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アリアドネのカタストロフィ
存在・中
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戻ってきた篠原は、宮城に断ってから特別心理犯罪課の部屋に向かった。急ぐような足取りで部屋に入ると、櫻子が肘を机の上で付き組んだ両指に額を当てて、笹部の席に座っていた。彼の席のデスクトップパソコンは、基盤が粉々に破壊されていた。櫻子が壊したと考えられないから――笹部、だろう。彼は、自分の痕跡を壊してから姿を消したのかもしれない。
「――おかえり、篠原君」
顔を上げず、櫻子はそう声をかけた。寝ていた訳でも、泣いているでもなかった。感情の読み取れない、篠原が知らない櫻子の声音だった。篠原は僅かに息を飲んで、荷物を自分の机の横に置いた。
「ただいま戻りました。珈琲淹れますね――あ、先に水入れてきます。いやあ、徹夜が続いてるので珈琲が美味しいですよ」
篠原はわざと明るい声でそう言うと珈琲豆の袋を手にしたが、ポットの水の入れ替えを忘れていたので、慌てて電気ケトルを持って部屋を出ようとした。
「罵倒して良いのよ、私の判断ミスを」
その背中に、櫻子は小さく呟いた。その言葉に篠原の足が、ぎこちなく止まる。
「貴方の家族が殺されたのは、間違いなく私のミスよ。笹部……『三人目』と貴方の素性は、十年前から遡って調べていた。警視庁から推薦もあった……なのに、見抜けなかった。私は、私は――」
「一条課長」
振り返らず、篠原は櫻子の言葉に割り込んだ。今度は、ビクリと櫻子の体が震えた。
「俺、一条課長を恨んでません。桐生が俺達よりずっと先を読んで、笹部さんを創り出したんですよね――それは、貴女のせいではありません。俺が恨んでいるのは――父と母を殺した笹部さんだった人と、桐生です」
櫻子は組んでいた腕を広げて立ち上がると、顔を上げて篠原の広い背中を見つめた。
「私の傍にいれば、またきっと危険な目に遭うわ――もう、これ以上貴方に傷付いて欲しくない……上層部に話して、安全な部署に異動を……」
「いいえ! ――いいえ……俺は、これからも一条課長の下にいます。唯菜もあなたも、俺が絶対に護ります……桐生達に、俺達が罪を償わせましょう。一緒に、頑張りましょう……両親も、そう願っているはずです……!」
篠原は大きな声でそう言うと、急いで電気ポットを持って部屋を出た。『護る』と言いながら涙があふれる自分の顔を、櫻子に見せたくなかった。櫻子は、返す言葉もなくその背中を見送った。
「戻りました、警視」
篠原と入れ違いに部屋に顔を出したのは、宮城と竜崎だ。竜崎もようやく退院できたようだが、顔色があまり良くなかった。
「お帰りなさい、宮城さん――竜崎さん」
「俺も、宮城課長と警視を恨んでません……これは、『桐生』という悪魔の仕業ですよね? 色んな人を殺して平気な顔をしてる……俺達の家族だけが安全では、おかしいんです。誰かが殺される……それが、今回は俺と篠原君の家族だっただけです」
そう言って、竜崎は櫻子と宮城に頭を下げた。
「腑抜けていて、すみませんでした」
「そんな事ない、貴方は強いわ……取り敢えず、座って。まずは、落ち着きましょう。篠原君が珈琲を淹れてくれるから」
櫻子はそう声をかけて、ソファに座る様に二人を促した。
赤い目をした篠原が電気ポットを手に戻ってくると、彼は四人分の珈琲を淹れた。
「唯菜ちゃんは?」
竜崎がそう声をかけると、篠原は櫻子に視線を向けた。
「桜海會が今は預かってくれているわ。香田さんのお母さんが、世話をしてくれているみたい。こんな状態の中では、一番安心な所だと思うわ」
「頼子さんですか。成程、そりゃ安心です。あそこの組のもんはみんな、頼子さんを慕ってますからな。桜海會の中でも一番安全な場所ですわ」
宮城は眠そうな目を擦ってから、篠原の珈琲を一口飲んだ。
「宮城さん、知ってるの?」
「桜海會が経営している病院で、昔外科医師されてましてね。組のもんは、大抵一度は世話になってます」
外科医師が、どうして極道の妾になったのか櫻子には想像できなかった。
「それで、これからどうします? あと少しで、恒成警視正が来られるんですよね?」
腕時計で時間を確認した宮城が、櫻子に尋ねる。飛行機で来るはずだから、大阪国際空港で来るはずだ。この空港は住宅街がある為、朝と夜の時間規制が厳しい。羽田からだと、7時30分着が一番だったはずだ。現在は、7時5分前。
「恒成警視正と話してから、笹部のマンションの捜索と――桐生に会いに行くわ」
「俺達も、連れて行ってください」
宮城がそう言い竜崎も頷くと、櫻子は珈琲を一口飲んだ。
「勿論よ――貴方達は、彼に会う権利があるもの」
この世の悪魔を、知って貰っていた方がいい――そう、櫻子は悲し気に瞳を伏せた。
「――おかえり、篠原君」
顔を上げず、櫻子はそう声をかけた。寝ていた訳でも、泣いているでもなかった。感情の読み取れない、篠原が知らない櫻子の声音だった。篠原は僅かに息を飲んで、荷物を自分の机の横に置いた。
「ただいま戻りました。珈琲淹れますね――あ、先に水入れてきます。いやあ、徹夜が続いてるので珈琲が美味しいですよ」
篠原はわざと明るい声でそう言うと珈琲豆の袋を手にしたが、ポットの水の入れ替えを忘れていたので、慌てて電気ケトルを持って部屋を出ようとした。
「罵倒して良いのよ、私の判断ミスを」
その背中に、櫻子は小さく呟いた。その言葉に篠原の足が、ぎこちなく止まる。
「貴方の家族が殺されたのは、間違いなく私のミスよ。笹部……『三人目』と貴方の素性は、十年前から遡って調べていた。警視庁から推薦もあった……なのに、見抜けなかった。私は、私は――」
「一条課長」
振り返らず、篠原は櫻子の言葉に割り込んだ。今度は、ビクリと櫻子の体が震えた。
「俺、一条課長を恨んでません。桐生が俺達よりずっと先を読んで、笹部さんを創り出したんですよね――それは、貴女のせいではありません。俺が恨んでいるのは――父と母を殺した笹部さんだった人と、桐生です」
櫻子は組んでいた腕を広げて立ち上がると、顔を上げて篠原の広い背中を見つめた。
「私の傍にいれば、またきっと危険な目に遭うわ――もう、これ以上貴方に傷付いて欲しくない……上層部に話して、安全な部署に異動を……」
「いいえ! ――いいえ……俺は、これからも一条課長の下にいます。唯菜もあなたも、俺が絶対に護ります……桐生達に、俺達が罪を償わせましょう。一緒に、頑張りましょう……両親も、そう願っているはずです……!」
篠原は大きな声でそう言うと、急いで電気ポットを持って部屋を出た。『護る』と言いながら涙があふれる自分の顔を、櫻子に見せたくなかった。櫻子は、返す言葉もなくその背中を見送った。
「戻りました、警視」
篠原と入れ違いに部屋に顔を出したのは、宮城と竜崎だ。竜崎もようやく退院できたようだが、顔色があまり良くなかった。
「お帰りなさい、宮城さん――竜崎さん」
「俺も、宮城課長と警視を恨んでません……これは、『桐生』という悪魔の仕業ですよね? 色んな人を殺して平気な顔をしてる……俺達の家族だけが安全では、おかしいんです。誰かが殺される……それが、今回は俺と篠原君の家族だっただけです」
そう言って、竜崎は櫻子と宮城に頭を下げた。
「腑抜けていて、すみませんでした」
「そんな事ない、貴方は強いわ……取り敢えず、座って。まずは、落ち着きましょう。篠原君が珈琲を淹れてくれるから」
櫻子はそう声をかけて、ソファに座る様に二人を促した。
赤い目をした篠原が電気ポットを手に戻ってくると、彼は四人分の珈琲を淹れた。
「唯菜ちゃんは?」
竜崎がそう声をかけると、篠原は櫻子に視線を向けた。
「桜海會が今は預かってくれているわ。香田さんのお母さんが、世話をしてくれているみたい。こんな状態の中では、一番安心な所だと思うわ」
「頼子さんですか。成程、そりゃ安心です。あそこの組のもんはみんな、頼子さんを慕ってますからな。桜海會の中でも一番安全な場所ですわ」
宮城は眠そうな目を擦ってから、篠原の珈琲を一口飲んだ。
「宮城さん、知ってるの?」
「桜海會が経営している病院で、昔外科医師されてましてね。組のもんは、大抵一度は世話になってます」
外科医師が、どうして極道の妾になったのか櫻子には想像できなかった。
「それで、これからどうします? あと少しで、恒成警視正が来られるんですよね?」
腕時計で時間を確認した宮城が、櫻子に尋ねる。飛行機で来るはずだから、大阪国際空港で来るはずだ。この空港は住宅街がある為、朝と夜の時間規制が厳しい。羽田からだと、7時30分着が一番だったはずだ。現在は、7時5分前。
「恒成警視正と話してから、笹部のマンションの捜索と――桐生に会いに行くわ」
「俺達も、連れて行ってください」
宮城がそう言い竜崎も頷くと、櫻子は珈琲を一口飲んだ。
「勿論よ――貴方達は、彼に会う権利があるもの」
この世の悪魔を、知って貰っていた方がいい――そう、櫻子は悲し気に瞳を伏せた。
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