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文車妖妃(ふぐるまようひ)の涙
真実・中
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自殺現場は、淀屋橋の水上バス『アクアライナー』のバスを待つように置かれている椅子だった。簡易テーブルと椅子がある一角の一つで、座った椅子から転げ落ちるような姿勢で倒れていた。ブロック塀の隅に、なぜかこの椅子とテーブルが離れて置かれている。
天満署の蕪城も来ていた。櫻子はまず蕪城に向かい歩み寄った。海が近いせいか、風が強く吹き潮の香りもほのかに漂う。普段は観光客や外人が多いのだが、封鎖されていて野次馬が規制線の向こうからスマホを向けたり覗き込んだりしている。ジャージ姿の女性に話を聞いている警官と、倒れている岡崎を鑑識が取り囲んでいた。
「出勤前に、ここに立ち寄って自殺したようですわ。夕方……十六時三分過ぎにジョギングしてる人が見つけて、通報がありました。所持品は財布と身分証明書と社員証で、スマホは見当たりません。代わりに、これが」
蕪城は白い手袋のまま手にしていたスマホを、櫻子に渡した。スマホは無かったんじゃないのかと不審げに思いながら櫻子も手袋を出そうとすると、「これは俺のスマホや」と蕪城がぐいとスマホを櫻子に押し付けた。
彼のものなら手袋を付けなくて大丈夫だろうと、櫻子は綺麗にネイルが塗られた手で受け取ると画面を確認した。
「『羽場部長を殺したのは僕です。大口の取引先を奪われた事と、日ごろから馬鹿にされていたのが動機です。ネットで殺してくれる人を募集して、知らない女性にお金を払い毒を飲ませて殺して貰いました。どこの女の人かは知りません。蛍池駅で女性を殺したのも僕です。人気のない所で目に付いた彼女を衝動的にレイプしたくなって、殺してしまいました。すみません、死んでお詫びします。両親には、こんな僕のせいで迷惑をかけてしまう事を、本当に申し訳なく思っています』」
読み上げた櫻子は、眉根を寄せて蕪城を見た。そのスマホを櫻子から取り上げると、蕪城はポケットに直した。
「会社の社長のパソコンメール宛に、送られてきてたそうや。受信の時間は、午前六時五十七分。通報を受けて警察が到着したのは、十六時三十分過ぎ頃。鑑識が遺体の体温から、大まかに死亡時間は午前五時から午前六時頃とみている。メールの時間と合わへんけど、解剖するまでは何とも言われへん」
もう、五月も半ばなので五時でも明るい。それにここは海に面しているので、見通しが良い。岡崎がここで死ぬ事を選んだ理由は、何なのだろう。夕焼けの海が、キラキラと輝いて見える。
「今日の朝の殺しで、どうして今の時間に通報なの?」
櫻子の問いは、当然だろう。
「アクアライナーは不定休で、今日は運航しなかったんですわ。たまたまジョギングで通りかかった主婦が、この死角に倒れている足を見つけたみたいで……。欠勤で連絡も取れないところ、たまたま社長がパソコン開いて、遺書のようなメールを発見したそうです」
篠原を連れて、櫻子は岡崎の遺体に歩み寄った。中身がない缶コーヒーが転がっている。そこにも白線でマークされていて、鑑識が写真撮影をしていた。
「……おかしいわ」
櫻子は白手袋を着けると、岡崎の右手を掴んでじっと見た。脇に居た鑑識が驚いたように櫻子に視線を向けている。
「ここ! ここを見て、注射の痕よ!」
岡崎の右手の人差し指と中指の付け根に、赤くなっている所があった。鑑識がザワっとなりあわてて櫻子が指摘した個所をルーペなどで調べ始める。
「何見落としてるねん!」
それを見ていた蕪城が慌てて駆け寄ってきて鑑識を怒鳴った。
「しかし、缶コーヒーから間違いなくシアン化ナトリウムが検出されています! 注射の意味は分かりません」
「そんなことどうでもいいから、早く遺体を解剖に回して! 注射にシアン化ナトリウムが入っていたんじゃないわ。そして――これは自殺じゃない、殺人よ! 彼も殺されたのよ!」
蕪城に続いて、櫻子も声を上げた。スマホには、犯人にとって良くない情報が残されていたのだろう。羽場のスマホは回収しなかったのに、岡崎のスマホを回収したのは――犯人が成長したからなのだろうか?
考えてみれば、羽場のスマホは簡単にロックが解除できる。だからすぐに『貴婦人倶楽部』の事、『黒い未亡人』の存在が警察に分かる。普通なら、羽場のスマホも回収しなければならないはずだ。もしくは、データの消除か破壊だ。それをしなかった――この犯人は、頭が良い所と悪い所がある。璃子を死姦した事もそうだ。
映像に映るのは、女の姿だけ。清掃のバイトに応募して、監視カメラの抜け穴すら確認している人物だ。女が璃子を犯す訳がない。
櫻子は、慌てる現場の警察官を無視して、必死に考えをまとめていた。
その時、櫻子のスマホが鳴った。
取り出して画面を見ると『通知不可』からの電話だ。躊躇わずに、櫻子はその電話に出た。
『やあ、櫻子さん。今日は晴れているから、夕焼けと海は綺麗に見えるのかな?』
穏やかな、ゆったりとした男の声。知っている、電話をかける事が出来ないはずの、男の声だ。
「……犯人を知っているのね?」
電話の向こうで、楽しそうに男が笑った。くすくすと、まるで恋人と電話しているように、男は恍惚としている。
『肝心の考察は? 答えは、本当はもう君も分かっているはずだよね?』
そこで、電話は切られた。スマホを手にしたまま、櫻子は唇を噛んだ。
「一条課長……」
心配げな篠原の声が聞こえたので、櫻子は立ち上がって蕪城に視線を向けた。
「解剖に立ち会うわ。そして――犯人の所へ行くわ」
櫻子のその言葉に、全員が息を飲んだ。
天満署の蕪城も来ていた。櫻子はまず蕪城に向かい歩み寄った。海が近いせいか、風が強く吹き潮の香りもほのかに漂う。普段は観光客や外人が多いのだが、封鎖されていて野次馬が規制線の向こうからスマホを向けたり覗き込んだりしている。ジャージ姿の女性に話を聞いている警官と、倒れている岡崎を鑑識が取り囲んでいた。
「出勤前に、ここに立ち寄って自殺したようですわ。夕方……十六時三分過ぎにジョギングしてる人が見つけて、通報がありました。所持品は財布と身分証明書と社員証で、スマホは見当たりません。代わりに、これが」
蕪城は白い手袋のまま手にしていたスマホを、櫻子に渡した。スマホは無かったんじゃないのかと不審げに思いながら櫻子も手袋を出そうとすると、「これは俺のスマホや」と蕪城がぐいとスマホを櫻子に押し付けた。
彼のものなら手袋を付けなくて大丈夫だろうと、櫻子は綺麗にネイルが塗られた手で受け取ると画面を確認した。
「『羽場部長を殺したのは僕です。大口の取引先を奪われた事と、日ごろから馬鹿にされていたのが動機です。ネットで殺してくれる人を募集して、知らない女性にお金を払い毒を飲ませて殺して貰いました。どこの女の人かは知りません。蛍池駅で女性を殺したのも僕です。人気のない所で目に付いた彼女を衝動的にレイプしたくなって、殺してしまいました。すみません、死んでお詫びします。両親には、こんな僕のせいで迷惑をかけてしまう事を、本当に申し訳なく思っています』」
読み上げた櫻子は、眉根を寄せて蕪城を見た。そのスマホを櫻子から取り上げると、蕪城はポケットに直した。
「会社の社長のパソコンメール宛に、送られてきてたそうや。受信の時間は、午前六時五十七分。通報を受けて警察が到着したのは、十六時三十分過ぎ頃。鑑識が遺体の体温から、大まかに死亡時間は午前五時から午前六時頃とみている。メールの時間と合わへんけど、解剖するまでは何とも言われへん」
もう、五月も半ばなので五時でも明るい。それにここは海に面しているので、見通しが良い。岡崎がここで死ぬ事を選んだ理由は、何なのだろう。夕焼けの海が、キラキラと輝いて見える。
「今日の朝の殺しで、どうして今の時間に通報なの?」
櫻子の問いは、当然だろう。
「アクアライナーは不定休で、今日は運航しなかったんですわ。たまたまジョギングで通りかかった主婦が、この死角に倒れている足を見つけたみたいで……。欠勤で連絡も取れないところ、たまたま社長がパソコン開いて、遺書のようなメールを発見したそうです」
篠原を連れて、櫻子は岡崎の遺体に歩み寄った。中身がない缶コーヒーが転がっている。そこにも白線でマークされていて、鑑識が写真撮影をしていた。
「……おかしいわ」
櫻子は白手袋を着けると、岡崎の右手を掴んでじっと見た。脇に居た鑑識が驚いたように櫻子に視線を向けている。
「ここ! ここを見て、注射の痕よ!」
岡崎の右手の人差し指と中指の付け根に、赤くなっている所があった。鑑識がザワっとなりあわてて櫻子が指摘した個所をルーペなどで調べ始める。
「何見落としてるねん!」
それを見ていた蕪城が慌てて駆け寄ってきて鑑識を怒鳴った。
「しかし、缶コーヒーから間違いなくシアン化ナトリウムが検出されています! 注射の意味は分かりません」
「そんなことどうでもいいから、早く遺体を解剖に回して! 注射にシアン化ナトリウムが入っていたんじゃないわ。そして――これは自殺じゃない、殺人よ! 彼も殺されたのよ!」
蕪城に続いて、櫻子も声を上げた。スマホには、犯人にとって良くない情報が残されていたのだろう。羽場のスマホは回収しなかったのに、岡崎のスマホを回収したのは――犯人が成長したからなのだろうか?
考えてみれば、羽場のスマホは簡単にロックが解除できる。だからすぐに『貴婦人倶楽部』の事、『黒い未亡人』の存在が警察に分かる。普通なら、羽場のスマホも回収しなければならないはずだ。もしくは、データの消除か破壊だ。それをしなかった――この犯人は、頭が良い所と悪い所がある。璃子を死姦した事もそうだ。
映像に映るのは、女の姿だけ。清掃のバイトに応募して、監視カメラの抜け穴すら確認している人物だ。女が璃子を犯す訳がない。
櫻子は、慌てる現場の警察官を無視して、必死に考えをまとめていた。
その時、櫻子のスマホが鳴った。
取り出して画面を見ると『通知不可』からの電話だ。躊躇わずに、櫻子はその電話に出た。
『やあ、櫻子さん。今日は晴れているから、夕焼けと海は綺麗に見えるのかな?』
穏やかな、ゆったりとした男の声。知っている、電話をかける事が出来ないはずの、男の声だ。
「……犯人を知っているのね?」
電話の向こうで、楽しそうに男が笑った。くすくすと、まるで恋人と電話しているように、男は恍惚としている。
『肝心の考察は? 答えは、本当はもう君も分かっているはずだよね?』
そこで、電話は切られた。スマホを手にしたまま、櫻子は唇を噛んだ。
「一条課長……」
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