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アリアドネのカタストロフィ
失踪・上
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「宮城さん、俺や」
櫻子が投げだしたスマホを拾い、香田が口を開いた。あれから櫻子からの返事がないので、スマホの向こうでようやく宮城がほっとしたような吐息を零した。
「香田か……今は、お前でも警視の傍に居ってくれたら安心するわ……唯菜ちゃんは無事やってんな? 俺らは今奈良に居る、事情があって今は疑心暗鬼な状態や……誰を信頼して良いんか、分からん。すまんが、俺らが戻るまで警視の傍にいてくれへんか……頼む」
「宮城さんにお願いされんでも、そうするつもりや。数年前の桜海會の襲撃に、同じ敵が関わってるみたいやから、俺らも彼奴を追ってるんや。櫻子は俺が護るさかい、心配せんでええ……それより、篠原は大丈夫か?」
煙草を咥えると、香田は自分で火をつけた。暗く暑い外の空気に、煙草の煙は低くゆったりと揺らめく。
「今、放心状態や……少し、唯菜ちゃんの声を、聞かせてやってくれへんか?」
宮城のその言葉を聞いた香田は、池田と櫻子に抱かれている唯菜にスマホを向けた。唯菜はまだ怯えた表情をしているが、不思議そうに香田を見た。
「大好きなおじちゃんや、話してやってくれへんか?」
香田の声音は、とても優しかった。唯菜は頷くと、ビデオ通話に切り替わったスマホの画面を見た。
「おじちゃん……? 唯菜だよ」
「唯菜!?」
画面に、瞳が赤い篠原が映る。それに安心したのか、唯菜の顔がようやく笑顔になった。
「変なお歌が聞こえたから、唯菜かくれたの。お歌が聞こえなくなったら、てっちゃんが来てくれたよ。さくらこちゃんと、てっちゃんよりえらいおじちゃんも」
以前、桜海會で預かってくれた時に覚えたのだろう。香田に視線を向けて、唯菜は笑った。
「……そうか、えらかったな、唯菜……えらいぞ、おじちゃん安心した」
そう言い、笑顔のままでいようとするが、篠原の瞳から止められない涙があふれる。止めようと歯を食いしばるが、どうしても涙は止まらない。
「おじちゃん、どうしたの? お腹痛い? 悲しいの?」
篠原の様子に、唯菜は心配げに尋ねる。篠原はそれに首を振るのがやっとだ。
「あのね、じいちゃんとばあちゃんがいないの。寝る前は、おうちにいたよ? どこに行ったのか、おじちゃん知らない?」
「……っ……」
その問いが、今の篠原には一番辛かった。思わず顔を下に向けて。声を殺して泣いてしまった。
「あんな、唯菜ちゃん。おじいちゃんとおばあちゃんは、用事が出来て遠い所に行かなあかんかったんや」
意外にも、そう口を開いたのは香田だった。不思議そうな唯菜と、驚いた櫻子と池田が香田に視線を向ける。
「唯菜ちゃんに話しする前に、急いで行かなあかんかってん。その間唯菜ちゃんとおじちゃんには、待っててほしいねんて。とっても大切な用事やから、すぐには帰って来られへん、それまでおっちゃんの家で、おじちゃんと大人しく待っててくれへんか?」
香田は、桜海會で唯菜と篠原を預かると言っているのだ。流石にそれは、櫻子にとって意外な言葉だった。組関係以外の子供を預かるなど、極道にとって邪魔な筈――しかし、今『しおりが一枚余っている』状態だ。まだ唯菜が安全とは言えない。
だが、頼るなら――桜海會は桐生の敵である、信頼できる奴の息がかからない希少な存在だ。彼らしかいなかった。
「そうなの? 唯菜はもう小さくないから、ちゃんと待てるよ?」
「そうやんな、唯菜ちゃんは良い子やもんな。俺もおるから、もう怖くないで? なあ、篠原さん。俺らと一緒に、待てるやんな?」
池田も話を合わせると、ぐいと腕で涙を拭った篠原が泣きはらした顔で何とか笑みを浮かべた。
「そうや、唯菜。一緒に待とうな。唯菜が寂しくないように、おじちゃん頑張るからな」
「うん!」
唯菜の無邪気な笑顔は、篠原に新たな決意を産ませた。絶対に、唯菜だけは守る、と。篠原にとっても、最後の家族だ。絶対に、失いたくない。
「じゃあ、おじちゃんは今まだ仕事してるから、バイバイして? 今日はこのまま、おっちゃんの家に行こうな。唯菜ちゃんの荷物は、明日か明後日取りに来ような」
「おじちゃん、お仕事頑張ってね。唯菜、ねむい……」
安心して、睡魔が出てきたのだろう。唯菜は篠原に手を振りながら、眠そうに目を擦る。
「うん、頑張るよ……おやすみ、唯菜」
ビデオ通話画面が、通常の通に切り替えられる。池田は半分寝ている唯菜を抱えて、車に戻る。
「お前んところで、預かるんか?」
電話口は、宮城に代わっていた。その声が聞こえた香田は、スマホを耳に当てる。
「俺んところ以上に安心な所はないやろ――櫻子と篠原の為や。それより、こっちは警察呼ばなあかん。少し忙しくなるから、こっちの事は気にせんと篠原のケアしてやれ」
「ホンマに――すまん。初めてお前に感謝する、警視を頼む」
通話を切ると、櫻子もスマホで何処かにかけていた。しかし出ないのか、彼女はずっとアナウンスの事務的な声を聞いてぼんやりとしていた。
「――笹部は、出んのか」
香田にも、分かっていたようだ。櫻子は小さく頷く。
「宝塚警察と、お前の上司に電話せえ。今は、悲しんでる時やあらへん、しっかりせえ」
香田は、櫻子にそうはっきりと言った。その言葉に櫻子はハッとした顔になり、香田の顔を見返すと力強く頷いた。
しばらくして、宝塚警察署の刑事と鑑識が篠原の家に現れた。刑事局長からは、『恒成警視正を向かわせる』と言われた。
櫻子が投げだしたスマホを拾い、香田が口を開いた。あれから櫻子からの返事がないので、スマホの向こうでようやく宮城がほっとしたような吐息を零した。
「香田か……今は、お前でも警視の傍に居ってくれたら安心するわ……唯菜ちゃんは無事やってんな? 俺らは今奈良に居る、事情があって今は疑心暗鬼な状態や……誰を信頼して良いんか、分からん。すまんが、俺らが戻るまで警視の傍にいてくれへんか……頼む」
「宮城さんにお願いされんでも、そうするつもりや。数年前の桜海會の襲撃に、同じ敵が関わってるみたいやから、俺らも彼奴を追ってるんや。櫻子は俺が護るさかい、心配せんでええ……それより、篠原は大丈夫か?」
煙草を咥えると、香田は自分で火をつけた。暗く暑い外の空気に、煙草の煙は低くゆったりと揺らめく。
「今、放心状態や……少し、唯菜ちゃんの声を、聞かせてやってくれへんか?」
宮城のその言葉を聞いた香田は、池田と櫻子に抱かれている唯菜にスマホを向けた。唯菜はまだ怯えた表情をしているが、不思議そうに香田を見た。
「大好きなおじちゃんや、話してやってくれへんか?」
香田の声音は、とても優しかった。唯菜は頷くと、ビデオ通話に切り替わったスマホの画面を見た。
「おじちゃん……? 唯菜だよ」
「唯菜!?」
画面に、瞳が赤い篠原が映る。それに安心したのか、唯菜の顔がようやく笑顔になった。
「変なお歌が聞こえたから、唯菜かくれたの。お歌が聞こえなくなったら、てっちゃんが来てくれたよ。さくらこちゃんと、てっちゃんよりえらいおじちゃんも」
以前、桜海會で預かってくれた時に覚えたのだろう。香田に視線を向けて、唯菜は笑った。
「……そうか、えらかったな、唯菜……えらいぞ、おじちゃん安心した」
そう言い、笑顔のままでいようとするが、篠原の瞳から止められない涙があふれる。止めようと歯を食いしばるが、どうしても涙は止まらない。
「おじちゃん、どうしたの? お腹痛い? 悲しいの?」
篠原の様子に、唯菜は心配げに尋ねる。篠原はそれに首を振るのがやっとだ。
「あのね、じいちゃんとばあちゃんがいないの。寝る前は、おうちにいたよ? どこに行ったのか、おじちゃん知らない?」
「……っ……」
その問いが、今の篠原には一番辛かった。思わず顔を下に向けて。声を殺して泣いてしまった。
「あんな、唯菜ちゃん。おじいちゃんとおばあちゃんは、用事が出来て遠い所に行かなあかんかったんや」
意外にも、そう口を開いたのは香田だった。不思議そうな唯菜と、驚いた櫻子と池田が香田に視線を向ける。
「唯菜ちゃんに話しする前に、急いで行かなあかんかってん。その間唯菜ちゃんとおじちゃんには、待っててほしいねんて。とっても大切な用事やから、すぐには帰って来られへん、それまでおっちゃんの家で、おじちゃんと大人しく待っててくれへんか?」
香田は、桜海會で唯菜と篠原を預かると言っているのだ。流石にそれは、櫻子にとって意外な言葉だった。組関係以外の子供を預かるなど、極道にとって邪魔な筈――しかし、今『しおりが一枚余っている』状態だ。まだ唯菜が安全とは言えない。
だが、頼るなら――桜海會は桐生の敵である、信頼できる奴の息がかからない希少な存在だ。彼らしかいなかった。
「そうなの? 唯菜はもう小さくないから、ちゃんと待てるよ?」
「そうやんな、唯菜ちゃんは良い子やもんな。俺もおるから、もう怖くないで? なあ、篠原さん。俺らと一緒に、待てるやんな?」
池田も話を合わせると、ぐいと腕で涙を拭った篠原が泣きはらした顔で何とか笑みを浮かべた。
「そうや、唯菜。一緒に待とうな。唯菜が寂しくないように、おじちゃん頑張るからな」
「うん!」
唯菜の無邪気な笑顔は、篠原に新たな決意を産ませた。絶対に、唯菜だけは守る、と。篠原にとっても、最後の家族だ。絶対に、失いたくない。
「じゃあ、おじちゃんは今まだ仕事してるから、バイバイして? 今日はこのまま、おっちゃんの家に行こうな。唯菜ちゃんの荷物は、明日か明後日取りに来ような」
「おじちゃん、お仕事頑張ってね。唯菜、ねむい……」
安心して、睡魔が出てきたのだろう。唯菜は篠原に手を振りながら、眠そうに目を擦る。
「うん、頑張るよ……おやすみ、唯菜」
ビデオ通話画面が、通常の通に切り替えられる。池田は半分寝ている唯菜を抱えて、車に戻る。
「お前んところで、預かるんか?」
電話口は、宮城に代わっていた。その声が聞こえた香田は、スマホを耳に当てる。
「俺んところ以上に安心な所はないやろ――櫻子と篠原の為や。それより、こっちは警察呼ばなあかん。少し忙しくなるから、こっちの事は気にせんと篠原のケアしてやれ」
「ホンマに――すまん。初めてお前に感謝する、警視を頼む」
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「――笹部は、出んのか」
香田にも、分かっていたようだ。櫻子は小さく頷く。
「宝塚警察と、お前の上司に電話せえ。今は、悲しんでる時やあらへん、しっかりせえ」
香田は、櫻子にそうはっきりと言った。その言葉に櫻子はハッとした顔になり、香田の顔を見返すと力強く頷いた。
しばらくして、宝塚警察署の刑事と鑑識が篠原の家に現れた。刑事局長からは、『恒成警視正を向かわせる』と言われた。
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