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第9話
葬儀場で
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祖父の運転する乗用車が葬儀場の駐車場に滑り込んだ。
わたし達は車を降りて建物の中に入り一階にあるフロントまで行って受付を済ませた。
そして祖父と祖母は今後の葬儀の段取りを打ち合わせる為に相談室へ行きわたしと母そして由美はその間に安置所に置かれた節子さんの遺体と対面する事になった。
祖父母と別れわたし達三人は葬儀社の係員の案内で節子さんの遺体の眠る安置室へと向かった。
係員に案内されたその部屋は10畳ぐらいの大きな和室だった。
その明るい照明に照らされた畳部屋の中央に木で出来た質素な棺が安置されていた。
わたしと母そして由美の三人はその蓋の開いた棺の方へゆっくりと近づいて行った。
母は杖を車に置いてきたのでわたしが母の身体を支えて彼女が歩くのを助けた。
やがて棺の近くまで来るとわたし達はその横にひざまずいて蓋をしていない棺の中で静かに眠る節子さんの遺体と対面した。
遺体は白装束の着物を着ており両手を胸の上で組んだ姿で棺の中に悄然と横たわっていた。
首すじにあった酷い火傷は着物の襟と白粉による化粧でうまく隠されている。
「おばあちゃん、そっくり!」
由美が驚いて言った。
歳を重ねると血縁者はよく似ると言われるがこうして側で比べて見ると母と節子さんはよく似ていた。
母はわたしに半身を支えられたまま床に膝をつくと棺の中の節子さんの顔にそっと手を伸ばした。
母の老いた手が節子さんの遺体の頬をそっとなでる。
その死に顔は安らかだった。
母はその顔を優しく撫でながら涙で眼をうるませて呟いた。
「どうしてだろうね。ちゃんと事情を話してくれれば解り合えたかもしれないのに。そうすればこんな別れ方をせずに済んだだろうに」
わたしは棺の側にうずくまり節子さんの遺体に触れる母を正座の姿勢で横から抱き支えており泣きながら呟く母に向かって静かな口調で言った。
「きっとお母さんに自分の様な苦しみを背負わせたくなかったのよ。きっと戦争の暗い影が差さない場所で幸せに育って欲しかったのよ。たとえ自分が冷たい人間と思われても。本当の気持ちを必死に押し殺して耐えていたんだわ」
母はわたしの言葉を聞くと目をつぶり首を振った。
「でも、やっぱり話して欲しかったよ。そしたら母さんの事きっと嫌いにならずに済んだ。二人で分かち合えば苦しみだって半分にできたかもしれない」
「そうだね」
わたしは母の言葉にはうなずきながらも節子さんの気持ちもまたよく解る様な気がした。
今はともかく幼い母に被爆者の家系である事を告げるのはとても難しかったのではないだろうか。
果たしてあの頃の母にその重い事実を受け止める事が出来ただろうか。
やはりあの当時の状況を考えると被曝者の子供という烙印は母の人生にとって大きな負担となったのは確かだろう。
当時もそしてもしかしたら今も被爆した人たちが差別と白眼視の対象となる可能性があるのは事実なのだから。
差別に負けるなと人は良く言うが差別される苦しみを本当に理解できるのはその当事者だけだろう。
戦争の暗い影が届かない明るい場所で母が若葉のように健やかに成長する事を願った節子さんの気持ちはわたしにも充分理解が出来た。
わたしも人の親なのだから。
だがその結果として母と節子さんの親子の絆は断たれ二人は疎遠なまま別れの時を迎えてしまった。
母や節子さんだけではなく一体どれだけの大切な絆が戦争によって引き裂かれ多くの人々の人生を破壊した事だろう。
わたしはその莫大な被害の大きさに思わず身震いし冷たい汗を流していた。
ふと気付くと娘の由美がわたしの背後に立って棺の中の節子さんの顔を不思議そうに覗き込んでいる。
娘は棺の側で膝をついて泣く母親を隣で支えるわたしに首をかしげながら尋ねて来た。
「この人誰なの?おばあちゃんに似てるけど」
まだ幼く状況が分からない由美にわたしは諭すように言った。
「この人はわたし達にとって大切な人なの。わたし達はこの人という幹から生まれた枝葉みたいなものよ」
「ふうん」
更に不思議そうな顔をして由美はまた首を傾げた。
(譲り葉)
わたしの脳裏にまたあの詩の題名が浮かんだ。
親から子への無償の愛を謳ったあの詩をー。
母はずっと棺の側でひざまずき中に横たわる節子さんの顔を撫でていた。
失われた月日を少しでも埋めようとする様に。
わたしは泣きながら節子さんに寄り添う母の老いた身体を側で支えながら目を瞑り静かに押し寄せる悲しみにしばし身を任せた。
やがて顔を上げると畳敷きの安置室の大きな部屋窓から春の日差しが差し込んでいた。
そしてその窓から見える葬儀場の広い庭にはあちこちに彼岸花の赤い花弁が群れをなして咲いているのが見えた。
ハミズハナミズ
彼岸花の別名だ。
花が咲く時にはすでにその葉は散っており両者が出会う事はない。
なんだか譲り葉みたいだとわたしは思った。
棺の傍らで泣き続ける母に寄添いその震える身体を両手でしっかりと抱きしめながらー。
[続く]
わたし達は車を降りて建物の中に入り一階にあるフロントまで行って受付を済ませた。
そして祖父と祖母は今後の葬儀の段取りを打ち合わせる為に相談室へ行きわたしと母そして由美はその間に安置所に置かれた節子さんの遺体と対面する事になった。
祖父母と別れわたし達三人は葬儀社の係員の案内で節子さんの遺体の眠る安置室へと向かった。
係員に案内されたその部屋は10畳ぐらいの大きな和室だった。
その明るい照明に照らされた畳部屋の中央に木で出来た質素な棺が安置されていた。
わたしと母そして由美の三人はその蓋の開いた棺の方へゆっくりと近づいて行った。
母は杖を車に置いてきたのでわたしが母の身体を支えて彼女が歩くのを助けた。
やがて棺の近くまで来るとわたし達はその横にひざまずいて蓋をしていない棺の中で静かに眠る節子さんの遺体と対面した。
遺体は白装束の着物を着ており両手を胸の上で組んだ姿で棺の中に悄然と横たわっていた。
首すじにあった酷い火傷は着物の襟と白粉による化粧でうまく隠されている。
「おばあちゃん、そっくり!」
由美が驚いて言った。
歳を重ねると血縁者はよく似ると言われるがこうして側で比べて見ると母と節子さんはよく似ていた。
母はわたしに半身を支えられたまま床に膝をつくと棺の中の節子さんの顔にそっと手を伸ばした。
母の老いた手が節子さんの遺体の頬をそっとなでる。
その死に顔は安らかだった。
母はその顔を優しく撫でながら涙で眼をうるませて呟いた。
「どうしてだろうね。ちゃんと事情を話してくれれば解り合えたかもしれないのに。そうすればこんな別れ方をせずに済んだだろうに」
わたしは棺の側にうずくまり節子さんの遺体に触れる母を正座の姿勢で横から抱き支えており泣きながら呟く母に向かって静かな口調で言った。
「きっとお母さんに自分の様な苦しみを背負わせたくなかったのよ。きっと戦争の暗い影が差さない場所で幸せに育って欲しかったのよ。たとえ自分が冷たい人間と思われても。本当の気持ちを必死に押し殺して耐えていたんだわ」
母はわたしの言葉を聞くと目をつぶり首を振った。
「でも、やっぱり話して欲しかったよ。そしたら母さんの事きっと嫌いにならずに済んだ。二人で分かち合えば苦しみだって半分にできたかもしれない」
「そうだね」
わたしは母の言葉にはうなずきながらも節子さんの気持ちもまたよく解る様な気がした。
今はともかく幼い母に被爆者の家系である事を告げるのはとても難しかったのではないだろうか。
果たしてあの頃の母にその重い事実を受け止める事が出来ただろうか。
やはりあの当時の状況を考えると被曝者の子供という烙印は母の人生にとって大きな負担となったのは確かだろう。
当時もそしてもしかしたら今も被爆した人たちが差別と白眼視の対象となる可能性があるのは事実なのだから。
差別に負けるなと人は良く言うが差別される苦しみを本当に理解できるのはその当事者だけだろう。
戦争の暗い影が届かない明るい場所で母が若葉のように健やかに成長する事を願った節子さんの気持ちはわたしにも充分理解が出来た。
わたしも人の親なのだから。
だがその結果として母と節子さんの親子の絆は断たれ二人は疎遠なまま別れの時を迎えてしまった。
母や節子さんだけではなく一体どれだけの大切な絆が戦争によって引き裂かれ多くの人々の人生を破壊した事だろう。
わたしはその莫大な被害の大きさに思わず身震いし冷たい汗を流していた。
ふと気付くと娘の由美がわたしの背後に立って棺の中の節子さんの顔を不思議そうに覗き込んでいる。
娘は棺の側で膝をついて泣く母親を隣で支えるわたしに首をかしげながら尋ねて来た。
「この人誰なの?おばあちゃんに似てるけど」
まだ幼く状況が分からない由美にわたしは諭すように言った。
「この人はわたし達にとって大切な人なの。わたし達はこの人という幹から生まれた枝葉みたいなものよ」
「ふうん」
更に不思議そうな顔をして由美はまた首を傾げた。
(譲り葉)
わたしの脳裏にまたあの詩の題名が浮かんだ。
親から子への無償の愛を謳ったあの詩をー。
母はずっと棺の側でひざまずき中に横たわる節子さんの顔を撫でていた。
失われた月日を少しでも埋めようとする様に。
わたしは泣きながら節子さんに寄り添う母の老いた身体を側で支えながら目を瞑り静かに押し寄せる悲しみにしばし身を任せた。
やがて顔を上げると畳敷きの安置室の大きな部屋窓から春の日差しが差し込んでいた。
そしてその窓から見える葬儀場の広い庭にはあちこちに彼岸花の赤い花弁が群れをなして咲いているのが見えた。
ハミズハナミズ
彼岸花の別名だ。
花が咲く時にはすでにその葉は散っており両者が出会う事はない。
なんだか譲り葉みたいだとわたしは思った。
棺の傍らで泣き続ける母に寄添いその震える身体を両手でしっかりと抱きしめながらー。
[続く]
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