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アナグラムの1章『今宵彼女の夢を見る』辺り
【問題】エレベーター
しおりを挟む警視庁サイバー課の笹部が、大阪に来た初日である、3月28日の土曜日。
大阪への異動を打診された笹部は、抱えている事件もなく自分の昇進も告げられて、素直に異動に同意する様に頷いた。そのまま総務から豊中のマンションを紹介されて、彼は不満もなく総務が手続きをしてくれた、その部屋をそのまま契約した。と言うのも、キタと呼ばれるエリアは大阪の中心街で家賃が高い。それに、人気で探すのが大変だ。
しかし、近場のマンションを総務が探してくれた。しかも住宅手当は満額家賃として支払われる為、そこが高かろうが安かろうが笹部には困る事が無い。だから笹部は勤務地である梅田駅に近い豊中駅のマンションで生活できるなら、特に不満がなかったのだ。
着任日は、4月1日だ。28日の土曜日までに引継ぎを終えて、30日と31日は有給を消化する事にしている。4日間は、笹部は自由に過ごせる。
朝伊丹空港で大阪に訪れて、阪急電車に乗って豊中に向かい先ずはマンションの管理人室に向かう。そこで、自分の部屋の鍵を受け取った。入居に関する書類関係は、総務から全て先に受け取っているので、すぐに用のない管理人室を出て部屋に向かう。
先に送っておいた少ない荷物が、505号室の自室にあるのを確認だけした。愛用しているノートパソコンとスマホは、自分が飛行機で一緒に持って来た。これと着替えさえあれば、特に急いで段ボールから出す必要なものはない。
備え付けの最低家具にあるベッドに布団を敷くと、寝転がり暫くノートパソコンの通信設定を始めた。回線が繋がると、曽根崎署の事や周辺の地図などを確認して頭に大まかな地図を覚えさせていた。
しかし部屋が暗くなってきたのでスマホで時間を確認すると、昼食も食べずにいつの間にか18時近くになっているのを知った。夕食は、先ほどマンション周辺を検索した中で定食屋があったのを思い出して、そこで済ます事にした。財布とスマホだけを手に、笹部はそこで焼き魚定食を食べ終えた。味は、悪くない。ただ、酒を飲んで騒ぐ常連らしい中年男性達がうるさい事だけが記憶に残った。
マンションの築年数はさほど古くなく、階段もあるが5階の自室にエレベーターで向かえる事に、笹部は満足していた。
まだ、暗くなるのは早い。マンションに帰って来た頃はもう日が落ちて、辺りは街灯が少なく薄暗かった。その闇の先にあるマンションのエントランスから漏れる灯りを頼りに、笹部はのんびりとした足取りでエレベーターに向かった。
このマンションは凹型で、各階の1号室と2号室が南側。3号室と5号室が北側にあった。4号室はなく、エレベーターが中央にある。そのエレベーターは1階の外の駐輪場に面していて、ガラスで外が見える作りになっていた。
笹部は、エレベーターの開閉ボタンを押した。ボタンは直ぐに点灯して、ガコンと音が鳴った。どうやら1階に止まっていたようで、直ぐに扉が開いた。
「……」
狭いエレベーターの中を見て、笹部はボタンを押したまま無言で立ち尽くした。
中で、男が2人倒れている。しかも、片方の大柄の男の頭部からは血が流れ落ちて、エレベーターの床に僅かな血痕が見えた。
笹部はボタンを押したまま、改めてエレベーターの中を確認した。
倒れている男は、体格のいい大柄で開襟シャツにジャケットを羽織った男。多分、死んでいるように見える。それと、その彼に乗られている標準体型のスーツ姿の男。床には大柄の男の後頭部から流れたらしい血痕に、何故か紺色のネクタイ。半分ほど残った一升瓶の酒。その瓶にも、よく見れば血が付いている。多分、これで殴ったのだろう。
位置を、改めて確認する。重なり合うように倒れている男が2人。下の男の首の下には、ネクタイ。そしてすぐ脇に転がる一升瓶。
大柄の男の後頭部の傷は裂傷が見られて血が首筋に向かっているのもあるが、裂傷の周りにも広がっている。そうして、標準体型の男は首が帯状に少し赤く擦られた跡があるが、顔に汗が流れ落ちているので死んでいないようだ。
また、きっちり首元迄シャツのボタンを締めているのに、彼はネクタイを締めていない。この首の下のネクタイは、彼のものだろう。
笹部はスマホを取り出し、今の時刻――19時58分と確認してから、現場を写真に撮った。そうしてそのまま警察と救急に連絡した。
「――うぅ…」
笹部が連絡している時に、標準体型の男が小さく呻いた。笹部の声で、意識を取り戻したのだろう。
「意識を取り戻しました?」
スマホを直した笹部がそう声をかけると、標準体型の男は目を薄く開いた。
「…あなたは…?」
「偶然居合わせた非番の警察官です。どうやらあなたの背中に乗っている男性は死んでいるようなので、警察が来る迄現場保持の関係でもう少しこのまま待ってくださいませんか?」
警察、と笹部が名乗ると男は少しぎょっとしたようだった。だが、直ぐに涙を浮かべた。
「すみません、僕が殴ったせいです。でも、先にこいつが僕の首を絞めてきたんです、殺されそうだったんです!仕方なかったんです!正当防衛になりますよね!?」
「はあ。どういう事ですか?」
「僕は赤坂と言います。こいつは、僕の会社の同僚の後藤です。実は僕の元カノとこいつが、近々結婚する事になったんです。それで、こんな運命なのを忘れて僕の部屋で祝おうって事になって、303号室で12時過ぎから飲んでました。でもこいつが結構酔ってきたので、駅まで送ろうと一緒にエレベーターに乗ったら急に両手で僕の首を絞めてきて…」
元カノと結婚する男を祝福するなんて酔狂だなと、笹部は思いながらも一応頷いた。
「何で彼は、君を殺そうとしたんですか?」
「それは、……元カノが自分と付き合ってるのが僕と被っていた時期があるみたいで、それは許せないって…そんなの、僕のせいじゃないし!」
確かに、先にこの赤坂が付き合っていたのなら、問題は2股をしていた彼女が原因だろう。
「どういう状況でこんな状態に?」
「僕がエレベーターの前に立ってボタンを操作して、彼は僕の後ろに立っていました。エレベーターが動き始めて「見送りは駅まででいいか?」と振り返った僕の首を、後ろにいた彼が急に素手で絞めてきました。暫く抵抗していましたが、なんせこの体格の違いのせいで…無意識に、持っていたこの一升瓶で何度か殴ってしまったんです。すると、ようやく彼が首を絞めるのをようやく止めたんですが、僕にのしかかるように倒れてきて…その時に床に頭をぶつけたのか、あなたに起こされるまで僕は気を失っていたみたいです」
「そもそも、何で一升瓶を?」
「これは良い酒で、半分以上も残ったから持って帰りたいと彼が言ったので、手土産にしようと持ってきていたんです。殴る為に持ってた訳じゃないんです!」
大柄な後藤を背中に乗せたまま、赤坂は正当防衛をしきりに主張していた。
床に落ちている血の落ちた後は、大きいものと小さいものが有る。それと赤坂達をじっと見ていた笹部は、ようやく来た警察官4人と刑事らしい男2人に警察手帳を見せた。
「4月からこっちに異動になるけど、今は一応警視庁サイバー課の笹部です――あれ、お願いします。それと、手錠あります?」
笹部の肩書に思わず敬礼した刑事にそう言うと、不思議そうな刑事から手錠を受け取った。
「残念ながら、正当防衛じゃないよね?殺意あって、彼を泥酔させて一升瓶で殴ったんですよね。20時34分、殺人の容疑で緊急逮捕します」
「え?僕の説明聞いてました!?正当防衛です、僕が先に殺されそうになったんですよ!」
背中に大柄の男を抱えたまま手錠をかけられた赤坂は、驚いた顔をして必死な形相で無表情の笹部に怒鳴る。
「――残念だけど、君の話とこの状況じゃ、不可能な事が起こってるって気が付かないかなぁ?まあ、詳しくは署で聞くよ」
ぽかんとする刑事と警察官に向き直り、笹部はスマホで録音した赤坂の証言を聞かせた。そして、エレベーターの中の2人を指差した。
「鑑識、まだですか?」
さて。笹部が指摘した「赤坂の矛盾した発言」とそれを裏付けるものは何でしょう?よければ、感想欄にご自身の答えを書いてみてください。
正解は、回答編をご覧ください。
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