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七海美桜

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アリアドネのカタストロフィ

模倣・上

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 トイレから戻ってきた笹部がドアを開けると、彼のデスクの椅子に座った見知らぬ女が銃口を彼に向けていた。

 女は、まだ若い。二十代になったばかりに見えるが、どこか雰囲気が尖っている。年齢に相応しくない、落ち着きと貫禄を感じた。
「……ふん、やっぱりアンタっておかしいわ」
 純粋な、関西弁のイントネーション。声は櫻子より少しハスキーで、低音気味だ。ダークシルバーの髪はピンクやパープルのメッシュが入っており、後頭部で無造作に一つに括られている。長めの前髪は、ピンで留められていた。もう夏だというのに、赤いシャツに厚みのある黒い長そでのジャケットに、ダメージジーンズ。八センチはありそうなラバーソウルの編み上げブーツ。細い首には、チョーカーが絡まる様に付けられている。切れ長のやや目じりが上がった瞳はカラーコンタクトを付けているのか、綺麗なブルーだ。
「そこ、僕の席なんだけど。汚れるから、靴をデスクに乗せないでくれるかな」
 銃を向けられているのに、笹部は動じない。いつもの様に、感情がこもらない声音で部屋のドアを閉めた。
「銃、わないの?」
「君が僕に向けている銃は、S&WシリーズのM&P9のシールド。最近アメリカで人気がある銃だね。延長マガジンは装弾数八発。サムセイフティ親指で安全装置解除があるタイプで、親指がセイフティ解除に触れていない。撃つ気はないんだろ? それに、それは操作性が難しく、君が八発以内で僕を確実に仕留められるとは思えない」
 笹部の解説のような言葉に、女はにっと笑った。
「正解。あたしは、『今は』あんたを殺す気はあらへんよ」
 そう言うと、女はデスクから足を降ろし立ち上がった。銃をダメージジーンズの背中側の腰に挟んで、笹部に向かってひらりと手を振った。
「今日は、挨拶に来ただけや。あんたが、どれほどの腕あるんか、見に来ただけ。んじゃ、『また』ね」
 足早に窓に向かいそれを開けると、女はここが二階にも関わらずそこから飛び降りた。曽根崎警察署の正面脇には、大きな街灯がある。そこに飛び移り、降りたのだろう。

 彼女の残した言葉が気になった笹部が自分のデスクに向かい、パソコン画面を確認する。

「……あの女……」

 笹部が三重にロックをかけているパソコンが、解除されていた。笹部がトイレで部屋を出たのは、そんなに長い時間ではない。部屋もわざわざ鍵を掛けて行って、今解除して入ったのだ。あの女はその短い間に部屋の鍵を開けて、更に笹部レベルの者がロックしたセキュリティを三回も解除したのだ。
 窓側に行った笹部は下を見下ろしたが、人波の中にもうあの女の姿はなかった。軽く舌打ちした彼は窓を閉め、女が靴で汚したデスクをハンカチで払ってそのハンカチをゴミ箱に投げ捨てた。

 そうして、パソコンのデータを確認し始める。『極秘』データは、更にシステムを強化している。ダミーは解除されていたが、『極秘』データは開けられた形跡がなく、思わず笹部は安堵の息を零した。

「何者だ……?」
 笹部はさっきの女の顔を脳裏に焼き付けるように瞳を伏せてから、その瞳を開いて再びパソコンに向かった。
 指紋は採れないと分かっていた。笹部に向かって手を振った手には、薄いゴム製の手袋が付けられていたからだ。
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