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アリアドネのカタストロフィ
警告・下
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「竜崎さんの具合はどう?」
「はい、私達が発見した時は興奮し過ぎたかショックだったのか、弟さんの部屋で床を素手で殴って怪我した跡があり、鼻血を出して気を失っていました。病院へ連れて行った後も、まだ目を覚ましているという連絡はありません。念の為に、制服警官を病室の前に配置させています。ところで、司悠聖さんは?」
悠聖とは、流星の本名だ。櫻子は気を失ってから彼の様子を聞いていない。何か知っているかと、篠原に視線を向けた。
「あ、の……」
篠原は、思わず口ごもってしまった。櫻子がショックを受けることが分かっているから、正直に報告するのが躊躇われたのだ。
「……私なら大丈夫よ。目を覚ました?」
「はい……一条課長が一度目を覚まされて、再び眠られた後に。担当の医者と対面しましたが……ショック性の幼児返り症状を起こしているようです。言動は五歳くらいの、幼児みたいでした。一条課長とお爺さんの名前を繰り返し呼んで、怖がって病室から逃げようとしていたので麻酔を打たれました。今も、病室で寝ていると思います」
知らずに、人肉を食べさせられていたのだ。太客からの過剰なストーカー行為を受け、精神的に弱っていた彼には、そんな現実は受け入れられなかったのだろう。多重人格を生むように、多分一番幸せだったころにまで、記憶を封じたのかもしれない。
櫻子を認識しているのは、彼にとって櫻子が愛しい存在だったからだろう。その篠原の報告を聞いた宮城は何とも言えない顔になり、櫻子は表情を変えずに黙っていた。
「事情聴取は、無理やろうな。医者の診断書貰って実家の人に会わせた方がええ……その手続きでよろしいですか? 一条警視」
確認する様に宮城が櫻子に尋ねると、櫻子は黙ったまま頷いた。
「現場も見た事ですし、一度曽根崎警察署に戻りませんか? 司さんの事件のまとめと、竜崎の件について話し合いたいのですが」
事件が終わっても、一連の妊婦連続殺人の報告書の作成やマスコミへの発表がある。宮城には、するべき事が多かった。櫻子は篠原がずっと起きている事も気になっていたので、再び黙ったまま頷いた。
「車は二台で来たので、全員乗れます――佐々木さん、すみませんが私共は一度戻ります。また日を改めて来ますので、よろしくお願いします」
「女性連続殺人事件ですよね? そちらも大変な事件続きで……うちは、何時来られても大丈夫なんで気にせずに」
宮城がそう言うと、佐々木は快く返事した。借りていた手袋や靴カバーなどを鑑識に返し、宮城と櫻子に続いて篠原と山本と牧瀬が車に向かった。そろそろ明るくなってきた空の下、閑静な住宅街にマスコミの姿が次第に増えてきた。
篠原が運転する車に、櫻子と宮城が乗り込んだ。山本と牧瀬はその後に続く。
「……ねえ、宮城さん」
走り出した車の中で、ようやく櫻子が口を開いた。
「どうして、『あの時』だったのかしら……?」
「『あの時』とは?」
問われた宮城は、その言葉に含まれる意味が分からなかった。
「私達が流星――司さんのマンションに向かって、景光容疑者を説得していた時に、竜崎さんのスマホが鳴った……まるで竜崎さんが、『電話に出られない時』を狙うかのように。時間が少しでも違ったら、竜崎さんは電話に出ていて……犯行現場にもっと早く向かえたかもしれない」
ようやく、宮城はあの時の事を思い出した。自分の陰茎を切っただろう出刃包丁を持った景光の話を聞いていた時に、彼の母からの着信があった。そんな時に、取れる筈がない。そうして、倒れた容疑者と被害者、櫻子がいたからかけ直すことも出来なかった。
まさに、『竜崎が電話に出られない時』だった。
「竜崎さんのスマホに、留守電は入ってなかったのよね……気になるわ」
櫻子は、いつの間にか雨が止んでいる事にようやく気が付いた。走る車の窓の外に流れる景色を眺めながら、それきり曽根崎警察署に到着するまで黙り込んでいた。
「はい、私達が発見した時は興奮し過ぎたかショックだったのか、弟さんの部屋で床を素手で殴って怪我した跡があり、鼻血を出して気を失っていました。病院へ連れて行った後も、まだ目を覚ましているという連絡はありません。念の為に、制服警官を病室の前に配置させています。ところで、司悠聖さんは?」
悠聖とは、流星の本名だ。櫻子は気を失ってから彼の様子を聞いていない。何か知っているかと、篠原に視線を向けた。
「あ、の……」
篠原は、思わず口ごもってしまった。櫻子がショックを受けることが分かっているから、正直に報告するのが躊躇われたのだ。
「……私なら大丈夫よ。目を覚ました?」
「はい……一条課長が一度目を覚まされて、再び眠られた後に。担当の医者と対面しましたが……ショック性の幼児返り症状を起こしているようです。言動は五歳くらいの、幼児みたいでした。一条課長とお爺さんの名前を繰り返し呼んで、怖がって病室から逃げようとしていたので麻酔を打たれました。今も、病室で寝ていると思います」
知らずに、人肉を食べさせられていたのだ。太客からの過剰なストーカー行為を受け、精神的に弱っていた彼には、そんな現実は受け入れられなかったのだろう。多重人格を生むように、多分一番幸せだったころにまで、記憶を封じたのかもしれない。
櫻子を認識しているのは、彼にとって櫻子が愛しい存在だったからだろう。その篠原の報告を聞いた宮城は何とも言えない顔になり、櫻子は表情を変えずに黙っていた。
「事情聴取は、無理やろうな。医者の診断書貰って実家の人に会わせた方がええ……その手続きでよろしいですか? 一条警視」
確認する様に宮城が櫻子に尋ねると、櫻子は黙ったまま頷いた。
「現場も見た事ですし、一度曽根崎警察署に戻りませんか? 司さんの事件のまとめと、竜崎の件について話し合いたいのですが」
事件が終わっても、一連の妊婦連続殺人の報告書の作成やマスコミへの発表がある。宮城には、するべき事が多かった。櫻子は篠原がずっと起きている事も気になっていたので、再び黙ったまま頷いた。
「車は二台で来たので、全員乗れます――佐々木さん、すみませんが私共は一度戻ります。また日を改めて来ますので、よろしくお願いします」
「女性連続殺人事件ですよね? そちらも大変な事件続きで……うちは、何時来られても大丈夫なんで気にせずに」
宮城がそう言うと、佐々木は快く返事した。借りていた手袋や靴カバーなどを鑑識に返し、宮城と櫻子に続いて篠原と山本と牧瀬が車に向かった。そろそろ明るくなってきた空の下、閑静な住宅街にマスコミの姿が次第に増えてきた。
篠原が運転する車に、櫻子と宮城が乗り込んだ。山本と牧瀬はその後に続く。
「……ねえ、宮城さん」
走り出した車の中で、ようやく櫻子が口を開いた。
「どうして、『あの時』だったのかしら……?」
「『あの時』とは?」
問われた宮城は、その言葉に含まれる意味が分からなかった。
「私達が流星――司さんのマンションに向かって、景光容疑者を説得していた時に、竜崎さんのスマホが鳴った……まるで竜崎さんが、『電話に出られない時』を狙うかのように。時間が少しでも違ったら、竜崎さんは電話に出ていて……犯行現場にもっと早く向かえたかもしれない」
ようやく、宮城はあの時の事を思い出した。自分の陰茎を切っただろう出刃包丁を持った景光の話を聞いていた時に、彼の母からの着信があった。そんな時に、取れる筈がない。そうして、倒れた容疑者と被害者、櫻子がいたからかけ直すことも出来なかった。
まさに、『竜崎が電話に出られない時』だった。
「竜崎さんのスマホに、留守電は入ってなかったのよね……気になるわ」
櫻子は、いつの間にか雨が止んでいる事にようやく気が付いた。走る車の窓の外に流れる景色を眺めながら、それきり曽根崎警察署に到着するまで黙り込んでいた。
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