黄金の海を目指して

益巣ハリ

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11. 着せ替え人形

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奥御殿での食事会から2週間後、再び王家から封筒が届いた。 
   
 先日片山が城に招かれたとの話を聞いて、これまで見下していた“平民上がり”と少しでもお近づきになろうと紫乃の親族が大挙して押しかけていたところにまた手紙が来たものだから、皆すっかり度肝を抜かれてしまい、まるで片山自身が王家であるかのような尊敬のまなざしで彼を見るようになった。これまでは目を合わせる価値すらない、とでも言いたげだった紫乃の母親は、今や頭が床につく勢いでこれまでの援助について彼に感謝するのだった。 
   
 手紙の内容を覗き込もうとする親戚たちから逃げ、部屋でゆっくりと読む。手紙はやはり氷冠からで、意外な内容が書かれていた。 

“片山天雄殿 
先日は楽しい時間をありがとうございました。 
妹共々、片山様のファンになってしまいました。次に漫談を聞ける日が楽しみです。
そこで、もし良ければで構いませんが、今週末水仙ホールで行われる仮面舞踏会を題材にネタを作っていただけないでしょうか。
外国の上流階級の間では仮面をつけて踊るのが流行っているらしく、なかなか刺激的な集まりのようです。私も参加したいところですが、王子がそのようなものに参加するわけにも行かず、せめてお話だけでも聞きたいと思っております。ある筋から入手した招待券を同封していますので、ぜひ楽しんできてください。 
   
 追伸:仮面舞踏会には女性のパートナーが不可欠のようです。お相手がいなければ、どこぞの女中でも構いません。 
   
賢泉氷冠“ 
   
 どこぞの女中、が誰を指しているかは明らかだった。つまりは琥珀を連れてこの仮面舞踏会に行けということか。ということは、今度の呪いの相手がここに参加するのだろう。氷冠から直々に頼まれるとは、いよいよ自分が呪いの深いところまで関わってしまったと実感する。だが得られるものを思えば、そんなもの些細なリスクだった。 
   
 手紙を受け取ってすぐ、水晶の館に馬車を飛ばす。本当はあの日すぐにでも慰めたかったが、帰宅した時にはすでに押し寄せてきていた紫乃の親族のせいでなかなか時間が取れなかった。無理をすれば少しくらいは会えたかもしれないが、王族の顔色を伺って何もできなかった自分が恥ずかしく、どんな顔をして話そうか迷っていたところだったため、この手紙は会う絶好の機会だった。 
 琥珀も同じ内容の手紙を読んだようで、彼が館についてすぐ出迎えに来た。 
   
「すみません、こんなことに巻き込んでしまって」 
「全然ええよ。それより最近会えてなくて悪かったなあ。御殿で食事したって聞いて、元妻の親戚が家に押しかけてきて…」片山はため息をついた。
   
「せやから今日はお詫びと打ち合わせも兼ねて、ちょっとお出かけしようや。仕事の都合が良ければやけど」 
 急な提案だが、呪いに関することならきっと仕事より優先だろう。予想通り、お出かけと聞いて琥珀の瞳が輝いた。 
   
「もちろんです。用意してきますね、少しお待ちいただけますか」 
  
 女性にこう言われたときは大概少しどころではなく待つものだが、琥珀は言葉通り10分ほどで現れた。メイド服から洗いざらしの藍の着物に着替え、いつも後ろで括っている髪を一つにまとめ小さなリボン付きのバレッタで留めている。これしか持ってなくて、と恥ずかしそうに笑う琥珀に、片山は思わず見惚れてしまった。確かに着物もバレッタも見るからに安物だが、身体に染みついた所作のせいか、不思議に気品が漂っていた。
  
 館の前に待たせておいた馬車に乗り込み、御者に行き先を告げる。女中というものは大体、二十歳を超えるとこれまでの労働が体に浮かび上がってくるものだ。無防備に晒された肌に浮かび上がる小さなシミや、水仕事で荒れた手は、彼女たちの人生の勲章だ。しかしこうして日の元で琥珀をまじまじと見ると、蝋を固めたように白くまっさらな肌をしていて、なるほどこれが王族かと納得してしまう。他が美しい分余計に、あかぎれの目立つ手が哀れだった。 
  
「いつもあんな風にいじめられとるの」御者に聞こえないよう気をつけて切り出すと、これまで明るかった彼女の顔がサッと曇った。 
  
「あの兄妹ですね」琥珀はため息を付いた。 
「なんであんなに嫌われてるのか、私にもわからないんです。兄はまだしも、妹の方なんかロクに話したこともないのに」 
「黙って見ててほんまにごめんなぁ」ずっと言いたかったことをやっと口に出せ、自己満足だとわかっていながらも、少しは心が軽くなった。 
  
「いえ、こちらこそ嫌なもの見せちゃってごめんなさい。もしあそこで私を庇ってたら、王子は絶対片山様に良からぬことをしてたはずですから、動かないでくれて本当に良かったです」さりげなく言われた言葉に、片山の背中に冷たい汗が伝った。 
  
「あの人たちが片山様に何もしなくて安心しました。…けど、こうして手紙までよこすなんて。王子は気に入らない相手とは2度と関わろうとしないから、片山様のことが大層気に入ってしまったのでしょう。厄介なことになってごめんなさい」
「俺みたいなもんが王族と私的に関われるなんか本来ありえへんことなんやから、むしろお礼を言いたいくらいやわ。王子はおっかないけど、俺にとってはまたとないチャンスや」
「そう言ってくれてありがとうございます。私に関わったせいでご迷惑をかけるのが1番怖かったから、お役に立てているなら良かったです」
   
  氷冠王子に気に入られていると聞き、片山は興奮を隠せなかった。人間性に多少の不安はあるが、機嫌を損ねなければ良いだけだ。片山は自分が上手くやれる自信があった。王族とのパイプが出来れば、漫談氏からもっと上へと登れるはずだ。いずれは政界に食い込めるかもしれない。 
  
 呂色国で要職に付けば、莫大な権力と富、そして王族に次ぐ尊敬が約束される。だがその地位は政治を司る賢泉家の遠縁で占められていて、普通の華族には夢のまた夢だ。彼に目をかけてくれている霞大臣も、あれほど地味な見た目に似合わず、元を辿れば賢泉家に繋がる名家出身だ。

 だが一つだけ、非血族でも政界に食い込める方法があった。それは輝石家の代にねじ込まれた法律で、文部大臣だけはその時に最も主要な功績を残した芸術家が選ばれるのだ。芸術の種類や身分に区別はなく、現に今の大臣は海外で山ほど賞を取った平民出身の演舞家だった。一度大臣に選ばれてしまえば、もう2度と平民上がりと呼ばれることはない。爵位と引き換えに片山に寄生し続けているダニのような元妻の親族たちとの縁もようやく切れるだろう。
  
 絶対大臣になって、こいつらを見返してやる。どれだけ笑いを取っても、どれだけ稼いでも平民上がりと揶揄されていた若い日に掲げた大それた夢が、現実味を帯びて彼に近づいてきた。王族と繋がりができれば国規模の催しで漫談を披露できるだろうし、その分功績を残すチャンスも増える。この間までは想像もしなかった好機に、琥珀に心から感謝した。 
  
「ところで、今日はどこに向かうんですか?」 
「舞踏会の準備と言ったら決まっとるやろ」 

 馬車は街中を進み、お目当ての店に着いた。店は中央区のメイン通りから3本ほど裏にあり、人目に付きにくく店主も口が堅いということで、金持ちが愛人のドレスを仕立ててやる時に使われる店だった。王族の琥珀は、本来なら国で1番の仕立て屋を傅かせる立場であったのに、このような日陰の人間が通う店にしか連れて行けないのがもどかしかった。それでも彼女は心から喜んでくれたようで、ショーウインドウに並んだ煌びやかなドレスに歓声を上げていた。  
   
 店内に入ると、太った色黒の店主が奥からいそいそと出てきた。店主は絶対に秘密を守る男だと聞いていたが、脂ぎった笑みからは到底そう思えなかった。

「いらっしゃいませぇ。今日は何をお探しで」
「今度舞踏会があるんでね。ドレスとタキシードを」
「お二人で舞踏家に出席するんで?ああ、仮面舞踏会ですか」

 琥珀が笑顔で頷いた。純粋な彼女は店主の言葉を文字通り受け取ったようだが、片山は店主が言わんとすることを理解して顔をしかめた。若い愛人と連れ立って行けるパーティーなど、顔を隠す仮面舞踏会しかないのは確かだが、あまりにも失礼だった。

「仮面舞踏会にぴったりの、うんと華やかなドレスをいっぱい置いてまっせ。さ、こちらへどうぞ。どれも海外を回って買い付けた一級品ですわ」

 店主が指し示す先に、色とりどりのドレスが並んでいた。種類がありすぎてどこから見ていいか迷うほどだったが、琥珀はすぐにお気に入りを見つけたようで、駆け寄ってじっと眺めていた。

「遠慮なんかせんと、手にとって見てええんでっせ」
「いけませんわ。手が荒れているから、素晴らしい生地をひっかけてしまいそう」琥珀はもじもじと手を隠した。
「ほお、粋な心掛けですなあ。そんならお気に入りのもんを教えてください。何個だって出しまっせ」
「じゃあ、あそこにある深緑のAラインのと、フリルがついたピンクのドレスをお願いします」琥珀の注文を聞き、店主はぱちくりと瞬きをした。
「他に気になるもんはありますか?」
「うーん…右端にある白のタイトなドレス、商品は素敵なんですが、私には似合わないかなとも思うし…」
「なるほどぉ。旦那様、ちょっと」店主は片山の方を向くと、付いてくるよう目で合図した。琥珀を店の奥に残し、彼についていく。
   
「あのお嬢さんとはもう長いんで?」琥珀から十分距離を取ると、店主が切り出した。
「はぁ、そこまでは」質問の意図がつかめず、片山はあいまいな笑みを浮かべた。
「もしかして、元は華族様だったりします?」店主は人工物のように真っ白な歯をきらめかせ、下品な笑みを浮かべた。驚く片山を見て、これは秘密ですよ、と前置きして店主が続ける。
   
「うちに来るような女性はほら、ほとんど愛人業ばっかやないですか。いや、気ィ遣わんでええんです、うちの評判は知ってますさかい。まあとにかく、そういう女は大概貧乏育ちで目ェが肥えとらんから、粗悪な品でも派手でさえあれば喜ぶんですわ。連れてくる旦那方もドレスっちゅうもんに頓着ないから、言われるがままに買うしなぁ」店主は悪びれもせず高らかに笑った。
   
「旦那様だけに教えますとね、あそこにあるんはほぼ偽もんで、外国の有名店で仕入れたほんまの高級品なんちゅうのは数枚も無いんです。でもお嬢さんがさっき選んだの、あれ全部ほんまもんでっせ。よっぽど普段からええもんに触れてたんやろうね…元公爵とか、伯爵とかその辺りと見た」店主の顔から下品さが消え、真剣な顔をしていた。下卑た商売人と思っていたが、どうやら見る目は本当に確かだったようだ。  
   
 「お、その反応を見るに、ワシの見立ては当たってるんとちゃいます?そんな素晴らしい目を持つお嬢さんにぴったりの特別なドレスがあるんですけど、どないですか。少々値は張りますが」片山がその提案を断るはずも無かった。店主が裏から取り出してきたのは、金糸で織られたレース編みのドレスだった。

「こんなんもありますけど、どうでっか」琥珀の表情だけで、このとっておきに心が決まったのがわかった。

「小さく見えますけどね、身体にぴったり張り付いてキレーなラインが出ますよ。ボクのオカンが手伝いますさかい、ぜひ着てみてください」

 どこからか老婆がやってきて、琥珀を試着室へと連れて行った。数分後、満足しきった顔の老婆が出てきて、その後に琥珀がやってきた。

 金糸で織られたレースが、吸い付くように身体に張り付いている。中に白いサテンのスリップを着ているが、一瞬裸にレースを纏っているように見えて片山は息を呑んだ。大きく開いた胸元から腰にかけて、身体のラインがわかるようにぴったりと張り付いており、足元はまるで人魚のような大きなフリルが広がっている。炊事で荒れた手をサテンの手袋で隠せば、もう完璧な令嬢だった。
   
「ほんまに似合っとる」伝えたい言葉や複雑な気持ちが溢れ、その一言を絞り出すのがやっとだった。 
   
「まだ最後の仕上げが終わってへん。お化粧する間、旦那様にタキシードをご案内してや」老婆は店主に言い、琥珀をカーテン向かいの化粧室に連れて行った。 
   
 店主が片山に持ってきたのは天鵞絨のタキシードで、シャツは滑らかなシルクで袖口に金糸が織り込まれていた。琥珀の輝きを引き立てるような装いで、彼女の隣に立つにはぴったりだった。2人分の支払いを済ませ、ちょうどスラックスの丈を詰め終わったころ、老婆が琥珀を連れてきた。

 普段きっちりと一つに結んでいる彼女の髪は緩く巻かれて、女神のように波打つように波打っていた。無邪気に赤く染まっていた頬は真っ白な粉白粉で色味を消され、棒紅をたっぷりと塗った深紅の唇だけが艶やかに主張していた。琥珀が元々持っていた幼さや優しさが塗りつぶされ、神の血を引く女の凄みすら感じるその化粧に、店主も片山も、それを施した老婆でさえも心に一種の畏れを感じて黙りこくってしまった。 
   
「綺麗にしていただいて本当にありがとうございます。最後に仮面を選ぶんですよね」すっかり固まってしまった3人に気づかないようで、琥珀はにこにこと笑った。赤い唇が吊り上がって白い歯がこぼれ、年相応の幼さが顔をのぞかせる。

 まるで呪縛が解けたように、店主はあたふたと仮面の準備をし始めた。美しい蝶のような仮面、孔雀の羽飾りがついた見事な仮面、色とりどりの仮面が彼女の前に並べられたが、琥珀は迷いなく彼女は真っ白な仮面を選んだ。  
   
「そんな柄無いのでええんですか?」  
「ええ。これにします」
「簡単なものでええなら仮面に絵ぇも入れられますけど、どうします?」  
「それなら…」

 琥珀は筆を受け取ると、目の下に黄色い涙を書き込んだ。  
  
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