信濃川左岸の恋

日立かぐ市

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 先週の雪はすっかり消えている。天気はよくないが万代橋の欄干をさすりながら待ち合わせの古い繁華街へと向かう。車やバスは沢山走っているけどやっぱり今日も信濃川を歩いて渡る人は少ない。

 望実ちゃんは時間通り現れると一言二言だけで先を歩きだした。それに無言でついていった。

 橋の向こうの古い繁華街は商店街のような通りになっていて、古着屋や雑貨屋らしいお店、かわいいお店がいくつも並び、馴染みのない私には目新しくその度に足を止めるが望実ちゃんにはそうじゃなく、なんども走って追いついた。

 5分くらい歩くと望実ちゃんはこのまえのお店とは違うけれど、やっぱり古そうな喫茶店に入っていった。お店の入り口脇には写実的ではない食品サンプルの入ったショーウィンドウがあり、たぶん一年中置いてあるのだろうハイビスカスの造花の隣にサンタクロースの置物もあった。

 店内はやはり薄暗く、やはりこのお店も単に照明器具が不足しているように思えた。カウンターに立つお店のおじさんは無言で、望実ちゃんも無言でソファーに座るからその向かいに座った。

 テーブルにある簡素なメニューを取ると思いの外種類がある。

 おじさんが無言のまま水を持ってくると「プリン・ア・ラ・モードとコーヒー、それぞれ2つ」と望実ちゃんはぶっきらぼうに注文した。

 メニューを見るとそれはセットで650円だった。先週はコーヒーだけで500円だったから、ここはお得な喫茶店だ。

「今日もかわいいね」

 先週は寒くてただ厚着しただけだったけど、今日はおしゃれをしてきた。ダウンは同じだけど、白いハイネックのニット、深い緑色の膝丈スカートはお気に入りなのに蒼には評判が悪い。

 望実ちゃんはダブルのコート、それを脱ぐと鮮やかなターコイズブルーのニットだった。私と違って大人っぽい。

「でしょ!来る時、今日は万代橋の欄干ツルツルにしてきたよ」
「すぐにはツルツルにならないよ」

 落ち着いた声だった。

「写真持ってきた?」
「うん」

 その返事から少し間を取ってから取り出したのは大きな写真だった、ハガキの倍くらいのが二枚。こんなに大きな写真だなんて思ってもいなかった。写真ってもっと小さいものだと思っていた。

 それに知らなかった。写真がこんなに綺麗だと。

 長方形の紙の真ん中に正方形の写真。万代橋の下の遊歩道から撮られた写真の中の私は雪玉を投げていた。

 薄く均一な雲、その下に万代橋のアーチと槍のような電灯、そこにアホヅラの私もいる。

 空も万代橋も雪も私もどれも薄いグレーで描かれている。これが白黒写真ってやつなんだ。全てが色のないグレーなのに、それが薄曇りの雲空で石で出来た橋で私の顔だってわかる。

 正方形の写真の外側は真っ白の紙のまま。その余白まで計算しているように思えた。

 もう一枚、私が望実ちゃんに雪玉を投げつけている写真も好きだ。私の後ろの背景はボケていて写真の中の私はブレていて何一つくっきりと写っていない。それなのに、はしゃいだその表情がはっきりとわかる。

望実ちゃんの白黒写真、本当はあったはずの色が取り除かれてグレーになっているのに、なんでだろう、なぜかそれが本来のもののように思えてくる。あの日の灰色の曇り空は確かに私の好きな空だったけど、私の記憶とは違う。

 二枚の写真で私の記憶は美化されてしまった。あの薄く均一な曇り空がもっと好きになったしまった。望実ちゃんの白黒写真を目の前にしたことで。

「この写真好き。もしかして望実ちゃんってプロ?写真おっきいし」
「素人だよ、こんな写真」

 目を合わせずうつむきながら、そう答えた。

「すっごく綺麗。すごくない?」
「喜んでもらえたみたいで良かった。でも凄くないよ、こんな写真は誰だって撮れるから」
「プロじゃないの?」
「素人だって」

 私はお世辞じゃないし向こうは謙遜しているという風でもない。お互い、本当に言葉通りそう思っている。

「写ってるこれ私だよね?この可愛い女の子」
「そうだよ。無邪気で可愛い」
「やっぱり写真集とか出してるんでしょ?写真展とかさ。望実ちゃんの写真、もっと見たい」
「こんな写真じゃ写真展も写真集も出来ないよ」
「なんでなんで?写真すごいのにもったいないよ、やろうよ写真展。それでまた撮ってよ、もっと撮ったら出来るでしょ写真展。私のこと撮ったら写真展出来ない?」
「写真展とか写真集ってさ本気で写真に取り組んでる人じゃなきゃ駄目だよ。私みたいなぼんやりと撮ってるだけじゃ」
「インスタは?」
「やってないよ。友達も少ないし、私の写真見たい人なんていないからさ」

 無愛想なおじさんがプリン・ア・ラ・モードとコーヒー2つをお盆も使わず器用に一度で持ってきた。

 おじさんが行ってしまう前に望実ちゃんはすぐに食べ始めた。

 プリン・ア・ラ・モードのプリンの上には缶詰の真っ赤なさくらんぼが載っている。

 りんごとバナナと生クリームとキウイ、八等分に切られた桃缶、焦げ茶色のカラメルがたっぷりかかってお皿の底に溜まっている。欲張りだ。

 一口目、どこから始めるのか少し手が迷う。スプーンを取り生クリームを絡めるようにプリンを掬い上げる。
 冷たくて苦くて甘いカラメルソースがゆっくりと舌に広がっていく感覚が心地いい。

「昔から金髪なの?」
「一人暮らし始めてからだから1年くらいになるかな。金髪の人ってさ自分のやりたい事だけをやっているってイメージあったから、私もそうなりたいなって思って。そのままだと自分のやりたい事すらもやらないからさ」

 そう話しているあいだ、私にプリンを取らないか気にしているわけじゃないと思うけど、ずっとプリンを見ていた。

「金髪似合ってる。カメラも昔から?」
「カメラも大学に入ってからだね。その前からやってみたかったけど」
「じゃあすぐに上手くなったんだ」
「上手くはないよ」
「私も望実ちゃんみたいな写真撮れるようになる?」
「なれる。すぐ撮れるよ」
「ほんとに?」
「ほんとに本当」
「じゃあさ教えてよ、撮り方。来週」

 しょうがない、でも嫌ではなさそう、そんな顔だった。
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