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キルケゴールの挫折
爆発・上
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鑑識と科捜研からの書類を手に、櫻子は深くため息を零した。
昼の鯛めしの代金を櫻子が払うと言ったが、宮城は「今度鱧でも食わしてください」と全員分奢ってくれた。彼なりの歩み寄りが嬉しくて、櫻子はその気持ちに甘えた。
見慣れた曽根崎署の部屋に帰ると、櫻子は届けられた書類にゆっくり目を通した。篠原は珈琲豆をミルで砕き始めて、笹部はパソコンの画面をじっと見ている。
「どうしました? 一条課長」
「あの爆弾には、やっぱり躊躇いが残ってたわ。脅しと考えられるけれど……火薬の量と釘の量から考えても、どうしても怪我をさせたくないから加減して作ったようにしか考えられない」
「署内の監視カメラを確認し終えましたが、朝一番に黒っぽい配達人風の荷物を持って来た男が入ってきました。受付に寄って箱を二つ渡してから、紙袋を手に一階のトイレに行ってますね。帽子を被っていてマスクもしてますので、正確な顔は判別できません――大体178センチから180センチくらいでしょうか? 痩せ型ですね」
笹部は、防犯カメラを見ていたようだ。その体格は、神崎と符合する。
「――池波容疑者を、信じていたのね。自殺にまで追い込んだ警察が、許せなかったのよ」
櫻子はソファに背を預ける様に凭れて、瞳を閉じた。櫻子は初めて池波の事を、『容疑者』だと言った。
「ボス」
笹部がちらりと顔を上げた。篠原は薫り高く入れた珈琲を、二人に配る。櫻子は瞳を開ける、そうして笹部は篠原のデスクに向かって壁にかけられている大きなモニターを見た。笹部は、再生ボタンを押して映像を二人に見せた。
「間違いないわね」
画面に映し出された動画を見終わった櫻子は、篠原が淹れた珈琲を一口飲んだ。篠原は、動揺したように小さく頷いた。笹部は、いつもの様にぼんやりとパソコンを操作している。
「明日、宮城さんを連れて行くわ」
「しかし、宮城課長はこちらの件に関しては……」
櫻子の言葉に、篠原は困ったように口を挟んだ。櫻子はもう一度深々と溜息を零してから、窓の外に目を向けた。
「なら、富田さんも連れて行きましょう。これは、二件の事件が関係して起こったのだから。二人に連絡しておいて」
「はい!」
篠原は、わざわざ捜査課が居る会議室へと向かって足早に部屋を出た。入れ違いに、総務課の婦警が部屋に顔を見せた。
「一条警視、お荷物が届いています。花屋から、取り扱いには気を付けて欲しいと言われました。捜査で必要だから、とお聞きしましたが……」
婦警は、恐々と花束と封筒を手にしていた。よく見ればその花は、季節外れのトリカブトだ。宮城宛の荷物が爆発して以降、荷物は総務課で簡単に調べている。が、届ける係はやはり怖いのだろう。
「お疲れ様です」
笹部が椅子から立ち上がり婦警からそれを受け取ると、婦警を追い出してさっさとドアを閉めた。そしてそのまま、櫻子のデスクにそれを持って行った。
青紫のトリカブトは、夏の花だ。ハウスで育てられたものだろう、いつも届けに来る花屋ではないようだ。依頼人は、『神崎健』となっていたが、住所は曽根崎警察署になっていて、彼ではない事は分かっている。
それに今回はメッセージカードではなく、封筒で郵送されたものだ。櫻子はペーパーナイフでそれを開けると、中身を確認した。
「……いろは歌?」
中には、「いろはにほへと……」で始まる有名な歌が上下逆さまで印刷されていた。そうして、その最後に手書きの文字が記されていた。
『以下、我また会うは違えど。僕と会う前にこの歌を思い出してみ?』
桐生らしからぬ、関西弁と時代錯誤な文体だ。前回の手紙と同じで、無機質な特徴のない字だった。トリカブトは、アコニチン系のアルカロイドのアコニチン、メサコニチンという植物界最高クラスの毒成分が含まれる。この花の葉一グラムで、死に至る事もある。取り扱い危険のシールが貼られて、花全体をナイロンで覆っていた。綺麗にラッピングしたのではない贈り物だった。花粉や種にも毒成分がある為、死ぬ確率は低いが素手で触るのも危ない。
「っ、誰!? これを届けたのは!!」
櫻子の慌てた声に、笹部は今日の玄関先の監視カメラを遡った。宮城と笹部が玄関を出るのと入れ替わりに、この花を抱えた男が入って来た。受付でそれを渡すと、男は受付と何か会話してまた玄関へと向かう。
しかし、監視カメラに向き直ると男はそれに向かって微笑んだ――桐生蒼馬が、悠然と歩いて出ていく姿を櫻子は信じられない思いで見つめた。
「アナグラム……」
前回尋ねた時に、アナグラムについて語っていた桐生の顔を、櫻子は思い出した。
昼の鯛めしの代金を櫻子が払うと言ったが、宮城は「今度鱧でも食わしてください」と全員分奢ってくれた。彼なりの歩み寄りが嬉しくて、櫻子はその気持ちに甘えた。
見慣れた曽根崎署の部屋に帰ると、櫻子は届けられた書類にゆっくり目を通した。篠原は珈琲豆をミルで砕き始めて、笹部はパソコンの画面をじっと見ている。
「どうしました? 一条課長」
「あの爆弾には、やっぱり躊躇いが残ってたわ。脅しと考えられるけれど……火薬の量と釘の量から考えても、どうしても怪我をさせたくないから加減して作ったようにしか考えられない」
「署内の監視カメラを確認し終えましたが、朝一番に黒っぽい配達人風の荷物を持って来た男が入ってきました。受付に寄って箱を二つ渡してから、紙袋を手に一階のトイレに行ってますね。帽子を被っていてマスクもしてますので、正確な顔は判別できません――大体178センチから180センチくらいでしょうか? 痩せ型ですね」
笹部は、防犯カメラを見ていたようだ。その体格は、神崎と符合する。
「――池波容疑者を、信じていたのね。自殺にまで追い込んだ警察が、許せなかったのよ」
櫻子はソファに背を預ける様に凭れて、瞳を閉じた。櫻子は初めて池波の事を、『容疑者』だと言った。
「ボス」
笹部がちらりと顔を上げた。篠原は薫り高く入れた珈琲を、二人に配る。櫻子は瞳を開ける、そうして笹部は篠原のデスクに向かって壁にかけられている大きなモニターを見た。笹部は、再生ボタンを押して映像を二人に見せた。
「間違いないわね」
画面に映し出された動画を見終わった櫻子は、篠原が淹れた珈琲を一口飲んだ。篠原は、動揺したように小さく頷いた。笹部は、いつもの様にぼんやりとパソコンを操作している。
「明日、宮城さんを連れて行くわ」
「しかし、宮城課長はこちらの件に関しては……」
櫻子の言葉に、篠原は困ったように口を挟んだ。櫻子はもう一度深々と溜息を零してから、窓の外に目を向けた。
「なら、富田さんも連れて行きましょう。これは、二件の事件が関係して起こったのだから。二人に連絡しておいて」
「はい!」
篠原は、わざわざ捜査課が居る会議室へと向かって足早に部屋を出た。入れ違いに、総務課の婦警が部屋に顔を見せた。
「一条警視、お荷物が届いています。花屋から、取り扱いには気を付けて欲しいと言われました。捜査で必要だから、とお聞きしましたが……」
婦警は、恐々と花束と封筒を手にしていた。よく見ればその花は、季節外れのトリカブトだ。宮城宛の荷物が爆発して以降、荷物は総務課で簡単に調べている。が、届ける係はやはり怖いのだろう。
「お疲れ様です」
笹部が椅子から立ち上がり婦警からそれを受け取ると、婦警を追い出してさっさとドアを閉めた。そしてそのまま、櫻子のデスクにそれを持って行った。
青紫のトリカブトは、夏の花だ。ハウスで育てられたものだろう、いつも届けに来る花屋ではないようだ。依頼人は、『神崎健』となっていたが、住所は曽根崎警察署になっていて、彼ではない事は分かっている。
それに今回はメッセージカードではなく、封筒で郵送されたものだ。櫻子はペーパーナイフでそれを開けると、中身を確認した。
「……いろは歌?」
中には、「いろはにほへと……」で始まる有名な歌が上下逆さまで印刷されていた。そうして、その最後に手書きの文字が記されていた。
『以下、我また会うは違えど。僕と会う前にこの歌を思い出してみ?』
桐生らしからぬ、関西弁と時代錯誤な文体だ。前回の手紙と同じで、無機質な特徴のない字だった。トリカブトは、アコニチン系のアルカロイドのアコニチン、メサコニチンという植物界最高クラスの毒成分が含まれる。この花の葉一グラムで、死に至る事もある。取り扱い危険のシールが貼られて、花全体をナイロンで覆っていた。綺麗にラッピングしたのではない贈り物だった。花粉や種にも毒成分がある為、死ぬ確率は低いが素手で触るのも危ない。
「っ、誰!? これを届けたのは!!」
櫻子の慌てた声に、笹部は今日の玄関先の監視カメラを遡った。宮城と笹部が玄関を出るのと入れ替わりに、この花を抱えた男が入って来た。受付でそれを渡すと、男は受付と何か会話してまた玄関へと向かう。
しかし、監視カメラに向き直ると男はそれに向かって微笑んだ――桐生蒼馬が、悠然と歩いて出ていく姿を櫻子は信じられない思いで見つめた。
「アナグラム……」
前回尋ねた時に、アナグラムについて語っていた桐生の顔を、櫻子は思い出した。
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