局それもまた奪われてしまった。
息子のことはもちろんのこと、妻のことだって大事にしていたつもりだ。家庭のために身を粉にして働いたし、家事や育児にも積極的に関わってきた。それでも自分は妻に捨てられ、息子まで連れて行かれてしまった。
なんて理不尽なんだろう。百歩譲って自分に何か至らない点があったならまだしも、他の男を好きになったからという理由でどうしてすべてを奪われないといけないのだろう?
怒りや不満、疑問や消化不良感は尽きるところを知らないが、それでも決まってしまったものはもうどうしようもない。どれだけ正剛が嘆こうが、家族を取り戻すことはもうできないのだから。
(こんな情けない姿や事情を父さんに晒さなくて済むのがせめてもの救いだ……)
すい臓がんを患っていた父は、二年と少しの闘病の末亡くなった。それが約一年前の話である。孫の顔はなんとか見せることができたものの、それで安堵してしまったのか見る見るうちに弱っていき、最後は静かに息を引き取った。
母を亡くした経験から、父を亡くすときもきっと自分はまた嘆き悲しむのだろうと想像していたけれど、そのときが来ても正剛が塞ぎ込むようなことはなかった。それは息子や妻といった守るべきものがあったからで、強くあらねばという頑なな信念のようなものが支えとなったのだ。
だけど今はもう、それもない。本当に何もないんだなと思いつつ、ガードフェンスに背をもたれさせる。
今はアルコールのおかげで身体が暖まっているからわからないが、確か今夜は冷え込む予定だったはずだ。このままここに座っていればきっと凍死してしまうだろう。
(まあそれならそれでいい……)
ここで自分が死んだって誰が悲しんでくれるわけでもない。生きていたって何か楽しいことがあるわけでもない。ならこのまま死んでしまおうかと、相変わらず捻じれた世界を映し出していた目をそっと閉じる。
死んだら両親に会えるだろうか? 正剛のことを優しく迎え入れてくれるだろうか? それとも来るのがまだ早いと言って怒られるだろうか?
(俺はどっちでも構わないよ……)
会いたい。二人の顔を見たい。二人に甘えていたい。だけど正剛が今本当に会いたいのは――
『剛』
記憶の中の、あのときと姿かたちが変わらない彼が優しい声で名前を呼ぶ。正剛も彼の名前を呼んで、その身体に触れようと手を伸ばした。だけどその手に掴むことができたのは、切ないほどに冷たい、冬夜の空気だけだった。
◆◆◆
「なあ、剛」
「どうした?」
「男同士ってさ、結婚できないじゃん?」
「まあこの国の制度ではそうだな」
「前まではさ、それでも全然困らねえって思ってたけど、なんか今は結婚できたらいいのにって思うわ」
「なぜ?」
「この間ネットで見たんだけどよ、同性のカップルって片方が死んだとき、親族じゃねえからって死に目に立ち会わせてもらえなかったり、保険の受取人になれなかったり、いろいろ不便なことがあるらしいぜ? そういうのってなんか寂しいよな……」
「言われてみると確かにそうだな……。しかしなぜ急にそんなことを思ったんだ? そんな真面目なことを考えるような質じゃないだろうに」
「失礼だな! 俺だってたまには哲学するんだよ!」
「哲学ね……浩平とは一番遠い言葉だな」
「てめえ……泣かす!」
「うわっ!? 馬鹿っ、やめろっ! ズボン脱がそうとするんじゃないっ!」
「うるせえとっとチンポ出せよこの童貞インポ野郎!」
「俺はどちらでもないぞ!?」
◆◆◆
懐かしい日の思い出が、まるで映画のワンシーンのように夢の中で再生された。遠い昔――というほど年月は経っていないが、もうずいぶんと昔のことに思える、幸せな日々の記憶。結婚して子どもができて、それなりに満たされた日を送っていたつもりになっていたけれど、やっぱりあの頃の幸せに勝るものなどないのだと、目覚めて間もない朦朧とした意識の中で改めて思い知らされる。
開いた瞳が無機質な天井を捉える。ここは……自分の家の寝室じゃない。酔いつぶれて道端に倒れ込んだところまではかろうじて覚えているが、それからどうなったというのだろう?
(まったく思い出せん……)
酔いはだいぶましになったような気がするが、頭痛がひどい。それを堪えながら身体を起こせば掛けられていた布団が滑り落ちる。
辺りを見回すと、常夜灯に照らされたそこは飾り気のない五帖くらいの部屋だった。小さなクローゼットの他に家具らしい家具はなく、正剛が横たわるベッド以外には生活感があまり感じられない。
(ここはどこなんだ……?)
親切な誰かが倒れた正剛を部屋に連れ帰ってくれたのだろうか? さすがにまったくの赤の他人がそれをしてくれるとは思えないので、きっと偶然知り合いが通りかかったのだろう。職場の後輩だったりしたら気まずいなと思いつつ、頭痛を堪えきれなくなって再び枕に頭を預ける。
(別に連れ帰ってくれなくても、放っておけばよかったものを……。あのまま死ねたら楽だったのに……)
すべてを失くした正剛に、生きる意味や希望は見出せそうにない。仕事にやり甲斐を感じていたわけじゃないし、何か打ち込めるような趣味を持っていたわけでもなかった。心の支えとなっていた家族を一人残さず失くしてしまった正剛に、果たして生きていく意味なんてあるのだろうか?
あのまま死んでいれば、こんなふうにまたグルグルと悩んだり、落ち込んだりすることもなかった。親切に介抱してくれた人には悪いが、その親切心が今は少し恨めしい。
そんなことを考えていると、ふいに部屋のドアが開く。入ってきたのが男だということはシルエットですぐにわかったが、常夜灯の元では顔立ちがよくわからない。
「お、目ー覚めてんじゃん」
そう言った声は、正剛の聞き覚えのあるものだった。男らしく低いトーンだが、発音がはっきりとしていて聞き取りやすく、どこか自信を窺わせるような声。この声で笑うのも、怒るのも、からかうのも、悲しむのも、喘ぐのも、高三のときはよく聞いていた。今ではもう夢か妄想の中でしか聞くことの叶わなくなった、大好きな人の声。それとまったく同じ声が正剛に降り注いでくる。
胸が強く脈打った。一気に鼓動が速くなり、目がチカチカするような変な感情が身体の奥底からぶわっと溢れ出してくる。
常夜灯が一度消えたかと思うと、今度は部屋の中がパーッと明るくなった。照明の元に佇む彼の頭は坊主で、整った眉の下の切れ長の瞳がこちらを無遠慮に見下ろしている。その瞳に滲む感情は、決して敵意のあるそれじゃない。
「浩平……」
「久しぶりだな、剛。全然変わってねえからすぐにわかったぜ」
そう言って彼――正剛がかつて愛した男は、ベッドの淵に腰かけた。
夢でも見てるんだろうか? もう会えないと――会うことなど許されないと思っていた人が、目の前にいる。目の前にいて、普通に話しかけてくれる。泣きたくなるような嬉しさが沸き上がってくるが、瞳をギュッと閉じて涙が零れてしまうのをなんとか堪えた。
「マジでビビったよ。道歩いてたら剛が倒れてるんだもん。さすがにほっとけなくて俺ん家連れて帰ったんだけど、別によかっただろ?」
「あ、ああ……むしろすごく助かった。ありがとう」
「いいってことよ」
浩平は柔らかく笑った。笑った顔は最後に見たときよりも少し大人びてはいるものの、劇的な変化は見られない。よく考えればまだ三年ほどしか経っていないから、そんなものなのかもしれない。
(浩平、俺に笑ってくれるんだな……)
あんなひどい仕打ちを与えたのに、浩平はまるで何もなかったみたいに――仲違いする前のように親しく接してくれる。それが嬉しくて溜まらない気持ちにさせられたけど、顔に出せば気味悪がられそうな気がしたので表情筋に力を入れてやり過ごす。
「気分はどうだよ? 道で拾ったときはずいぶんとまあひどい状態だったみたいだけど」
「……頭が痛い」
「オッケー。じゃあ頭痛薬やるから飲んで少し寝とけ」
スッと立ち上がった浩平のフリースの裾を、正剛は慌てて掴んだ。
「行かないでくれっ」
離れたくない。そばにいてほしい。そんな思いが正剛の身体を突き動かしていた。
「ちょっと隣に薬取りに行くだけで、すぐ戻って来るって。そんな迷子のガキみたいな顔すんなよ。な?」
フリースを掴んでいた手をそっと引き剥がされる。それ以上面倒に思われたくなくて、もう一度手を伸ばすことはできなかった。
浩平にもらった薬を飲むと、三十分ほどで頭痛が少しマシになり始めた。ちょうどそのタイミングで家事を終えた浩平がまた寝室に戻ってきて、さっきと同じようにベッドの淵に腰かける。正剛も寝て話すのも変だと思って、起き上がってその隣に座った。
「結局寝なかったのかよ?」
「ああ……だが頭痛はだいぶましになった。薬のおかげだ」
「そりゃよかった。ホント久しぶりだよな、剛。今この辺に住んでんのか?」
「いや、家は県境のほうだ。今日は飲みに来ていて……」
「酒弱いのか? 相当べろんべろんだったよな、あんた」
「弱くはない。けど今日はかなり飲んだからあんなことに……」
家族を失ってしまったことの辛さと孤独を紛らわそうと、正剛は飲み屋で尋常じゃないほどの量の酒を飲んだ。それで急性アルコール中毒になって死ぬのならそれでいいと割と本気で思っていたけれど、そうなる寸前に店から追い出されてしまった。
「なんか嫌なことでもあったのか?」
「実は……離婚したんだ」
え、と浩平は驚いたように目を瞠った。
「奥さんに浮気されて……浮気相手と一緒になりたいからと、離婚を突き付けられた」
「マジか……そりゃきっついな」
「せめて親権だけでもこちらのものにならないかと頑張ってはみたが、それも結局叶わなくて、子どもごと連れて行かれてしまったんだ」
「その女、なかなか最低だな。つーかそれで親権認められないって何? 裁判員……いや、弁護士? はアホなのか?」
「まだ幼くてな。母親の存在が必要だろうという判断らしい」
「なんだよそれ」
浩平はまるで自分のことみたいに怒った顔をする。
「浮気しときながら子どもも連れてくとかどういう神経してんだよ、その女! 俺が剛ならぶん殴って川にでも流しとくわ!」
「物騒だな……」
正剛も最初に浮気のことを聞かされたときは激しい怒りを覚えたけれど、そこから妻に対する愛情はどんどん薄れていって、最後にはどうでもよくなっていた。けれど子どもは可愛かったし、正剛によく懐いていたので親権をあちらに渡すことは最後まで納得できなかった。
「そういえば……親父さん、どうなっちゃったんだ?」
「ああ……一年ほど前に亡くなったよ。なんとか孫の顔を見せることはできたけどな」
「そっか、残念だったな……。俺、剛の親父さんめっちゃ好きだったぜ? カッコいいし、優しかったし……もう会えねえんだな~」
「葬式、呼ばなくてすまなかった。呼んでいいものなのかもわからなかったし……」
「そんなんいいって。今度線香上げに行かせろよ」
「ああ」
そういう言葉が出てくるということは、これをきっかけにまた友人同士の関係に戻ってくれるということなんだろうか? ひょっとして自分は許されているのだろうか? 浩平の態度を見ていると、そんな希望が心の奥底にしまっていた箱から溢れ出してしまいそうになる。
(いや、そんな簡単に許されるような話じゃないだろ……)
父親のためだったとはいえ、正剛が浩平にした行いは何度振り返っても最低と評することしかできないようなことだったはずだ。今はただ、浩平側が大人な対応をしてくれているだけなのかもしれない。
けど……元に戻れるチャンスや可能性が少しでもあるなら、それを逃したくない。途切れてしまった絆のようなものを、もう一度取り戻したいと思わずにはいられなかった。
もしも元の関係に戻りたいならちゃんと謝罪をして、ケジメを付けるところから始めなければならないだろう。このまま何事もなかったように元どおりになるなんて、そんな都合のいい展開あるわけがない。だからちゃんと自分から言わなければと、正剛は決心して口を開く。
「浩平、あのときのことなんだが……」
「その話はしたくねえ」
だが、決心は一瞬にして拒絶された。何も受け付けない、という強い意志を感じさせるほどに浩平の声は鋭さを帯びている。
「そんなことよりさ、今日泊ってくだろ?」
「あ、ああ……浩平がいいならそうさせてもらいたいが」
「なら宿代払ってけよ? あとここまで運んでやった手間賃もな」
「そ、そうだよな……」
宿代なんて、まるで友人関係に戻ることを拒絶されたみたいだ。そのことに軽くショックを覚えつつも、彼に迷惑をかけてしまっていることは事実なので、宿代の請求にも応じようと正剛はベッドのそばに置かれていた自分のバッグに手を伸ばす。
「いくら払えばいいだろうか?」
「いや、俺があんたに金なんか請求するわけねえじゃん。そこまで鬼じゃねえよ」
浩平は苦笑混じりに笑った。
「だったらどうすれば……」
「身体で払え」
「えっ……?」
「え、じゃねえよ。あんただってそれがどういう意味かわかるだろ?」
もちろんそれが何を意味するかは誰に聞かなくてもわかっている。だけど――信じられなかった。浩平を深く傷つけた自分がまた求められることになるなんて、想像もしていなかったことだ。それをしてもいいと思ってもらえるくらいにはやっぱり許されているのだろうか? わからない。目の前の男が何を考えているのか全然わからなくて、頭の中がグチャグチャしてくる。だけどそう――もう一度浩平と身体を重ねたいと、正剛自身が思っていることだけは確かだった。もう一度浩平に触れたい。三年も触れられなかったその身体に己を突き入れ、一つになりたい。
じわじわと、まるで湧き水のように情欲が湧き上がってくる。久々に覚えるその感覚に戸惑いながらも、そういえば昔浩平と遊んでいた頃はいつもこんな感じだったなと懐かしいような気持ちにもなった。
「わかった。俺はそれで構わない」
「よし、決まりだな。じゃあさっそく今からしようぜ? あ、けどよ――」
浩平が意味深に言葉を区切った。こちらを挑発するようなにやけ面を向けてきたかと思うと、台詞の続きを紡ぎ出す。
「俺今タチしかやってねーんだわ」
6-2
髪の毛の先から足のつま先まで正剛は丁寧に洗った。最後にさっき浩平に教わったやり方で身体の中も綺麗にし、バルスームを出て身体を拭く。
久々の浩平とのセックス。不純だと思いながらも、結婚生活を続けながら時々そのときのことを思い出し、自分で自分を慰めたのも決して一回や二回の話じゃない。もう永遠に訪れることがないと思っていたその機会が、今日こうして唐突に訪れた。
けれどポジションはあの頃とは違う。あの頃は常に自分が浩平に突き入れる側だったけれど、今日初めて浩平から受け入れる側になれと要求された。受け入れる側の経験はないし、正直後ろに異物を突っ込まれるなんて少し恐いような気持ちもあったけれど、断れば本当に浩平と身体を重ねる機会を逃してしまっていただろう。その上せっかく再会したこの縁すらも再び切れてしまうかもしれないと危惧して、その要求を飲み込んだのだ。
寝室に戻ると浩平は全裸でベッドに寝そべっていた。あの頃と変わらない、ボクサーのような引き締まった身体。他の男のそれには反応することがなかったのに、浩平のものというだけで下半身が熱を帯びてくる。
「剛、ちょっと身体だらしなくなったんじゃねえの?」
「うっ……結婚してから筋トレしなくなったから……」
「まあいいけどよ。ほら、隣来いよ」
狭いシングルベッドに遠慮がちに上がらせてもらえば、浩平の手が正剛の頬に触れてくる。こちらをじっと見つめる瞳には優しげな色が灯っていた。それを正剛も見つめ返しているうちに、唇と唇が重なる。
薄いけど柔らかい唇、巧みな舌の絡め方、そして鼻孔を掠める肌の匂い――懐かしいそれらが一気に押し寄せる。どうしようもなく相手を愛おしく思う気持ちを溢れさせながらキスに答えていると、浩平が正剛の上に乗っかってきた。
「重くねえか?」
「ああ、平気だ」
むしろその重みすらも愛おしい。懐かしさと一緒に全身を駆け巡るその気持ちに胸を熱くさせながら、浩平の背中に腕を回す。
キスの続きは、まるで離れていた時間を埋めるみたいに長い時間に渡った。それがふいに止んだかと思うと、浩平の舌が正剛の耳朶を責めてくる。恥ずかしいと思いながらも感じてしまって、自分のものとは思えないような甘ったるい声が零れた。
浩平の愛撫は顔に似合わず丁寧で優しい。けれど正剛が強く反応する部分は執拗に責め、何度も何度も喘がされる。特に乳首はどこよりもしつこく愛撫され、浩平の唇が離れる頃には赤く腫れ上がっていた。
「剛のチンポは相変わらずえげつねえな~……」
まだ触れてもいないのにすっかり大きくなっている正剛のそれを見ながら、浩平が言った。
「別れた奥さん、受け入れるのに苦労してたんじゃねえの?」
「確かに辛そうだったが……」
痛がるので結局根元まで全部挿入することは叶わなかった。最初から全部受け入れられていた浩平が特別だったんだと初めて知った瞬間でもあった。
「まあ今日は俺が受け入れるわけじゃねえからいいんだけどよ」
浩平の手がそこに触れる。やっぱりでけえわ、なんて言いながら、何の躊躇いもなさそうに舌を這わせた。根元のほうからゆっくりと上がってきて、亀頭と陰茎の間の溝を舌先でくすぐるように舐められる。そのまま亀頭全体を濡らされたかと思うとついに口の中に含まれ、頭の中が痺れるような快感がそこからせり上げてくる。
「ああっ……はぁ……」
男をよく知る浩平の口は巧みに正剛自身を責め上げ、堪らず甘ったるい声を零しながらその快感の虜にされる。離婚した元妻は口を使った愛撫を嫌がったので、こうしてしゃぶられるのも浩平にされたのが最後だった。美味そうに頬張る彼の顔に妙な色気を感じつつ、そういえば最初の頃はその顔を見る余裕すらなかったなと昔のことを思い出していた。
射精の気配を俄かに感じ始めたところで浩平の口から解放され、中途半端に放り出されたそこがビクンビクンと脈打っている。
「俺も浩平のしゃぶりたい……」
浩平がそうしてくれたように、正剛も浩平に尽くしてやりたい。そう思うのに、浩平は首を横に振って答えた。
「それはまたあとでな。それより先にこっち慣らさねえと」
膝を腹のほうにグイっと押し込まれ、後ろの双丘をやんわりと揉みしだかれる。いよいよそのときが来たのかと俄かに緊張を覚えながら、浩平に言われて自分の両膝を抱えた。
「ちゃんと綺麗に洗えたか?」
「た、たぶん……」
「そっか。じゃあ指挿れてくから、力抜いてろよ?」
「ああ……」
何か温かいものが尻の谷間に垂らされる。たぶんローションだ。浩平はそれを指で正剛の入口に塗り広げ、優しくそこを圧迫してくる。
「おい、力入れんなよ。指が入んねえだろうが。あと自分がいてえだけだぜ?」
「そう言われてもっ……」
「ゆっくり息すりゃいいんだよ。とにかく息止めるな」
言われたとおりにゆっくり呼吸を繰り返していると、浩平の指がついに正剛の中に侵入してくる。痛くはないが気持ちよくもない。入ってきた異物に対して拒否反応を示すように全身が鳥肌立ったが、そんなのお構いなしに浩平は指を埋めてくる。
「よし、全部入ったぜ。一本なら余裕だろ?」
「余裕ではないがっ……」
「けど思ったよりきつい感じはないぜ? ひょっとして風呂場で慣らしたとか?」
「そんなことしてないっ」
というか恐くて自分じゃとてもそんなことできない。
「まあいいや。とりあえず無事入ったことだし、開発していきますかな」
「開発って……たぶん俺のそこは感じないと思うぞ? 今も正直不快感がある」
「最初はみんなそんなもんだよ。この俺だってそうだったんだからな」
「信じられん……」
浩平はそこを突くといつだって気持ちよさそうに喘いでいた。自分から跨り、腰を振り、もっと、もっとと正剛に強請って最後はいつも後ろだけでイっていた。そんな天性のド淫乱が最初は苦労していたなんてとても信じられない。
「大丈夫だって。剛のこと、ちゃんと気持ちよくしてやるから」
優しく笑った浩平の顔を、やっぱり男前だなと思いながらつい見惚れる。だけど意識はすぐに正剛の中で動き出した指のほうに持っていかれ、見惚れているどころではなくなった。
何かを探るように細かく動くのがなかなか気持ち悪くて、喘ぎじゃなくて下品な呻きが零れてしまいそうだ。それを懸命に堪えつつ、なんとかそれを誤魔化せないだろうかと別のことを考えてみたりしたけれど、それでもやっぱり不快感は無視できない。さっきまで元気いっぱいだった正剛自身も少し硬さを失っていた。
もうこれ以上はやめてくれと頼もうか? せっかく巡ってきたチャンスをふいにしてしまうのは残念だが、これ以上我慢が続くとは自分でも思えない。そう思って身体を起こそうとした瞬間――
「あっ……!」
まるで背筋を電流が駆け抜けたかと錯覚するような強い快感が、浩平の指を受け入れた場所から発生した。
「へえ、剛はここが感じるんだ~」
悪代官のような意地の悪い笑みを浮かべながら、浩平が同じ場所に触れてくる。するとさっきまで不快に感じていたのが嘘みたいに、下っ腹がじんわりと熱くなっていくような快感が連続して押し寄せる。
(なんだ、これっ……)
浩平がそこを刺激するたび射精感のようなものが込み上げ、すっかり萎えてしまっていた性器がグングンとまた硬さを取り戻していく。しまいには先走りまで溢れ始め、いやらしい銀糸を正剛の腹の上に垂らしていた。
「あっ、ああっ……」
気持ちいい。けど射精しそうでできないのがなんだかもどかしい。もういっそ自分で扱いてしまおうかと手を伸ばしたが、浩平に掴まれて阻止された。
「今日は自分で触るの禁止な」
「ど、どうしてっ」
「あんたをケツにチンポハメられねえとイけねえ身体にしてやりてえから」
「なんでそんなっ」
「別に悪いことじゃねえだろ? ケツでイけるなんて最高に気持ちいいことなんだぜ?」
後ろを暴く指の数が増やされ、そこがどんどん広がっていくのが自分でもわかる。そしてどんどん気持ちよくなってしまっている。女のようにされることに抵抗を覚える反面で、もっとそこで感じたいと思う淫らな気持ちが正剛の中に漂い始めていた。
「よし、こんなもんでいいだろ」
中を弄っていた指が引き抜かれ、浩平が膝立ちになる。正剛の身体を跨ぐようにして前進してくると、腰を突き出して半勃ちのそれを口元に押し当ててくる。
「ほら、剛が欲しがってた俺のチンポだぜ? しっかり奉仕してくれよな?」
初めてこれを咥えろと言われたときは、まだ少し抵抗感があった。けれど回を重ねるごとにそれはどんどん薄れていき、途中からは自分の愛撫で浩平が感じてくれるのが嬉しくなってきて、積極的に咥えるようになった覚えがある。
三年の間が空いた今だって、浩平を気持ちよくしたいと思う献身的な気持ちが正剛の中にある。口に含むのだって何の抵抗もない。
久しぶりに咥えた浩平からは、懐かしいような匂いがする。それを愛おしく感じながら丁寧に愛撫していると、口の中でどんどん容積を増していくのが伝わってくる。上目に表情を窺えば、男らしく整った顔は気持ちよさそうに目を細めていた。
浩平が望むのなら何時間だってしゃぶっていられる。なんなら口の中に出されるのだって構わない。そう思うのに、ある程度すると浩平自身が正剛の口の中から出ていってしまい、咥えるものを失くした口が妙に寂しく感じた。
「さてと、じゃあ今度は下のお口で咥えてもらうとしますかな」
「少し恐い……」
「こんな程度ので恐いとか言ってんじゃねえよ。俺なんかあんたのそのえげつねえもん咥えてたんだからな。まったく、あの頃の自分に感心しちまうぜ……」
正剛の膝がさっきのように押し上げられる。やっぱりこの尻が丸見えになる態勢は恥ずかしいけれど、浩平を受け入れるのにはどうしても必要だから仕方ない。それに四つん這いになって尻を突き出すよりはいくらかましだ。
ガチガチに硬くなったモノが入口に押し当てられる。思っていた以上の熱を感じて腰が引けそうになるが、受け入れると決めた以上逃げることはしない。
「さっきみたいに息吐いて力抜けよ?」
「ああ……」
指とは明らかに違う質量が、ズブズブとそこをこじ開けながら正剛の中に入ってくる。けれど指みたいなゴツゴツとした硬さがないからか、あるいは浩平がしっかり慣らしてくれたからか、不思議と痛みは感じない。
「全部入ったぜ……」
あまり余裕のなさそうな声で浩平はそう告げた。
「結構平気そうだな、剛」
「浩平がいっぱい慣らしてくれたから……それに浩平と一つになれて嬉しい」
「ついさっき恐いとか言ったくせにもう順応してんのかよ。やっぱ剛もケツの才能あるんだな」
あっても困らない。むしろ浩平にしてもらえるならあったほうがいいとさえ今は思える。
浩平の腰がゆっくりと動き始めた。中に入ったものが入口近くまで引き抜かれ、そしてまた正剛の奥深くまで戻ってくる。動くたびに先端がさっき指で弄られた場所を擦って、たちまちあの中から性器を扱かれているかのような快感に襲われる。
「あっ……あっ!」
「俺のチンポ気持ちいいのか?」
「気持ちいいっ……浩平のが俺の気持ちいいとこ擦ってきてっ、変になりそうっ」
「変になれよ。俺も一緒になってやるからな?」
膝を抱えていた正剛の手に浩平の手が重なる。優しく包み込まれるようにされたのに嬉しさを感じながら、徐々に速くなっていく腰の動きに正剛も何かを思考する余裕がなくなっていく。
「ああっ、あっ…あっ!」
「はは、すげえ感じてんじゃん! 初めてでそんだけ感じるとかなかなかだぜ?」
「だって浩平がっ…俺の気持ちいいとこばっか突いてくるからっ……あっ!」
ズン、と鋭く貫かれて一瞬目の前が真っ白になった。まさか受け入れる側でこんなに気持ちよくなれるなんて初めは全然想像できなかったのに、今は浩平に犯されて全身が悦んでいる。なんて淫乱なんだろうかと自分の痴態に情けないような気持ちになるけれど、こんなに気持ちいいなら淫乱でもなんでもいいやと開き直る。
「浩平はちゃんと気持ちよくなってるのかっ……? 俺の中っ、気持ちいいかっ……?」
「ああ、すっげえいいわこのケツっ……初物のくせにしっかり俺のチンポ咥え込んでっ、ギュウギュウ締め付けてくるわっ」
好きな人を自分の身体で感じさせられている。それが嬉しくて堪らない。あの頃にもそういう感覚や感情はあったけれど、あの頃以上に満たされたような気持ちになっているのは、自分が欲望をぶつけられる側になっているからだろうか?
「浩平っ……キスしたいっ」
「しゃーねえなやつだなっ……ほらっ」
身体を倒してきた浩平の首に手を回し、自分から引き寄せて口づける。まるで繋がった下半身を模するように舌を激しく絡み合いながら、その間も浩平のピストンは一瞬も止まらなくてキスの合間に喘ぎが零れる。
「剛っ……あんたいつからこんな可愛くなったんだよっ」
「可愛くなんかっ……ああっ!」
「いやすげえ可愛いよっ……一晩中犯したくなるくらい可愛いっ」
腰の動きが更に激しくなっていく。容赦のない動きに正剛はしばらく声も出ず、途切れ途切れに息が漏れるばかりだった。
気持ちいい。このまま死んでもいいとさえ思うほどに気持ちいい。頭の芯まで痺れさせるような快感に浩平の背中を強く抱き寄せながら耐え、けれどしばらくすると射精感が急激に込み上げてきてやり過ごすことができなくなってしまう。
「浩平っ……出るっ……出るっ!」
全身が打ち震えるほどの強烈な快感――挿入するときのそれの何倍も気持ちいいそれに息が止まりそうになる。
自分の下腹部に目をやれば、浩平の腹に挟まれたそこからドロドロと白濁が溢れ続けている。いつもならすぐに引いていくはずの快感も、今日はなかなか収まらなかった。後ろを抉られる感覚がさっきよりも鋭さを増し、まるで中から身体を溶かされているかのような錯覚に陥りそうになる。
「一人でイってんじゃねえよっ」
浩平が一度ピストンを止め、正剛の脚を持ち上げる。そして――何も告げられることなくさっきよりも更に激しい律動が始まった。
貪るという表現がぴったりと来るくらい浩平は正剛の中を撹拌し、腰を叩きつけ、吐息とともに気持ちよさそうな色っぽい声を零す。額からは汗が止めどなく流れ出し、正剛の身体に落ちて弾けた。
「すげえな剛っ……ずっと精子出っぱなしじゃねえかっ」
「だって浩平がっ……あっ、あっ! あんっ…浩平のチンポがっ、気持ちいいっ、からっ……あっ!」
浩平のそれしか要らない。浩平のそれさえあれば他に何も要らない。快感に蝕まれた意識の中でそんな淫乱な雌のようなことを叫んでしまう。それほどまでにこのセックスは気持ちよくて、満たされて――だけど相手が浩平じゃなければきっとこうはならないと確信している。
やっぱりこの男が好きだ。大事にしてきた家族がいなくても、自分が雌にされてしまうのだとしても、この男と一緒にいたい。箱の中に大事にしまっていた気持ちはとうに全身へと巡り渡り、今や正剛のすべてを包み込んでいた。
肉がぶつかり合う音と中を抉る音が響き渡る。信じられないくらい奥まで入り込み、それが一気に引き抜かれて再び奥に飲み込まれる。鮮明に感じるその感触に悲鳴に近いような喘ぎを零しながら、もっと浩平に気持ちよくなってほしくて中を締め付ける。
「剛っ……俺もイクからなっ」
「イってくれっ、浩平っ……俺の中に出してくれっ」
「言われなくてもそうするっつーのっ……ちゃんと全部受け止めろよっ」
身体が激しく揺さぶられる。もう何が何だかわからないままに白濁を溢れさせ続けながら、浩平のそれが放たれるのを今か今かと待ち続ける。
「ああイクっ……中に出すぞ剛っ」
「出してっ……浩平の全部俺の中にっ……!」
そうしてひときわ深く中を突き上げられた瞬間、触れ合っていた浩平の腿がブルっと震えた。一瞬遅れて中に温かいものが注ぎ込まれる感触がして、正剛はそれにどうしようもないくらいの幸福感を覚えるのだった。
6-3
幸せな夜だった。好きな人と触れ合い、一つに繋がり、離婚した元妻との間にあったそれとは比べ物にならないほどの愛に満ち溢れた時間だった。
後ろに受け入れるのは初めてだったにも関わらず、浩平がインターバルをほとんど置かずに結局三回もしたからか、中がじんじんと痛む。けれどそれも繋がった証なのかと思うと妙に嬉しいものがあった。
身体を起こし、ベッドから立ち上がったところで正剛は股の痛みによろめいてしまう。こういうところも痛くなるのかと何だか照れくさいような気持ちになりながら、浩平を探そうとリビングに続くドアを開ける。
「おう、やっと起きやがったか」
浩平は炬燵に入ってテレビを観ていたようだ。どこに座るべきか迷いつつ、正剛は浩平の一つ横のスペースに遠慮がちに入らせてもらう。
「ケツの調子はどうよ?」
「少し痛い……」
「まあ処女であんなに激しくされちゃあ切れても不思議はねえな。薬局で薬勝手塗っといたほうがいいぜ?」
「そうする」
炬燵の中で少し足を伸ばすと浩平の足に触れた。そして触れた瞬間に正剛から離れていってしまい、そのことに少し寂しさを感じてしまう。
「起きたんなら顔洗って来いよ。そんで帰れ」
「えっ……ここにいちゃ駄目なのか?」
「これから人と会う約束してんだよ。だから帰れ」
「わ、わかった……」
せっかく再会できたのだし、もう少しゆっくり話をしたかった。けれど用事があるというなら帰る他ない。仕方なく顔を洗い、帰り支度をして後ろ髪を引かれるような思いがしながらも玄関に向かう。
「あ、連絡先教えてもらってない……」
靴を履いたところでそれに気づき、正剛は見送りに来てくれた浩平を振り返った。
「連絡先? そんなの教えるわけねえだろ」
「ど、どうしてだ……?」
「今度こそもう二度と会うつもりねえから」
冷たく鋭い言葉が不意打ちのように正剛の胸に突き刺さる。
「なんでそんなっ……昨日俺のことあんなにいっぱい抱いてくれたのにっ……」
「そんなん単に溜まってて、都合よく見た目がタイプの男が目の前にいたからだっつーの。性欲処理だよ、性欲処理」
あんなに優しく、それでいて情熱的に正剛の身体に触れてくれたのに、そこに何も気持ちがなかったなんて信じられない。いや、信じたくない。けれどこちらを真っ直ぐに見つめる浩平の目には、冷たい輝きが灯っていた。
「あんたまさか、俺があのときのこと許してるとでも思ってたのか?」
「だってっ……道端で倒れてる俺のこと、助けてくれたじゃないかっ」
「あんたじゃなくても顔見知りなら普通に助けてやったよ。俺はそこまで薄情じゃねえ」
「じゃあどうしてあんなっ……優しく抱いたりしたんだよっ。憎んでるなら、乱暴に扱って外にでも放り出せばよかったじゃないかっ」
「今度は俺の番だと思ったから」
浩平の声と瞳が更に冷たさを増す。
「今度は俺が甘い夢を見させたあと、あんたを地獄に叩き落としてやる番だって思ったから」
浩平の手が一息に伸びてきたかと思うと胸倉を掴み上げられ、正剛はバランスを崩して倒れそうになる。
「あのとき俺があんたに突き放されてどんな思いだったかっ……どんだけ苦しんだか思い知らせてやりたくなったんだよっ」
「……悪かったって思ってる。本当に申し訳ないことをしたとっ……」
「反省すれば許されるわけじゃねえんだよ! マジですげえ好きだったのにっ……あんたとなら恋人としてやっていけるって思ってたのにっ……なんで俺に優しくしたんだよ! なんで気持ち持たせるようなことしたんだよっ!」
「だって俺も浩平のことが好きだったからっ……」
あのとき浩平に抱いていた気持ちは、思い違いでもなんでもなく本物の愛情だった。もしも過去に戻れるなら、今度は父の夢を諦めて浩平を選ぶ。だけど過去に戻る方法なんてどこにもない。
「結婚してからもずっと浩平のことを想っていた……今だってどうしようもないくらい愛してる」
「そんなこと言われたってなんも嬉しくねえよっ! つーかてめえの言葉なんぞ今更信用できるかよっ……俺を捨てて女と結婚してガキつくってっ……そんなやつのことなんかっ……!」
掴まれた胸倉を今度は強く押され、背中が玄関のドアに叩きつけられる。息が止まりそうになるような痛みを感じたが、それ以上に――心のほうがずっと痛い。これが好きな人に突き放された痛み。突き放す側もずっと辛いんだとあのときは思っていたけれど、突き放される側はその比じゃなかった。好きな人に否定される。そばにいることを拒絶される。それは想像以上に重く圧し掛かり、まるで火を吹き付けられたような切なさを伴って正剛を苦しめる。
呆然としている正剛をよそに、浩平は玄関のドアを開け放つと、正剛の身体を外に蹴飛ばした。
「てめえなんかっ……死んじまえっ!」
バタン、と激しい音を立ててドアが閉まる。まるで繋がっていた互いの世界が分断されてしまったかのようだ。そんな強い喪失感を抱きつつ、浩平を求めて閉まったドアに手を伸ばしかけ――そしてその手を引っ込めた。
自分は許されてなどいなかった。むしろずっと憎まれていたのだと思い知らされた。最低なクソ野郎だという事実は何年経ってもきっと変わらないのだ。そんな自分にこのドアを叩く資格などない。どれだけ叩きたくてもそれをしては駄目なんだと自分に言い聞かせ、正剛はおずおずと立ち上がる。
行く当てもなくトボトボと歩いていると、途中で涙が溢れ出した。それを拭いもせず垂れ流していると、すれ違う人たちが怪訝な顔をして通り過ぎていく。
大きな橋に差し掛かったところで正剛は歩みを止めた。欄干に胸をもたれさせ、眼下を流れる河の流れを意味もなく眺める。
これで本当に自分はすべてを失くしてしまった。穴の開いてしまった心からは大事な感情がすべて抜け出てしまい、空っぽになったそれは少しずつ凍り付き始めている。
この世界にはもう、大事なものなんかない。考えても、考えても、今自分が何のために生きているのか、これから先何のために生きるのか、それが一つも出てこなかった。ならここで人生に終止符を打つのもいいかもしれない、と眼下の景色を眺めながら思いつく。
死ねばこの耐えがたいような喪失感からも、どうしようもないくらいの寂しさからも解放される。もう何に悩むことも、何を考えることもしなくていいんだ。そう思うと急に気持ちが楽になった。死ぬことが恐くないわけじゃないけれど、この塞ぎ込んでどうにもならなくなるような気持ちを抱えながら生きていくよりはずっとましだ。
正剛は欄干に足を掛ける。このまま前に体重をかければ簡単に河の中へと落ちてしまうだろう。その寸前で留まって、これまでの人生を振り返る。
いい人生だった、と言えるようなそれじゃなかった。中学生で母が亡くなって、社会人になると父が亡くなって、そして結婚した妻に裏切られ、子を奪われ……むしろ散々な人生だったなと、情けなさ半分にいろんな出来事を振り返る。
けれどそんな中で唯一色鮮やかに記憶に残った思い出もある。それが浩平と過ごしたあの懐かしい日々だった。ただそばにいるだけで、あれほどの幸せを感じられた相手は他にいない。本当に、心の底から彼のことを愛していたのだと、この人生の最後の瞬間までその強い気持ちに苛まれる。
「浩平っ……」
自分以外の誰かと結びつくなんて想像するだけでも腹立たしいが、それでも彼には幸せになってほしい。自分でも驚くほど優しい気持ちになりながら、正剛はついに重心を前に傾ける。
「――おいっ!」
その瞬間、鋭い声が鼓膜を震わせると同時に後ろからものすごい力で引っ張られ、正剛はそのまま欄干から滑り落ちる。背中からコンクリートの上に叩きつけられ思わず咳き込むが、幸いにも頭を打つことはなかった。
「あんたは何してんだよっ!」
顔を上げると、浩平がさっきの別れ際に見せたそれよりも更に怒ったような顔になってこちらを見下ろしている。
「振られたくらいで死のうとしてんじゃねえよっ! アホか!」
「だって俺にはもうっ、何もないからっ……生きてたってしょうがないっ……それに浩平だってっ、さっき死ねって言ったじゃないかっ」
「本気でそんなふうに思ってるわけねえだろボケ! いつまでもメソメソしてねえで、とっとと次の相手見つけりゃいいだろ! その面と性格ならいくらでも相手見つかるだろうが!」
「けどっ……お前以上に愛せる相手には絶対出逢えないっ……妻のことだってっ、お前以上に愛することはできなかったっ」
「ならあのとき俺を振らなきゃよかっただろ! そうやって後悔するくらいならっ……俺と付き合ってりゃよかったんだよっ!」
ポタ、と水滴が正剛の額に落ちてきた。それは一粒落ちてくるとまるで小雨のようにぱらぱらと降り始め、正剛の顔を濡らしていく。浩平の瞳から零れ落ちてきているのだと、少し遅れてから気づいた。
浩平がどうして泣いているのかわからない。どうしてここにいるのかも……。何か言葉をかけるべきだろうかと戸惑っていると、胸倉を強く掴まれる。
「そんなに俺がいいのかっ……?」
そう訊いてきた声も瞳も、嘘偽りは許さないと言っている。
「俺はっ……浩平がいいっ……」
「ならここで誓えっ! 二度と俺を突き放したりしないってっ……どんなことがあっても、俺以外のやつに鞍替えなんてしないって誓えっ!」
「誓うからっ……浩平のそばにいさせてくれっ……俺を独りにしないでくれっ……」
素直な気持ちを吐露すると、胸倉を掴んでいた手の力が緩んでいく。そしてその手が今度は正剛の背中に回り、強い力で抱きしめられた。
「もしもまたあのときと同じようなことしたら、今度はあんたを殺して俺も死ぬからなっ……」
「うんっ……」
優しい温もりが浩平の身体から流れ込んでくる。途端に涙がまたぶわっと溢れ出した。恥も何もなく子どものようにわんわんと声を上げて泣きながら、正剛は浩平の身体にしがみつく。その背中もまた、正剛と同じようにしばらくの間震え続けていた。
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