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出逢い

09 記憶・闇王都と下女の蛍

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 にわとりの大きな鳴き声と瞼に差し込む明るさに、蒼玉はゆっくり瞳を開いた。随分久しぶりに熟睡した気がして、頭がすっきりしている。そう感じていると、自分を抱き締めている六星の逞しい腕に気が付き、昨夜の事を思い出した。ただ一緒の布団で寝ただけなのに、蒼玉は恥ずかしさで真っ赤になる。起きようにも、六星はしっかりと蒼玉を抱き締めているので体を動かせない。
「六星、起きて下さい。朝です」
「――ん……朝ァ?」
 六星の腕を押すように揺らすと、六星がようやく起きたのか眠そうな声を上げた。
「おはようございます、六星」
 ようやく腕を離す六星から体を解放された蒼玉は、肌着姿の自分を隠す様な仕草を見せながらもう一度声をかけた。六星の腕の中が温かかったので、室内の空気の寒さが身に沁みた。
「蒼玉……そうか、おはよう」
 六星も蒼玉の顔を見て昨日の事を思い出したのか、彼の名を口にして大きな欠伸をした。それからゆっくり身を起こすと昨日脱ぎ捨てた自分の戦士服を取って、手早く身に着ける。
「着物、乾いたな。風邪ひかないように早く着とけ」
 干していた蒼玉の戦士服の乾き具合を確認すると、それを彼に渡してやる。蒼玉は頷いて、それを身に着ける。
「今日は、雪も風も落ち着いているようだな。氷連地は無事に進めそうだ」
 一度明り取り戸を開けて家の外を眺めた六星は気候を確認すると、蒼玉に向き直り話しかける。
「顔洗ったら、準備しな。飯屋で朝餉食ったら、夜岳に向かおう」


 蒼玉は粥を、六星はさわらの漬け焼きと汁物に麦飯を飯屋で頼んで、ゆっくり朝餉を取ると揃って水連を出た。慣れてないからと六星に助言されて、氷連地に入る前に蒼玉は草鞋の下にかんじきを履いた。水連で買った橇は風の国の橇より歩きやすいように、小さく工夫されて作られていた。
「六星は、履かないのですか?」
 紐をしっかり結びながら、蒼玉は氷連地を見渡している六星に尋ねた。その六星は蒼玉に視線を移すと、小さく笑う。
「ああ、俺は慣れてるから凍ってるところでも走れる。紐が解けないように気をつけろよ?」
 昨夜の、安曇の話をしている時の緊張感が嘘の様に、出会った時と変わらない六星の優しさを感じる。どちらが本当の彼の姿なのか、蒼玉はふと不安になる。
「はい、私も走れるようになるまで頑張ります」
 生真面目な蒼玉の言葉に、六星は吹き出した。橇の紐を結び終えて立ち上がろうとする彼の手を引いてやりながら、楽し気にまだ笑っていた。
「蒼玉は走らなくていい。呪術師は後ろから攻撃するもんだからな」
「前線で戦えない事が、申し訳ないです。剣士や守護師は一番攻撃を受ける危険な戦闘になるのに」
 六星が歩き出すと、蒼玉も彼の後について氷連地に足を踏み入れた。昨日は夕方近くであまり遠くまで見渡せなかったが、今日は晴れていて雲も少ない。氷の大地が続く向こうに、夜岳の関所があるのがぼんやりと見えた。
「戦い方は、戦術の一つだ。だから、欠点を補うために戦士たちは組んで旅をする」
 加護の相性、武器の相性、色んな事を考えて戦わなければならない。六星は蒼玉にそれを教えている。
「夜岳は、お前さんも知っているように内戦中だ。王都付近では今の所大きな戦闘はないが、反勢力と王族派とが戦う事もある事を忘れないようにな。蒼玉は闇王都の訓練所に通う訳だから、他人から見れば王族派と見なされる」
「現国王の弟君が反乱を起こしていると聞きましたが…?」
 旅の途中で耳にした噂。それを口にすると、六星は溜息を零した。
「弟君は、大きな村の幾つかを支配下に置いて反乱してるのさ。反乱したことで、王族から名前を剥奪はくだつされている――倶留守くるすだ」
 氷連地を半分ほど歩くと、寒さがぐっと増してくる。蒼玉も六星も、防寒具をちゃんと着ているが、それでも寒さに指がかじかむ。蒼玉は着物屋で貰った手袋を思い出し、かじかむ手にその毛皮の手袋をつけた。暖房効果が高いのか、手が温かくなり蒼玉はほっと息を零す。
「俺は水連と闇王都にもある家にいるから、偶にお前の様子見に来るよ。自由時間にでも、闇王都巡って梵天探そうぜ」
 六星は、本当に蒼玉を助けてくれるらしい。その頼もしい言葉に蒼玉は「はい」と頷いて、時折冷風が強く吹く氷連地を歩き続ける。


 魔獣に会う事も天候に邪魔されることなく氷連地を渡り終えると、もう夕方近かった。日が落ちるのが、僅かだが遅くなった気がする。橇を脱ぎ二人は水の国と闇の国の境界の、大きな関所へと向かった。春ももうすぐなのに、夜岳の寒さは収まる様子はない。これが、北の土地の土地柄なのだろう。関所は黒橡くろつるばみ色の髪と瞳、額には薔薇そうびの紋章が浮かんだ闇の使い手が控えていて、蒼玉の入国の手続きを行う。六星はもう顔見知りになっていたので、使い手との軽い挨拶で手続きは終わった。
 そのまま六星は、蒼玉を連れて闇王都にある王宮へと向かった。闇王都はどことなく緊張が漂っているが、素材の基を採りに来ている戦士達の姿も見えてそれなりに賑わっていた。
 王宮に続く門には、闇の国花である薔薇の花と聖獣の九頭の蛇が描かれていた。王宮の大きさに、蒼玉は驚いたようにその門扉を眺めた。「何かあれば、こっちの俺の家に来たらいい」と、六星は蒼玉を先に王都近くの路地裏の家に案内していた。水連にある彼の家とそう変わらない大きさで、蒼玉は忘れないようにその道を覚えた。
「訓練、頑張れよ。俺も時間見つけて、情報集めるからさ」
 王宮に続く門扉の前で、六星はそう言って蒼玉の頭を撫でた。蒼玉は六星との時間が長かったので、もう会えない事もないのだが知らぬ土地で独りになる寂しさで俯いてしまった。
「元気出せよ、心配しなくても俺は居なくならないから。それより、俺以上に仲のいい奴作るなよ?」
 六星は笑って、蒼玉の背中を叩いた。蒼玉は、六星が彼を励まそうとしている事が分かっていた。我儘を言うような自分に少し驚き、そして六星を困らせないためにも蒼玉は顔を上げた。
「はい、六星有難うございます。訓練頑張りますね」
 ようやく蒼玉は笑みを見せて、六星に軽く頭を下げた。その笑みに安心したように六星も笑うと、門の前に控えている兵士に声をかける。
「兵士訓練に来た蒼玉だ、入れてやってくれ」
「紹介状と手形を」
 兵士は六星の顔を知っているのか小さく頷くと、蒼玉に向かい直して話しかけた。蒼玉は慌てて袋の中から手形と村長に書いて貰った紹介状を取り出して、その兵士に渡す。
「よし、では案内しよう。ついて来い」
 二人いる兵士の一人が、入り口前に掛けていた鎖を外すと蒼玉を中へ入る様に促す。柘榴ざくろ色の髪と瞳のその兵士は、火の加護を受けた守護師の様だ。蒼玉はもう一度六星の顔を見てから、門の入り口に足を向けた。そうして、先に歩く兵士について中へと入っていく。
「……さて」
 その後ろ姿を見送ってから、六星は頭を掻いた。複雑そうな表情を浮かべて。
「俺も報告だな。それから――こっちの家の掃除でもするか」
 六星は、足早に路地裏へと姿を消した。


 門の中は、思っていたより広かった。広い中庭のような開けた場所に辿り着くと、左手に向かって歩く。右側の通路には、門前の様に兵士が控えている。
「あちら側は、どこに続くのですか?」
 気になった蒼玉は、前を歩く兵士に声をかけた。兵士はチラリと蒼玉を振り返ると、口を開く。
「右手の先は、王宮に続く。王族がお住まいになられているから、間違っても右手には入らないようにな」
 成程、と蒼玉は頷いた。もし王族の有事の危機でも、兵士だけでなく戦士見習いもすぐに招集出来る。だから、戦士見習いは王族派と見なされるのだと。しかし、もし反乱分子思考の戦士見習いもいてもおかしくない。だから兵士の配置が多いのだろう。
 そうして暫く左手の道を進むと、もっと大きな広場に辿り着いた。黒橡の髪と瞳に額には闇の紋章が浮かび上がった闇の使い手達に、様々な神の加護を受ける少年少女たち。彼らは、蒼玉と同じ戦士見習いだろう。
「君は、呪術師だったね?」
 兵士が振り返り、蒼玉の腰の杖を確認した。「はい」と蒼玉が答えれば、その訓練場のような広場を更に進んだ。その広場にいた使い手や戦士見習いのほとんどが、歩く蒼玉を見つめていた。蒼玉の美しい姿に、見惚《みと》れる様に。
「三号四様」
 広い座敷に辿り着くと、その座敷に座っている訓練生と皆の前にいた使い手が入り口に目を向けた。
「今日到着しました、風の国より訓練を受けに来た蒼玉です」
 兵士がそう言って頭を下げると、闇の使い手が立ち上がり静かに歩み寄ってきた。使い手は、人間よりずっと長生きだ。見た目は五十過ぎだが本来の年齢は分からない女の使い手は、蒼玉を見て僅かに眉を下げた。
「随分と、苦労する魂だね……頑張りなさい、私の出来得る限りの術を教えてあげよう。私は、中級使い手の三号四だ。よろしく」
 声の張りは若々しい。しかし、蒼玉を見る目は何処か憐れみを含んだように見える。
「先ずは荷物を置いて、今日は休みなさい。明日から訓練を受けるように」
「有難うございます、これからよろしくお願いします」
 頭を下げる蒼玉に頷くと、三号四はまた訓練生たちの前に戻った。興味深げに蒼玉を眺めていた術師訓練生たちも、慌てて正面に向き直った。
「誰か」
 兵士が声を上げると、とき色の髪と瞳のまだ年若い下女が姿を見せた。
「今日から、訓練に参加する。部屋に案内してあげてくれ」
「かしこまりました」
 頭を下げた下女が蒼玉に向き直る。蒼玉を見た彼女の頬は、赤く染まった。ぼんやり彼を見ている下女に、兵士は咳払いをした。
「あ、す、すみません! こちらへ」
「彼の部屋は、一人部屋にしなさい」
 部屋の中から、三号四の声が届いた。「はい!」と下女は答えて、蒼玉を促す。
「蒼玉、俺は統星すばるだ。何かあれば、兵士詰め所に来るといい。六星とも仲良くしている」
 兵士はそう言うと、向きを変えて来た道を戻っていった。蒼玉はその後ろ姿に頭を下げた。そうして、下女に向き直った。
「案内よろしくお願いします」
「はい!」
 下女は頷いて、まずは大きな荷物姿の彼の為に部屋へ案内することにしたようだ。しかし、蒼玉はずっと気になっていた。その下女を抱き締める様に、薄く見える女がいる事に。


 部屋は、師範になる三号四に言われた通り一人部屋が与えられた。特別大きくもなければ、狭くもない。しかし蒼玉一人に与えられたこの部屋は、贅沢すぎるくらいに感じた。
「本当に、私がこの部屋を使っても良いのですか?」
 案内してくれた下女に何度もそう尋ねたが、「一人部屋の広さは、全部この部屋と同じなんです」と、申し訳なさそうに下女は困った顔になる。
「分かりました、有難く使わせて頂きます――ええと、あなたのお名前は?」
 下女に名前を尋ねると、彼女は驚いた顔になった。
「私の名前、ですか?」
「はい、これからお世話になりますし」
 不思議そうに蒼玉が笑みを見せると、彼女は再び赤くなって下を向く。
ほたると申します」
「蛍さんですね、よろしくお願いします。私は、蒼玉です」
 蒼玉が頭を下げると、蛍は慌てて口を開いた。
「私は、ただの下女です! そのように頭を下げないで下さい。名前を聞いて下さっただけでも、有難い事なのに」
 下男下女は、罪人などの家族や親族が務める仕事らしい。村では、墓守や染色、皮加工などの仕事をしている。罪人本人もそのような仕事をしているが、親族というだけでそのような目に遭うのも可哀想だと蒼玉は蛍を不憫に思った。
「他の方はどうか知りませんが、私はあなたと同じです。仲良くしてください、蛍さん」
 蒼玉の優しい笑みに、蛍は僅かに瞳を涙で潤ませた。それを、慌てて手で拭う。冷たい水仕事で荒れた赤い手だ。蒼玉はその手にそっと触れると、小さく数少なく覚えている術を口にした。
「慈愛に満ちた光が深淵より朽ちた花に与える自由と愛に 君臨した女王に嘆きの聖杯を捧げ 漆黒の酒が汝を赦し神の雫にその身を委ねろ 闇詠唱やみえいしょう黒き癒やし風」
 回復の呪文を唱えると、蛍の荒れた手が綺麗に治った。治してもまた仕事をすれば荒れてしまうだろうが、一時でも癒してあげたかった。
「蒼玉様は、もう術を使えるのですか?」
 不思議そうに、蛍は自分の手を眺めた。訓練を受けに来たはずなのに、術を使った彼に驚いたように尋ねた。
「私は風の国から来たので、旅の間困らないように簡単な術を教えて貰ってから来たんです」
「風の国から……! それはまた、随分遠い所から……お名前も、確かに夜岳では聞かない響きですね――あ! 治してくださり、有難うございます!」
 蛍は慌てて頭を下げた。それに優しく微笑んで、蒼玉は部屋の隅に背負っていた荷物を置いた。
「気にしないでください。では、申し訳ありませんがここで生活するのに困らない範囲で構いませんので、案内していただけますか?」
「はい!」
 蛍の笑みに、蒼玉は頷いた。そうして、彼女に抱き着いている女が同じように蒼玉を優しく見つめる瞳に、少し安堵した。
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