76 / 188
キルケゴールの挫折
池波・下
しおりを挟む
篠原がケーキを食べ終えると、二人は曽根崎警察署に帰って来た。一階の焦げ臭い香りは次の日である今日も未だ残っていて、更にトイレへの通路は『立ち入り禁止』の黄色いテープで封鎖されていた。爆発騒ぎがあった刑事課も今は立ち入り禁止になっているので、彼らは空いている会議室を仮に使っていた。
「お帰り」
特別心理犯罪課の部屋に入ると、留守番をしていた笹部が自分の椅子に腰を落として、ひらひらと手を振って二人を迎えた。そんな彼に、ぺこりと篠原は頭を下げる。笹部は、薄いお菓子のようなものをかじっていた。
「ねぇ、篠原君。やよいさんが、それ持って来たよ。あと、これも」
笹部が指差す先には、珈琲豆らしい袋。多分、宝塚緩急百貨店内にあるロイヤルフレーバーの、京都工場の記念ブレンドだ。昨日帰りに買っておいて、今朝持ってくるのを忘れていたらしい。慌ててスマホを取り出すと、数回の着信とメールが母親から届いていた。
「炭酸せんべいって、美味しいね」
多分やよいが、気を遣って買ってきたのだろう。宝塚の名産である炭酸せんべいが入った赤い丸缶を、笹部が抱えて食べていた。
「すみません、受け取って下さり有難うございます。すぐ珈琲淹れますね」
篠原は湯沸かしに水を入れに、急いで給湯室に向かった。
「一課の人……元気そうでした? 爆弾での威力の怪我より転んだ時の怪我の方が大きいなんて、犯人は何考えて爆弾作ったんでしょうね」
炭酸せんべいは、兵庫県の名湯有馬温泉のお湯に含まれる炭酸が練り込まれた、薄焼きのせんべいだ。チョコレートなどのクリーム入りも販売されているが、地元では軽く食べられるクリームなしの方が好まれている。
「元気だけど、捜査から外されることに落ち込んでいたわ――懐かしいわね」
櫻子は笹部の机に歩み寄ると、彼が抱える丸缶から白く綺麗な指先でせんべいを一枚取り出した。青味がかかった口紅が付かぬよう、気を付けてパリッと小気味よい音を立ててかじる。
ほんのりと甘い、『昔ながら』の味に櫻子は小さく笑みを浮かべた。そこへ給湯室から戻って来た篠原が、慌てて袋から豆を取り出した。そうして今度は、手動ミルで熱がこもらない様に、ゆっくり豆を挽き始めた。朝の分の豆が残っていて、助かったとほっとしていた。
「池波隼人について、人物像を再確認しましょ」
せんべいをかじりながら、櫻子は自分の机に向かい椅子に腰を落とした。笹部は抱えていた丸缶をパソコンの横に置くと、パソコンのキーボードを打ち始めた。
「了解しました――池波隼人、二十一歳。平成十一年、西暦だと1999年生まれです。学歴は、高校中退。自己都合となっていますが、素行の悪さが原因の様です。十六歳からしばらく素行の悪い仲間と万引きや引ったくりを繰り返して、堺市にある大阪少年鑑別所に二回収容されています。両親と兄、姉の五人家族の末っ子です」
笹部の言葉と共に、彼の後ろにある壁が突然光ったように感じた。驚いた篠原が顔を上げると、笹部の後ろの壁にいつの間にか大きなモニターがつけられていた。そこに、池波の運転免許証が映し出されていた。
「え!? いつの間にこんなモニター付けたんですか?」
篠原が驚いた声を上げると、笹部は大げさに肩を竦めた。
「今気が付いたの? 席に座ったら、君の正面になるじゃないか。君もボスもほとんどパソコン開けないから、説明する時面倒なんだよ」
「……申し訳ない、としか言えないわね」
櫻子が申し訳なさそうに笑みを浮かべながら、艶やかな自分の髪を指に絡めて呟いた。篠原の休みの日に、笹部が櫻子に要望して取り付けたらしい。
画面には、短く剃った髪の強面だがどことなくまだ幼さが残る青年が映っている。
「二度目の少年鑑別所を出てから、青少年の更生協力をしている三浦板金で住み込みで働き始めました」
「――快楽殺人、が妥当ね」
彼の生い立ちから、ホームレスを暴行した事や殺した事は『快感』を得る為だと想像できる。池波は、『暴力性』を抱えている。もし彼が本当に犯人であるなら、金が欲しい訳ではない。ホームレスを狙う辺り、金品を狙ったとは考えられない。二件目で、暴力で人を殺す喜びを感じたに違いない。
「あの……」
篠原が、小さく声を漏らした。櫻子と笹部は、良い香りが漂う珈琲カップを手にする篠原を振り返った。
「『サイコパス』とか『シリアルキラー』とか……俺、あんまりまだよく分からないです」
篠原の言葉に、櫻子は大きな瞳で一度瞬きをした。
「そうね、最初に基礎的な話をしないまま色々な事件に付き合わせてきてしまったわね。簡単に、『異常犯罪』の種類を教えるわ」
櫻子は机に肘をつき、手の甲に自分の顎を置いた。篠原は全員の珈琲を配り終えると、席に戻って櫻子の言葉を待った。
「お帰り」
特別心理犯罪課の部屋に入ると、留守番をしていた笹部が自分の椅子に腰を落として、ひらひらと手を振って二人を迎えた。そんな彼に、ぺこりと篠原は頭を下げる。笹部は、薄いお菓子のようなものをかじっていた。
「ねぇ、篠原君。やよいさんが、それ持って来たよ。あと、これも」
笹部が指差す先には、珈琲豆らしい袋。多分、宝塚緩急百貨店内にあるロイヤルフレーバーの、京都工場の記念ブレンドだ。昨日帰りに買っておいて、今朝持ってくるのを忘れていたらしい。慌ててスマホを取り出すと、数回の着信とメールが母親から届いていた。
「炭酸せんべいって、美味しいね」
多分やよいが、気を遣って買ってきたのだろう。宝塚の名産である炭酸せんべいが入った赤い丸缶を、笹部が抱えて食べていた。
「すみません、受け取って下さり有難うございます。すぐ珈琲淹れますね」
篠原は湯沸かしに水を入れに、急いで給湯室に向かった。
「一課の人……元気そうでした? 爆弾での威力の怪我より転んだ時の怪我の方が大きいなんて、犯人は何考えて爆弾作ったんでしょうね」
炭酸せんべいは、兵庫県の名湯有馬温泉のお湯に含まれる炭酸が練り込まれた、薄焼きのせんべいだ。チョコレートなどのクリーム入りも販売されているが、地元では軽く食べられるクリームなしの方が好まれている。
「元気だけど、捜査から外されることに落ち込んでいたわ――懐かしいわね」
櫻子は笹部の机に歩み寄ると、彼が抱える丸缶から白く綺麗な指先でせんべいを一枚取り出した。青味がかかった口紅が付かぬよう、気を付けてパリッと小気味よい音を立ててかじる。
ほんのりと甘い、『昔ながら』の味に櫻子は小さく笑みを浮かべた。そこへ給湯室から戻って来た篠原が、慌てて袋から豆を取り出した。そうして今度は、手動ミルで熱がこもらない様に、ゆっくり豆を挽き始めた。朝の分の豆が残っていて、助かったとほっとしていた。
「池波隼人について、人物像を再確認しましょ」
せんべいをかじりながら、櫻子は自分の机に向かい椅子に腰を落とした。笹部は抱えていた丸缶をパソコンの横に置くと、パソコンのキーボードを打ち始めた。
「了解しました――池波隼人、二十一歳。平成十一年、西暦だと1999年生まれです。学歴は、高校中退。自己都合となっていますが、素行の悪さが原因の様です。十六歳からしばらく素行の悪い仲間と万引きや引ったくりを繰り返して、堺市にある大阪少年鑑別所に二回収容されています。両親と兄、姉の五人家族の末っ子です」
笹部の言葉と共に、彼の後ろにある壁が突然光ったように感じた。驚いた篠原が顔を上げると、笹部の後ろの壁にいつの間にか大きなモニターがつけられていた。そこに、池波の運転免許証が映し出されていた。
「え!? いつの間にこんなモニター付けたんですか?」
篠原が驚いた声を上げると、笹部は大げさに肩を竦めた。
「今気が付いたの? 席に座ったら、君の正面になるじゃないか。君もボスもほとんどパソコン開けないから、説明する時面倒なんだよ」
「……申し訳ない、としか言えないわね」
櫻子が申し訳なさそうに笑みを浮かべながら、艶やかな自分の髪を指に絡めて呟いた。篠原の休みの日に、笹部が櫻子に要望して取り付けたらしい。
画面には、短く剃った髪の強面だがどことなくまだ幼さが残る青年が映っている。
「二度目の少年鑑別所を出てから、青少年の更生協力をしている三浦板金で住み込みで働き始めました」
「――快楽殺人、が妥当ね」
彼の生い立ちから、ホームレスを暴行した事や殺した事は『快感』を得る為だと想像できる。池波は、『暴力性』を抱えている。もし彼が本当に犯人であるなら、金が欲しい訳ではない。ホームレスを狙う辺り、金品を狙ったとは考えられない。二件目で、暴力で人を殺す喜びを感じたに違いない。
「あの……」
篠原が、小さく声を漏らした。櫻子と笹部は、良い香りが漂う珈琲カップを手にする篠原を振り返った。
「『サイコパス』とか『シリアルキラー』とか……俺、あんまりまだよく分からないです」
篠原の言葉に、櫻子は大きな瞳で一度瞬きをした。
「そうね、最初に基礎的な話をしないまま色々な事件に付き合わせてきてしまったわね。簡単に、『異常犯罪』の種類を教えるわ」
櫻子は机に肘をつき、手の甲に自分の顎を置いた。篠原は全員の珈琲を配り終えると、席に戻って櫻子の言葉を待った。
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
強制憑依アプリを使ってみた。
本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。
校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈
これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。
不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。
その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。
話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。
頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。
まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。
リモート刑事 笹本翔
雨垂 一滴
ミステリー
『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。
主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。
それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。
物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。
翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?
翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

ファクト ~真実~
華ノ月
ミステリー
特別編からはお昼の12時10分に更新します。
主人公、水無月 奏(みなづき かなで)はひょんな事件から警察の特殊捜査官に任命される。
そして、同じ特殊捜査班である、透(とおる)、紅蓮(ぐれん)、槙(しん)、そして、室長の冴子(さえこ)と共に、事件の「真実」を暴き出す。
その事件がなぜ起こったのか?
本当の「悪」は誰なのか?
そして、その事件と別で最終章に繋がるある真実……。
こちらは全部で第七章で構成されています。第七章が最終章となりますので、どうぞ、最後までお読みいただけると嬉しいです!
よろしくお願いいたしますm(__)m
夜の動物園の異変 ~見えない来園者~
メイナ
ミステリー
夜の動物園で起こる不可解な事件。
飼育員・えまは「動物の声を聞く力」を持っていた。
ある夜、動物たちが一斉に怯え、こう囁いた——
「そこに、"何か"がいる……。」
科学者・水原透子と共に、"見えざる来園者"の正体を探る。
これは幽霊なのか、それとも——?
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》
支配するなにか
結城時朗
ミステリー
ある日突然、乖離性同一性障害を併発した女性・麻衣
麻衣の性格の他に、凶悪な男がいた(カイ)と名乗る別人格。
アイドルグループに所属している麻衣は、仕事を休み始める。
不思議に思ったマネージャーの村尾宏太は気になり
麻衣の家に尋ねるが・・・
麻衣:とあるアイドルグループの代表とも言える人物。
突然、別の人格が支配しようとしてくる。
病名「解離性同一性障害」 わかっている性格は、
凶悪な男のみ。
西野:元国民的アイドルグループのメンバー。
麻衣とは、プライベートでも親しい仲。
麻衣の別人格をたまたま目撃する
村尾宏太:麻衣のマネージャー
麻衣の別人格である、凶悪な男:カイに
殺されてしまう。
治療に行こうと麻衣を病院へ送る最中だった
西田〇〇:村尾宏太殺害事件の捜査に当たる捜一の刑事。
犯人は、麻衣という所まで突き止めるが
確定的なものに出会わなく、頭を抱えて
いる。
カイ :麻衣の中にいる別人格の人
性別は男。一連の事件も全てカイによる犯行。
堀:麻衣の所属するアイドルグループの人気メンバー。
麻衣の様子に怪しさを感じ、事件へと首を突っ込んでいく・・・
※刑事の西田〇〇は、読者のあなたが演じている気分で読んで頂ければ幸いです。
どうしても浮かばなければ、下記を参照してください。
物語の登場人物のイメージ的なのは
麻衣=白石麻衣さん
西野=西野七瀬さん
村尾宏太=石黒英雄さん
西田〇〇=安田顕さん
管理官=緋田康人さん(半沢直樹で机バンバン叩く人)
名前の後ろに来るアルファベットの意味は以下の通りです。
M=モノローグ (心の声など)
N=ナレーション
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる