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文車妖妃(ふぐるまようひ)の涙
再会・上
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それからは、マスコミはこの事件を大きく取り上げた。
毒を使って、また死体を死姦した交換殺人事件だ。世間が好奇の目で見るのを、彼らが放っておくはずがない。その為、保身のため報道を鎮火させる様に、警察は躍起になり裏付けや真相を捜査した。だが、犯人二人の死亡による証拠不明で、ほぼうやむやになりそうだった。どこで二人が『交換殺人』の取引をしたのかも、分からなかった。
『かつての教え子を殺した鬼兄嫁』『交換殺人事件は、都市伝説ではなかった!』『実績があれば仕事中でも女性と情事を楽しむ、被害者Hの素顔!』『職場内のいじめが犯行の動機』『教育実習の学生だった義姉の夢を壊した、加害者の義妹である被害者主婦。そして、被害者の夫であり加害者の弟でもある苦悩』――マスコミは、連日この事件を報道した。吉川家の家に入る櫻子の姿も、何度もテレビに映された。『警視庁から大阪に現れた美人警視が捜査!』ともワイドショーを賑わせた。
美晴は、何故岡崎と交換殺人する事になったか、その証拠を一切残さなかった。美晴の家から彼女のスマホやパソコン、Wi-Fiの端末、岡崎のスマホは見つからなかった。連絡に使っていたと思われる全てのものは、処分されていたのかどこを探しても見当たらなかった。
急いでステンドグラスを作り終えて、帰って片付けられるのを待つはずだった工具たちが、彼女の工房で静かに放置されていた。
繋がりを探る為ディープウェブ、更にダークウェブと呼ばれる犯罪に関する色々な取引がされている、インターネットの深層部にまで笹部やサイバー課は入り込んだが、今回の事件の痕跡は一切見つけられなかった。
本庁はもうこの事件から早々に手を引くように、そう天満署に圧力をかけた。
吉川工場のシアン化ナトリウムと三件で使用された毒物の遺伝子が同じと科捜研で確認された上、璃子の遺体についた指紋が岡崎のものと一致。また、岡崎の家から押収された璃子のカバン。刑事の前で自供した美晴。それらを証拠として、被疑者死亡のまま書類送検にする事にした。
櫻子は蕪城に、「羽場と岡崎を殺したのは美晴の単独犯。岡崎を殺したのは、彼が自分と同じ毒物で殺人をした為、彼に全ての責任を負わすために殺した」と報告した。笹部はボイスレコーダーで工場での会話を録音していたはずだろうが、その報告はしなかった。シアン化ナトリウムの使用の改竄をしたのも美晴だと、和葉について何も言わなかった。勿論、和葉が面接をして監視カメラを確認していた事も。何よりも、美晴と璃子の関係の事は、一切話さなかった。なので『美晴が璃子を殺したい理由』が、分からないままとなった。
真実を知っているのは、吉川家の三人と櫻子たちの三人、六人だけだ。
櫻子は篠原と笹部、吉川家の者と約束した。美晴の本当の動機は、絶対に分からないと答える様に、と。何か責任が生れれば、櫻子が全て責任を負う――だから、誰もが櫻子の報告が正しいと証言した。
昔の篠原なら、世間に真実を明かさない櫻子の行動を責めたかもしれない。しかし――自らシアン化ナトリウムを飲んで、自供して己の罪を『自殺』という形で片付けた美晴を、これ以上傷付けて――誰の心が休まるのだろうか。確かに璃子の親は、真実が分からないままでは納得しないかもしれない。だが、璃子が美晴の心が崩壊するまで傷つけたのは事実だ。美晴の心を殺した罪を、璃子は受けるべきだったのかもしれない。璃子の親は、娘の罪を『殺意の原因は不明』として受け入れるべきなのだ――むしろ、その方が楽かもしれない。娘の歪んだ顔を、知らずにいれる事に。
真実を知らない方が、幸せな時がある……篠原は、複雑ながらもそう思った。
櫻子は、篠原の運転で再び兵庫県赤穂市にある水耕栽培工場へ向かった。前回来た時と同じ、作業員姿の第二公安捜査、第三係所属管理官の青山が出迎えてくれた。そうして、同じ工程を経て地下二十五階へ向かった。
「やあ、櫻子さん。少し顔色が悪いね。マスコミのせいなのかな? ――そういえば、あのカメラマンは君を綺麗に撮れなかったみたいだね。全く、マスコミの質は何年経っても上がらないなぁ」
真っ白い硝子の水槽の向こうの桐生は、笑顔で櫻子を迎えた。渡された通話用のボタンを持ちながら櫻子は無表情に見返し、篠原は慌てて視線を落とした。
「やっぱり、日本語で君にヒントを教えるのは難しいね。僕はフランス語が好きだけど、君はドイツ語が得意だし。大学の専攻をフランス語に指定したかったけど、解剖や医学で役に立つのはドイツ語だもんね。残念だよ」
「Échange de meurtre」
篠原は、驚いたように櫻子に視線を向けた。その言葉に、桐生は拍手をした。ボタンを押してないので、音は聞こえなかったが。
「素晴らしい! 発音も完璧だ。フランス語も学んだのかい?」
「叔父から、貴方がフランス語を好きだと聞いていたのよ――肝心な考察、ね。『交換殺人』なんて、よくこんな日本語のアナグラムを考えたわね」
篠原は、瞳を丸くした。櫻子宛に送られてきた、メッセージカードに書かれていた文字…『人物は多いけど、『肝心の考察』を忘れずに!』のカッコの中の文字を入れ替えると――『交換の殺人』に、なる。
『人物は多いけど、『交換の殺人』を忘れずに!』
篠原は、またもやこの檻に居る彼が早々に事件を解決していた事に、恐怖すら感じた。
毒を使って、また死体を死姦した交換殺人事件だ。世間が好奇の目で見るのを、彼らが放っておくはずがない。その為、保身のため報道を鎮火させる様に、警察は躍起になり裏付けや真相を捜査した。だが、犯人二人の死亡による証拠不明で、ほぼうやむやになりそうだった。どこで二人が『交換殺人』の取引をしたのかも、分からなかった。
『かつての教え子を殺した鬼兄嫁』『交換殺人事件は、都市伝説ではなかった!』『実績があれば仕事中でも女性と情事を楽しむ、被害者Hの素顔!』『職場内のいじめが犯行の動機』『教育実習の学生だった義姉の夢を壊した、加害者の義妹である被害者主婦。そして、被害者の夫であり加害者の弟でもある苦悩』――マスコミは、連日この事件を報道した。吉川家の家に入る櫻子の姿も、何度もテレビに映された。『警視庁から大阪に現れた美人警視が捜査!』ともワイドショーを賑わせた。
美晴は、何故岡崎と交換殺人する事になったか、その証拠を一切残さなかった。美晴の家から彼女のスマホやパソコン、Wi-Fiの端末、岡崎のスマホは見つからなかった。連絡に使っていたと思われる全てのものは、処分されていたのかどこを探しても見当たらなかった。
急いでステンドグラスを作り終えて、帰って片付けられるのを待つはずだった工具たちが、彼女の工房で静かに放置されていた。
繋がりを探る為ディープウェブ、更にダークウェブと呼ばれる犯罪に関する色々な取引がされている、インターネットの深層部にまで笹部やサイバー課は入り込んだが、今回の事件の痕跡は一切見つけられなかった。
本庁はもうこの事件から早々に手を引くように、そう天満署に圧力をかけた。
吉川工場のシアン化ナトリウムと三件で使用された毒物の遺伝子が同じと科捜研で確認された上、璃子の遺体についた指紋が岡崎のものと一致。また、岡崎の家から押収された璃子のカバン。刑事の前で自供した美晴。それらを証拠として、被疑者死亡のまま書類送検にする事にした。
櫻子は蕪城に、「羽場と岡崎を殺したのは美晴の単独犯。岡崎を殺したのは、彼が自分と同じ毒物で殺人をした為、彼に全ての責任を負わすために殺した」と報告した。笹部はボイスレコーダーで工場での会話を録音していたはずだろうが、その報告はしなかった。シアン化ナトリウムの使用の改竄をしたのも美晴だと、和葉について何も言わなかった。勿論、和葉が面接をして監視カメラを確認していた事も。何よりも、美晴と璃子の関係の事は、一切話さなかった。なので『美晴が璃子を殺したい理由』が、分からないままとなった。
真実を知っているのは、吉川家の三人と櫻子たちの三人、六人だけだ。
櫻子は篠原と笹部、吉川家の者と約束した。美晴の本当の動機は、絶対に分からないと答える様に、と。何か責任が生れれば、櫻子が全て責任を負う――だから、誰もが櫻子の報告が正しいと証言した。
昔の篠原なら、世間に真実を明かさない櫻子の行動を責めたかもしれない。しかし――自らシアン化ナトリウムを飲んで、自供して己の罪を『自殺』という形で片付けた美晴を、これ以上傷付けて――誰の心が休まるのだろうか。確かに璃子の親は、真実が分からないままでは納得しないかもしれない。だが、璃子が美晴の心が崩壊するまで傷つけたのは事実だ。美晴の心を殺した罪を、璃子は受けるべきだったのかもしれない。璃子の親は、娘の罪を『殺意の原因は不明』として受け入れるべきなのだ――むしろ、その方が楽かもしれない。娘の歪んだ顔を、知らずにいれる事に。
真実を知らない方が、幸せな時がある……篠原は、複雑ながらもそう思った。
櫻子は、篠原の運転で再び兵庫県赤穂市にある水耕栽培工場へ向かった。前回来た時と同じ、作業員姿の第二公安捜査、第三係所属管理官の青山が出迎えてくれた。そうして、同じ工程を経て地下二十五階へ向かった。
「やあ、櫻子さん。少し顔色が悪いね。マスコミのせいなのかな? ――そういえば、あのカメラマンは君を綺麗に撮れなかったみたいだね。全く、マスコミの質は何年経っても上がらないなぁ」
真っ白い硝子の水槽の向こうの桐生は、笑顔で櫻子を迎えた。渡された通話用のボタンを持ちながら櫻子は無表情に見返し、篠原は慌てて視線を落とした。
「やっぱり、日本語で君にヒントを教えるのは難しいね。僕はフランス語が好きだけど、君はドイツ語が得意だし。大学の専攻をフランス語に指定したかったけど、解剖や医学で役に立つのはドイツ語だもんね。残念だよ」
「Échange de meurtre」
篠原は、驚いたように櫻子に視線を向けた。その言葉に、桐生は拍手をした。ボタンを押してないので、音は聞こえなかったが。
「素晴らしい! 発音も完璧だ。フランス語も学んだのかい?」
「叔父から、貴方がフランス語を好きだと聞いていたのよ――肝心な考察、ね。『交換殺人』なんて、よくこんな日本語のアナグラムを考えたわね」
篠原は、瞳を丸くした。櫻子宛に送られてきた、メッセージカードに書かれていた文字…『人物は多いけど、『肝心の考察』を忘れずに!』のカッコの中の文字を入れ替えると――『交換の殺人』に、なる。
『人物は多いけど、『交換の殺人』を忘れずに!』
篠原は、またもやこの檻に居る彼が早々に事件を解決していた事に、恐怖すら感じた。
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