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もうひとつの出逢い

14 記憶・梵天王子と加護の術

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 五曜が言ったように、夜遅くに雪が降った様だった。早朝に起きた剣士たちは町の外を走り込みする為、寒そうに体を手で擦りながら城下町に降りて行った。だが、彼らは帰ってくる頃には汗をかいて、今は寒い体が暑くなっているはずだ。
 朝餉にはまだ早い時刻だが、昨日久しぶりに会った六星との時間の興奮のせいか蒼玉は目が覚めてしまっていた。だがそれだけでなく、誰かに名を呼ばれた気もしていた。その声は優しく、どこか願いを込めて蒼玉の名を呼んでいた気がした。しかし、勿論起きた部屋には蒼玉ただ一人だ。
 もう一度眠ろうにも、もうすぐ朝の鐘が鳴る頃だと思い、仕方なく蒼玉は寝台から起き上がった。雪を見よう、と蒼玉は戦士服に着替えた。そうして部屋を出て顔と歯を洗い、王宮と分かれる廊下に作られた中庭に向かい歩いていた。
 辿り着いた中庭は、雪が積もっていた。まだ僅かに雪が降っているのを見上げようとして、蒼玉は空が見えやすい廊下の分かれ目の中央に立とうとした。だがその時、足早に外門から来た誰かとぶつかりそうになった。
 人の気配に気付いた蒼玉は咄嗟とっさに避けようとしたが、急に姿勢を変えたので不安定になり倒れそうになる。しかしその体を、ぶつかりそうになった相手が軽やかに抱き留めた。
「気を付けなさい!」
 声を上げたのは、使い手だった。だが、蒼玉を抱き留めたのはその使い手ではない。顔を上げて自分を抱き留めた人物を見た蒼玉は、眩しい程綺麗な檸檬れもん色の髪と瞳に驚いたように目を丸くした。自分とは正反対の、光の加護を受けた人物だ。
 蒼玉よりも背が高いが、六星よりは低い。柔らかに波打つ髪は短めに切られていて、端正な顔立ちで気が強そうな青年だった。豪華な戦士服に身を包んだ彼は、数人の使い手を従えている――多分、王族だろう。蒼玉は自分の非礼を理解して慌てて彼の腕から離れると、深々と頭を下げた。
「大変失礼しました! 申し訳ありません!」
「大丈夫でしたか? 梵天様」
 傍らにいた使い手が彼の名を口にするのを聞いて、蒼玉は思わず息を飲んだ。探していた人物が、目の前に居る――彼を探して、闇の国にまで来たのだ。蒼玉は、自分の心臓が自然と早鐘を打つように高鳴るのを、必死に耐えた。頬が僅かに冷たく濡れているのは、彼らが雪をまとっていたからだろう。刺繍が鮮やかで豪華な戦士服に、肌に傷がつきにくいように加工された防寒用の毛皮。その防寒用の毛皮に、雪が積もっていて時折はらはらと床に落ちていた。
「大丈夫だ――それよりお前、名は?」
 梵天は使い手から蒼玉に視線を変えると、じっと鋭い眼差まなざしで頭を下げる彼を見つめた。
「奏州より、戦士教育を受けに来た蒼玉と申します。梵天様に、大変失礼を致しました」
 より深く頭を下げる蒼玉をしばらく見ていたが、彼に付き添っている使い手が梵天を促した。
「梵天様、王が報告をお待ちです」
「分かっている」
 気の強そうな顔立ちは、安曇に似たのかもしれない。それに彼女の様な大輪の花のような華やかさが、梵天にもあった。その場にいるだけで、空気が華やぐ。それと同時に、王族の誇りと気品を彼から感じた。
「蒼玉か。覚えておこう、では」
 梵天は頭を下げる彼から視線を逸らすと、使い手達を引き連れて王宮のある廊下を再び足早に歩いて行った。まだ融けぬ雪が、ふわりと彼らから零れ落ちる様に辺りを舞う。
「蒼玉様!」
 蛍が、慌てて蒼玉に駆け寄ってきた。このやり取りを、廊下の隅で今まで身を隠して見守っていたのだろう。心配そうに名を呼ぶ彼女に、蒼玉はようやく頭を上げると小さく笑った。
「おはようございます、蛍さん。朝から吃驚びっくりしました」
「良かったです、梵天様に怒られなくて」
 蒼玉の笑みを見た蛍は、安心したように笑みを零した。
「あの方が、第一王子の梵天様ですか?」
「はい。暫く前に倶留守元宮の領地だった村々を監視に回ってらっしゃったんですけど――急のお帰りで、驚いています」
 蛍の言葉に、蒼玉は間違いなく梵天だと確信して小さく頷いた。王宮が傍にあるが、蒼玉は王族の姿を今日まで誰一人として見た事がなかった。瞬湊村しゅんそうむらにいた時も風の国の王族を見た事もない。王族と農民は、それぐらい縁がない関係だ。
「梵天様は厳しいお方ですが、曲がった事がお嫌いなだけだと思います。倶留守元宮の反乱を、一番お怒りになっています」
 王子自ら危険な場所に視察に回るなど、普通は考えられない。多分、彼が自ら志願したのだろう。正義感が強く、王族だからと怠慢するような人物でない事に蒼玉は少し嬉しくなった。安曇が最後に「会いたかった」と願った子が、彼女が幻滅することなく立派な王子に育っているのに安堵した。
 後は彼に安曇の根付を渡せば、蒼玉は彼女の願いを叶えてやれるのだ。そうすれば――蒼玉にとって、ようやく彼のやりたい人生を送る事が出来るのだ。
「あれ? 蒼玉と蛍じゃないか。おはよう、早起きだね」
 そこに姿を見せたのは、五曜だった。まだ眠そうに、目をこすっている。蛍は彼に頭を下げた。
「おはようございます、五曜さん。雪を見ようとしてここに来る途中、梵天様にぶつかりそうになりまして……初めて王族の方にお会いしました」
 蒼玉の言葉に、五曜はふと真顔になった。
「え、そうなの? 大丈夫だった?」
「はい、何かお急ぎの様で王宮に向かわれました。使い手の方が、王がお待ちだと言っておられたので、私に構っていられなかったのでしょう」
「……そっか」
 五曜がそう小さく返事を返すと、蛍が慌てて頭を下げた。
「すみません、私仕事の途中で……! 戻ります」
「私のせいで、お仕事の邪魔をしてしまってすみません。頑張ってくださいね」
 自分が王族と鉢合わせした為に仕事中の蛍の手を止めてしまった事に、申し訳なさそうに蒼玉は頭を下げた。蛍は慌てて首を横に振る。
「いいえ、私は心配するしか出来ません……失礼します」
「今日も一日頑張ろうね、蛍」
 二人に見送られて、蛍は小走りに洗濯場へと戻っていった。すると、鐘が鳴る音がした。たつ初刻しょこくを知らせる、朝の最初の鐘の音だ。
「食堂が開く時間になったね。朝餉に行こうか、蒼玉」
 早い時間に起きたのだが、梵天に会い思わぬ時間を潰したようだった。五曜の言葉に頷くと、二人は並んで食堂に向かった。
 蒼玉はふと、浅い眠りの中自分を呼んだ声は安曇だったのかもしれない。梵天に会わせようと、知らせてくれたのかもしれないと思った。

 だが、安曇の姿は見えなかった。


「三日後に決まったよ」
 各々が鍛錬を始めだし、蒼玉も座学室で先日教えて貰った術の詠唱の暗記をしようと瞳を閉じた時に三号四が話しかけてきた。
 再び瞳を開いた蒼玉は、自分の前に腰を落とした小柄な師範が微笑んでいる姿を見返した。
「随分急ですね」
 昨日話して貰った、王族の訓練生の魔獣討伐の応援の話で間違いないだろう。まだ先、と言われていたので蒼玉は不思議そうに尋ねた。
「今日の朝早くに視察に行っていた梵天様が戻られてね――どうも、倶留守元宮の反乱軍が妙な動きをしているらしい。いざという時に身を守れるように、早めるそうだよ」
 使い手や兵士がその身を守っていても、守り切れない時がある。王位継承者を少しでも多く、倶留守元宮は始末しに来るのかもしれない。そうなれば、王族たちは自身が強くならなければならない。そして、それと同時に戦が始まるかもしれない、という事になる。
 蒼玉が知らない、人と人との戦いだ。
「攻撃系を、今日は二つ教えるよ。三日後までに、使えられるように覚えなさい」
「分かりました」
 頷く蒼玉に、三号四は机を挟んで正面に座ると真面目な顔つきになった。
「魔獣の最終討伐は、あくまでも王族のお二人に任せなさい。あんたともう一人の呪術師、守護師は援護すればいい。もう一人の呪術師は主に回復を担当するよ。だから、蒼玉。あんたは、攻撃を正確に魔獣に当てるんだよ」
 蒼玉は黙って頷いた。間違っても、攻撃の術を王族や仲間に当てないようにしなければならない。三号四の言葉に、再び魔獣と対峙する実感がゆっくりだが感じられてきた。
「三日後、と決まったのは闇の子が放った卵の一つが、そろそろ羽化する兆しが出た。少なくとも、二日後には生まれているだろうからだよ」
 闇の国を守るために闇の子は魔獣の卵をばら撒いている、と六星が言っていたのを思い出す――しかし、魔獣が夜岳を襲うかもしれないのに、何故闇の子はそんな危険な事をするのだろうと蒼玉は不思議に思った。
「援護攻撃に向いている『黒き稲妻』と、闇の加護の術の『黒龍の鍵爪』だ」
 加護の術を、いよいよ教えて貰うのだ。蒼玉は、緊張した顔で再び頷く。加護の術は、使い手に教えて貰わないと使えない。そして、技が大きいと反動で大きな負荷が体に跳ね返ってくる。技によっては、確実に相手を倒せる時にしか使ってはいけない技なのだ。
「『黒龍の鍵爪』は、捕縛ほばくの術だよ。相手を動かさない術だから援護に最適だ。それに、闇の加護の中で一番跳ね返りが少ない。今のあんたの精神力なら、連発しても気を失わないだろうね」
 蒼玉は、自分がどれほど術を使えるのか分からない。それに、術の効果がどれほどの威力があるのかも。
「精神力回復草は、持って行った方がいいですか?」
「それらは、こっちで用意するから大丈夫だ。あんたは、自分の杖と防寒着さえ持ってきたらいい。それに、付き添いは私と守護師、剣士の使い手。王宮兵士が五人だよ」
 それだけの数がいるなら、余程の事がない限り王族の訓練生は安全だろう。倶留守元宮から身を護るために魔獣討伐訓練に行くのに、その魔獣に命を奪われては意味がない。彼らは何度も魔獣討伐訓練を行っているから、討伐準備は蒼玉が自分で用意しなくてもよい筈だ。任せる方が、間違いないだろう。自分がすべき事は、王族を護り彼らが魔獣を倒すのを手伝う。それだけを考えていればいい。
 それが終われば、どうにかして梵天に根付を渡す。そして――それから。初めて自分が選択する未来を、自分の足で歩くのだ。
「じゃあ、今から唱えるよ。ちゃんと覚えなさい」
 三号四の言葉に、蒼玉ははっと我に返った。

 そうしてその日は、集中力を高める座禅をせずに一日術の詠唱の訓練をした。その日教えられた術だけでなく、今まで教えられた術も熱心に唱えていた。
その姿を、三号四は優しい眼差しで見守っていた。そうして、彼の手首に巻かれた組紐から感じる『気』を、何処か不思議そうに眺めた。
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