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アリアドネのカタストロフィ
犯人像・中
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「ボス、いつもと香りが違いますね」
病院から戻った櫻子に、笹部がディスプレイを見たまま訊ねた。
「香り? ――ああ。昨日、篠原君の実家に泊めて貰ったの。そちらでシャンプーとか借りたから、いつもとは違うかもしれないわね。香水はいつものだけど、よく気が付いたわね」
櫻子は、病院を出てから意識を切り替えていた。出勤するため篠原と共に阪急電車に乗った時に、病院から流星の事で、と連絡があったのだ。そこで、梅田駅から篠原と櫻子は別行動をした。
「笹部さんも、またうちに来てください。母も、今度は笹部さんも来て欲しいって言ってました。あ、炭酸せんべい、笹部さんにって」
篠原は朝母に渡されていたのを思い出して、炭酸せんべいが入った缶を笹部に渡した。笹部はそれを受け取りながら首を傾げた。
「有難う。でも――僕、唯菜ちゃんにあまり好かれてない気がするんだよね」
「そんな事ないですよ」
唯菜は人見知りのする子だったが、最近は明るくなり好奇心も増えてきた。人を嫌う事は、母からもあまり聞かない。
「篠原君の家、ご飯も美味しいし……そうだね、また行きたいな」
そう言うと、缶を開けてまた炭酸せんべいを一枚食べだした。昨日のような、何処か苛立ったような笹部の雰囲気は無くなっていた事に、篠原は少しほっとした。
「竜崎さんの事件に切り替えるわ。私が現場を初見した時に言った犯人像は、今も変わらない。ただ、気になる点がいくつか考えられるの」
篠原はいつもの様に湯を沸かしながら、珈琲ミルで豆を砕く。手を動かしながら、櫻子の言葉を聞いていた。
「何が気になっているんですか?」
「瞼と耳、よ」
切り取られた、姉の月子の瞼と弟の陸の耳。その事に間違いないが、何故だか篠原には分からない。
「もし本当に『言うな、見るな、聞くな』なら、『口』も切る必要があるわ。喉を切るだけなら、耳も目も切るだけでいい。唇を切り取らなかったことは、何故? 多分だけど――犯人には、『言うな、見るな、聞くな』の意味が込められていたんじゃないと思うの。殺されたのが、丁度三人だったからそう思い込んだだけかもしれない」
「なら、どうして瞼を切ったり耳を切ったのですか?」
笹部が、のんびりと尋ねた。
「より残酷な現場にする為。竜崎さんに対しての『報復』よ。記念品の様に持ち帰らず、駅のごみ箱に捨てた。これで、より快楽殺人の線は消えた――そうなれば、演出の為だけだったと考えられるわ」
「そうなると、以前竜崎さんに逮捕されて恨んでいる前科者……も、考えられますか?」
篠原口を開くが、櫻子はゆっくり首を振った。
「いいえ、違うわ。これは、間違いなく桐生に近い者の犯行。竜崎さんが気付いた、『桐生の犯行を模倣し続けている』人物よ。私達がそれに気づく前に竜崎さんが気付いたから、彼に報復した……と、思うのよ」
自分のせいかもしれない。そう思うと、櫻子の表情が曇った。
「それに、多分犯人は痕跡をより難しくなるように、『両手を使った』と思うの」
「両手、ですか?」
「そう。利き手があれば、より犯人の特徴が特定される。頭のいい犯罪者は、『両利き手』なの。左右、どちらでもその場に対応して使えるよう、練習したはずよ。多分、竜崎さん一家の犯行も、どちらの手も使った――右から切られたり、左から切られたり」
その言葉に、篠原は何か思い出そうとする自分の脳に気が付いた。その様な、不自然な感じを覚えた事が、何時だったかあった気がする。
「趣味や嗜好、癖なんかもその時に合わせて変えて、生活している。生粋の犯罪者――『桐生になる』為に」
櫻子の言葉に、篠原はお湯を注ごうとした手を止めて眉根を寄せた。
どこまでも櫻子を傷つけ執着する悪魔に、憧れている犯罪者がいる。その事を、不快に感じた。平和そうな日常には、『絶対的な悪』が潜んでいる。
病院から戻った櫻子に、笹部がディスプレイを見たまま訊ねた。
「香り? ――ああ。昨日、篠原君の実家に泊めて貰ったの。そちらでシャンプーとか借りたから、いつもとは違うかもしれないわね。香水はいつものだけど、よく気が付いたわね」
櫻子は、病院を出てから意識を切り替えていた。出勤するため篠原と共に阪急電車に乗った時に、病院から流星の事で、と連絡があったのだ。そこで、梅田駅から篠原と櫻子は別行動をした。
「笹部さんも、またうちに来てください。母も、今度は笹部さんも来て欲しいって言ってました。あ、炭酸せんべい、笹部さんにって」
篠原は朝母に渡されていたのを思い出して、炭酸せんべいが入った缶を笹部に渡した。笹部はそれを受け取りながら首を傾げた。
「有難う。でも――僕、唯菜ちゃんにあまり好かれてない気がするんだよね」
「そんな事ないですよ」
唯菜は人見知りのする子だったが、最近は明るくなり好奇心も増えてきた。人を嫌う事は、母からもあまり聞かない。
「篠原君の家、ご飯も美味しいし……そうだね、また行きたいな」
そう言うと、缶を開けてまた炭酸せんべいを一枚食べだした。昨日のような、何処か苛立ったような笹部の雰囲気は無くなっていた事に、篠原は少しほっとした。
「竜崎さんの事件に切り替えるわ。私が現場を初見した時に言った犯人像は、今も変わらない。ただ、気になる点がいくつか考えられるの」
篠原はいつもの様に湯を沸かしながら、珈琲ミルで豆を砕く。手を動かしながら、櫻子の言葉を聞いていた。
「何が気になっているんですか?」
「瞼と耳、よ」
切り取られた、姉の月子の瞼と弟の陸の耳。その事に間違いないが、何故だか篠原には分からない。
「もし本当に『言うな、見るな、聞くな』なら、『口』も切る必要があるわ。喉を切るだけなら、耳も目も切るだけでいい。唇を切り取らなかったことは、何故? 多分だけど――犯人には、『言うな、見るな、聞くな』の意味が込められていたんじゃないと思うの。殺されたのが、丁度三人だったからそう思い込んだだけかもしれない」
「なら、どうして瞼を切ったり耳を切ったのですか?」
笹部が、のんびりと尋ねた。
「より残酷な現場にする為。竜崎さんに対しての『報復』よ。記念品の様に持ち帰らず、駅のごみ箱に捨てた。これで、より快楽殺人の線は消えた――そうなれば、演出の為だけだったと考えられるわ」
「そうなると、以前竜崎さんに逮捕されて恨んでいる前科者……も、考えられますか?」
篠原口を開くが、櫻子はゆっくり首を振った。
「いいえ、違うわ。これは、間違いなく桐生に近い者の犯行。竜崎さんが気付いた、『桐生の犯行を模倣し続けている』人物よ。私達がそれに気づく前に竜崎さんが気付いたから、彼に報復した……と、思うのよ」
自分のせいかもしれない。そう思うと、櫻子の表情が曇った。
「それに、多分犯人は痕跡をより難しくなるように、『両手を使った』と思うの」
「両手、ですか?」
「そう。利き手があれば、より犯人の特徴が特定される。頭のいい犯罪者は、『両利き手』なの。左右、どちらでもその場に対応して使えるよう、練習したはずよ。多分、竜崎さん一家の犯行も、どちらの手も使った――右から切られたり、左から切られたり」
その言葉に、篠原は何か思い出そうとする自分の脳に気が付いた。その様な、不自然な感じを覚えた事が、何時だったかあった気がする。
「趣味や嗜好、癖なんかもその時に合わせて変えて、生活している。生粋の犯罪者――『桐生になる』為に」
櫻子の言葉に、篠原はお湯を注ごうとした手を止めて眉根を寄せた。
どこまでも櫻子を傷つけ執着する悪魔に、憧れている犯罪者がいる。その事を、不快に感じた。平和そうな日常には、『絶対的な悪』が潜んでいる。
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