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待っている女
焼き鳥屋
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「誰か、怖い話してよー!」
夏の暑さが、夜になっても消えない。クーラーの効いた焼き鳥屋の座敷で騒いでいるグループから、賑やかな声が上がった。かなり酔っているらしい、自分たちの声が店の中で目立っている事に気付いていないようだ。
「すみませーん、生ビールのお替り!」
「めぐちゃん、お願い!」
「はーい! 二杯ですね?」
忙しく焼き鳥を焼いている店長の言葉に、ホール担当の永久環琉が賑やかなグループの所に向かい、注文を確認した。
店は、チェーン店ではない個人経営の焼き鳥屋だ。少し古めかしい店だが、焼き鳥の味と店長と先代の人柄で、地元では口コミでは人気で大抵満席の繁盛店だった。
ただこの店には、一つ噂があった。
どんなに満席でも、『ある席』は永久指定席で彼以外誰にも座らせない――と。
今日の店は、やはりほぼ満席だった。常連が何時ものように来ているが、今日の座敷は大学生のグループが占領していた。彼らはよく飲みよく食べるので店的には嬉しい事だが、ホール担当が環琉一人なので彼は大変だ。今日は臨時ボーナスを貰わなければ、文句を言ってやろうと環琉は額の汗を腕で拭いながら店を駆け回った。
「はい、生二つです!」
キンキンに冷えたジョッキにビールサーバから入れた生ビールが、実に美味しそうだった。環琉が飲み干したいそれを、「あざーす!」と大学生たちがそれを受け取った。
そこで、店の扉が開いた。
「らっしゃーい!」
環琉が条件反射でそう言うと、入ってきた人物は冷ややかだが美しい笑みを唇の端に浮かべた。
「お邪魔するよ」
「昴さん」
闇を纏うかのように、外の収まらない暑さの中で、長袖の黒いシャツに黒いパンツ姿。漆黒の髪に紫にも見える黒い瞳の、この店の常連にして彼にだけ与えられた席を持つ若神子昴が立っていた。途端、店内が静かになる。常連は彼の姿を見惚れてから、次第にゆっくりとまた酒に手を伸ばす。しかし新参ともいえる大学生のグループは、唖然とした顔で昴の姿を見ていた。
場違いだったのだ。彼なら、大衆的な焼き鳥屋ではなく豪華なビルの最上階の高級クラブが似合う。幻を見ているのではないか、と。男も女も、先程迄の賑やかさを忘れたように静かになった。
「いらっしゃいませ、若神子様。何時ものでよろしいでしょうか?」
厨房の奥の椅子に座っていた、先代――店長の母親がゆっくり立ち上がって『指定席』の札が置かれたカウンターの一番奥の席に、おしぼりを持って向かう。昴は頷いて、その席に向かった。
「いらっしゃいませ」
店長もにこやかな笑顔を向けた。熊親父のような風貌なのだが、まるで子供の様な笑顔だ。
「そ、それで怖い話だよ! 誰かねぇの?」
静まり返って美貌の持ち主を見ていたが、若い男が慌てて口を開いた。その言葉で、大学生のグループがようやく口を開き始め、酒や焼き鳥を口に運び出した。
ようやく、店内が先ほどの雰囲気に戻った。席に座った昴は、存在感を消したようだ。店内の客が、彼に視線を送る事は無くなった。昴の接客は、殆ど先代や店長がする。環琉は肩を竦めて、店内の空いた皿を回収しに周った。
「怖い話って言うか、今日これから肝試しに行くんだよなー」
金髪に近い髪色の男が、隣に座る女性の肩を抱きながらそう言った。派手な男に似合わず、女性は大人しく清楚系だった。
「ほら、隣町の山の奥に昔病院があったそうじゃん? 今そこ廃屋のままで、結構不気味なんだよな。トオルに車出させて、ちょっと行ってくるわ」
「ケンジが行くのはいいけど、アカリちゃんは連れて行くなよ?」
別の男がそう声をかけると、ケンジと呼ばれた金髪の男は肩を抱いている女性に顔を向けた。
「連れて行かねぇって。サトルとリキヤの四人で行くからよ。ま、どんなだったか、話を楽しみにしててくれよ」
ケンジは笑って、ビールのジョッキに口を付けた。夏になると、この手の話は多い。暇でいいなと環琉は思いながら、厨房のシンクに集めた皿を並べた。
「すみませーん、会計お願いしまーす!」
大学生たちはそれぞれ立ち上がりながら、帰り支度を始めた。結局怖い話が聞けなかったので、環琉は少し残念そうにテーブルを片付けようとそちらに向かおうとする。先代が「はいはい」とレジに立った。
「環琉くん」
昴が、名を呼ぶ。環琉がそちらに向かうと、昴はジャケットの中から一枚の名刺を取り出した。
出るのか。
それを受け取り大学生たちの元に向かおうとした環琉の背に、昴は付け加えるかのように言った。
「ケンジ君に渡してね」
「あの――ケンジさん、ですよね」
外に出ようとしたケンジに、環琉は話しかけた。振り返る彼に、環琉は昴の名刺を差し出した。
「必要な時――こちらに。多分、解決しますから」
「え?」
不思議そうな顔で受け取り、ケンジは名刺を覗き込んだ。彼の隣にいたアカリも、それを見る。
祓い屋 若神子昴
名刺にはそう書かれており、携帯の電話番号が書かれていた。
夏の暑さが、夜になっても消えない。クーラーの効いた焼き鳥屋の座敷で騒いでいるグループから、賑やかな声が上がった。かなり酔っているらしい、自分たちの声が店の中で目立っている事に気付いていないようだ。
「すみませーん、生ビールのお替り!」
「めぐちゃん、お願い!」
「はーい! 二杯ですね?」
忙しく焼き鳥を焼いている店長の言葉に、ホール担当の永久環琉が賑やかなグループの所に向かい、注文を確認した。
店は、チェーン店ではない個人経営の焼き鳥屋だ。少し古めかしい店だが、焼き鳥の味と店長と先代の人柄で、地元では口コミでは人気で大抵満席の繁盛店だった。
ただこの店には、一つ噂があった。
どんなに満席でも、『ある席』は永久指定席で彼以外誰にも座らせない――と。
今日の店は、やはりほぼ満席だった。常連が何時ものように来ているが、今日の座敷は大学生のグループが占領していた。彼らはよく飲みよく食べるので店的には嬉しい事だが、ホール担当が環琉一人なので彼は大変だ。今日は臨時ボーナスを貰わなければ、文句を言ってやろうと環琉は額の汗を腕で拭いながら店を駆け回った。
「はい、生二つです!」
キンキンに冷えたジョッキにビールサーバから入れた生ビールが、実に美味しそうだった。環琉が飲み干したいそれを、「あざーす!」と大学生たちがそれを受け取った。
そこで、店の扉が開いた。
「らっしゃーい!」
環琉が条件反射でそう言うと、入ってきた人物は冷ややかだが美しい笑みを唇の端に浮かべた。
「お邪魔するよ」
「昴さん」
闇を纏うかのように、外の収まらない暑さの中で、長袖の黒いシャツに黒いパンツ姿。漆黒の髪に紫にも見える黒い瞳の、この店の常連にして彼にだけ与えられた席を持つ若神子昴が立っていた。途端、店内が静かになる。常連は彼の姿を見惚れてから、次第にゆっくりとまた酒に手を伸ばす。しかし新参ともいえる大学生のグループは、唖然とした顔で昴の姿を見ていた。
場違いだったのだ。彼なら、大衆的な焼き鳥屋ではなく豪華なビルの最上階の高級クラブが似合う。幻を見ているのではないか、と。男も女も、先程迄の賑やかさを忘れたように静かになった。
「いらっしゃいませ、若神子様。何時ものでよろしいでしょうか?」
厨房の奥の椅子に座っていた、先代――店長の母親がゆっくり立ち上がって『指定席』の札が置かれたカウンターの一番奥の席に、おしぼりを持って向かう。昴は頷いて、その席に向かった。
「いらっしゃいませ」
店長もにこやかな笑顔を向けた。熊親父のような風貌なのだが、まるで子供の様な笑顔だ。
「そ、それで怖い話だよ! 誰かねぇの?」
静まり返って美貌の持ち主を見ていたが、若い男が慌てて口を開いた。その言葉で、大学生のグループがようやく口を開き始め、酒や焼き鳥を口に運び出した。
ようやく、店内が先ほどの雰囲気に戻った。席に座った昴は、存在感を消したようだ。店内の客が、彼に視線を送る事は無くなった。昴の接客は、殆ど先代や店長がする。環琉は肩を竦めて、店内の空いた皿を回収しに周った。
「怖い話って言うか、今日これから肝試しに行くんだよなー」
金髪に近い髪色の男が、隣に座る女性の肩を抱きながらそう言った。派手な男に似合わず、女性は大人しく清楚系だった。
「ほら、隣町の山の奥に昔病院があったそうじゃん? 今そこ廃屋のままで、結構不気味なんだよな。トオルに車出させて、ちょっと行ってくるわ」
「ケンジが行くのはいいけど、アカリちゃんは連れて行くなよ?」
別の男がそう声をかけると、ケンジと呼ばれた金髪の男は肩を抱いている女性に顔を向けた。
「連れて行かねぇって。サトルとリキヤの四人で行くからよ。ま、どんなだったか、話を楽しみにしててくれよ」
ケンジは笑って、ビールのジョッキに口を付けた。夏になると、この手の話は多い。暇でいいなと環琉は思いながら、厨房のシンクに集めた皿を並べた。
「すみませーん、会計お願いしまーす!」
大学生たちはそれぞれ立ち上がりながら、帰り支度を始めた。結局怖い話が聞けなかったので、環琉は少し残念そうにテーブルを片付けようとそちらに向かおうとする。先代が「はいはい」とレジに立った。
「環琉くん」
昴が、名を呼ぶ。環琉がそちらに向かうと、昴はジャケットの中から一枚の名刺を取り出した。
出るのか。
それを受け取り大学生たちの元に向かおうとした環琉の背に、昴は付け加えるかのように言った。
「ケンジ君に渡してね」
「あの――ケンジさん、ですよね」
外に出ようとしたケンジに、環琉は話しかけた。振り返る彼に、環琉は昴の名刺を差し出した。
「必要な時――こちらに。多分、解決しますから」
「え?」
不思議そうな顔で受け取り、ケンジは名刺を覗き込んだ。彼の隣にいたアカリも、それを見る。
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名刺にはそう書かれており、携帯の電話番号が書かれていた。
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