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アリアドネのカタストロフィ
笹部・上
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宮城たちが乗っていた車がまだ総務に返却されていなかったので、四人はそれで大阪国際空港に向かった。道は空いていて、到着予定の七時三十分の少し前には空港に着いた。
到着口前で待っていると、一流国内オーダー製であるようなしっかりとした品のよいこげ茶の背広を着た、威厳がある男が飛行機を降りた人々の中に見えた。以前『北区ホームレス殺傷事件・宮城一課長爆破未遂』の記者会見の時に、警視庁から姿を見せた恒成で間違いなかった。
彼は剣道を得意としていて、柔道をやっている宮城よりスリムだ。しかしエリートであるにもかかわらず、鍛錬を欠かさずしているようで体格がいい。真田に似た知的な面立ちで、何処か女が好む艶っぽい色気に似た雰囲気がある。
「お疲れ様です、恒成警視正」
櫻子が足早に歩み寄り頭を下げると、宮城たちもそれに倣った。
「一条警視と宮城課長以外とは、初対面だね。恒成勲警視正だ、よろしく頼む――竜崎警部補と篠原巡査部長、大変だったね。宮城警部もお疲れでしょう、しかしもうしばらく踏ん張ってください」
恒成は、今年三十九になる。宮城より年下だが、階級に見合う落ち着きがあった。上からの圧力のない話し方に、皆好感を抱いたようだ。
「確か、会議は九時からだったね――それまでに、君たちから事情を聴きたい」
「はい、心得ています。その前に……失踪した笹部と名乗る男のマンションも一度見ておきたいのですが」
櫻子の言葉に、恒成が頷いた。
「豊中という所だったね。案内を頼む」
空港がある蛍池と豊中は、それほど離れていない。車中で、櫻子は恒成に彼が知っていること以外を簡単に話した。宮城も、自身の実家が襲われた家中にあったシアン化合物の事の話もした。
話し終えた頃に、笹部のマンションに着いた。櫻子は管理室に向かい、事情を話して彼の部屋のマスタキーを預かった。このマンションは凹型で、各階の一号室と二号室が南側。三号室と五号室が北側にあった。四号室はなく、エレベーターが中央にある。そのエレベーターは一階の外の駐輪場に面していて、ガラスで外が見える作りになっていた。春ごろ、このマンションの303号室の男がエレベーターで殺人事件を起こしている。
笹部の部屋は、505号室。白手袋をして、五人は部屋の中に入った。
何もない。
部屋の中は、生活感が全くなかった。背広が何着かと普段着らしい服が数着、クローゼットがない部屋なので買って来ただろうラックに、綺麗にハンガーにかけられていた。布団も、きちんとたたまれている。
食器もグラスとマグカップ、底の浅い皿、箸とスプーン、フォーク。プロテインシェーカー。プロテインの袋と栄養補助食品の箱。冷蔵庫には、パック入りの玉子と水のボトル、茹でチキン食品しか入っていない。
指紋とDNAについては、気にしていないようだ。パソコンなどは、既に持ち出しているのだろう。調べるほど何もなかった。
「警視」
しかし、宮城が櫻子を呼んで天井を指差した。櫻子や、他のものも同じように天井を見た。――布団がたたまれている位置だ。寝る時、見えるのだろう。
そこには、櫻子の写真が大量に貼り付けられていた。笹部がいない時や、桜海會のメンバーと会っている時や桐生と会っている時のものもあった。全員の顔が青くなる。
異常な執着――それは、まるで桐生が菫に対して抱いていた想いと似ている。
「笹部と名乗るものは、刑事局長からの推薦だった。そして昨日、笹部について俺が調べた――笹部亮樹だ」
恒成がカバンから取り出したのは、書類の束だった。櫻子はそれを受け取り、紙をめくった。
「!? そん、な……!」
宮城や篠原も竜崎もその書類を覗き込んだ。写真と経歴が書かれた紙がクリップで留められていた。
まだ小学生くらいの少年だ。笹部の幼少期の顔には見えない。経歴も、小学四年生で終わっている。そして最後に書かれているのは、『九歳で父と共にカナダに移住』だった。
「勿論、カナダの日本領事館に問い合わせて調べたよ。確かに、彼は父親と向こうで再婚したアジア系アメリカ人の母親と暮らしていた。そして、もう一部の方を見て欲しい」
恒成の言葉に、櫻子は慌てて紙をがさがさとめくる。同じように、写真がクリップで留められた紙が出てきた。
一枚目の写真は、同じく小学生くらいだが先ほどの男の子より幼く見える。そして、櫻子も見た『笹部亮樹』の警察官採用時の写真だ。履歴は、小学校四年生以降も書かれている。
「二重戸籍……!」
「ああ、多分。九歳から『入れ替わった』んだろう。刑事局長がこれを見逃したとは思えない――」
恒成が話しているのを、ふと櫻子が止めた。唇に指をあてて、全員を黙らせる。そうして、カバンから笹部に渡されたタブレットを取り出す。櫻子は、篠原に視線を送った。それに気付いた彼は、笹部に渡された同じタブレットを取り出して櫻子に渡す。何故か動かした覚えがないのに、ビデオチャット通話が動いていた。
床に自分のハンカチを広げて置き、櫻子は部屋にあったマグカップの底で二台のタブレットの画面を叩いた。ガラスが割れて飛んでも、何度も何度も。
「ハックされていたみたいね――最初から細工したタブレットを、彼に渡されていたと考えた方がいいのかしら。全部筒抜けだったのね」
悔しそうに櫻子は呟き、宮城は曽根崎警察署に連絡して鑑識を呼んだ。
「俺は、刑事局長を調べよう」
頭のいい恒成は、櫻子が頼む前にそう言って何処かに電話をかけた。
「これって――警察全体が巻き込まれてるっぽいね……」
「はい……」
竜崎が呟くのを、篠原は緊張した顔で頷いた。
到着口前で待っていると、一流国内オーダー製であるようなしっかりとした品のよいこげ茶の背広を着た、威厳がある男が飛行機を降りた人々の中に見えた。以前『北区ホームレス殺傷事件・宮城一課長爆破未遂』の記者会見の時に、警視庁から姿を見せた恒成で間違いなかった。
彼は剣道を得意としていて、柔道をやっている宮城よりスリムだ。しかしエリートであるにもかかわらず、鍛錬を欠かさずしているようで体格がいい。真田に似た知的な面立ちで、何処か女が好む艶っぽい色気に似た雰囲気がある。
「お疲れ様です、恒成警視正」
櫻子が足早に歩み寄り頭を下げると、宮城たちもそれに倣った。
「一条警視と宮城課長以外とは、初対面だね。恒成勲警視正だ、よろしく頼む――竜崎警部補と篠原巡査部長、大変だったね。宮城警部もお疲れでしょう、しかしもうしばらく踏ん張ってください」
恒成は、今年三十九になる。宮城より年下だが、階級に見合う落ち着きがあった。上からの圧力のない話し方に、皆好感を抱いたようだ。
「確か、会議は九時からだったね――それまでに、君たちから事情を聴きたい」
「はい、心得ています。その前に……失踪した笹部と名乗る男のマンションも一度見ておきたいのですが」
櫻子の言葉に、恒成が頷いた。
「豊中という所だったね。案内を頼む」
空港がある蛍池と豊中は、それほど離れていない。車中で、櫻子は恒成に彼が知っていること以外を簡単に話した。宮城も、自身の実家が襲われた家中にあったシアン化合物の事の話もした。
話し終えた頃に、笹部のマンションに着いた。櫻子は管理室に向かい、事情を話して彼の部屋のマスタキーを預かった。このマンションは凹型で、各階の一号室と二号室が南側。三号室と五号室が北側にあった。四号室はなく、エレベーターが中央にある。そのエレベーターは一階の外の駐輪場に面していて、ガラスで外が見える作りになっていた。春ごろ、このマンションの303号室の男がエレベーターで殺人事件を起こしている。
笹部の部屋は、505号室。白手袋をして、五人は部屋の中に入った。
何もない。
部屋の中は、生活感が全くなかった。背広が何着かと普段着らしい服が数着、クローゼットがない部屋なので買って来ただろうラックに、綺麗にハンガーにかけられていた。布団も、きちんとたたまれている。
食器もグラスとマグカップ、底の浅い皿、箸とスプーン、フォーク。プロテインシェーカー。プロテインの袋と栄養補助食品の箱。冷蔵庫には、パック入りの玉子と水のボトル、茹でチキン食品しか入っていない。
指紋とDNAについては、気にしていないようだ。パソコンなどは、既に持ち出しているのだろう。調べるほど何もなかった。
「警視」
しかし、宮城が櫻子を呼んで天井を指差した。櫻子や、他のものも同じように天井を見た。――布団がたたまれている位置だ。寝る時、見えるのだろう。
そこには、櫻子の写真が大量に貼り付けられていた。笹部がいない時や、桜海會のメンバーと会っている時や桐生と会っている時のものもあった。全員の顔が青くなる。
異常な執着――それは、まるで桐生が菫に対して抱いていた想いと似ている。
「笹部と名乗るものは、刑事局長からの推薦だった。そして昨日、笹部について俺が調べた――笹部亮樹だ」
恒成がカバンから取り出したのは、書類の束だった。櫻子はそれを受け取り、紙をめくった。
「!? そん、な……!」
宮城や篠原も竜崎もその書類を覗き込んだ。写真と経歴が書かれた紙がクリップで留められていた。
まだ小学生くらいの少年だ。笹部の幼少期の顔には見えない。経歴も、小学四年生で終わっている。そして最後に書かれているのは、『九歳で父と共にカナダに移住』だった。
「勿論、カナダの日本領事館に問い合わせて調べたよ。確かに、彼は父親と向こうで再婚したアジア系アメリカ人の母親と暮らしていた。そして、もう一部の方を見て欲しい」
恒成の言葉に、櫻子は慌てて紙をがさがさとめくる。同じように、写真がクリップで留められた紙が出てきた。
一枚目の写真は、同じく小学生くらいだが先ほどの男の子より幼く見える。そして、櫻子も見た『笹部亮樹』の警察官採用時の写真だ。履歴は、小学校四年生以降も書かれている。
「二重戸籍……!」
「ああ、多分。九歳から『入れ替わった』んだろう。刑事局長がこれを見逃したとは思えない――」
恒成が話しているのを、ふと櫻子が止めた。唇に指をあてて、全員を黙らせる。そうして、カバンから笹部に渡されたタブレットを取り出す。櫻子は、篠原に視線を送った。それに気付いた彼は、笹部に渡された同じタブレットを取り出して櫻子に渡す。何故か動かした覚えがないのに、ビデオチャット通話が動いていた。
床に自分のハンカチを広げて置き、櫻子は部屋にあったマグカップの底で二台のタブレットの画面を叩いた。ガラスが割れて飛んでも、何度も何度も。
「ハックされていたみたいね――最初から細工したタブレットを、彼に渡されていたと考えた方がいいのかしら。全部筒抜けだったのね」
悔しそうに櫻子は呟き、宮城は曽根崎警察署に連絡して鑑識を呼んだ。
「俺は、刑事局長を調べよう」
頭のいい恒成は、櫻子が頼む前にそう言って何処かに電話をかけた。
「これって――警察全体が巻き込まれてるっぽいね……」
「はい……」
竜崎が呟くのを、篠原は緊張した顔で頷いた。
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