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アリアドネのカタストロフィ
笹部・中
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笹部のマンションを出ると、再び乗り込んだ車の中で恒成のスマホのバイブ音がした。兵庫県下で起きた二件の一家連続殺人事件の合同捜査本部は宝塚署になるので、竜崎は宝塚署へと向かい走らせていた。
「竜崎警部補。宝塚署へ向かわず、曽根崎警察署に向かってくれないか?」
スマホの画面を確認した恒成が、そう声をかけた。
「え? あ、はい!」
竜崎は戸惑った声を上げたが、言われるまま曽根崎署に戻るように道を変えた。
「一条警視、――公安案件になった」
「!? そんな……! どうしてですか!? 桐生に関する事件は、すべて私に指揮権がある筈です!」
櫻子は思わず大きな声を出したが、恒成は彼女を落ち着けさせるように片手を彼女の顔の前に上げた。
「先ほど、刑事局長が殺された。俺が飛行機に乗っていた時に発見されたようで、今報告が来た」
全員が息を飲んだ。もしかすると、櫻子と同じか彼女以上に桐生に現在一番近いと思われた――菫の妹の百合が嫁いだ一条の従弟である村崎刑事局長。警察庁の大派閥の長が殺害された……これは、大事件だ。
「犯人は?」
「警察庁の玄関で、後ろから刺されたらしい。不幸にも『何故か』、その時は誰も玄関先に居なかった――しかし、刺した男は三十分ほど後に自首してきたそうだ」
恒成の顔色は変わらない。まるで、こうなる事を予想していたようだ。スマホを、櫻子に差し出す。櫻子は怪訝そうな顔のままそれを受け取ると、画面を見た。それは、警察庁の玄関先の監視カメラの様だ。震える指先で、再生ボタンを押す。
村崎刑事局長が、黒い車から降りる。彼が降りると車はそのまま走り去り、玄関先へ向かって歩き出す。その少し後に、夏なのに大きめの白い麻のジャケットを羽織った夏ニット帽の男がその後ろに足早に近づく。そして、不審に思ったような刑事局長が振り返ると同時に男が刑事局長の背中にぶつかった。それは素早く、一瞬の出来事だったのかもしれない。それぐらい手際が良かった。ゆっくり崩れる刑事局長の横を、軽い足取りで男が歩いて去って行く。倒れた刑事局長から、血が流れていた。カメラの位置が分かっているようで、一度も刺した男の顔は映らなかった。
しかし、櫻子には分かる。大き目の服で体型を誤魔化しているのだろうが、その後ろ姿は見間違う訳がない――笹部だ。彼が、刑事局長を殺したのだ。
「出頭してきたのはこの男だ。現在調べているらしいが、突然歌いだしたり泣き出したり、空に向かって怒り出したり――会話が成り立たないそうだ。刑事局長は、この後に出勤してきた者に発見されて救急車両で運ばれたが、病院に向かう車内で死亡が確認された」
恒成が手を伸ばし、画面をスライドさせて知らない大柄の男を表示させた。先ほどの刺した後ろ姿の男とは違うと、誰もが分かっているはずなのに――誰も、疑わずにその男を犯人にしようとしている。
「勿論我々は桐生が関わっていると判断して、公安に捜査を依頼している。兵庫の二件も、だ。今、警察庁は次の刑事局長を決めるのに忙しい。人事異動戦争が始まる――それに葬儀も盛大にして、市民には『不審者に殺された憐れな刑事局長』と、警察に対して同情の念を抱かせなければならない。だから兵庫県一家殺人事件に人員を割く余裕がないんだ――しばらく時間を空けて、この二件の事件は表上犯人不明とされ、所轄で捜査する事はなくなる」
「そんな…!」
声を上げたのは篠原だ。竜崎と自分の家族を殺したのは、間違いなく笹部だ。本人がそう自白していた。そして、刑事局長を殺したのも彼だ。だから、笹部を捕まえれば三件の事件が解決する、そう思っていた。なのに、警察庁は笹部を逃がして権力争いを始める。そんな馬鹿な事があるなんて思いもしなかった。
「殺害に桐生の意思が関わっているなら、これは公安と一部の警察庁が捜査する事件になるんだよ。一件一件の事件で、捕まえていてはキリがない。桐生は自在に逃亡するから、彼が赤穂で大人しくしている間に、公安が地道に証拠を探すしかない――それに笹部の様に桐生に近ければ近い程、犯した罪が多く彼を真似るのが上手くなる。今回の事件も証拠が全く見つからないから、未解決として世間に報告するしかないんだよ。しかし、俺達はそれで終わらせるつもりは絶対にない。全ての証拠を集めて、桐生とその信者全てに必ず罪を与える」
恒成の言葉は、力強かった。竜崎と篠原に「申し訳ない」と、心から謝っている。
「桐生の様な世間に対して脅威になるサイコパス傾向犯罪者や連続殺人者のような犯人を捕まえる派閥と、出世を考えるだけの派閥が警察庁にあるのよ――桐生は、自分の罪全てを口にはしない。けれど、恒成警視正たち元村崎刑事局長派閥には何故か協力的なの……だから、私をこちらの派閥に入れさせて、菫の誕生日には気まぐれに自分が犯した事件を教えてくれる。一年に一件か二件ほどね」
「白状したんが、あのタブレットに記載されてたやつか。けど、なんで『犯人』を捕まえる派閥に警視を?」
黙ったままだった宮城が、そこで口を挟んだ。
「――桐生の考えは、誰にも分からないわ。自分に協力的だった刑事局長を殺した意味も……分からない。笹部が独断でしたとも思えない。何故、しかも今……?」
櫻子はそう呟いて、黙り込んだ。気紛れな犯人の心理を理解するのは、難解なのだ。篠原は未解決のままで終わらせないと言われたものの、どうしても完全には納得できなかった。
「分かるよ、篠原君。俺も君と同じ気持ちやから」
運転しながら、竜崎は涙をこらえる為なのか少し険しい顔をしていた。
車は、見慣れた曽根崎署にようやく着いた。
「竜崎警部補。宝塚署へ向かわず、曽根崎警察署に向かってくれないか?」
スマホの画面を確認した恒成が、そう声をかけた。
「え? あ、はい!」
竜崎は戸惑った声を上げたが、言われるまま曽根崎署に戻るように道を変えた。
「一条警視、――公安案件になった」
「!? そんな……! どうしてですか!? 桐生に関する事件は、すべて私に指揮権がある筈です!」
櫻子は思わず大きな声を出したが、恒成は彼女を落ち着けさせるように片手を彼女の顔の前に上げた。
「先ほど、刑事局長が殺された。俺が飛行機に乗っていた時に発見されたようで、今報告が来た」
全員が息を飲んだ。もしかすると、櫻子と同じか彼女以上に桐生に現在一番近いと思われた――菫の妹の百合が嫁いだ一条の従弟である村崎刑事局長。警察庁の大派閥の長が殺害された……これは、大事件だ。
「犯人は?」
「警察庁の玄関で、後ろから刺されたらしい。不幸にも『何故か』、その時は誰も玄関先に居なかった――しかし、刺した男は三十分ほど後に自首してきたそうだ」
恒成の顔色は変わらない。まるで、こうなる事を予想していたようだ。スマホを、櫻子に差し出す。櫻子は怪訝そうな顔のままそれを受け取ると、画面を見た。それは、警察庁の玄関先の監視カメラの様だ。震える指先で、再生ボタンを押す。
村崎刑事局長が、黒い車から降りる。彼が降りると車はそのまま走り去り、玄関先へ向かって歩き出す。その少し後に、夏なのに大きめの白い麻のジャケットを羽織った夏ニット帽の男がその後ろに足早に近づく。そして、不審に思ったような刑事局長が振り返ると同時に男が刑事局長の背中にぶつかった。それは素早く、一瞬の出来事だったのかもしれない。それぐらい手際が良かった。ゆっくり崩れる刑事局長の横を、軽い足取りで男が歩いて去って行く。倒れた刑事局長から、血が流れていた。カメラの位置が分かっているようで、一度も刺した男の顔は映らなかった。
しかし、櫻子には分かる。大き目の服で体型を誤魔化しているのだろうが、その後ろ姿は見間違う訳がない――笹部だ。彼が、刑事局長を殺したのだ。
「出頭してきたのはこの男だ。現在調べているらしいが、突然歌いだしたり泣き出したり、空に向かって怒り出したり――会話が成り立たないそうだ。刑事局長は、この後に出勤してきた者に発見されて救急車両で運ばれたが、病院に向かう車内で死亡が確認された」
恒成が手を伸ばし、画面をスライドさせて知らない大柄の男を表示させた。先ほどの刺した後ろ姿の男とは違うと、誰もが分かっているはずなのに――誰も、疑わずにその男を犯人にしようとしている。
「勿論我々は桐生が関わっていると判断して、公安に捜査を依頼している。兵庫の二件も、だ。今、警察庁は次の刑事局長を決めるのに忙しい。人事異動戦争が始まる――それに葬儀も盛大にして、市民には『不審者に殺された憐れな刑事局長』と、警察に対して同情の念を抱かせなければならない。だから兵庫県一家殺人事件に人員を割く余裕がないんだ――しばらく時間を空けて、この二件の事件は表上犯人不明とされ、所轄で捜査する事はなくなる」
「そんな…!」
声を上げたのは篠原だ。竜崎と自分の家族を殺したのは、間違いなく笹部だ。本人がそう自白していた。そして、刑事局長を殺したのも彼だ。だから、笹部を捕まえれば三件の事件が解決する、そう思っていた。なのに、警察庁は笹部を逃がして権力争いを始める。そんな馬鹿な事があるなんて思いもしなかった。
「殺害に桐生の意思が関わっているなら、これは公安と一部の警察庁が捜査する事件になるんだよ。一件一件の事件で、捕まえていてはキリがない。桐生は自在に逃亡するから、彼が赤穂で大人しくしている間に、公安が地道に証拠を探すしかない――それに笹部の様に桐生に近ければ近い程、犯した罪が多く彼を真似るのが上手くなる。今回の事件も証拠が全く見つからないから、未解決として世間に報告するしかないんだよ。しかし、俺達はそれで終わらせるつもりは絶対にない。全ての証拠を集めて、桐生とその信者全てに必ず罪を与える」
恒成の言葉は、力強かった。竜崎と篠原に「申し訳ない」と、心から謝っている。
「桐生の様な世間に対して脅威になるサイコパス傾向犯罪者や連続殺人者のような犯人を捕まえる派閥と、出世を考えるだけの派閥が警察庁にあるのよ――桐生は、自分の罪全てを口にはしない。けれど、恒成警視正たち元村崎刑事局長派閥には何故か協力的なの……だから、私をこちらの派閥に入れさせて、菫の誕生日には気まぐれに自分が犯した事件を教えてくれる。一年に一件か二件ほどね」
「白状したんが、あのタブレットに記載されてたやつか。けど、なんで『犯人』を捕まえる派閥に警視を?」
黙ったままだった宮城が、そこで口を挟んだ。
「――桐生の考えは、誰にも分からないわ。自分に協力的だった刑事局長を殺した意味も……分からない。笹部が独断でしたとも思えない。何故、しかも今……?」
櫻子はそう呟いて、黙り込んだ。気紛れな犯人の心理を理解するのは、難解なのだ。篠原は未解決のままで終わらせないと言われたものの、どうしても完全には納得できなかった。
「分かるよ、篠原君。俺も君と同じ気持ちやから」
運転しながら、竜崎は涙をこらえる為なのか少し険しい顔をしていた。
車は、見慣れた曽根崎署にようやく着いた。
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