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七海美桜

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文車妖妃(ふぐるまようひ)の涙

真実・上

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 羽場が死亡したラブホテルのアルバイトをしている弁護士浪人の鈴木の家は、中津なかつと呼ばれる梅田に近い場所だった。古そうなアパートの201号室に一人で住んでいるという。箕面から阪急電車で、急行は停まらない中津駅で降りて彼のアパートに向かった。

「バイトが多かったんで、休みになって助かりましたよ。やっと勉強する時間が確保できました。もう来年で最後にしろって、親に言われてるんで……」
 訪問した二人を家に上げて、鈴木は畳の上に置かれた机の上に出がらしのお茶を淹れた湯飲みを置いた。部屋は一部屋で、お風呂はないようだ。ミニキッチンとトイレ付きで、家賃は三万以下と聞いてもいないが教えてくれた。三十五歳の地味を絵にかいたような細身で、度の強い眼鏡をかけた男だった。

「あの日の話は、他の刑事さんに話しましたよ? 大体、曽根崎警察の管轄じゃないんじゃないですか?」
 欠伸を噛みながら、眠そうに鈴木は二人の前に座る。
「あの入り口の監視カメラに映らない方法は、ない?」
 前置きもなく、櫻子は鈴木にそう尋ねた。急で意外な質問に、鈴木は瞳を丸くした。
「えぇ……? そんなこと言われても……客なら、絶対に映りますよ。車で入っても、正面に回らないと入れないようにしてるんで……」
「『客』なら? ――そう言えば、従業員の出勤や退勤姿は映らないわね。従業員専用の出入りするドアがあるの?」
 櫻子は、鈴木の言葉を見逃さなかった。鈴木は、にこりと笑った。
「刑事さん、顔だけやなくて頭もええんですね。確かに、従業員用の出入り口は別にあって、そこにはカメラもありません。刑事さんもその前通ったと思いますけど?」
 鈴木は、挑発的に櫻子に質問を返した。どうやら勉強漬けの毎日の中起きた殺人事件に、刺激を受けて誰かと話しをしたくて堪らなかったようだ。

「前を通った……もしかして、フロントの奥から入る入り口の壁側!?」
 櫻子はフロントに入る時にわざわざ奥から入る事を思い出して、その裏が駐車場になっている構造を思い出した。位置的に、駐車場にあるドアから入ると、正面がフロントの部屋になる。カメラに映らずにそのまま入るドアがあると、彼は言っているのだ。
「正解です。フロント業務はそのまま正面のドアを開けてフロント部屋に進んで、清掃や業者はフロントのドアを無視して、右手奥の清掃部屋とキッチンに向かいます」

「暗くて、分からなかったわ……そうか、やっぱり映らずに出入りできる場所があったのね。これを知ってる人は、従業員と業者だけ?」
「そうです。業者や清掃が出入りするので、営業中は鍵をかけてないんです。駐車場側は、そこにドアがあると分かっていないと向かわない位置に、ドアノブがありますからね……でも、刑事さん。俺いい情報持ってますよ?」
 鈴木は、嬉しくて堪らない顔をしていた。
「取引したいとか言うと、逮捕するわよ?」
「アハハ、やっぱり駄目だったか……って、冗談ですよ? ええと……これ! って、うわ!」
 鈴木は内心の動揺を隠すように愛想笑いを浮かべて、参考書などが転がっている辺りから座ったまま手を伸ばして紙を一枚引き抜いた。その拍子に、畳に倒れ込んでしまった。

「……履歴書?」
 倒れる鈴木を無視して、櫻子と篠原はその紙に視線を向けた。手を伸ばして、彼の手から紙を奪う。
「いてて、そうです、履歴書です。あの事件が起きる二週間前くらいに、清掃のバイト面接に来た人がいたんですよ。雇う事になって色々場所を教えて……勿論、あの駐車場からの通路も教えたんです。けど、それきり来ませんでした。どうです、いい情報でしょ!?」
 起き上がった鈴木は、興奮気味に櫻子に説明をした。
「これ、写真付きじゃないのね」
「最近は、写真がいらない履歴書増えてるんですよ。それに、清掃ですからね。写真がなくても困らないんです」
 櫻子は用紙を一通り眺める。バイト募集アプリから書いたようで、名前、住所、繋がる電話番号、年齢、性別。全て手書きではなくスマホかパソコンで記入されている。
「でも、なんでこれを貴方が持ってるの? まずいんじゃないの?」
「来ないから電話したんですけど、繋がらなくて……かけてる間裏に過去問の回答書いちゃったんで、つい持って帰ってきちゃったんです。どうせ、働く気がないからいいかなって……」
「ホテル側との問題だから、私からは何も言わないわ。それとこれコピーして……とは、言えないわね」
 パソコンはあるが、プリンターらしいものは見当たらなかった。篠原がその紙を写真に撮って、笹部に所在を確認して貰った。

「その人は、どんな人物だったの?」
 鈴木の記憶だけが頼りだ。その期待をかけられた鈴木は、首を傾げながら眼鏡をかけ直す。
「女の人の年齢は分かりませんよ……なんか、火傷して痣になってるって口元にスカーフ巻いてたし……白髪混じりの肩までの髪で、おばあちゃんみたいな服装でした――でも、若かったら綺麗だろうなって目元でしたよ」

「一条課長!」
 不意に、篠原が大きな声を上げた。

「笹部さんからメールが……村岡証券の、岡崎博之がシアン化ナトリウムで自殺したそうです!」
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