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七海美桜

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罪びとは微笑む

発見・上

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 鯵川の店は、十三じゅうそうにあった。阪急電鉄十三駅西南側の栄町さかえまちには飲食店から歓楽街、ラブホテルエリアなど夜の街のイメージが強い。キタやミナミとは違う雰囲気の、独特の街並みだ。
 しかし街を流れる淀川よどがわでは毎年八月に花火大会があり、路上ミュージシャンが歌声を雑踏の中で響かせる、どこか人を惹き付ける不思議な魅力がある街でもあった。

「僕は留守番をするので、皆さんでどうぞ」
 と、変わらず笹部は進んで残る事になり、櫻子と篠原、宮城と竜崎が電車で十三へと向かった。そろそろ日が傾き、夜の街の顔に代わり始める。仕事終わりの会社員や塾へ向かうのだろう学生の姿、日常と非日常の光景が交差して、通りには人が多くあふれている。

 鯵川の店は駅から少し離れた雑居ビルの三階にある。鍵は彼女の部屋を念入りに探したが見つからなかった。彼女は雑居ビルを借りてスナックを営業していたようで、そのビルのオーナーに事情を話しスペアキーを捜査課の刑事が預かったのを、曽根崎警察署を出る前に竜崎が持って来ていた。ここの家賃も変わらず振り込まれていたので、オーナーは鯵川が行方不明な事を知らず、ひどく驚いていたそうだ。自動引き落としになっていたので、残高が無くならない限り独り身の彼女が行方不明だとは分からないだろう。

 その雑居ビルは四階建てで、階層により違う店が借りている。一階は花屋。篠原は不思議に思ったが、その理由を後で宮城に教えて貰った。夜の店では、花屋は意外と必要とされる。キャバ嬢のバースデーイベントやプレゼント、新店舗開店祝いなどで繁華街では夜に営業を始める花屋も多いのだ。
 そしてコンクリの階段を上り、二階の居酒屋。まだ店は開いていないが、もう間もなく開く店の準備を中でしている音が聞こえる。櫻子の折れそうなほど細いヒールがコンクリを甲高く響かせ、ようやく三階に着いた。そこには鯵川の『スナック・ルージュ』があり、上の四階は空き部屋になっている。

「警視、もし遺体がありましたら――」
「大丈夫、マスクだけは念のため持ってきてるから」
 櫻子は、曽根崎そねざき警察を出る前に篠原に持たせた大きめなバックを指差した。篠原は言われるまま持って出たので、中身が何かは知らされていなかった。

「あの、どうしてマスクなんか……?」
 大きさから考えて、花粉症などの予防に使う不織布ふしょくふマスクのようなものではないと、篠原は首を傾げた。ゴツゴツしていて、ヘルメットのように感じる。
「腐乱死体には、ウイルスや細菌などの感染症にかかる危険なものが有る可能性があるの。前回は持って行かなかったから、直ぐに部屋を出たのよ。ドアや窓も開けていたから、大丈夫とは思ったけど。でも、覚えておいてね、特に密室は危険だから。そして、防護服を着ていないで腐乱死体に出会ったら、その服は必ず捨てて」

 真剣な表情の櫻子を見て、篠原はあの五人の遺体があった部屋にいた鑑識や刑事が被っていたマスクや防護服の意味が、ようやく分かった。そうして、櫻子が「背広を捨てろ」といった意味も。

「もし『最初の遺体』があるなら、肉は骨にこびりつく程度でしょう――有難うございます」
 竜崎が篠原からバックを受け取ると、映画で見るような毒ガスマスクのような大きなものを取り出した。それを、櫻子、宮城、篠原に渡して自分の分を被る。全員が被り終え手袋を身に着けると、シャッターの鍵を開けて現れた玄関のドアの鍵も竜崎が慎重に開けた。

 小さいスナックだが、カウンター席が四席にボックス席が二セット。奥は、休憩用か着替えようかの小さな部屋があるようだ。その向かいには、多分トイレらしいドア。どこか昭和を感じさせるレトロな店構えの、小綺麗な作りだった。電気も通じたままで、部屋に入った篠原が壁のスイッチを入れると、部屋がより見渡せた。

 そして――

 部屋の片隅に、黒い大きなビニール袋が六、七個は置かれていた。死んだはえがその周りに沢山落ちており、ネズミの死体も二匹ほど横たわっている。あの現場でも見た、のこぎりも変わらず乾いた血で染まって、三本転がっていた。ボックス席のテーブルやソファには、赤黒い染みが広がっている。まるでそこで、解体したかのように。

「警視……」
 マスク越しに、宮城が櫻子に確認する様に声をかけた。
「鑑識と、手の空いている捜査員を呼びましょう……間違いなく、遺体だわ」
 そう呟いた櫻子は、何かがカウンターに置かれているのに気が付いた。歩み寄ると、それは氷を入れるアイスペールだった。カウンターの向こうにある棚に、同じものがあるのでこの店のものだろう。

 よく見ると中に、何か入っていたようだ。しかし覗き込んでも何もないので、捨てたのか乾いてしまったのか――それに、ガラス製のアイスペールの内側がどこか赤く染まっている所が見られる。

「次の被害者が出ないうちに、早く犯人を捜さないと――」
 櫻子は、どこか満足げな笑みの桐生を思い唇を噛んだ。

「あの……背広買い替えたら経費で落ちますか?」
 篠原の遠慮がちで場違いな言葉に、宮城が思わず彼の頭を叩いた。
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