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隆太郎サイド STORY.5 目指すもの
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高2になって、俺と美緒は理系に進んだ。
付属校というだけあって、やっぱり周りはのんびりしていた。イベント事も多く、その準備期間という名目で授業がつぶれることはしょっちゅうだった。
こんなふうでも、うちの高校が名門として世間にとおっているのは生徒にきちんとした自主性があるからだと思う。意外な人物の意外なことにびっくりすることなんて日常茶飯事だった。みんなのんびりしているように見えて、するべきことはきちんとこなしているのだ。
そんな中、俺の中では今まで漠然としか見えていなかった将来が明るみに姿を現すようになった。やってみたいこと。夢。ホームルームで配られた進路調査のプリントがきっかけだった。
大学へそのまま進学できるといっても、成績が伴わなければ入りたい学部に入ることはできない。希望の学部、その欄を埋めるとき俺は手を止めてしまった。今のままの成績じゃ到底入れないと自分で理解していたからだった。
「あの紙、全部埋められそう?」
学校帰り、美緒がうちの母と姉に誘われて家に遊びにきたとき、何ともなしに問いかけてきた。あの紙。何のことだと聞き返さなくても進路調査のことだと分かっていた。
あれは予備調査みたいなものだからそれですべてが決まるわけじゃない。まだ自分の中で決まっていないのなら空欄を作ってもいいし、できる限りのことを答えればいいだけのものだった。
「うーん……」
入りたい学部はあった。でも、何故かそのことを美緒に言うことはできなかった。
「分かんないけど……美緒は?」
尋ね返すと美緒も曖昧に首をひねった。
「わたしも微妙かな。入りたい学部、あるにはあるけどそこまでちゃんと考えたことなかったし。まだ高2だし決めるのはもう少しあとでもいいかなあなんて思ってたけど、うちの学校ってほんとやること早いよね」
「え、なになに美緒、もう進路とか考えてるのー?」
今までどこにいたんだか、突然姉が割り込んできた。ソファーに座っている美緒の隣に割り込み、彼女の顔を覗き込んだ。
「うーん……なんか学校でね、そういう調査があったの。だから今ちょっと悩み中なんだけど……」
「へー、やっぱ頭のいい学校は違うわねえ。わたしなんか学部どころか行きたい大学ちゃんと決めたの、高3の夏」
あはは、と姉は笑った。
「だから別に急がなくてもいいんじゃないの?」
「うん、まあ本格的な調査じゃないからね。ただ学校が今後の参考にしたいみたい」
ふーん、と感心したようにつぶやく姉を俺はじっと見つめていた。あんなに遊んでおいて、この姉は第1志望の大学を現役で合格し、今年から無事大学生になったのだ。世の中不条理というか、なんというか。そんなことを考えていたらばちりと姉と目が合った。
「にしても隆ちゃんってほんと何も話さないわよねえ。そんな調査があるなんてお母さんも知らないんじゃないの?」
「別にいちいち言うことでもないだろ」
どこか不満そうな姉に、俺はぶっきらぼうに答えた。
それをやりたいと思うこと、夢を持つことは自由だ。でも、それに実力が伴っていない場合そんなに軽々しく口に出すことはできない。人によるんだろうけれど、少なくとも俺はそうだった。
「でもね、聞いてよ、美緒」
俺の言葉に姉は不平たらたらの顔をしていたが、突然美緒に向かって話を切り出した。
「隆ちゃんって話すことといえば美緒のことかバスケのことばっかなんだよ。可愛い子いないの? って聞いても知らねえっていつも言うだけで、ちょっと男としてどうかしてると思わない? 美緒だってかっこいいなあって思う男子くらいいるでしょ?」
美緒に問いかけて、姉はにやにやとした笑みを俺に向けた。
なんつー奴だ。美緒のことが好きだと姉に言ったことはないが、当たり前のようにもうずいぶん前からばればれなんだろう。確かに俺は何かしら美緒を姉との引き合いにだしてしまうし、毎日の中で美緒の名前が出なかった日は一度もないのかもしれない。
「いないの?」
姉に再度問いかけられて、美緒はその頬を少し赤くした。途端胸にどす黒い感情がわき上がってくる。誰のことを考えているのか、今、何を思っているのか。
「……俺、佐藤のこと諦めないから」
あのあと、呆然としている俺に、孝明は掠れた声で、それでもはっきりとそう言い切った。
佐藤。
その、今までとは違う呼び方が、孝明の本気を表しているように感じた。もう孝明の中で美緒は『ミオちゃん』ではないのだと、それが痛いほどに伝わってきた。
「ほんと、ごめん……」
あれは何に対する謝罪だったのだろう。
俺の気持ちを知っていて、それでも孝明が美緒を好きになったことだろうか。
でもそれは違う。孝明の中で、あの『ごめん』はそういう意味だったのだろうけれど、俺が美緒を好きだからといって孝明が美緒を好きになってはいけないという理由はない。
美緒が好き。これだけが真実なのに、どうして人の心は物事を複雑にするんだろう。
孝明は大切な友達だ。でも美緒だけは譲れない。
何があっても、美緒だけは絶対に渡したくない。
「……恨みっこなしだぞ」
俺に孝明を止める権利なんてなかった。
すると、目の前の友人は幾分力無く笑った。
「友達やめるって言わないんだ」
どこか自嘲気味な物言いだった。俺は眉をひそめ、額に手をやり押し黙る孝明の姿を見つめた。
「何言ってんだよ」
「いや……」
「お前の中の俺、どんだけ幼稚なわけ」
少し呆れ気味な声を出すと、孝明は俺の顔を見て、ふっと笑った。
「そうだな」
おかしそうに目尻を緩めた孝明は苦笑いを浮かべた。
「中学んとき、あまりに隆太郎が『ミオちゃん馬鹿』だったからそれもありかなと思っただけ。って今もか」
「お前な……」
心底呆れた声を出した。けれど、孝明はそんな俺に安心した表情を見せ、やっとちゃんとした笑顔を作った。
「でも、ほんと安心した。お前、やっぱいい奴だな」
「ばーか」
本当に孝明は馬鹿だ。俺は、全然いい奴なんかじゃない。
今だって、俺は目の前のソファーに座っている美緒を見つめながら、孝明に醜い感情を抱いている。
もし、美緒の思っている人物が孝明だったら。
俺はどうするんだろう。本当に、孝明を恨まないでいられるんだろうか。
「ゆりちゃんはいるの?」
恥ずかしそうに、美緒が姉に問い返した。誤魔化すように笑う美緒。その心の中を覗いてみたい気もするし、怖い気もする。
「あ、ちょっと美緒誤魔化すのね」
「だ、だってわたしはいないもん」
「いないー?」
嘘でしょ、と問いつめる姉に美緒は本当だと何度も繰り返した。
「ほんとなのー? うーん、そっか、まあ、じゃあね」
姉はにんまりとした笑みを浮かべると、美緒の耳元にそっと口を寄せた。最近化粧を始めた姉の、グロスをぬった唇が動く。俺はそれをじっと見つめていたが、何を言っているのかはまったく分からなかった。
「ね、いい案でしょ?」
そう言った姉の隣で、美緒は顔を真っ赤にしていた。姉はそれを面白そうに見つめながら、意地悪く美緒の頬をつまんで横に引っ張った。
「あはは、顔真っ赤」
これは完全に遊ばれている。
楽しそうな姉。顔を真っ赤にしている美緒。
俺は思わず苦笑を漏らして、その平和ともいえる光景に瞳を細めた。
進路調査書の空欄。提出する日の前日、俺はそこを埋めた。
書いたからには自分にその意志があるという責任が生まれるだろう。それを良い戒めにして、これから勉強を頑張ればいい。
目的があるということはある種人生に光を与えてくれるようなものだと思う。思った通りには進めないかもしれないけれど、前方には光で照らされた道があり、目指すものに向かって歩いていくことができるのだ。
できれば、美緒も俺の未来にいてほしい。道の先々で現れるであろう高い壁を美緒となら越えていける気がする。
俺の未来に彼女が必要なように、美緒も俺を必要としてくれないだろうか。
「あ、隆太郎。今日委員会入ってるの。だからちょっとそっちより遅くなるかもしれない」
朝のホームルームが終わった直後、美緒がそう話しかけてきた。美緒は図書委員に2年連続で入り、今は副委員長だ。帰り際いろいろと雑用を頼まれることがあるらしく俺より終わるのが遅くなるときがある。
「……分かった」
こういう日は、馬鹿みたいに部活に打ち込むことになる。孝明と、美緒のことを考えないようにするために。
きっと今日の部活に孝明は来ないだろう。絶対に部活を休まないあいつがそれを休むとき、それは月に1回ある委員会のときだ。いつか、見たことがあった。体育館外の水道で水を浴びているとき、すぐ近くの渡り廊下を美緒と孝明が歩いていった。図書委員で何か教師に頼まれたのだと思う。手には紙袋を持っていた。
あのときの孝明の表情は今でもずっと忘れられない。
笑顔で話す美緒に向ける優しそうな瞳、幸せそうな笑顔は、俺の心を強く揺さぶった。
あんな孝明は知らない。俺の知っている孝明じゃない――。
そのとき改めて俺は思い知らされたのだ。孝明は本当に美緒が好きなのだと、俺の気持ちを知っていてもなお、諦めない、そう言い切った孝明の切ないくらいの気持ちをもう一度思い知らされた。
「……あ、あとわたし今日そっち泊まるから、夕飯のおかず買ってきてって隆太郎ママに頼まれた。帰り、スーパー寄ってね」
俺がそんなことを考えているとはつゆ知らず、美緒は笑顔でそう言葉を続けた。それには当然驚き、変な声を上げてしまった。
「お前、朝何も言ってなかったじゃん」
「うん、だって決まったのさっきだもん。ゆりちゃんからメール来て、この前行ったヨーロッパ旅行の写真できあがったんだって。すーっごい見たいじゃない。あー今日の夜が楽しみーっ」
語尾にハートが付きそうな勢いだった。
ヨーロッパ旅行。聞いて呆れた。それは姉が大学合格祝いに2週間ほどかけて友人と行ったものだった。
美緒は写真がものすごく好きだ。見るのも好きだし撮るのも好きだ。どこか行くたびに記念だと言って写真を撮りまくるから、彼女の部屋にはアルバムが山ほどある。ときどきそれを見ると、やっぱり俺の姿はそこら中に映っていて、自分でも恥ずかしくなるくらいだった。
「……分かった」
ため息をつきつつ言葉を返した。
美緒がうちに来るのは素直に嬉しい。けれど、やっぱり嬉しいの他にいろいろ問題はあるわけで。
俺は。
いつか、この生殺し状態から解放される日はやって来るんだろうか。
付属校というだけあって、やっぱり周りはのんびりしていた。イベント事も多く、その準備期間という名目で授業がつぶれることはしょっちゅうだった。
こんなふうでも、うちの高校が名門として世間にとおっているのは生徒にきちんとした自主性があるからだと思う。意外な人物の意外なことにびっくりすることなんて日常茶飯事だった。みんなのんびりしているように見えて、するべきことはきちんとこなしているのだ。
そんな中、俺の中では今まで漠然としか見えていなかった将来が明るみに姿を現すようになった。やってみたいこと。夢。ホームルームで配られた進路調査のプリントがきっかけだった。
大学へそのまま進学できるといっても、成績が伴わなければ入りたい学部に入ることはできない。希望の学部、その欄を埋めるとき俺は手を止めてしまった。今のままの成績じゃ到底入れないと自分で理解していたからだった。
「あの紙、全部埋められそう?」
学校帰り、美緒がうちの母と姉に誘われて家に遊びにきたとき、何ともなしに問いかけてきた。あの紙。何のことだと聞き返さなくても進路調査のことだと分かっていた。
あれは予備調査みたいなものだからそれですべてが決まるわけじゃない。まだ自分の中で決まっていないのなら空欄を作ってもいいし、できる限りのことを答えればいいだけのものだった。
「うーん……」
入りたい学部はあった。でも、何故かそのことを美緒に言うことはできなかった。
「分かんないけど……美緒は?」
尋ね返すと美緒も曖昧に首をひねった。
「わたしも微妙かな。入りたい学部、あるにはあるけどそこまでちゃんと考えたことなかったし。まだ高2だし決めるのはもう少しあとでもいいかなあなんて思ってたけど、うちの学校ってほんとやること早いよね」
「え、なになに美緒、もう進路とか考えてるのー?」
今までどこにいたんだか、突然姉が割り込んできた。ソファーに座っている美緒の隣に割り込み、彼女の顔を覗き込んだ。
「うーん……なんか学校でね、そういう調査があったの。だから今ちょっと悩み中なんだけど……」
「へー、やっぱ頭のいい学校は違うわねえ。わたしなんか学部どころか行きたい大学ちゃんと決めたの、高3の夏」
あはは、と姉は笑った。
「だから別に急がなくてもいいんじゃないの?」
「うん、まあ本格的な調査じゃないからね。ただ学校が今後の参考にしたいみたい」
ふーん、と感心したようにつぶやく姉を俺はじっと見つめていた。あんなに遊んでおいて、この姉は第1志望の大学を現役で合格し、今年から無事大学生になったのだ。世の中不条理というか、なんというか。そんなことを考えていたらばちりと姉と目が合った。
「にしても隆ちゃんってほんと何も話さないわよねえ。そんな調査があるなんてお母さんも知らないんじゃないの?」
「別にいちいち言うことでもないだろ」
どこか不満そうな姉に、俺はぶっきらぼうに答えた。
それをやりたいと思うこと、夢を持つことは自由だ。でも、それに実力が伴っていない場合そんなに軽々しく口に出すことはできない。人によるんだろうけれど、少なくとも俺はそうだった。
「でもね、聞いてよ、美緒」
俺の言葉に姉は不平たらたらの顔をしていたが、突然美緒に向かって話を切り出した。
「隆ちゃんって話すことといえば美緒のことかバスケのことばっかなんだよ。可愛い子いないの? って聞いても知らねえっていつも言うだけで、ちょっと男としてどうかしてると思わない? 美緒だってかっこいいなあって思う男子くらいいるでしょ?」
美緒に問いかけて、姉はにやにやとした笑みを俺に向けた。
なんつー奴だ。美緒のことが好きだと姉に言ったことはないが、当たり前のようにもうずいぶん前からばればれなんだろう。確かに俺は何かしら美緒を姉との引き合いにだしてしまうし、毎日の中で美緒の名前が出なかった日は一度もないのかもしれない。
「いないの?」
姉に再度問いかけられて、美緒はその頬を少し赤くした。途端胸にどす黒い感情がわき上がってくる。誰のことを考えているのか、今、何を思っているのか。
「……俺、佐藤のこと諦めないから」
あのあと、呆然としている俺に、孝明は掠れた声で、それでもはっきりとそう言い切った。
佐藤。
その、今までとは違う呼び方が、孝明の本気を表しているように感じた。もう孝明の中で美緒は『ミオちゃん』ではないのだと、それが痛いほどに伝わってきた。
「ほんと、ごめん……」
あれは何に対する謝罪だったのだろう。
俺の気持ちを知っていて、それでも孝明が美緒を好きになったことだろうか。
でもそれは違う。孝明の中で、あの『ごめん』はそういう意味だったのだろうけれど、俺が美緒を好きだからといって孝明が美緒を好きになってはいけないという理由はない。
美緒が好き。これだけが真実なのに、どうして人の心は物事を複雑にするんだろう。
孝明は大切な友達だ。でも美緒だけは譲れない。
何があっても、美緒だけは絶対に渡したくない。
「……恨みっこなしだぞ」
俺に孝明を止める権利なんてなかった。
すると、目の前の友人は幾分力無く笑った。
「友達やめるって言わないんだ」
どこか自嘲気味な物言いだった。俺は眉をひそめ、額に手をやり押し黙る孝明の姿を見つめた。
「何言ってんだよ」
「いや……」
「お前の中の俺、どんだけ幼稚なわけ」
少し呆れ気味な声を出すと、孝明は俺の顔を見て、ふっと笑った。
「そうだな」
おかしそうに目尻を緩めた孝明は苦笑いを浮かべた。
「中学んとき、あまりに隆太郎が『ミオちゃん馬鹿』だったからそれもありかなと思っただけ。って今もか」
「お前な……」
心底呆れた声を出した。けれど、孝明はそんな俺に安心した表情を見せ、やっとちゃんとした笑顔を作った。
「でも、ほんと安心した。お前、やっぱいい奴だな」
「ばーか」
本当に孝明は馬鹿だ。俺は、全然いい奴なんかじゃない。
今だって、俺は目の前のソファーに座っている美緒を見つめながら、孝明に醜い感情を抱いている。
もし、美緒の思っている人物が孝明だったら。
俺はどうするんだろう。本当に、孝明を恨まないでいられるんだろうか。
「ゆりちゃんはいるの?」
恥ずかしそうに、美緒が姉に問い返した。誤魔化すように笑う美緒。その心の中を覗いてみたい気もするし、怖い気もする。
「あ、ちょっと美緒誤魔化すのね」
「だ、だってわたしはいないもん」
「いないー?」
嘘でしょ、と問いつめる姉に美緒は本当だと何度も繰り返した。
「ほんとなのー? うーん、そっか、まあ、じゃあね」
姉はにんまりとした笑みを浮かべると、美緒の耳元にそっと口を寄せた。最近化粧を始めた姉の、グロスをぬった唇が動く。俺はそれをじっと見つめていたが、何を言っているのかはまったく分からなかった。
「ね、いい案でしょ?」
そう言った姉の隣で、美緒は顔を真っ赤にしていた。姉はそれを面白そうに見つめながら、意地悪く美緒の頬をつまんで横に引っ張った。
「あはは、顔真っ赤」
これは完全に遊ばれている。
楽しそうな姉。顔を真っ赤にしている美緒。
俺は思わず苦笑を漏らして、その平和ともいえる光景に瞳を細めた。
進路調査書の空欄。提出する日の前日、俺はそこを埋めた。
書いたからには自分にその意志があるという責任が生まれるだろう。それを良い戒めにして、これから勉強を頑張ればいい。
目的があるということはある種人生に光を与えてくれるようなものだと思う。思った通りには進めないかもしれないけれど、前方には光で照らされた道があり、目指すものに向かって歩いていくことができるのだ。
できれば、美緒も俺の未来にいてほしい。道の先々で現れるであろう高い壁を美緒となら越えていける気がする。
俺の未来に彼女が必要なように、美緒も俺を必要としてくれないだろうか。
「あ、隆太郎。今日委員会入ってるの。だからちょっとそっちより遅くなるかもしれない」
朝のホームルームが終わった直後、美緒がそう話しかけてきた。美緒は図書委員に2年連続で入り、今は副委員長だ。帰り際いろいろと雑用を頼まれることがあるらしく俺より終わるのが遅くなるときがある。
「……分かった」
こういう日は、馬鹿みたいに部活に打ち込むことになる。孝明と、美緒のことを考えないようにするために。
きっと今日の部活に孝明は来ないだろう。絶対に部活を休まないあいつがそれを休むとき、それは月に1回ある委員会のときだ。いつか、見たことがあった。体育館外の水道で水を浴びているとき、すぐ近くの渡り廊下を美緒と孝明が歩いていった。図書委員で何か教師に頼まれたのだと思う。手には紙袋を持っていた。
あのときの孝明の表情は今でもずっと忘れられない。
笑顔で話す美緒に向ける優しそうな瞳、幸せそうな笑顔は、俺の心を強く揺さぶった。
あんな孝明は知らない。俺の知っている孝明じゃない――。
そのとき改めて俺は思い知らされたのだ。孝明は本当に美緒が好きなのだと、俺の気持ちを知っていてもなお、諦めない、そう言い切った孝明の切ないくらいの気持ちをもう一度思い知らされた。
「……あ、あとわたし今日そっち泊まるから、夕飯のおかず買ってきてって隆太郎ママに頼まれた。帰り、スーパー寄ってね」
俺がそんなことを考えているとはつゆ知らず、美緒は笑顔でそう言葉を続けた。それには当然驚き、変な声を上げてしまった。
「お前、朝何も言ってなかったじゃん」
「うん、だって決まったのさっきだもん。ゆりちゃんからメール来て、この前行ったヨーロッパ旅行の写真できあがったんだって。すーっごい見たいじゃない。あー今日の夜が楽しみーっ」
語尾にハートが付きそうな勢いだった。
ヨーロッパ旅行。聞いて呆れた。それは姉が大学合格祝いに2週間ほどかけて友人と行ったものだった。
美緒は写真がものすごく好きだ。見るのも好きだし撮るのも好きだ。どこか行くたびに記念だと言って写真を撮りまくるから、彼女の部屋にはアルバムが山ほどある。ときどきそれを見ると、やっぱり俺の姿はそこら中に映っていて、自分でも恥ずかしくなるくらいだった。
「……分かった」
ため息をつきつつ言葉を返した。
美緒がうちに来るのは素直に嬉しい。けれど、やっぱり嬉しいの他にいろいろ問題はあるわけで。
俺は。
いつか、この生殺し状態から解放される日はやって来るんだろうか。
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