肺がんだった話

結城有子

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診断まで

終活開始

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 ステージ4の肺がんと診断されたからには、やるべきことは終活でしょう。どれだけ寿命があるかはわからないけど、まあ、どう考えても長くはない。

 子どもがいないから相続はとてもシンプルなはずだけど、一応、念のために遺言書は書いておこう。

 財産は夫が管理してるから、まかせておけばいいや────と夫に言ったら、何やらあわて始めましたが。自分が先に逝く前提で、妻が相続するときになるべく困らないよう、いろいろ調べて計画していたようです。逆のパターンは想定外だった模様。まあ、がんばって。

 お金のことは、全然わかんないからなー。

 何しろ共働きだった頃から、お給料はそっくり夫に渡してたほどです。その中から生活費だけ管理していたので、貯金額とか全然わからん。完全に夫まかせ。総額を聞いたら、意外に溜め込んでました。老後の資金は安泰そう。

 お金の次は、食事。妻が先立つと、夫の食事が心配になるところです。でもね、我が家はこれは対策済みでした。

 リモートワークの流行が始まった2019年頃から、夫に料理を教え始めたのです。通勤時間がなくなったぶん、時間に余裕ができただろう、ということで。今ではリモートワークの日はいつも、昼食を作ってくれています。

 最初は、とても大変でした。レシピを渡して作ってもらおうにも、一行ごとに質問に来ます。

「さいの目切りって、どう切るの?」
「ねぎのみじん切りって、どうすればいいの?」
「塩ひとつまみって、どの指でつまむの?」
「中火って、どれくらい?」

 もうね、ほとんど付きっきりで説明したり、手本を見せたりしないといけませんでした。レシピが変わるごとに、その繰り返し。

 でも作れるメニューが増えるにつれて、質問が減ってきました。今は新しいレシピでも、レシピを見ながら作れます。ブラボー!

 そこに至るまで、結構かかったからなあ。偉いぞ、わたし。先見の明がありすぎじゃない?

 メニューを作るところだけは、今でもわたしがやってます。共有カレンダーに昼食メニューだけ、少し先まで献立を考えて入力しておくのです。それを見ながら買い物リストを作ったり、夫が昼食の支度をしたりしています。ここまでできるようになれば、パーフェクト。

 たぶん、やればできるんじゃないかな。できるよね……?

 デジタル系の整理も始めました。

 まずは、使っていないサービスの登録解除から。最後にログインしたのがいつだか覚えていないようなSNSは、全部解約しました。ショッピングサイトも、使わなくなったところはすべて解約。

 整理しながら、パスワード管理アプリでの設定も変更しておきました。1Passwordというアプリのファミリー版を使っているのですが、片っ端から共有設定にしちゃった。必要なら夫がいつでも使えるように。パスワード管理アプリ使ってて、本当によかった。こういうのが簡単にできるもんね。

 整理しながら、パスワードの使い回しをしていたものは全部パスワード変更もしました。おかげでセキュリティが格段に向上したと思います。

 ちょうどいい機会なので、夫も一緒に整理してたようです。

 夫の衣類の入れ替えも始めました。着古したTシャツを処分して、新しいものを購入。すると、なぜか夫が呆れたような顔をしました。

「ねえ。この状況で、気にするのはそこなの?」
「うん」

 いや、だって、気にするでしょう。この人、放っておくとろくなもの着ないんだもの。

 結婚前に所持していた衣類を思い出すと、頭痛がします。ジジくさいなんて言葉じゃ言い表せないほど、いろいろひどかった。わたしがいなくなったら、あの状態に戻るかと思うと、とても悲しい。今のうちに、できることをしておきたい。

 結婚前のある日、夫のタンスをあさり、許せない服を全部処分したものです。そうしたら、ジーンズが1本とシャツが1枚しか残らなかったのよね。「着るものがなくなっちゃう」と悲しそうな夫を連れて、衣類の大人買いをしに行ったものです。

 アイボリーのカーディガンとか、ワインレッドのセーターとか、夫に似合いそうなものを選ぶたびに、なぜか当の本人がギョッとしたような顔をしました。

「派手じゃない?」
「全然」

 アイボリーやワインレッドのどこが派手だというのか。

 コーディネートして鏡の前に立たせてみれば、「変じゃない?」と自信なさそうな顔をします。でも少しも変じゃない。ちゃんと格好よく見えるものを選んだもの。もちろん店員さんも「大変お似合いですよ」と援護射撃してくれます。

 何度も「絶対にこっちのほうがいい」と断言すると、次第に本人もまんざらでもないような気がしてくるみたい。ちょろい。

 そんな具合に、ちゃんとまともに見える服を選んできたのよ。本人に選ばせると、ろくなことにならないからな。いまだに組み合わせを自分で選ぶことができません。

「これとこれなら、どっちがいいと思う?」
「こっち」

 だいたい即答できます。どっちでもいいよ、と言えたためしがない。片方はあり得ないほどひどい組み合わせだったり、両方とも却下だったりするのです。

 なるべく長く着られるものを、今のうち買っておこう。組み合わせは、何とか定番を覚えてもらうしかないな。大丈夫かなあ……。
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