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今宵彼女の夢を見る
花束・下
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篠原が淹れた珈琲で一息つくと、櫻子は机の上の鉢植え二つを眺めた。
「発信機や盗聴器などはないようでした。メッセージカードに意味があるんでしょうね」
同じく珈琲を飲み終えた笹部は、再び画面に目を向けた。
「マリーゴールドと、ヒヤシンス……意味があるなら、花言葉かしら?」
「どちらも『嫉妬』と出ますね」
篠原がパソコンで花言葉を検索すると、櫻子の机に置かれた同じ花の画像とその説明が表示された。篠原は花を見てもよく知らない名前だったりする。そう言えば、ゆっくり花を見たこともない。しかし櫻子は、よく知っているようだ。篠原の不思議そうな視線を理解したのか、櫻子は少し困った様に笑った。
「死んだ母は、花が好きだったの。よく家で植えていたから、花はよく知ってるわ。私の名前も、花でしょ?」
櫻子は、父も死んでいると昼間言っていた。両親が二人とももう死んでいるのかと、篠原は驚いたのとそれを話させてしまった事に、申し訳なさを覚えた。
「気にしないで。父も母も小さい頃に亡くなったけど、叔父に引き取って貰って普通に生活出来たから。大学まで行かせて貰ったのにも感謝してるわ」
「――そうだ。ボス、火事現場の画像見ます?」
空気を読んだのかマイペースなのか、笹部がふと櫻子に尋ねた。まどかの部屋の火災の時に、通行人が撮ったと思われる画像の事だろう。
「あ、そうね。見たいわ」
櫻子は立ち上がり、笹部の机へ向かう。篠原も同じように彼の後ろから覗き込む。
「周囲の音が煩いので、ノイズを消します」
笹部がエンタキーを押すと、「火事?」とか「大丈夫なの?」など、声がガヤガヤと聞こえる。大きな道沿いにあるマンションではないが、平日の昼間の住宅街にやじ馬が集まって騒がしい場になっている。火災元と思われる部屋のドアや窓の隙間から黒い煙が漏れ出して、もう大きな火が発生していることが映像からでも分かった。
「天ぷら油火災は、温度が360度以上で発火するようです。火をかけっぱなしにし10分で煙が立ち始めて、20分で360度近くになるようです。これを撮影し始めたのは、朝の十一時二十分過ぎです。火災が起こった頃に間違いないです」
三人は画面をじっと見つめてる。
「止めて!」
櫻子の声に、笹部は素早くエンタキーで一時停止を押す。
「この人、変よ」
野次馬がマンションを見つめている中、スポーツメーカーのジャージ姿で黒いキャップにサングラスの細身の男の姿が移っていた。もう春だというのに、白い手袋をしていた。
「画面の最初に戻して」
笹部が言われた通りに戻す。画面の端にマンションのエントランスが映っているのだが、そこにはマンションに入っていく同じ男の後ろ姿が映っている。
「火事の騒ぎになっている時に、マンションに入ろうとしているのは何故? 助けようとして慌てて向かっている訳でもなければ、動揺した感じもない。不意に何かを思い出したように立ち止まって、マンションに戻った感じね。そして、すぐにまたエントランスを抜けて出て来てるわ」
言われてみれば、周りは火事だと騒いでいるのにその人物は気にした様子もなく、エントランスを出入りして騒ぐ野次馬を後に画面から消えていた。
「火事の通報があったのは、マンションの一階の公衆電話だったわよね?」
「はい、その後もスマホや固定電話からも通報があった様ですが、一番先に正確に部屋番号まで連絡してきたのは、公衆電話です」
「電話してきたのは、この人ね。『火災の部屋から出てマンションを後にしようとしたけど、通報するためにマンションにもう一度戻って通報して現場から去った』のよ」
「何故、そんな事を?」
篠原の言葉に、櫻子は眉を寄せた。
「……もしかすると、火事を早く消したかったのかもしれないわね……」
櫻子は、まだ繋がらないピースを探しているようだった。じっと画面を見つめている。
「ボス、もう二十一時になりますよ」
笹部が相変わらずぼんやりとした口調で、ゆっくりそう告げた。はっと櫻子は我に返る。
「今日はこの辺にしましょうか。帰りましょう」
櫻子は手をパンと叩いて、自分の机へと向かって帰り支度を始める。篠原と笹部もパソコンの電源を落とし、身の回りを片付ける。
三人が曽根崎警察署の玄関口まで下りてきた時、若いスーツ姿の男がベンチシートに座っていた。どこかで見た姿だと、篠原は考える。ピアスや指輪やブレスレットなどの装飾品を沢山身に着けた男は、警察官ではないはずだ。
「あ! 姐さん!」
階段を下りてきた三人の姿を見つけた彼は、傍らに置いていた大きな花束を抱えて駆け寄ってきた。
道頓堀交番で香田に付き添っていた二人組の一人だ。櫻子も、彼だと気が付いたらしい。
「あなた、香田さんの……?」
「はい、池田哲平と申します!」
まだ若そうな彼は、丁寧に挨拶をして頭を下げた。それより目を引くのは、彼が手にしているものだ。
「若から、姐さんに届けるように申し使って参りました。どうぞお納めください」
百本はあるだろう、深紅の薔薇の花だ。それを櫻子に差し出す。
「え? 駄目よ、受け取れないわ」
「困ります! これは組からじゃなく、若個人からなんで!」
櫻子が断ると、哲平は必死になってその花束を彼女に押し付けて手を離した。落ちそうになるので、櫻子は思わずそれを掴んでしまう。
「じゃ、間違いなく渡したんで! お疲れさまでした!」
池田はにんまり笑むと、逃げるようにさっさと立ち去って行った。
「ボス、ミナミのお店で働いてきたんですか?」
笹部はその様子を見て、ぼんやりそう尋ねた。そう思われても仕方ない――それよりも、反社会勢力からの贈り物だ。櫻子は頭を抱えて、二人にこの事は絶対に秘密にするようにと何度も念を押して家路についた。
「発信機や盗聴器などはないようでした。メッセージカードに意味があるんでしょうね」
同じく珈琲を飲み終えた笹部は、再び画面に目を向けた。
「マリーゴールドと、ヒヤシンス……意味があるなら、花言葉かしら?」
「どちらも『嫉妬』と出ますね」
篠原がパソコンで花言葉を検索すると、櫻子の机に置かれた同じ花の画像とその説明が表示された。篠原は花を見てもよく知らない名前だったりする。そう言えば、ゆっくり花を見たこともない。しかし櫻子は、よく知っているようだ。篠原の不思議そうな視線を理解したのか、櫻子は少し困った様に笑った。
「死んだ母は、花が好きだったの。よく家で植えていたから、花はよく知ってるわ。私の名前も、花でしょ?」
櫻子は、父も死んでいると昼間言っていた。両親が二人とももう死んでいるのかと、篠原は驚いたのとそれを話させてしまった事に、申し訳なさを覚えた。
「気にしないで。父も母も小さい頃に亡くなったけど、叔父に引き取って貰って普通に生活出来たから。大学まで行かせて貰ったのにも感謝してるわ」
「――そうだ。ボス、火事現場の画像見ます?」
空気を読んだのかマイペースなのか、笹部がふと櫻子に尋ねた。まどかの部屋の火災の時に、通行人が撮ったと思われる画像の事だろう。
「あ、そうね。見たいわ」
櫻子は立ち上がり、笹部の机へ向かう。篠原も同じように彼の後ろから覗き込む。
「周囲の音が煩いので、ノイズを消します」
笹部がエンタキーを押すと、「火事?」とか「大丈夫なの?」など、声がガヤガヤと聞こえる。大きな道沿いにあるマンションではないが、平日の昼間の住宅街にやじ馬が集まって騒がしい場になっている。火災元と思われる部屋のドアや窓の隙間から黒い煙が漏れ出して、もう大きな火が発生していることが映像からでも分かった。
「天ぷら油火災は、温度が360度以上で発火するようです。火をかけっぱなしにし10分で煙が立ち始めて、20分で360度近くになるようです。これを撮影し始めたのは、朝の十一時二十分過ぎです。火災が起こった頃に間違いないです」
三人は画面をじっと見つめてる。
「止めて!」
櫻子の声に、笹部は素早くエンタキーで一時停止を押す。
「この人、変よ」
野次馬がマンションを見つめている中、スポーツメーカーのジャージ姿で黒いキャップにサングラスの細身の男の姿が移っていた。もう春だというのに、白い手袋をしていた。
「画面の最初に戻して」
笹部が言われた通りに戻す。画面の端にマンションのエントランスが映っているのだが、そこにはマンションに入っていく同じ男の後ろ姿が映っている。
「火事の騒ぎになっている時に、マンションに入ろうとしているのは何故? 助けようとして慌てて向かっている訳でもなければ、動揺した感じもない。不意に何かを思い出したように立ち止まって、マンションに戻った感じね。そして、すぐにまたエントランスを抜けて出て来てるわ」
言われてみれば、周りは火事だと騒いでいるのにその人物は気にした様子もなく、エントランスを出入りして騒ぐ野次馬を後に画面から消えていた。
「火事の通報があったのは、マンションの一階の公衆電話だったわよね?」
「はい、その後もスマホや固定電話からも通報があった様ですが、一番先に正確に部屋番号まで連絡してきたのは、公衆電話です」
「電話してきたのは、この人ね。『火災の部屋から出てマンションを後にしようとしたけど、通報するためにマンションにもう一度戻って通報して現場から去った』のよ」
「何故、そんな事を?」
篠原の言葉に、櫻子は眉を寄せた。
「……もしかすると、火事を早く消したかったのかもしれないわね……」
櫻子は、まだ繋がらないピースを探しているようだった。じっと画面を見つめている。
「ボス、もう二十一時になりますよ」
笹部が相変わらずぼんやりとした口調で、ゆっくりそう告げた。はっと櫻子は我に返る。
「今日はこの辺にしましょうか。帰りましょう」
櫻子は手をパンと叩いて、自分の机へと向かって帰り支度を始める。篠原と笹部もパソコンの電源を落とし、身の回りを片付ける。
三人が曽根崎警察署の玄関口まで下りてきた時、若いスーツ姿の男がベンチシートに座っていた。どこかで見た姿だと、篠原は考える。ピアスや指輪やブレスレットなどの装飾品を沢山身に着けた男は、警察官ではないはずだ。
「あ! 姐さん!」
階段を下りてきた三人の姿を見つけた彼は、傍らに置いていた大きな花束を抱えて駆け寄ってきた。
道頓堀交番で香田に付き添っていた二人組の一人だ。櫻子も、彼だと気が付いたらしい。
「あなた、香田さんの……?」
「はい、池田哲平と申します!」
まだ若そうな彼は、丁寧に挨拶をして頭を下げた。それより目を引くのは、彼が手にしているものだ。
「若から、姐さんに届けるように申し使って参りました。どうぞお納めください」
百本はあるだろう、深紅の薔薇の花だ。それを櫻子に差し出す。
「え? 駄目よ、受け取れないわ」
「困ります! これは組からじゃなく、若個人からなんで!」
櫻子が断ると、哲平は必死になってその花束を彼女に押し付けて手を離した。落ちそうになるので、櫻子は思わずそれを掴んでしまう。
「じゃ、間違いなく渡したんで! お疲れさまでした!」
池田はにんまり笑むと、逃げるようにさっさと立ち去って行った。
「ボス、ミナミのお店で働いてきたんですか?」
笹部はその様子を見て、ぼんやりそう尋ねた。そう思われても仕方ない――それよりも、反社会勢力からの贈り物だ。櫻子は頭を抱えて、二人にこの事は絶対に秘密にするようにと何度も念を押して家路についた。
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