肺がんだった話

結城有子

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併用療法

気持ちの変化

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 ステージ4の肺がんと診断されたときには、もう時間がないと焦ったものです。なのにね、元気になってきたら、「なんだ、まだ思ったより時間あるかも?」と思い始めました。我ながら現金なやつです。

 だって入院前は、それなりに病人くさかったんだもん。いかにもやばそうな咳が止まらないし、血は吐くし。

 だけど抗がん剤のおかげで、出血どころか咳まで止まっちゃいました。こうなるとどこが病人なのか、さっぱりわかりません。本人がけろりと元気そうにしているので、肺がんと聞いてめそめそしていた夫まで一緒に元気になりました。

 先のことはわかりませんが、とりあえず今は元気だもんね。あまり先のことを考えても仕方ない。考えても仕方ないことは、すぐに棚上げしちゃう。

 そういう態度が夫には不思議なようで、感心されました。

「すごいよねえ」
「何が?」
「普通は心配で不安で、夜も眠れなくなるものだよ」
「そうなの?」
「うん」

 わたしだって痛いのも苦しいのも嫌だけど、今この瞬間はそれほど痛くもありません。そりゃ全く痛くないとまでは言えないけど。胸や背中にちょいちょい痛みがあることは、あります。

 でもそれも、痛み止めを飲むほどではないんですよね。しかも面白いことに、たっぷり運動して血行がよくなると、痛みが薄らぐのです。運動に励むのは、そんな理由もあります。

 それに咳が止まったおかげで。苦しくもありません。ほら、心配も不安もないでしょう?

「その『考えても仕方ないこと』を、忘れられるのがすごいんだよ」
「ふうん」
「普通は忘れられないものなの」
「へえ」

 お気楽な性格でよかった。ずっと不安だったら、つらいだろうなあ。

「ずっと一緒に暮らしてたおかげで、こっちもその技が多少は身についたよ」

 技だったのか、これ。ちょっと笑っちゃいました。

 トイレのリフォームを思いたったのも、元気になったからです。少なくともまだしばらくは、元気でいられそう。元気でいるうちに新しくなったトイレを堪能しておきたいから、早く工事してね!

 とはいえ、いくら脳天気なわたしでも、本当に完全に忘れているわけではありません。痛みがあると、がんのことを思い出します。がんのある場所が痛むのかなあ。必ずしもそういうわけではないみたいなんですけど。

 そこで痛みの強さとか、どんなふうに痛かったとか、日記に記録してみることにしました。そうしたらね。少しずつ何かが変化しているのがわかって、面白かった。

 入院した頃は、胸の中央に刺すような痛みがあったり、胸の脇にも刺すような痛みがあったり、肩甲骨の内側あたりにも刺すような痛みがあったり、ちょくちょく痛かったものです。

 主治医のS先生によれば、「リンパ節に転移したものが痛むのかもしれませんね」とのことでした。胸水が溜まっても痛むらしい。で、胸水はうっすら溜まってました。

 痛みがずっと続くようなら、痛み止めを処方してほしいんだけど、これがまた間欠的にくるんですよね。しばらくチクチク痛んで、しばらくお休み、みたいな。痛みが消えれば「まあいいか」と思っちゃうわけで。

 日記に記録していると、痛む時間が少しずつ減ってるのがわかりました。抗がん剤のおかげかしらん。

 そうして痛みが減れば、さらに元気になるわけで。

 元気になると何を始めるかというと、悪ふざけです。夫がトイレに入っているときとか、忍び足でドアの陰になる場所に位置取りをします。静かに静かに待って、ドアが開いたところで「わっ!」と大声を出すの。

「び、びっくりした……。心臓とまったらどうするの!」
「それくらいじゃ、止まらないよ」
「こら!」
「きゃー」
「反省しなさい!」
「しない」

 いい歳をしてやることじゃないと思うけど、楽しいんだもの。懲りずに何度でも引っかかってくれるからね。ただし、あまり頻繁にやってはいけません。相手も慣れて、用心するようになっちゃうから。適度に間を空けるのがコツです。ふふ。
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