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七海美桜

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アリアドネのカタストロフィ

警告・上

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 明け方だった為、タクシーは直ぐに来なかった。その間に櫻子を心配した篠原は、医者に頼んで櫻子が自分で噛んだ唇を手当てして貰った。しばらく櫻子は表情が硬く、医者や看護師に手当されるままだった。まるで心を壊した人形の様で、篠原は心配で仕方ない思いで彼女の様子を見守っているしか出来ない。
 手当が終わると、櫻子はスマホを取り出した。刑事局長へ電話をかけて、兵庫県警に連絡を取って貰うらしい。櫻子は篠原に席を離れろ、というような素振りを見せなかったので、じっと見守っていた。

 雨はまだ降っていたが、雷は止んだらしい。ようやく来たタクシーに乗り込んで、伊丹市の竜崎の家へと向かう。住所は、先ほど病院に来ていた宮城から篠原が聞いていた。

 伊丹には大阪伊丹空港があり、大阪と兵庫の有名なベッドタウンの一つだ。兵庫県では、尼崎に次いで人口密度が二位。近隣には昆陽池こやいけと呼ばれる池があり、白鳥などの渡り鳥が飛来する事でその姿を見に、写真家や画家がよく訪れる。その伊丹市の、桜ヶ丘と呼ばれるエリアに中古の一軒家で、母と姉と弟四人で住んでいるという。辺りは、マンションが多かった。

「警視、お疲れ様です。宮城課長も、もうすぐ来られるそうです」
 タクシーが竜崎の家の前に着くと、捜査課の若手の山本がビニール傘を手に駆け寄ってきた。曽根崎警察署の刑事は、彼一人だけの様だった。櫻子が濡れないように、自分の持っていた傘を櫻子に手渡した。
 時間的な事もあってか、周りにマスコミは少なかった。まだ、完全に情報が彼らに行ってないのだろう。玄関は警察が用意したビニールシートで目隠しされており、兵庫県警の鑑識が忙しそうにしていた。雨の湿度と気温の高さで、服が肌に張り付いて気持ちが悪かった。

「管轄は、伊丹警察署ね。ここの責任者は?」
「あ、一条警視ですか? 伊丹警察署捜査課の課長を任されてる、佐々木警部補です」
 タクシーが来たことで様子を見に来たのか、細身で長身の男が姿を見せた。彼は物腰が低く、雨に濡れないように櫻子達を竜崎の家に通してくれた。

「刑事局長から、この事件について連絡頂いています。警視の捜査の邪魔はしませんし、捜査で得た情報はすべて報告します――しかし、まさか曽根崎警察署の刑事の身内が、こんな猟奇的に殺害されるとは……」
 佐々木は、ハンカチで薄い頭を拭った。伊丹警察署の刑事が、櫻子達に靴カバーと白手袋、ビニールキャップを渡してきた。

「猟奇的?」

 櫻子の瞳に、光が灯った様だった。佐々木の言葉の一つに、弾かれたように顔を上げた。
「どういう事?」
 宮城からは、現場を詳しく聞いていなかった。渡されたものを身に付けながら、櫻子は佐々木に話を促した。
「宮城課長は何も? それで、警視が来るまで現場保存をするように、って言ってたんですね」
 櫻子達に続いて入って来た山本が、納得したように呟いた。
「まあ、取り敢えず見て下さい。説明は、それからで」
 櫻子達が準備出来たのを確認すると、佐々木がまず台所に向かった。そこには、そろそろ老いが目立ち始めた――多分、竜崎家の母だろう女性の遺体があった。

「竜崎陽子さんです。この家族の、母親ですね。正確な死亡時間は検死解剖をせんとはっきり言えませんが、殺される直前に息子である海斗さんに何度か電話をかけているみたいです」
 喉を裂かれて死んでいた。その傷は綺麗で、一太刀で死に至らしめたように見えた。殺人に慣れている、もしくは体の構造を理解している者が行ったように見える。彼女の手には、スマホが握り締められていた。多分、流星の部屋で鳴っていた、あの時に掛かっていた電話がそうだったのだろう。それを知った彼は、どんなに悔やむ事か。

 続いて、二階へ向かった。左の部屋に向かうと、その部屋にいた鑑識が邪魔にならない様に部屋から出た。
「海斗さんの姉の、竜崎月子さんです」
 その体はロフトベッドの頭側と足側の柵に、両手を括られて吊り下げられていた。心臓部分から下に、血が流れていた痕がある。三十歳前半だろう。綺麗な顔立ちだが、その目は両方とも抉られたようだ。まぶたが切り取られて黒く見える眼窩がんかから血が下に流れている事から、括られてから目を抉られたようだ。括られて心臓を正確に刺され、眼球をくり抜かれた。その遺体をライトアップしている様子は、悪趣味としか思えない。ミステリー映画の演出を模倣しているのか。

「直接的な死因は、心臓を刺した傷と瞼を切り取った箇所からのショック性失血死だと思われます」
 そうして右側の部屋、二部屋並んでいる奥の部屋に向かう。そこでも、鑑識が同じように部屋を出て行った。
「海斗さんの弟の、竜崎陸さんです。彼も、月子さんと同じ死亡原因だと思われます」
 月子と同じように吊り下げられているが、ロフトベッドの高さギリギリに括られている。その体は、床に着きそうだった。陸は、ベッドの足元の柱に逆さに括られていた。そうして、姉と同じように心臓を刺されている。彼は、両耳を切り取られていた。同じように血痕は、下に向かい流れていた。逆さまに括られてから、刺され耳を切り取られたと思える。

「二十代前半、筋肉を鍛えている健康な男。秩序型、人間関係が苦手もしくは希薄きはく……孤独好きに見えて、愛情に飢えている。犯行の順番は、母、姉、弟……」

 櫻子は三か所の現場を見て、本の一文を読むかのようにそう呟いた。
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