アナグラム

七海美桜

文字の大きさ
上 下
151 / 188
アリアドネのカタストロフィ

警告・下

しおりを挟む
「竜崎さんの具合はどう?」
「はい、私達が発見した時は興奮し過ぎたかショックだったのか、弟さんの部屋で床を素手で殴って怪我した跡があり、鼻血を出して気を失っていました。病院へ連れて行った後も、まだ目を覚ましているという連絡はありません。念の為に、制服警官を病室の前に配置させています。ところで、つかさ悠聖ゆうせいさんは?」
 悠聖とは、流星の本名だ。櫻子は気を失ってから彼の様子を聞いていない。何か知っているかと、篠原に視線を向けた。

「あ、の……」
 篠原は、思わず口ごもってしまった。櫻子がショックを受けることが分かっているから、正直に報告するのが躊躇ためらわれたのだ。
「……私なら大丈夫よ。目を覚ました?」
「はい……一条課長が一度目を覚まされて、再び眠られた後に。担当の医者と対面しましたが……ショック性の幼児返り症状を起こしているようです。言動は五歳くらいの、幼児みたいでした。一条課長とお爺さんの名前を繰り返し呼んで、怖がって病室から逃げようとしていたので麻酔を打たれました。今も、病室で寝ていると思います」

 知らずに、人肉を食べさせられていたのだ。太客からの過剰なストーカー行為を受け、精神的に弱っていた彼には、そんな現実は受け入れられなかったのだろう。多重人格を生むように、多分一番幸せだったころにまで、記憶を封じたのかもしれない。
 櫻子を認識しているのは、彼にとって櫻子が愛しい存在だったからだろう。その篠原の報告を聞いた宮城は何とも言えない顔になり、櫻子は表情を変えずに黙っていた。

「事情聴取は、無理やろうな。医者の診断書貰って実家の人に会わせた方がええ……その手続きでよろしいですか? 一条警視」
 確認する様に宮城が櫻子に尋ねると、櫻子は黙ったまま頷いた。
「現場も見た事ですし、一度曽根崎警察署そねけいに戻りませんか? 司さんの事件のまとめと、竜崎の件について話し合いたいのですが」
 事件が終わっても、一連の妊婦連続殺人の報告書の作成やマスコミへの発表がある。宮城には、するべき事が多かった。櫻子は篠原がずっと起きている事も気になっていたので、再び黙ったまま頷いた。

「車は二台で来たので、全員乗れます――佐々木さん、すみませんが私共は一度戻ります。また日を改めて来ますので、よろしくお願いします」
「女性連続殺人事件ですよね? そちらも大変な事件続きで……うちは、何時来られても大丈夫なんで気にせずに」
 宮城がそう言うと、佐々木は快く返事した。借りていた手袋や靴カバーなどを鑑識に返し、宮城と櫻子に続いて篠原と山本と牧瀬が車に向かった。そろそろ明るくなってきた空の下、閑静な住宅街にマスコミの姿が次第に増えてきた。
 篠原が運転する車に、櫻子と宮城が乗り込んだ。山本と牧瀬はその後に続く。

「……ねえ、宮城さん」
 走り出した車の中で、ようやく櫻子が口を開いた。
「どうして、『あの時』だったのかしら……?」
「『あの時』とは?」
 問われた宮城は、その言葉に含まれる意味が分からなかった。
「私達が流星――司さんのマンションに向かって、景光容疑者を説得していた時に、竜崎さんのスマホが鳴った……まるで竜崎さんが、『電話に出られない時』を狙うかのように。時間が少しでも違ったら、竜崎さんは電話に出ていて……犯行現場にもっと早く向かえたかもしれない」

 ようやく、宮城はあの時の事を思い出した。自分の陰茎を切っただろう出刃包丁を持った景光の話を聞いていた時に、彼の母からの着信があった。そんな時に、取れる筈がない。そうして、倒れた容疑者と被害者、櫻子がいたからかけ直すことも出来なかった。

 まさに、『竜崎が電話に出られない時』だった。

「竜崎さんのスマホに、留守電は入ってなかったのよね……気になるわ」
 櫻子は、いつの間にか雨が止んでいる事にようやく気が付いた。走る車の窓の外に流れる景色を眺めながら、それきり曽根崎警察署に到着するまで黙り込んでいた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

強制憑依アプリを使ってみた。

本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。 校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈ これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。 不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。 その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。 話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。 頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。 まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

夜の動物園の異変 ~見えない来園者~

メイナ
ミステリー
夜の動物園で起こる不可解な事件。 飼育員・えまは「動物の声を聞く力」を持っていた。 ある夜、動物たちが一斉に怯え、こう囁いた—— 「そこに、"何か"がいる……。」 科学者・水原透子と共に、"見えざる来園者"の正体を探る。 これは幽霊なのか、それとも——?

支配するなにか

結城時朗
ミステリー
ある日突然、乖離性同一性障害を併発した女性・麻衣 麻衣の性格の他に、凶悪な男がいた(カイ)と名乗る別人格。 アイドルグループに所属している麻衣は、仕事を休み始める。 不思議に思ったマネージャーの村尾宏太は気になり 麻衣の家に尋ねるが・・・ 麻衣:とあるアイドルグループの代表とも言える人物。 突然、別の人格が支配しようとしてくる。 病名「解離性同一性障害」 わかっている性格は、 凶悪な男のみ。 西野:元国民的アイドルグループのメンバー。 麻衣とは、プライベートでも親しい仲。 麻衣の別人格をたまたま目撃する 村尾宏太:麻衣のマネージャー 麻衣の別人格である、凶悪な男:カイに 殺されてしまう。 治療に行こうと麻衣を病院へ送る最中だった 西田〇〇:村尾宏太殺害事件の捜査に当たる捜一の刑事。 犯人は、麻衣という所まで突き止めるが 確定的なものに出会わなく、頭を抱えて いる。 カイ :麻衣の中にいる別人格の人 性別は男。一連の事件も全てカイによる犯行。 堀:麻衣の所属するアイドルグループの人気メンバー。 麻衣の様子に怪しさを感じ、事件へと首を突っ込んでいく・・・ ※刑事の西田〇〇は、読者のあなたが演じている気分で読んで頂ければ幸いです。 どうしても浮かばなければ、下記を参照してください。 物語の登場人物のイメージ的なのは 麻衣=白石麻衣さん 西野=西野七瀬さん 村尾宏太=石黒英雄さん 西田〇〇=安田顕さん 管理官=緋田康人さん(半沢直樹で机バンバン叩く人) 名前の後ろに来るアルファベットの意味は以下の通りです。 M=モノローグ (心の声など) N=ナレーション

処理中です...