王子様な彼

nonnbirihimawari

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隆太郎サイド STORY.3 側にいたい

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 飯嶋、という男は、美緒の言ったとおり本当にすごく優しい奴らしかった。
 初めてのホームルームで早速学級委員に推薦され、ほとんど満場一致で決定したあとはクラスのまとめ役になった。見ていれば、女子も男子も何かと飯嶋を頼っていた。係りの仕事で分からないところがあったり、勉強で分からないところがあったりしたらすぐさまそいつのもとへ出向き、それを飯嶋は嫌な顔ひとつせず丁寧に答えていた。
 つまりは。
 優しくないのは俺にだけだということだ。
 表だって何もしないものの、飯嶋はやっぱり何かと俺を睨んできた。俺は俺で奴を牽制するためにしょっちゅう美緒と一緒にいたから、それも余計に怒りを増幅させていたのだろう。
 美緒と飯嶋が言葉を交わすことは結構あった。声を掛けるのは飯嶋からだったり美緒からだったり、どちらとも望んではいなかったが、飯嶋からの方が多いことに俺は情けない救いを抱いていた。
 飯嶋の想いはあからさまだと言えた。
 奴は、男女ともに仲がいいように見えたが、男子には自分から話しかけても女子のところへ自ら行くということはなかった。女子に話しかけるときは大体が事務的なことだけで、それ以外のことは一切なし。それが美緒だけに違う。誰の目から見てもそれはあきらかだった。気づいていないのは美緒本人ばかりといえたかもしれない。
 飯嶋のことはものすごく気になったが、特に何事もなく時は平凡に流れていった。
 そして、刻々と迫ってくるものは、考えるだけで心を重くする高校受験だった。
 あれから変わらず塾に通い続け、もがきながらも主要3科目を勉強し続けてきた俺は、中3の夏の時点でB判定をもらっていた。過去の成績を振り返れば最高の出来だ。けれど、受験が目先4ヶ月に近づいてきているというのに、一度もA判定を取ったことがないのは俺を少し焦らせていた。
「やれるだけやればそれでいいじゃない。隆ちゃんは受かるとか落ちるとか考えすぎなのよ」
 夜中過ぎまで勉強している俺に、姉はよくそう言ってきた。
「美緒と同じところに入れなかったからって、あの子、隆ちゃんから離れてくとかないと思うよ? 家も近いんだし」
 それは分かっていた。
 でも、それじゃあ俺が満足できないのだ。
 美緒の側にいたい。笑ったり、泣いたり、怒ったり、すべての時間を彼女と共有したいのだ。
「受かんなきゃ意味ないの」
 そう言って机にかじり付く俺に、姉は複雑そうに吐息をはきだしていた。
 姉はきっと俺を心配してくれていたんだと思う。幼い頃からよくいじめられていたものの、やっぱり姉は姉なりに俺のことをよく考えていてくれたから。
「あんまり煮詰めちゃだめよ。てきとうに気を抜いてやった方がうまくいくんだから」
「うん」
 こんなに勉強を頑張ることなんて、人生のうちのほんのちょっとの時間だけだ。それなら悔いの残らないようにやりたい。あとでもっとやっておけば良かったなんて絶対に思いたくない。
 後悔だけは、何があっても絶対にしたくなかった。

 そんな中、美緒と過ごす日々は変わらず穏やかで優しかった。受験なんて悪雲はどこ吹く風、春のような美緒の柔らかい笑顔に何度となく励まされたことだろう。
「大丈夫だよ」
 根拠もなくそう言い切る彼女に俺は笑顔で答えた。美緒の笑顔だけが、唯一の安らぎの場だった。

*    *    *

 クリスマスも大晦日も正月も疾風のごとく過ぎ去り、気が付けば本命受験の日が目前に迫っていた。
 試験直前期は、ひたすら英語の単語帳と睨めっこをしていた。運命の日まではあと3日とちょっとだった。

 試験当日。
 外の空気は身を凍らすほどに冷たかった。キーンとした耳の痛みを堪えながら、俺はもう目をつむってでも歩けるであろう美緒の家までの道のりを進んでいた。
 美緒はいつもと違い、彼女の母親と一緒に家の前で俺のことを待っていた。両手には手袋、分厚いコートをしっかりと羽織って、首にはマフラーを巻き付けていた。
「おはよ」
 鼻の頭を赤くさせて、美緒は俺を見た。
「とうとう来ちゃったね」
「ああ」
 早く終わらせたいと思っていた試験の日。
 この日を待ち望んでいたはずなのに、今日で終わってしまうかと思うと少し寂しい気もした。
「2人とも頑張ってね」
 美緒の母親に見送られながら、俺と美緒は地元の駅へと歩き始めた。

 試験は思ったより緊張しなかった。始まるまでは全部解けなかったらどうしようだとかそんなことばかり考えていたが、いざ始まってみると心は平穏を取り戻していった。
 国、数、英、すべて80分ずつ。記号問題がほとんどなしの解答用紙は走らせるシャーペンによって答えで埋まっていった。

「どうだった?」
 帰り道、模試の時と変わらず、美緒はおそるおそるといったようすで俺に尋ねてきた。
「まあまあ。結構できたと思うけど分かんない。美緒は?」
「分かんない……けど、いつも通りできたと思う」
「そっか」
 美緒のいつも通りはかなりできたということだ。俺はほっとして息をついた。
 俺自身、試験は思ったよりも好調で結構満足していた。これだったらいけるかもしれない。いや、受からなきゃ困るんだけど、まあ心配で夜眠れないというのはなさそうだ。
 結果発表は2日後だった。

 その日の朝も、葉にのる露が凍ってしまうほどに冷えていた。はきだした息は白い煙となり乾いた空気に溶けていった。美緒は試験日と変わらず寒さに対する完全防備を施して家の前に立っていた。
「美緒、大丈夫だって」
 ただあの日と違うことは、美緒が極度に緊張しているということだった。
「だめえぇ、なんで隆太郎、そんな落ち着いてられるの」
 ううう、と言いながら美緒は俺の腕にしがみついてきた。駅を下りて高校へ向かう段階になるとそれはますます強くなり、俺の腕はちょっと痛いほどだった。
「美緒は大丈夫だよ。俺は分かんないけど」
「えええぇ」
 励ましたつもりだったのに、ますます美緒は悲惨な声を上げた。
「隆太郎と一緒じゃなきゃやだよ。もう、そんなこと言わないでっ」
 どうやら彼女が心配していたのは自分のことではなく俺のことだったらしい。結構失礼な奴だ。
「俺だって美緒と一緒じゃなきゃやだよ」
 だから、これまでずっと頑張ってきたんだ。
 美緒の頭をなでると、彼女はうん、と小さく頷いた。

 結果発表の掲示板は校門を入ってすぐのところにあった。
 今張り出されたばかりらしく、その前にはたくさんの人だかりができていて、割り込んでいくには難しいように見えた。
「あ」
 そんなときふと目が合った人物がいた。相手の方も俺に気が付いて、少し驚いたように目を見開いた。
「隆太郎じゃん」
 孝明はにこやかな笑顔とともにこちらへ近付いてきた。
「今来たばっか? もう見た? ……あ」
 そして美緒を見つめた。美緒は不思議そうに孝明を見つめ返し、俺の腕にしがみついているのに気が付いた途端恥ずかしそうにぱっと腕を解いた。
「今来たとこ。まだ見てない」
 孝明の問いに答えて、俺はそのまま言葉を続けた。
「えー、こいつ、俺の幼馴染」
 一応紹介しておかないと変かな、と思いそう言うと、案の定俺のしらじらしさがおかしかったのか孝明は小さく吹き出した。それをしっかりとにらみ返してから、今度は顔を美緒に向けた。
「こいつ、塾が同じだった日詰孝明」
「佐藤美緒です」
 俺の言葉に促されるように、美緒は小さく孝明に会釈した。
「あー、日詰孝明です。よろしく」
 それに、孝明は何だか照れたように頬をかく。
「お前は? もう見たの?」
 そんな孝明のようすは気にしないことにして、俺は少し気になっていたことを問いかけた。
「うん」
 頷いた孝明は嬉しそうに微笑んでいた。それで合格したんだと確信した俺は、つられるように笑顔になった。
「おめでと」
「サンキュ。お前も分かったら教えろよな」
 手に持っていた携帯を孝明は軽く振った。
「じゃ、俺は連れが待ってるから。絶対連絡しろよ」
「ああ」
 孝明の背中を見送りながら、俺は美緒の手をぎゅっと握った。顔を上げた美緒がこちらを見て、俺はその手を少し引いた。
「俺たちも見に行こっか」
「……うん」
 どこか決心したような顔で美緒は頷いた。

*    *    *

「あ、受かってる」
 実にあっさりとしたつぶやきだった。自分の番号を掲示板に見つけた俺は、隣で息を呑んだ美緒に抱き付かれるまでその場で呆然としていた。
「りゅ、隆太郎っ。受かってるよー、わたしも隆太郎も! やったー!」
 美緒は人目もはばからず、勢いよく俺に飛びついてきた。意識の半分が向こうの世界をさまよっていた俺は、突然のそれに対応できず、少し身体をよろめかせてしまった。
「良かったあ、ほんとに良かったよお。すっごい嬉しい。高校もまた隆太郎と一緒なんだよね」
「お、おい、美緒……」
 気付けば美緒はぽろぽろと涙を流していた。抱き付いたまま俺の胸に額を押しつけ、小さくしゃっくりを上げていた。
「泣くなよ」
 何が苦手って、美緒が泣いているのを見るのが一番苦手だ。俺まで悲しくなってしまい胸がぎゅうっと苦しくなる。
「う、嬉し泣きだもん」
 それは、分かってはいるけれど。たとえ嬉し泣きだとしても、苦手なものは苦手だった。
「隆太郎は嬉しくないの?」
 涙声でそんなことを言う美緒に、俺は幾分驚いて声を上げた。
「嬉しいに決まってんだろ」
「ほんと?」
「うん」
 美緒が顔を上げた。目を真っ赤にさせこちらを見上げるその姿に、胸の奥がずーんと高鳴った。
 受かったんだ。
 この日を実現するために、ずっとずっと頑張ってきたことが今叶ったんだ。
 これからも美緒と一緒の時を過ごすことができて、側にいることができる――。

 やっと、今の現実を信じることができた。

「最高!」
 たまらなくなって美緒を抱きしめた。この1年半必死で頑張ってきたことが報われた。
 美緒は俺の腕の中でまだぐすぐすと鼻をすすっていたけれど、そんなことに気が回らないくらい俺は浮かれきっていた。
 美緒が好きだ。これからも側にいることができる。
 こんな幸せなことって他にない。

 このとき、俺は、決して手の届かない空にも飛び立っていけるような気がした。
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