27 / 30
隆太郎サイド STORY.8 やらなきゃいけないこと
1
しおりを挟む
家庭教師を頼まれた滝口さん宅はすぐ近所にあった。徒歩約10分、築10年ほどの一戸建てで、庭が広いきれいなところだった。
中学2年生だという遥香ちゃんは引っ込み思案な子らしく、最初はびくびくしていたけれど、家で飼っている子犬のコロの話になると言葉を思い出したように笑顔になって話し出した。まだ生まれてたった5ヶ月なこと、女の子で種類はマルチーズ、特技はジャンプ――首を傾げるとすっごくかわいいの、と遥香ちゃんは柔らかく目を細めて言った。
2時間の授業が終わったあと、リビングでお茶を飲みながら犬のコロを見せてもらった。小さくて、まるまるとしていて、ちょっと突っついただけで床に転がりそうだった。むちゃくちゃ可愛かった。
「先生、犬好き?」
首を傾げて尋ねてきた遥香ちゃんに俺は笑顔を返した。
「超好き」
そう言うと、遥香ちゃんは照れたように微笑んだ。
わたしも大好き。
そう答えた遥香ちゃんの声が、美緒の声と重なって聞こえた。
案の定、美緒に家庭教師のことを話すと驚かれた。
どうしてそんなこと、と聞かれたので、とっさにパソコン買いたいから、と嘘をついてしまった。美緒の誕生日プレゼントを買いたいからとはさすがに言えない。
「教えられるの?」
不審げに問いかけられて、小さく頷いた。どうやら日頃の勉強の成果はきちんとあらわれているらしく、心配していたほどのことではなかった。見る限り遥香ちゃんにも不満はないと思う。
「生徒さんどんな子なの?」
「うーん……」
少しだけ考え込んでしまった。
「いい子」
まあ、これは確かに事実だ。
他にもいろいろ思うところはあったけれど、俺はそれだけ言うと話を変えた。犬のコロの話をすると美緒は途端に目を輝かせた。
* * *
遥香ちゃんは慣れるとおしゃべりになるらしい。
家庭教師を初めて1ヶ月。あっという間に俺に馴染んだ遥香ちゃんは、遠慮なくいろいろなことを尋ねてきた。
「先生って好きな人いるの?」
いつも通りに授業が終わってリビングでお茶を飲んでいたとき。何でもないように、いや、ものすごく興味深そうに、遥香ちゃんがそう尋ねてきたときには飲んでいたものを吹き出しそうになった。
目の前には遥香ちゃん。その隣には彼女の母親、順子さんが座っていて、こんな状況でこんな問いに答えられるわけがなかった。
「隆太郎くん困ってるじゃない」
くすくすと順子さんがおかしそうに笑いを漏らした。
「いるでしょ、先生、絶対いるでしょー」
けれど遥香ちゃんは自分の母親が言うことなど我関せず、まるで俺の答えが最初から決まっているとばかりになおも問いかけてきた。
「いや、その」
マジで、マジで今は勘弁して。
かなり必死に訴えていたと思う。そんな俺の訴えをくみ取ったのか、遥香ちゃんは少しだけ不満そうな顔をして首を引っ込めた。
「ママがいるからだよ。いいもん、次の授業のとき聞くから」
そう言って、遥香ちゃんはぷくりと頬をふくらませた。
そして予告通り。
1週間後、遥香ちゃんは部屋に入るやいなやそのことを尋ねてきた。答えるまで教科書開かないもん、と両手で参考書を抱きかかえ、授業をボイコットをするほどにかなり強情だった。
「いるんでしょー、わたし分かってるんだからねっ」
なかなか答えない俺にしびれを切らせたのか、やがて遥香ちゃんはむっと顔をしかめ声を強めた。大きくため息をはいた。いるよ、と半ばやけくそ気味に言葉を返した。
すると、今までの機嫌の悪さはどこへ行ったのやら、遥香ちゃんは途端にぱあっと顔を輝かせ、きらきらとした瞳を俺に向けてきた。
「その子、わたしと似てるとこあるでしょ」
目が、点。
その子、わたしと、似てる?
美緒が、遥香ちゃんと似てる。いや、遥香ちゃんが、美緒と似てる?
……似てる。
顔が熱くなった。
「あはは、先生赤くなった」
「言ーうーなー」
あまりの恥ずかしさに声を荒げた。
遥香ちゃんは心底楽しそうにけらけらと笑い声を立てた。お腹を抱え、参考書を机に投げ出し、おそらくその声は下の階まで聞こえていただろう。目には涙を浮かべていた。
「や、やだあ、もーおかしーっ。先生、めっちゃ分かりやすいんだもん、あはは、もーやばいーっ」
ひーひー言いながら遥香ちゃんは机を拳でたたいた。
だめだ、だめ。第1印象完全撤回。遥香ちゃんは引っ込み思案どころかかなり図太い神経をしている。おとなしそうな顔に似合わず、性格は正反対だ。
「ね、ねえ、先生の好きな子とわたし、どこが似てるの?」
目尻の涙をぬぐい、遥香ちゃんはまだ笑いを残した顔を上げた。質問の内容に一瞬言葉を詰まらせたが、ここでまた口をつぐんでも結局は言うはめになることは目に見えていたので、正直に口を開いた。
「声」
「声?」
きょとん、と遥香ちゃんは俺を見上げた。
「あと、後ろ姿……とか、髪型とか、中学んときの美緒見てるみた……」
はっと気が付いたときには遅かった。
目の前には。満面の笑みを浮かべた遥香ちゃんがいた。
「へー、先生の好きな子、『みお』っていうんだ」
「いや、その」
「ふふふー」
そして遥香ちゃんは怪しげな笑みを口元にたたえ、手に持っているものを操作し始めた。スマートフォンだった。しかも、俺の。 本当に、なんでロックをかけておかなかったのかと過去の自分を呪った。
「あったぁ」
「おい、こらっ」
またもや、時、すでに遅し。
遥香ちゃんは取り返そうと手をのばした俺をすり抜け、壁際に身を寄せると、わくわくした表情でスマートフォンを耳に当てた。
唖然。口を半開きにしたまま固まってしまった。電話のコール音が部屋の中に響いた。
『もしもし』
数秒後、プチッとコール音が途切れ、受話器から微かに声が漏れてきた。
聞き慣れた声。美緒の声だ。
表情を固まらせたまま遥香ちゃんを見ると、彼女はにやにやした笑みを浮かべていた。
「あ、もしもし、初めまして」
明るい声で遥香ちゃんは口火を切った。にこにこと。電話向こうまでその表情は伝わるんじゃないかと思うくらいに楽しそうだった。
「わたし、滝口遥香です。えーと、せんせ……隆太郎先生に家庭教師してもらってる……あ、はい。……あ、別にそういうわけじゃないんですけど、美緒さんの話が出て、どんな人かなあって。先生いますよ。なんか固まってるけど」
けらけらと遥香ちゃんは笑った。
「え? そんなことないですよ。すっごく分かりやすく教えてくれるし。あ――」
「もしもし」
めちゃくちゃ不機嫌な声が出た。
遥香ちゃんを見てみれば、携帯を取り上げられたにもかかわらず、未だに楽しそうなようすで俺を見ていた。
一挙一動。携帯を耳に当てる俺の動きをじいっと見つめ、どこか期待を含む眼差しを向けてくる。
『あれ、隆太郎?』
そして受話器の向こうから聞こえてきたのは心底不思議そうな美緒の声。
『さっきの子は?』
「あのな……」
最初の一声がなんでこうなんだ。俺の携帯で、俺じゃなく他のやつが出て、しかもそれが俺が家庭教師をやっている生徒で、なんでこいつはそれを疑問に思わないんだ。
「今、授業中なの。悪いけどもう切るから」
「ええ、なんでーっ」
遥香ちゃんがものすごく不満げに声を上げた。
『あ、そうなの? じゃあこんなことしてる場合じゃないね』
一方美緒の方はといえば大して気にした様子も見せず、あっさりと言葉を返してくる。
『じゃあまた明日。お勉強しーっかり頑張ってくださいね』
「先生冷たーい! さいてーさいてーさいてーっ」
電話を切ると、遥香ちゃんがものすごい三白眼でにじり寄ってきた。どすんっと大きな音を立て椅子に座り、どすどすと床を足で蹴った。
「好きなんでしょ? なんであんなにそっけないのよ! 変変、ぜったいへーん!」
両拳を握って、訴えかけるように俺を睨み付ける。
小さく息をはいた。強い瞳で俺を見る遥香ちゃんを、机に向かせて、参考書を開いた。
「こんなこと言っちゃあれだけど、俺、この時間でお金もらってんの。遥香ちゃんのご両親に。やるときはやらないと、遥香ちゃんだって困るだろ? 頑張ってうちの高校入るって言ってたじゃん」
「う……」
「やらなきゃいけないことってそのときやらなきゃ絶対後悔するから。だから、遥香ちゃんは後悔しないように今勉強すること。分かった?」
「はーい……」
ため息をつきながら遥香ちゃんはシャーペンを手に取った。
「なんか先生って妙に悟ってるときあるよねー……。ときどきジジくさい」
ジジくさい。
ちょっとしたショックにこけそうになった。
「ねえねえ、そうえば美緒ちゃんとわたしの声、似てた?」
けれど遥香ちゃんはそれに気づきもせず。突然思い出したように顔を上げるとぱあっと顔をきらめかせた。本当にころころ話が変わる。
「……美緒はそんな子どもっぽくなかった」
「えー、先生に言われたくないっ」
ってついさっきジジくさいとか言ってなかったっけ?
はあ、と。遥香ちゃんは頭をおさえ、ため息をついた。ため息をつきたいのはこっちだと。本気で思った。
「それにしても普通だったよね……」
「は?」
「だって、先生の携帯なのに女の子が出たんだよ? 少しでも気にしてたら普通やきもちとかあるでしょうがー」
やれやれと言ったようすで遥香ちゃんは言う。
やきもち……なんて一度も考えたことがなかった。いや、それ以前に美緒が誰かに嫉妬しているところなんて見たことがない気がする。
遥香ちゃんが顔を上げた。俺をじっと見つめ、小さく首を傾げた。
「もしかして、先生の片想い?」
無邪気な顔に、あはっと小さな笑みを浮かべる。
それには、引きつった笑みしか返せなかった。
「せーんせ」
相変わらずのにこやかな笑顔。
「やらなきゃいけないことは、そのときやらなきゃ絶対後悔するんでしょ? わたし、先生にとっての『それ』は今だと思うなあ。だから、頑張ってね!」
よし! と何故か遥香ちゃんが気合いの入った声を上げた。ノートを開き、こちらに顔を向けてきた。
「わたしも応援してるからね」
その声が。
やっぱり、少しだけ。美緒と重なって聞こえた。
中学2年生だという遥香ちゃんは引っ込み思案な子らしく、最初はびくびくしていたけれど、家で飼っている子犬のコロの話になると言葉を思い出したように笑顔になって話し出した。まだ生まれてたった5ヶ月なこと、女の子で種類はマルチーズ、特技はジャンプ――首を傾げるとすっごくかわいいの、と遥香ちゃんは柔らかく目を細めて言った。
2時間の授業が終わったあと、リビングでお茶を飲みながら犬のコロを見せてもらった。小さくて、まるまるとしていて、ちょっと突っついただけで床に転がりそうだった。むちゃくちゃ可愛かった。
「先生、犬好き?」
首を傾げて尋ねてきた遥香ちゃんに俺は笑顔を返した。
「超好き」
そう言うと、遥香ちゃんは照れたように微笑んだ。
わたしも大好き。
そう答えた遥香ちゃんの声が、美緒の声と重なって聞こえた。
案の定、美緒に家庭教師のことを話すと驚かれた。
どうしてそんなこと、と聞かれたので、とっさにパソコン買いたいから、と嘘をついてしまった。美緒の誕生日プレゼントを買いたいからとはさすがに言えない。
「教えられるの?」
不審げに問いかけられて、小さく頷いた。どうやら日頃の勉強の成果はきちんとあらわれているらしく、心配していたほどのことではなかった。見る限り遥香ちゃんにも不満はないと思う。
「生徒さんどんな子なの?」
「うーん……」
少しだけ考え込んでしまった。
「いい子」
まあ、これは確かに事実だ。
他にもいろいろ思うところはあったけれど、俺はそれだけ言うと話を変えた。犬のコロの話をすると美緒は途端に目を輝かせた。
* * *
遥香ちゃんは慣れるとおしゃべりになるらしい。
家庭教師を初めて1ヶ月。あっという間に俺に馴染んだ遥香ちゃんは、遠慮なくいろいろなことを尋ねてきた。
「先生って好きな人いるの?」
いつも通りに授業が終わってリビングでお茶を飲んでいたとき。何でもないように、いや、ものすごく興味深そうに、遥香ちゃんがそう尋ねてきたときには飲んでいたものを吹き出しそうになった。
目の前には遥香ちゃん。その隣には彼女の母親、順子さんが座っていて、こんな状況でこんな問いに答えられるわけがなかった。
「隆太郎くん困ってるじゃない」
くすくすと順子さんがおかしそうに笑いを漏らした。
「いるでしょ、先生、絶対いるでしょー」
けれど遥香ちゃんは自分の母親が言うことなど我関せず、まるで俺の答えが最初から決まっているとばかりになおも問いかけてきた。
「いや、その」
マジで、マジで今は勘弁して。
かなり必死に訴えていたと思う。そんな俺の訴えをくみ取ったのか、遥香ちゃんは少しだけ不満そうな顔をして首を引っ込めた。
「ママがいるからだよ。いいもん、次の授業のとき聞くから」
そう言って、遥香ちゃんはぷくりと頬をふくらませた。
そして予告通り。
1週間後、遥香ちゃんは部屋に入るやいなやそのことを尋ねてきた。答えるまで教科書開かないもん、と両手で参考書を抱きかかえ、授業をボイコットをするほどにかなり強情だった。
「いるんでしょー、わたし分かってるんだからねっ」
なかなか答えない俺にしびれを切らせたのか、やがて遥香ちゃんはむっと顔をしかめ声を強めた。大きくため息をはいた。いるよ、と半ばやけくそ気味に言葉を返した。
すると、今までの機嫌の悪さはどこへ行ったのやら、遥香ちゃんは途端にぱあっと顔を輝かせ、きらきらとした瞳を俺に向けてきた。
「その子、わたしと似てるとこあるでしょ」
目が、点。
その子、わたしと、似てる?
美緒が、遥香ちゃんと似てる。いや、遥香ちゃんが、美緒と似てる?
……似てる。
顔が熱くなった。
「あはは、先生赤くなった」
「言ーうーなー」
あまりの恥ずかしさに声を荒げた。
遥香ちゃんは心底楽しそうにけらけらと笑い声を立てた。お腹を抱え、参考書を机に投げ出し、おそらくその声は下の階まで聞こえていただろう。目には涙を浮かべていた。
「や、やだあ、もーおかしーっ。先生、めっちゃ分かりやすいんだもん、あはは、もーやばいーっ」
ひーひー言いながら遥香ちゃんは机を拳でたたいた。
だめだ、だめ。第1印象完全撤回。遥香ちゃんは引っ込み思案どころかかなり図太い神経をしている。おとなしそうな顔に似合わず、性格は正反対だ。
「ね、ねえ、先生の好きな子とわたし、どこが似てるの?」
目尻の涙をぬぐい、遥香ちゃんはまだ笑いを残した顔を上げた。質問の内容に一瞬言葉を詰まらせたが、ここでまた口をつぐんでも結局は言うはめになることは目に見えていたので、正直に口を開いた。
「声」
「声?」
きょとん、と遥香ちゃんは俺を見上げた。
「あと、後ろ姿……とか、髪型とか、中学んときの美緒見てるみた……」
はっと気が付いたときには遅かった。
目の前には。満面の笑みを浮かべた遥香ちゃんがいた。
「へー、先生の好きな子、『みお』っていうんだ」
「いや、その」
「ふふふー」
そして遥香ちゃんは怪しげな笑みを口元にたたえ、手に持っているものを操作し始めた。スマートフォンだった。しかも、俺の。 本当に、なんでロックをかけておかなかったのかと過去の自分を呪った。
「あったぁ」
「おい、こらっ」
またもや、時、すでに遅し。
遥香ちゃんは取り返そうと手をのばした俺をすり抜け、壁際に身を寄せると、わくわくした表情でスマートフォンを耳に当てた。
唖然。口を半開きにしたまま固まってしまった。電話のコール音が部屋の中に響いた。
『もしもし』
数秒後、プチッとコール音が途切れ、受話器から微かに声が漏れてきた。
聞き慣れた声。美緒の声だ。
表情を固まらせたまま遥香ちゃんを見ると、彼女はにやにやした笑みを浮かべていた。
「あ、もしもし、初めまして」
明るい声で遥香ちゃんは口火を切った。にこにこと。電話向こうまでその表情は伝わるんじゃないかと思うくらいに楽しそうだった。
「わたし、滝口遥香です。えーと、せんせ……隆太郎先生に家庭教師してもらってる……あ、はい。……あ、別にそういうわけじゃないんですけど、美緒さんの話が出て、どんな人かなあって。先生いますよ。なんか固まってるけど」
けらけらと遥香ちゃんは笑った。
「え? そんなことないですよ。すっごく分かりやすく教えてくれるし。あ――」
「もしもし」
めちゃくちゃ不機嫌な声が出た。
遥香ちゃんを見てみれば、携帯を取り上げられたにもかかわらず、未だに楽しそうなようすで俺を見ていた。
一挙一動。携帯を耳に当てる俺の動きをじいっと見つめ、どこか期待を含む眼差しを向けてくる。
『あれ、隆太郎?』
そして受話器の向こうから聞こえてきたのは心底不思議そうな美緒の声。
『さっきの子は?』
「あのな……」
最初の一声がなんでこうなんだ。俺の携帯で、俺じゃなく他のやつが出て、しかもそれが俺が家庭教師をやっている生徒で、なんでこいつはそれを疑問に思わないんだ。
「今、授業中なの。悪いけどもう切るから」
「ええ、なんでーっ」
遥香ちゃんがものすごく不満げに声を上げた。
『あ、そうなの? じゃあこんなことしてる場合じゃないね』
一方美緒の方はといえば大して気にした様子も見せず、あっさりと言葉を返してくる。
『じゃあまた明日。お勉強しーっかり頑張ってくださいね』
「先生冷たーい! さいてーさいてーさいてーっ」
電話を切ると、遥香ちゃんがものすごい三白眼でにじり寄ってきた。どすんっと大きな音を立て椅子に座り、どすどすと床を足で蹴った。
「好きなんでしょ? なんであんなにそっけないのよ! 変変、ぜったいへーん!」
両拳を握って、訴えかけるように俺を睨み付ける。
小さく息をはいた。強い瞳で俺を見る遥香ちゃんを、机に向かせて、参考書を開いた。
「こんなこと言っちゃあれだけど、俺、この時間でお金もらってんの。遥香ちゃんのご両親に。やるときはやらないと、遥香ちゃんだって困るだろ? 頑張ってうちの高校入るって言ってたじゃん」
「う……」
「やらなきゃいけないことってそのときやらなきゃ絶対後悔するから。だから、遥香ちゃんは後悔しないように今勉強すること。分かった?」
「はーい……」
ため息をつきながら遥香ちゃんはシャーペンを手に取った。
「なんか先生って妙に悟ってるときあるよねー……。ときどきジジくさい」
ジジくさい。
ちょっとしたショックにこけそうになった。
「ねえねえ、そうえば美緒ちゃんとわたしの声、似てた?」
けれど遥香ちゃんはそれに気づきもせず。突然思い出したように顔を上げるとぱあっと顔をきらめかせた。本当にころころ話が変わる。
「……美緒はそんな子どもっぽくなかった」
「えー、先生に言われたくないっ」
ってついさっきジジくさいとか言ってなかったっけ?
はあ、と。遥香ちゃんは頭をおさえ、ため息をついた。ため息をつきたいのはこっちだと。本気で思った。
「それにしても普通だったよね……」
「は?」
「だって、先生の携帯なのに女の子が出たんだよ? 少しでも気にしてたら普通やきもちとかあるでしょうがー」
やれやれと言ったようすで遥香ちゃんは言う。
やきもち……なんて一度も考えたことがなかった。いや、それ以前に美緒が誰かに嫉妬しているところなんて見たことがない気がする。
遥香ちゃんが顔を上げた。俺をじっと見つめ、小さく首を傾げた。
「もしかして、先生の片想い?」
無邪気な顔に、あはっと小さな笑みを浮かべる。
それには、引きつった笑みしか返せなかった。
「せーんせ」
相変わらずのにこやかな笑顔。
「やらなきゃいけないことは、そのときやらなきゃ絶対後悔するんでしょ? わたし、先生にとっての『それ』は今だと思うなあ。だから、頑張ってね!」
よし! と何故か遥香ちゃんが気合いの入った声を上げた。ノートを開き、こちらに顔を向けてきた。
「わたしも応援してるからね」
その声が。
やっぱり、少しだけ。美緒と重なって聞こえた。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説

離婚しましょう、私達
光子
恋愛
「離婚しましょう、私達」
私と旦那様の関係は、歪だ。
旦那様は、私を愛していない。だってこの結婚は、私が無理矢理、お金の力を使って手に入れたもの。
だから私は、私から旦那様を解放しようと思った。
「貴女もしつこいですね、離婚はしないと言っているでしょう」
きっと、喜んで頷いてくれると思っていたのに、当の旦那様からは、まさかの拒否。
「私は、もう旦那様が好きじゃないんです」
「では、もう一度好きになって下さい」
私のことなんて好きじゃないはずなのに、どうして、離婚を拒むの? それどころか、どうして執着してくるの? どうして、私を離してくれないの?
「諦めて、俺の妻でいて下さい」
どんな手を使っても手に入れたいと思った旦那様。でも違う、それは違うの、そう思ったのは、私じゃないの。
貴方のことが好きだったのは、私じゃない。
私はただ、貴方の妻に転生してしまっただけなんです!
―――小説の中に転生、最推しヒロインと旦那様の恋を応援するために、喜んで身を引きます! っと思っていたのに、どうしてこんなことになってしまったのか……
不定期更新。
この作品は私の考えた世界の話です。魔法ありの世界です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。
R15です。性的な表現があるので、苦手な方は注意して下さい。

【完結】真実の愛を見つけたから離婚に追放? ありがとうございます! 今すぐに出ていきます!
ゆうき
恋愛
婚約者が長を務める薬師ギルドに勤めていたエリシアは、とある日に婚約者に真実の愛を見つけたからと、婚約破棄とギルドの追放を突きつけられてしまう。
勤務態度と、新しい女性に嫉妬して嫌がらせをしていたという、偽りの理由をでっち上げられてしまったエリシア。
しかし、彼が学生時代から自分を所有物のように扱っていたことや、女癖が悪いこと、そして一人では処理するのは困難な量の仕事を押し付けられていたこともあり、彼を恨んでいたエリシアは、申し出を快く聞き入れた。
散々自分を苦しめてきた婚約者に、いつか復讐してやるという気持ちを胸に、実家に無事に帰ってきたのも束の間、エリシアの元に、とある連絡が届く。それは、学生時代で唯一交流があった、小さな薬師ギルドの長……サイラスからの連絡だった。
サイラスはエリシアを溺愛しており、離婚とギルドを追い出されたのを聞き、とあることを提案する。それは、一緒にギルドで働かないかというものであった。
これは、とある薬師の女性が、溺愛してくれる男性に振り回されながらも、彼と愛を育み、薬師としての目標を叶えるために奮闘する物語。
☆既に完結まで執筆、予約投稿済みです☆

私のことは愛さなくても結構です
毛蟹葵葉
恋愛
サブリナは、聖騎士ジークムントからの婚約の打診の手紙をもらって有頂天になった。
一緒になって喜ぶ父親の姿を見た瞬間に前世の記憶が蘇った。
彼女は、自分が本の世界の中に生まれ変わったことに気がついた。
サブリナは、ジークムントと愛のない結婚をした後に、彼の愛する聖女アルネを嫉妬心の末に殺害しようとする。
いわゆる悪女だった。
サブリナは、ジークムントに首を切り落とされて、彼女の家族は全員死刑となった。
全ての記憶を思い出した後、サブリナは熱を出して寝込んでしまった。
そして、サブリナの妹クラリスが代打としてジークムントの婚約者になってしまう。
主役は、いわゆる悪役の妹です
月が導く異世界道中
あずみ 圭
ファンタジー
月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。
真は商売をしながら少しずつ世界を見聞していく。
彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。
これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。
漫遊編始めました。
外伝的何かとして「月が導く異世界道中extra」も投稿しています。

【完結】私のことが大好きな婚約者さま
咲雪
恋愛
私は、リアーナ・ムスカ侯爵令嬢。第二王子アレンディオ・ルーデンス殿下の婚約者です。アレンディオ殿下の5歳上の第一王子が病に倒れて3年経ちました。アレンディオ殿下を王太子にと推す声が大きくなってきました。王子妃として嫁ぐつもりで婚約したのに、王太子妃なんて聞いてません。悩ましく、鬱鬱した日々。私は一体どうなるの?
・sideリアーナは、王太子妃なんて聞いてない!と悩むところから始まります。
・sideアレンディオは、とにかくアレンディオが頑張る話です。
※番外編含め全28話完結、予約投稿済みです。
※ご都合展開ありです。

無気力系主人公の総受け小説のモブに本物の無気力人間が転生したら
7瀬
BL
むり。だるい。面倒くさい。
が口癖の俺は、気付いたら前世とは全く違う世界線の何処かの国の貴族の子どもに転生していた。貴族にしては貧乏らしいが、前世の生活とは比べものにならない贅沢な生活をダラダラ満喫していたある日、それなりに重大な事実に気づく。どうやらここは姉がご執心だったB小説の中らしい。とはいえモブに過ぎない俺にやることはないし、あったとしても面倒なのでやるはずがないし。そんなこんなで通常運転で無気力に生きていたら何故か主要キャラ達が集まってきて………。恋愛とか無理。だるい。面倒くさい。
✽主人公総受け。固カプあり。(予定)
✽誤字脱字が多く申し訳ありません。ご指摘とても助かります!
アズラエル家の次男は半魔
伊達きよ
BL
魔力の強い子どもが生まれやすいアズラエル家。9人兄弟の長男も三男も四男もその魔力を活かし誉れ高い聖騎士となり、その下の弟達もおそらく優秀な聖騎士になると目されていた。しかし次男のリンダだけは魔力がないため聖騎士となる事が出来ず、職業は家事手伝い。それでもリンダは、いつか聖騎士になり国を守る事を目標に掃除洗濯育児に励んでいた。しかしある時、兄弟の中で自分だけが養子である事を知ってしまう。そして、実の母は人間ではないという、とんでもない事実も。しかもなんと、その魔物とはまさかの「淫魔」。
半端な淫魔の力に目覚めてしまった苦労性のリンダの運命やいかに。
【作品書籍化のため12月13日取下げ予定です】

好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる