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七海美桜

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文車妖妃(ふぐるまようひ)の涙

真実・下

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「大丈夫?」

 表面的な検視解剖が終わり、もう日も暮れた二十時。事件性が濃厚なため遺体はまだ明日迄調べられる事になるが、櫻子は必要な事を確認したので検視解剖の部屋から出た。解剖現場を始めて目の当たりにした篠原は、腹を開いた時に倒れそうになったが何とか耐えたようだ。だが、まだ青い顔をしていた。

 曽根崎警察に戻り水に浸けたままだったカップを洗うと、待っていた笹部に紅葉天ぷらのお土産を渡して珈琲を淹れた。
「……大丈夫、とははっきり言えませんね。少なくとも三日は、肉系は食べられそうにありません」
「あ、初めての解剖だったの? でもさ、血がそう出ないから結構マシだと思うんだけどなぁ……押収したスナッフフィルム見る? 耐性が付くよ?」
「笹部君、篠原君を虐めないの」
 紅葉天ぷらの缶を空けながら、笹部は意外だと言わんばかりに櫻子に視線を向ける。
「あんなの、まだ序の口じゃないですか。まあ、そんな事はいいんですが……欲しい情報は手に入りました?」
「血管から、高濃度のマイスリー。胃からアルコールとシアン化ナトリウム、それと珈琲が出たわ。多分、マイスリーとアルコールの混合でトリップしている所で、シアン化ナトリウムを摂取したみたいね。マイスリーは、犯人が注射したのだと思うわ。アルコールは……遺体からも嗅げたから、酒に酔っている所をマイスリーの注射打たれたのかしら?」
 櫻子の言葉に、篠原は首を傾げる。
「マイスリーって、何の薬ですか?」
「精神科で処方される、睡眠導入剤の一種よ。精神科でなくても、大阪なら西成辺りやミナミのグリした――グリコの看板下の通路にたむろしている人たちから、買えると思うわ。この薬はね、『睡眠ハイ』と呼ばれる危険な行為に使われるのよ。睡魔を我慢したら、麻薬や覚せい剤の様な高揚する効果を感じる事が出来るの――三錠ほどでね」

 まだ平成と呼ばれていた頃。若者たちが脱法ハーブと同じように、『法に触れないから』と危険な薬に手を出してテレビや新聞を賑わせていた。それは令和になった今も変わらず、若者を誘惑している。法に触れずとも、危険である事を理解出来ない者が、何時の世もいる。
 ミナミは通天閣周辺を綺麗にした辺りから、戎橋も飛び込めないように改装工事された。しかし新しく出来た場所に、家出少年少女や素性の明らかでない者たちが集まりだした。彼らが、睡眠薬や頭痛薬、咳止めシロップを売買している。

「昨夜の岡崎さんの行動ですが、淀屋橋にある居酒屋が閉店するまで滞在していましたね。最後は本人がタクシーを呼んだようで、店員が抱えるようにして到着した黒い車に乗せたそうです。黒っぽい車で行先を言わずとも出発したので、店員たちはタクシーだったと証言しています。それが、レシートから考えて一時二十分頃でしょうか」
 パリン、と紅葉天ぷらの割れる音が部屋に響いた。ボリボリといい音を立てて、笹部は紅葉天ぷらを食べている。
「店員の話から、居酒屋で飲んでいる岡崎の許に主婦らしい女が来たそうですが、暫く会話すると岡崎さんが呼び止めるのを無視して店を出たそうですよ。『貴婦人倶楽部』で約束した人と、条件が合わなかったのかなぁ」
「……穴だらけよ。そんな矛盾した行動、おかしいわ。どうして犯人は、羽場さんを殺した時の様に冷静に行動しなかったの……?」

 前日の岡崎の行動は、人目に付きすぎている。それなのに、あの『遺書』だ。蕪城の言い方だと、社長は普段あまりパソコンメールを確認しないようだ。たまたま、その日はメールを開いた。それなのに、本人なら何故気が付かれるのが遅くなるパソコンメールに送ったのか。どうして、社長のスマホメールではないのか。そもそも、何故社長宛なのか。

 ……やはり。

「犯人は、二人居るのね」
 櫻子が珈琲を飲み干して、そう呟いた。篠原は驚いたような顔で、櫻子を見つめた。
「明日、吉川金属加工工場へ行きましょ。これ以上、苦しい思いをさせたくないわ」
「明日でいいんですか?」
 篠原の問いに、櫻子は頷いた。

「ええ。犯人は、逃げないはずよ。だから、明日でいいわ。明日で全てを終わらせるわ」
 ボリン。ボリボリと、紅葉天ぷらが割れる音だけが、暫く部屋に響いていた。櫻子は、夜の梅田を見下ろして暫く何も話さなかった。
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