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罪びとは微笑む
嵐の前・下
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椅子に座って珈琲を飲んでいた篠原は、部屋の入り口が騒がしい事に気が付いた。立ち上がって、様子を見に行く。
「どうしたんですか?」
「あ! 君は司悠聖さんと一緒に運ばれた女性の付添だったね?」
入り口でもめていたのは、制止しているにもかかわらず医師が中に入ろうとしたからのようだ。止めようとする制服警官を宥めると、篠原は頷いた。
「はい、篠原と言いますが――何かありました?」
「司さんが目を覚ましたんだが、暴れて手がつけれなくてね……彼女――一条櫻子さんだったね? 彼女の名前を呼んでるし、部屋に来てくれれば助かるんだが……」
神経質そうな中年の医師は、困った様に腕を組んでいる。
「すみません、一条さんもかなり負担が大きかったようで、先ほど眠られたんです。出来れば、休ませてあげたいんです。代わりに俺が行ってみます」
篠原はそう言うと、その医師を促して一緒に流星の病室へと向かった。勿論部屋の前に立つ制服警官に、「絶対に誰も入れないでください」とお願いをして。
「司さんの胃の洗浄をして、感染症予防などの薬も投与したよ。クール―病は潜伏期間があるから、今は何とも言えない。食べていた量や部位、期間が分からないからね」
「クール―病?」
歩きながら二人は流星の容態を話す。香田達や流星の家族の誰もまだ、病院に来れていないようだ。
「伝達性海綿状脳症の一種――簡単に言うと、『人間を食べる事で発症する病気』の事だ」
医師は難しい言葉を使うのはやめて、簡単にそう言った。通り過ぎた一般病棟の看護師が、びっくりしたような顔になっていた。
「意識を取り戻したなら、いつから食事を作って貰っていたのか聞かなかったんですか?」
「それは――まあ、会えば分かるよ」
医師は何かを言いかけたが、そう言うと黙り込んで病室に向かった。てっきり普通の病室だと思っていたが、一般病棟とは違う棟に連れられてきた。
「やだ! やだ、やだ! はなして!」
遠くで、大きな声が聞こえていた。篠原が驚いて隣の医師を見ると、彼は頷いた。
「やだ、こわい! さくらこちゃん、たすけて!」
二人が部屋に着くと、まるで子供のような言葉が聞こえてきた。しかし、声は声変りをした――流星のものだ。
「いやだ! またきた!」
医師と篠原が部屋に入ると、ベッドの上で布団にくるまり隠れようとしている流星の姿があった。顔は涙と鼻水で、赤くなっている。周りにいる看護師が、何とかあやそうとしているが全く効果がない。むしろ、より怖がっているようだ。
「こわいよ、かえりたい! さくらこちゃん、じいちゃん!」
「……これは……」
篠原は、驚いた表情のまま幼い言動の彼を見つめた。
「強いPTSDによるショック性幼児退行……と思われるんだ。幾つくらいかは分からないが、少なくとも五歳くらいと思われる。一条さんという女性は、その頃からのお知り合いですか?」
「いいえ……一年以内だと……」
「じゃあ、よっぽど信頼しているんだね――しかし、困ったな……仕方ない」
医師は深くため息を零すと、看護師に何か指示をした。
「やだ! ちゅうしゃきらい! じいちゃん! じいちゃん!」
看護師が用意したのは、麻酔らしい注射だった。それを見た流星は、布団を放り出すと部屋から抜け出そうとする。慌てた篠原が、その流星を抱き留めた。
「……おじちゃん……さくらこちゃんのにおいがする……」
篠原に抱き留められた流星は、ふと大人しくなった。その瞬間に、看護師が素早く流星の腕に注射を打った。
「大丈夫、もう怖くないよ。もう、怖い人はいないからね?」
ポンポンと流星の背中を撫でると、ゆっくりと麻酔が効き始めた流星は篠原の肩に凭れて、しばらくして眠りに落ちた。篠原はその流星を、看護師と共にベッドに眠らせた。
「精神科医の先生に連絡して。あと――」
医師が指示を出して、看護師たちが忙しそうに動き出す。邪魔になりそうな篠原は病室を出ると、スマホを取り出して池田に電話を掛けた。流星の具合と、彼の家族に一刻も早く来て貰って欲しい、と。
桐生の残した爪痕は、また櫻子を傷つけそうだ。苦々しい顔をしながら、篠原は足早に櫻子の病室に向かった。
「どうしたんですか?」
「あ! 君は司悠聖さんと一緒に運ばれた女性の付添だったね?」
入り口でもめていたのは、制止しているにもかかわらず医師が中に入ろうとしたからのようだ。止めようとする制服警官を宥めると、篠原は頷いた。
「はい、篠原と言いますが――何かありました?」
「司さんが目を覚ましたんだが、暴れて手がつけれなくてね……彼女――一条櫻子さんだったね? 彼女の名前を呼んでるし、部屋に来てくれれば助かるんだが……」
神経質そうな中年の医師は、困った様に腕を組んでいる。
「すみません、一条さんもかなり負担が大きかったようで、先ほど眠られたんです。出来れば、休ませてあげたいんです。代わりに俺が行ってみます」
篠原はそう言うと、その医師を促して一緒に流星の病室へと向かった。勿論部屋の前に立つ制服警官に、「絶対に誰も入れないでください」とお願いをして。
「司さんの胃の洗浄をして、感染症予防などの薬も投与したよ。クール―病は潜伏期間があるから、今は何とも言えない。食べていた量や部位、期間が分からないからね」
「クール―病?」
歩きながら二人は流星の容態を話す。香田達や流星の家族の誰もまだ、病院に来れていないようだ。
「伝達性海綿状脳症の一種――簡単に言うと、『人間を食べる事で発症する病気』の事だ」
医師は難しい言葉を使うのはやめて、簡単にそう言った。通り過ぎた一般病棟の看護師が、びっくりしたような顔になっていた。
「意識を取り戻したなら、いつから食事を作って貰っていたのか聞かなかったんですか?」
「それは――まあ、会えば分かるよ」
医師は何かを言いかけたが、そう言うと黙り込んで病室に向かった。てっきり普通の病室だと思っていたが、一般病棟とは違う棟に連れられてきた。
「やだ! やだ、やだ! はなして!」
遠くで、大きな声が聞こえていた。篠原が驚いて隣の医師を見ると、彼は頷いた。
「やだ、こわい! さくらこちゃん、たすけて!」
二人が部屋に着くと、まるで子供のような言葉が聞こえてきた。しかし、声は声変りをした――流星のものだ。
「いやだ! またきた!」
医師と篠原が部屋に入ると、ベッドの上で布団にくるまり隠れようとしている流星の姿があった。顔は涙と鼻水で、赤くなっている。周りにいる看護師が、何とかあやそうとしているが全く効果がない。むしろ、より怖がっているようだ。
「こわいよ、かえりたい! さくらこちゃん、じいちゃん!」
「……これは……」
篠原は、驚いた表情のまま幼い言動の彼を見つめた。
「強いPTSDによるショック性幼児退行……と思われるんだ。幾つくらいかは分からないが、少なくとも五歳くらいと思われる。一条さんという女性は、その頃からのお知り合いですか?」
「いいえ……一年以内だと……」
「じゃあ、よっぽど信頼しているんだね――しかし、困ったな……仕方ない」
医師は深くため息を零すと、看護師に何か指示をした。
「やだ! ちゅうしゃきらい! じいちゃん! じいちゃん!」
看護師が用意したのは、麻酔らしい注射だった。それを見た流星は、布団を放り出すと部屋から抜け出そうとする。慌てた篠原が、その流星を抱き留めた。
「……おじちゃん……さくらこちゃんのにおいがする……」
篠原に抱き留められた流星は、ふと大人しくなった。その瞬間に、看護師が素早く流星の腕に注射を打った。
「大丈夫、もう怖くないよ。もう、怖い人はいないからね?」
ポンポンと流星の背中を撫でると、ゆっくりと麻酔が効き始めた流星は篠原の肩に凭れて、しばらくして眠りに落ちた。篠原はその流星を、看護師と共にベッドに眠らせた。
「精神科医の先生に連絡して。あと――」
医師が指示を出して、看護師たちが忙しそうに動き出す。邪魔になりそうな篠原は病室を出ると、スマホを取り出して池田に電話を掛けた。流星の具合と、彼の家族に一刻も早く来て貰って欲しい、と。
桐生の残した爪痕は、また櫻子を傷つけそうだ。苦々しい顔をしながら、篠原は足早に櫻子の病室に向かった。
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