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アリアドネのカタストロフィ
存在・下
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暫く四人は珈琲を味わっていたが、不意に櫻子のスマホが鳴った。通知は、『不明』からだった。以前桐生がかけてきたのも、これだった。櫻子の表情が変わった事に気が付いた三人は、一斉に黙り込んだ。櫻子は彼らに頷いてから、電話に出た。
「もしもし」
『突然消えてしまい、申し訳ありませんでした』
電話口の声は、笹部『だった』男だ。櫻子の顔が、複雑なものに代わる。やはり、『犯人』と疑わしいが半年も一緒に捜査していたので、まだ信じたい気持ちもあったのだ。
「どこにいるの? そして――貴方は、誰なの?」
『篠原君の家族を、演出出来ず申し訳ありませんでした。どうしてでしょう――何故か、せめて苦しまずに、と殺害してしまいました。桐生に合わす顔がありません』
男は、櫻子の問いには答えなかった。笹部『だった』頃と違い、自信にあふれた声音になっていた。櫻子は、通話をスピーカーにした。
「答えなさい、貴方は誰なの?」
『『三人目』ですよ。桐生が始めたこの一連の事件を、僕が引き継いだんです。僕が直接手を下したのは、国府方紗季と掛川克己。そして竜崎さんの家族と篠原君の家族――最後に食べたやよいさんの玉子焼きは、手巻き寿司を食べた時に出されたものと同じで美味しかった――そうだ、唯菜ちゃんだけは見つけられませんでした。もう、ボスが確保したんですか?』
男の背後は、ざわざわと人が行きかう通りの様だ。うるさくはないが、沢山の人の存在を感じる。時間帯から考えて、駅の構内かもしれない。
「ええ、唯菜ちゃんは賢いもの。よく、あんな歌を口ずさんでいたわね。その詩のお陰で、唯菜ちゃんは怯えて逃げたのよ」
唯菜の名が出た事で、電話口の相手が誰なのかが分かった様だ。思わず櫻子のスマホに手を伸ばそうとした篠原の腕を、宮城が抑えた。
『Alouette, gentille Alouette Alouette, je te plumerai. Alouette, gentille Alouette Alouette, je te plumerai. Je te plumerai la tête, Je te plumerai la tête, Et la tête - et la tête, Alouette - Alouette, ah…』
男は、流ちょうなフランス語で歌った。鳥のひばりの羽をむしり、最後は頭をもぎろうと楽しげに歌うフランス民謡。どこの国にも、民謡や同様で恐ろしいものかある。
『僕にとっては、眠り歌のようなものでした。アンティークのレコードで、古めかしい音が蓄音機から流れて――眠りについていました。しかし、駄目ですね。つい口ずさんでしまうので気を付けないと……ねえ、櫻子さんは菫さんに『しゃぼん玉』の歌を聞かされてたんですよね? 菫さんは和食好きだし、意外と古風だったんだ』
その言葉に、櫻子は息を飲んだ。記憶の遠く向こうで眠っていた、微かに頭に残っている歌声。それは確かに、「しゃぼん玉」だ。ようやくそれが分かった。今まで、どうして忘れていたのだろう――横になる子供の櫻子に寄り添って歌っていた、菫の歌声。
「どうして、あなたがそんな事を知っているの? 貴方、本当に――」
『あなたは、僕のFemme fatale……運命の女性、僕のアリアドネの糸……あなたこそが、僕の存在意義を証明するんです。送ったしおりが一枚無駄になってしまいましたが、ちゃんと次に会う時には数を揃えるので安心してください』
「待って、まだ聞きたい事が――」
通話を終えようとしている男に、櫻子は必死に叫んだ。しかし男は、それを許さなかった。
『篠原君に伝えて下さい――楽しかった、と。三人でいた時は、僕の人生の中で唯一の穏やかな時間でした』
「笹部さん!」
耐えられず篠原が叫ぶと、通話が途切れた。櫻子は指を伸ばして、ボタンを押すと通話を切った。
「菫さん――警視のお母さんの事まで知っているとは、まさか――行方不明になっている、桐生の息子では……?」
宮城の言葉は、全員の思いだった。幼児の頃に誘拐された、桐生と自分の母との間に産まれた男の子。桐生が誘拐して、殺人者として育てたとも考えられる。
「――一条課長」
篠原が、ぽつりと呟いた。全員の視線が、篠原に向けられる。
「笹部さんだった人は、サイコパスじゃなかったんですね……俺の事も両親の事も、気にかけていた……殺さなければいけない風に言ってました。それは、桐生に命令されたからでしょうか? 笹部さんは、本当は……!」
「篠原君。それでも、罪なのよ。七人を殺しているのだから、あの男は立派な連続殺人鬼よ。笹部君だった時のこの男の事は、もう忘れなさい」
篠原の優しさが、櫻子には辛い。自分の家族をも殺されているのに、笹部を信じたいという想いが残っているのを自分とは違い隠さない。優しすぎる――それが、篠原にとって諸刃の剣だ。
その時、櫻子のスマホが再び鳴った。慌てて画面を見るが、そこには『恒成警視正』と表示されていた。
「もしもし、一条警視です」
慌てて電話に出た櫻子が名乗ると、低めの恒成の声が聞こえた。
「おはよう、一条警視。今から飛行機に乗る――時間通りらしいので、空港まで迎えに来てくれるとありがたい」
「承知しました、向かいます。お気をつけて」
櫻子のその言葉を聞くと、恒成が電話を切った。スマホをジャケットのポケットに直した櫻子は、立ち上がって三人の男を眺めた。
「警視正を迎えに行くわよ――みんなで」
「もしもし」
『突然消えてしまい、申し訳ありませんでした』
電話口の声は、笹部『だった』男だ。櫻子の顔が、複雑なものに代わる。やはり、『犯人』と疑わしいが半年も一緒に捜査していたので、まだ信じたい気持ちもあったのだ。
「どこにいるの? そして――貴方は、誰なの?」
『篠原君の家族を、演出出来ず申し訳ありませんでした。どうしてでしょう――何故か、せめて苦しまずに、と殺害してしまいました。桐生に合わす顔がありません』
男は、櫻子の問いには答えなかった。笹部『だった』頃と違い、自信にあふれた声音になっていた。櫻子は、通話をスピーカーにした。
「答えなさい、貴方は誰なの?」
『『三人目』ですよ。桐生が始めたこの一連の事件を、僕が引き継いだんです。僕が直接手を下したのは、国府方紗季と掛川克己。そして竜崎さんの家族と篠原君の家族――最後に食べたやよいさんの玉子焼きは、手巻き寿司を食べた時に出されたものと同じで美味しかった――そうだ、唯菜ちゃんだけは見つけられませんでした。もう、ボスが確保したんですか?』
男の背後は、ざわざわと人が行きかう通りの様だ。うるさくはないが、沢山の人の存在を感じる。時間帯から考えて、駅の構内かもしれない。
「ええ、唯菜ちゃんは賢いもの。よく、あんな歌を口ずさんでいたわね。その詩のお陰で、唯菜ちゃんは怯えて逃げたのよ」
唯菜の名が出た事で、電話口の相手が誰なのかが分かった様だ。思わず櫻子のスマホに手を伸ばそうとした篠原の腕を、宮城が抑えた。
『Alouette, gentille Alouette Alouette, je te plumerai. Alouette, gentille Alouette Alouette, je te plumerai. Je te plumerai la tête, Je te plumerai la tête, Et la tête - et la tête, Alouette - Alouette, ah…』
男は、流ちょうなフランス語で歌った。鳥のひばりの羽をむしり、最後は頭をもぎろうと楽しげに歌うフランス民謡。どこの国にも、民謡や同様で恐ろしいものかある。
『僕にとっては、眠り歌のようなものでした。アンティークのレコードで、古めかしい音が蓄音機から流れて――眠りについていました。しかし、駄目ですね。つい口ずさんでしまうので気を付けないと……ねえ、櫻子さんは菫さんに『しゃぼん玉』の歌を聞かされてたんですよね? 菫さんは和食好きだし、意外と古風だったんだ』
その言葉に、櫻子は息を飲んだ。記憶の遠く向こうで眠っていた、微かに頭に残っている歌声。それは確かに、「しゃぼん玉」だ。ようやくそれが分かった。今まで、どうして忘れていたのだろう――横になる子供の櫻子に寄り添って歌っていた、菫の歌声。
「どうして、あなたがそんな事を知っているの? 貴方、本当に――」
『あなたは、僕のFemme fatale……運命の女性、僕のアリアドネの糸……あなたこそが、僕の存在意義を証明するんです。送ったしおりが一枚無駄になってしまいましたが、ちゃんと次に会う時には数を揃えるので安心してください』
「待って、まだ聞きたい事が――」
通話を終えようとしている男に、櫻子は必死に叫んだ。しかし男は、それを許さなかった。
『篠原君に伝えて下さい――楽しかった、と。三人でいた時は、僕の人生の中で唯一の穏やかな時間でした』
「笹部さん!」
耐えられず篠原が叫ぶと、通話が途切れた。櫻子は指を伸ばして、ボタンを押すと通話を切った。
「菫さん――警視のお母さんの事まで知っているとは、まさか――行方不明になっている、桐生の息子では……?」
宮城の言葉は、全員の思いだった。幼児の頃に誘拐された、桐生と自分の母との間に産まれた男の子。桐生が誘拐して、殺人者として育てたとも考えられる。
「――一条課長」
篠原が、ぽつりと呟いた。全員の視線が、篠原に向けられる。
「笹部さんだった人は、サイコパスじゃなかったんですね……俺の事も両親の事も、気にかけていた……殺さなければいけない風に言ってました。それは、桐生に命令されたからでしょうか? 笹部さんは、本当は……!」
「篠原君。それでも、罪なのよ。七人を殺しているのだから、あの男は立派な連続殺人鬼よ。笹部君だった時のこの男の事は、もう忘れなさい」
篠原の優しさが、櫻子には辛い。自分の家族をも殺されているのに、笹部を信じたいという想いが残っているのを自分とは違い隠さない。優しすぎる――それが、篠原にとって諸刃の剣だ。
その時、櫻子のスマホが再び鳴った。慌てて画面を見るが、そこには『恒成警視正』と表示されていた。
「もしもし、一条警視です」
慌てて電話に出た櫻子が名乗ると、低めの恒成の声が聞こえた。
「おはよう、一条警視。今から飛行機に乗る――時間通りらしいので、空港まで迎えに来てくれるとありがたい」
「承知しました、向かいます。お気をつけて」
櫻子のその言葉を聞くと、恒成が電話を切った。スマホをジャケットのポケットに直した櫻子は、立ち上がって三人の男を眺めた。
「警視正を迎えに行くわよ――みんなで」
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