想ひ出のアヂサヰ亭

七海美桜

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二十二膳目

行方不明のわかと温かな粕汁・上

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 俺たちの財宝は尊さんの力を借りて、千円分だけはすぐに換金して貰った。そして残りは、ゆっくりと換金している。そして、保管も尊さんにして貰っていた。やはり薬研家の力でも、あれだけのきんや貴重な赤珊瑚あかさんごなどはすぐに動かせない。それに、今は洋風の建物を作ることが多くなっていて、資材や大工がすぐに届かないのだ。
 家や畑は俺の名義に変わって手に入っているので、別に焦ることもなかった。家賃を払わずに営業できるから、売り上げは俺たちのものになる。
 それに尊さんは洋風の建物が作れる大工の手配もしてくれているので、換金が出来て資材が用意出来ればすぐに蕗谷亭は改装工事が始まる予定だ。


 年が明けて、明治四十三年の三月。先月は、例年通り俺たちの十四歳の誕生日のお祝いをした。でも、今年は尊さんと勝吉さんも参加してくれて賑やかだった。おっかさんも楽しそうにしてくれていて、本当に幸せな日を過ごせた。
 何より、おっかさんは勝吉さんの事を気に入ったようだった。彼の事情は話していたが、おっかさんは勝吉さんの仕事ぶりを眺めていて「いい子じゃないか」と、笑った。

 勝吉さんは、大根泥棒未遂をしたのが噓のように、蕗谷亭で真面目に働いてくれている。任せっぱなしにしてしまった畑も、彼は松吉さんに聞いて勉強したみたいで今年の冬野菜は豊富に育った。空いている時間はしのに読み書きと算術を習って、そして俺から包丁の使い方も学んでいる。今のところ、火の当番と三度の飯炊き、洗い物は勝吉さんが率先してやってくれていた。驚くほどの、頑張り具合だ。

 しかし冬の洗い物は、今でも慣れない。あかぎれが出来て、その傷口には水が染みる。勝吉さんの手は、俺たちよりあかぎれがひどくて赤い手をしている。それでも、黙々と勝吉さんは頑張ってくれていた。

「恭介、今月も給金ありがとう」
 今日は、給料日だ。俺は現代で叔父さんにバイト代を貰っていた二十日を、給料日にしていた。今まで曖昧な給料を支払っていたりんさんにも、勝吉さんと同じ金額を払うことになっていた。
 勝吉さんと違って長屋代があるから少し多く支払うと言ったが、りんさんは勝吉さんと同じでいいと言って、譲らなかった。確かにその申し出は、今の蕗谷亭にはありがたい。まだ、たくさん稼いでいるわけではないからね。

「こちらこそ、ありがとう。勝吉さんのおかげで畑が豊作になって、本当に助かるよ。野菜が豊富だから、定食の献立を考えるのが毎日楽しいんだ」
 朝しのと一緒に蕗谷亭に行くと、もう勝吉さんは起きて竈に火をつけている所だった。それが落ち着くと、彼に給料を手渡した。勝吉さんは、俺が渡したお金を大事そうに受け取ってくれた。
「勝吉さん、これどうぞ。確か、財布は持ってなかったよね?」
 俺たちのやり取りを見てから、しのが着物の襟元えりもとから手縫いの財布を取り出した。着物の端切れを使って、しのは最近夜遅くまで縫っていた。勝吉さんの生活用品は用意できる分はすぐに揃えたが、こういった小物は気が付いた時に俺たちや長屋のみんなが彼に渡していた。
でもこういったやり取りは、彼にだけではない。長屋のみんなでもやっていることだ。俺の小さくなった着物も、先月清に渡している。
「しのちゃんが縫ってくれたのか?」
「うん。裁縫は得意だからね」
 まだ眠そうなしのは、眼鏡を一度外して目をこすってからそう言って、小さく笑った。確かに昔からしのは、俺たちの着物を直したり虫食い跡をつくろってくれていた。得意にならざるを得なかった状況なのだが、それを明るく言ってくれるしのは本当に優しい子だ。
「ありがとうな、大切にするよ。お金は、今なるべく貯めてるんだ。助かるよ」
 少し照れたように勝吉さんは笑いながらしのから受け取ると、俺に貰った給料をその財布に入れた。そして、邪魔にならないように帯に挟む。

「おはようさん」
 そこに、りんさんもやって来た。畑に寄ったのか、泥が付いた長ねぎと蕪を手にしている。
「おはようございます。あ、葱をありがとうございます。蕪も、ずいぶん大きくなってるね」
「これ以上大きくなると、味が悪くなるからねぇ。昨日から気になってたから、家を出てから畑に寄って取ってきておいたよ。これは、漬物にしておくね」
「おはようございます。俺、泥を洗ってきます」
 早速勝吉さんは、りんさんの手から蕪を受け取ると井戸に向かった。

「働き者だねぇ」
 その様子に、りんさんは嬉しそうに笑った。そんなりんさんにも給料を支払って、俺たちも朝飯の用意をそれぞれ始めることにした。


「あら?」
 昼飯の時間。源三さんと一緒に来たとよさんが、不思議そうな顔になった。視線の先には、まつさん一家があった。
「治郎ちゃんとわかは、まだなのかしら?」
 松吉さんとまつさん、清は食事を途中で止めた。
「おとよさん、治郎は昨日からの熱でまだ家で寝てますよ? 昨日、話したよね? わかちゃんがどうしたんだい?」
 まつさんがそう答えると、おとよさんの顔色が変わった。
「そうでした! 私、ちゃんと聞いていたのに……! おとっつあん!」
 慌てた様子のおとよさんに、食事に来ていた長屋のみんなと定食を食べに来ていた客が驚いたように視線を向けた。

「私、朝飯の後わかにいつものように治郎ちゃんと遊んでおいでって……家の前で別れて、おとっつあんと一緒に店に向かったんです! どうしよう、さっき長屋に寄りましたが、わかの姿は見えなくて!」
 おとよさんは、口元を手で押さえて青い顔になっていた。「しっかりしろ!」と、源三さんが、そんなおとよさんの肩を支えていた。

 わかは、今年になって数えの五歳。こんな寒い日に迷子になっていたら、大変だ!

「俺、探してきますよ」
 すぐに、勝吉さんがそう言ってくれた。俺と揃いの藍染の前掛けを外すと、おとよさんのそばに行く。俺たちは昼の営業が忙しくて、手伝えない。
「俺たちも行きますよ。清、お前はかっちゃんと一緒に探してくれるかい?」
「分かった」
 清は尋常小学校から帰ったばかりで、わかの姿を見ていないのだろう。熱が出ている治郎も、この春から尋常小学校に通うことになっている。清は、心配そうな顔をしていた。
「まつ、お前は治郎を看ててくれ。あいつの熱はまだ下がっていない。俺が、源三さんと探すからよ。わかは小さい、そう遠くには行けないはずだ」
 すぐに飛び出そうとしていたまつさんを抑えて、松吉さんがそう言った。その言葉に、源三さんも頷く。
「治郎の容態が悪くなったらいけねぇ。まつさん、すまんが松吉さんと清を借りる――恭介、勝吉を借りるぞ!」
 長屋のリーダーである源三さんの指揮は、的確だ。俺は「お願いします」と返した。本当に寒い日だ。客が温かい飯を食べに、たくさん来ている。わかが凍えて風邪をひいてしまったら、大変だ。一刻も早く探さないと!

 そうして昼飯も途中に松吉さんと清は立ち上がると、源三さんととよさんと勝吉さんと一緒に蕗谷亭を出て行った。俺たちも一緒に探しに行きたかったが、今日の客は多い。無事を願うしかなかった。

「今日は、こんなに寒いのに……わかちゃんは大丈夫かね……」
 りんさんの声は、沈んでいた。そして、少し声を潜めた。
かどわかしに遭ってないといいけれど……」

 この時代、子供の誘拐は多い。男の子なら労働に。女の子なら遊郭ゆうかくに。警察が現代ほど発達していないから、そうなったら見つけるのは絶望的だ。まだ小さいわか。色々あったが今はおとよさんと源三さんと、家族三人で幸せに暮らしているんだ。

 無事でいてくれ!

 俺は昼定食を作りながらも、蕗谷亭の戸が開かれるたびに期待を込めて何度も視線を向けていた。
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