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隆太郎サイド STORY.2 守る力
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自分の気持ちを理解しても、それを美緒に伝えるということはしなかった。伝えたところで今の状態じゃどうにもならないと思ったからだ。
まずは、美緒に俺と同じ気持ちがあるかどうかだった。好いてくれているとは思う。これまでずっと一緒にいたわけだし、他の男よりは上の位置にいることは確かだ。
けれど、それを男女間の恋だとか愛だとかに置き換えるにはまだ早いような気がした。美緒が俺へ向ける笑顔はどこまでも純粋だった。俺の心の奥底にある醜い感情なんて彼女には微塵もないような気がした。
嬉しいことに、中2のクラス替えは美緒と同じクラスになることができた。6分の1とかなりの低い可能性だったので半分諦めかけていたが、案外運はあるらしい。しかもあの飯嶋ともクラスが離れて万々歳だ。
「また同じクラスになったね」
始業式の帰り道、美緒の言葉に俺は顔を綻ばした。
「まったく、隆太郎宿題ちゃんとやってきてよ。毎回見せるのは嫌ですからね」
彼女の口から漏れる内容は憎ったらしいものばかりだったけれど。
嫌々そうな顔をしつつも、目が嬉しそうに笑っているのが見て取れて、俺はそれだけで十分だった。
それからも俺たちの関係は相変わらずで、季節は順調にときを巡っていった。
中2の夏休み。そろそろ受験を意識する季節になり、俺は大きなひとつの壁にぶつかった。
高校をどうするかだ。
美緒と同じ高校に入りたいのは山々だった。それならそうすればいい。けれど、問題は俺の学力レベルが彼女のものに対して劣っているということだった。
「高校、どこ受ける?」
緊張を交えながらも問うと、美緒は迷うことなく高校名を口にした。そこは結構……いや、かなりレベルの高い私立高で、受かればそのまま大学へ上がれる付属校だった。
「……隆太郎は?」
少し不安げに尋ねてきた美緒に、俺は少し考えながら決心を口にした。
「俺も、そこ受ける」
その日の帰宅後、すぐに俺はそのことを両親に話した。母親はレベルの高い高校ということに素直に歓喜し、父親には大丈夫かと心配された。姉には心底びっくりたまげられてそのあと大笑いされた。
「隆ちゃんにちょっとそれは敷居高いんじゃなーい?」
けらけら笑う姉にむっとすると、横から割り込んできた母が俺の肩に手を置いた。
「大丈夫よね? 隆太郎はやるときはやるもの。そ、れ、に。美緒ちゃんがいるものね?」
「みーお?」
不思議そうに首を傾げた姉に、母は楽しそうな笑顔を作った。
「美緒ちゃんも受けるのよねえ?」
いたずらっ子のような母の瞳。途端姉は納得したように頷いた。
「なーんだ、そっか」
うんうん、と何度も首を縦に振る。
「美緒も受けるのか。隆ちゃん急に学問に目覚めちゃったのかと思ったわよ」
「ねえ」
「ねえ」
にっこーりと嫌みなくらいに2人は顔を見合わせて笑んだ。
「ほんと、美緒ちゃんには感謝しなきゃ」
「そうそう、美緒のおかげだよね、隆ちゃんがまともでいられるの」
「うるせー……」
すっかりその会話から除け者にされていた俺は、意味もなく付けっぱなしにされているテレビを睨み付けながらつぶやいた。
思い立ったが吉日。俺はすぐに評判の良い塾に手続きをしにいった。授業が始まるのは夜7時半から。美緒と過ごす時間に何も支障はなかったから本当にすぐさま入塾した。
授業は月、水、金の3回。科目は英数国と主要科目だけだった。
塾に入ったことを美緒に告げると、彼女はもともと大きな瞳をもっとまん丸にして、これ以上ないくらいに驚いた。
「隆太郎が、塾?」
あまりの衝撃だったのか、美緒は声をひっくり返らせた。
「な……なんで?」
「塾でも入んきゃ、俺高校受かんねーもん」
「そっ、か……」
驚きを継続させつつも、美緒は俺の言葉に納得したようすをみせた。無茶苦茶微妙な心境だった。確かに俺は美緒より頭は悪いけれど、普通よりはまあまあ上の位置にいるはずだ。
「頑張ってね?」
「当たり前だろ。お前も俺に抜かされないように頑張れよ」
2人で合格しなきゃ意味がない。
うん、と頷いた美緒が可愛くて、俺はたまらず彼女の髪をくしゃくしゃと撫でた。
* * *
それから俺はめちゃくちゃ必死に勉強をした。受験まで1年半ほどあったけれど高校が高校だ。ただでさえ頭の良い奴ばかりが集まるというのに、俺みたいな普通の奴がのんびりしていられるわけがなかった。
塾に入ってひとつだけいいことがあった。気の合う友人ができたということだ。そいつ――日詰孝明は俺と同じ志望校で、バスケ好きな良い奴だった。
「ミオちゃんの写真、今度見せろよ」
そして何より。
美緒のことを話せる初めての相手でもあった。
孝明と美緒は面識がない、そのことが俺の口をよくしゃべらせる要因になったのだと思う。孝明が面白がって聞きたがったということもあるが、俺は美緒のことをよく話した。
「俺もミオちゃんみたいな幼馴染ほしかったなあ」
そして話せば話すほど、孝明はそんな言葉をつぶやいた。写真を見せれば可愛いと素直に言った。他のやつがそんなことを言ったらむかついてぶんなぐりたくなっただろうけれど、美緒と直接会ったことのない孝明にはそれを許せた。むしろ美緒がいかに可愛いかを自慢したいくらいだった。
「俺も幼馴染いるけど、あんま何も思ったことないな。可愛いっちゃあ可愛いけど、年下だし髪短いんだよな」
髪の長さ、は孝明にとって重要事項らしい。
将来はプロの美容師になりたいと言っていた。けれどあいにく両親にそろって反対されているらしく、専門学校に行くことは叶わないようだった。高校にここを選んだのはそれが親の条件だったらしい。有名高校にちゃんと合格できたらそのやる気を見込んで考えてやると言われたそうだ。
「髪の長さってそんな重要?」
尋ねると孝明は即答した。
「当たり前だろ。そりゃ別に短くたっていいけど、長い方がいじり甲斐あるし。それに俺は長い髪の子の方が好みなの」
「へえ」
俺は、美緒が美緒だったら何だっていいんだけど。
そんなことをぽつりとつぶやいたら、いつもはそこまで呆れない孝明もげっそりとした表情を作った。
「隆太郎はミオちゃん馬鹿すぎる」
苦々しげにそうこぼした。
* * *
美緒は塾へ行かず勉強を頑張っているようだった。俺には信じられないことだがきっと要領がいいんだろう。模試の結果はいつも合格圏内で、中2の時点でも安心して受験に臨めるようだった。
「……どうだった?」
模試が返ってくると、いつも美緒はおそるおそるといったようすで尋ねてきた。悲しいことに俺は合格圏内に手は届いていなかった。まあ、それでも前より幾分ましになったから成績が上がっていないわけではなかったけれど。
「C」
判定、C。ボーダーラインというところだ。合格率50パーセント。受かるのも落ちるのも自分次第。
「そっか」
美緒はどこか残念そうな、それでもほっとした表情を作った。
「前より良くなったよね。まだ1年あるしこれからもっと良くなるよ」
「うん」
「頑張ってるんだね」
「うーん」
確かに最高に頑張っていたけれど。
肯定するのも照れくさくて、俺は曖昧に返事を返すだけだった。
* * *
制服を身につけての、3度目の桜の季節。俺と美緒はとうとう最終学年に上がった。
またもや美緒と同じクラスになれた俺は、ただひとつの問題を省いて幸せの絶頂にいた。
飯嶋だ。クラス名簿をよく見ていなかった俺は教室に入った途端思わず顔をしかめてしまった。出席番号順に机が並べられている中、一番右側の列の先頭部にその姿はあった。
どん、と背中に衝撃を受けたことも気付かないほどに、俺はそいつに意識を持っていかれた。目が合ってしまい、案の定、思い切り睨まれた。
「りゅーたろー?」
何やってんの、と幾分気分を害した美緒の声が背後から聞こえた。腕を引っ張られ振り返ると、額を押されている彼女の姿があった。
「ちょっと、急に止まらないでよ。痛いじゃないのよー」
「ごめん」
手が、自然と美緒へのびた。彼女が押さえるその部分に触れようとする間際、飯嶋の声が、それを止めるかのように割り込んできた。
「佐藤」
「……あ、飯嶋くん」
美緒はその声に振り返り、ぱっと笑顔をそいつに向けた。
「また一緒のクラスだな。これからよろしく」
「うん」
なんだこいつは。
飯嶋は、俺を睨み付けるあの表情からは想像もつかないほどの優しい顔をしていた。思いやりがあって、誠実そうな優しい笑顔。微笑みを返す美緒を見て、俺の心の中に真っ黒い染みがじわりと滲んだ。
「隆太郎、ほら、飯嶋くん」
前言ってたでしょ、と言って、制服の裾を引っ張られた。
「よろしく」
俺と2人だったら有り得ないような友好的な態度を飯嶋はを示してきた。美緒がいる手前、こちらも何もできない。嫌々ながらもよろしく、と言葉を返すと、俺は美緒の腕を取って教室の奥へ進んだ。
「あいつに近付くのやめろよ」
小声でそう言うと、美緒は不思議そうに俺を見た。
「なんで?」
「何でもだよ。あいつ、相当性格悪いよ」
「うそ」
美緒は小さく顔をしかめた。
「飯島くん、すごく優しいんだから。隆太郎、何か勘違いしてるんじゃないの?」
「違う」
「でも……」
「いいから」
あいつを庇い立てする美緒の言葉なんて聞きたくなかった。
「とにかく、やめろよ。何考えてるか分かんない奴なんだから」
「…………」
美緒が、俺をじっと見つめてきた。何かを探るように、何かを伺うように、戸惑いながらも俺を見つめた。
腕を取られ、教室の外に出た。誰もいない階段の踊り場。そこに辿り着くと美緒はくるりとこちらを向き、俺の腕を握ってきた。
「何があったかは知らないけど……隆太郎、らしくないよ?」
「…………」
本当に、ほとほと自己嫌悪に陥る。
幼稚な物言い。いくら飯島がむかつくからといってこんなことを言うのは筋違いだと分かっていた。
「ごめん……」
「隆、」
「ごめん、俺、今ちょっとおかしい……」
「…………」
美緒の小さな手のひらが俺の髪に触れた。優しく、優しく、俺を慰めるかのように美緒は俺の頭を撫でた。
俺は、まだまだ子どもだ。こんなちょっとのことで美緒に心配をかけてしまうような、馬鹿な男だ。
どうしたらいいんだろう。どうすればいいんだろう。
美緒を悲しませたくない。苦しめたくない。俺のことなんかで心を痛めてほしくない。
俺は、いったいいつになったら――大切な女の子を守れるだけの力を持てるようになるんだろう。
まずは、美緒に俺と同じ気持ちがあるかどうかだった。好いてくれているとは思う。これまでずっと一緒にいたわけだし、他の男よりは上の位置にいることは確かだ。
けれど、それを男女間の恋だとか愛だとかに置き換えるにはまだ早いような気がした。美緒が俺へ向ける笑顔はどこまでも純粋だった。俺の心の奥底にある醜い感情なんて彼女には微塵もないような気がした。
嬉しいことに、中2のクラス替えは美緒と同じクラスになることができた。6分の1とかなりの低い可能性だったので半分諦めかけていたが、案外運はあるらしい。しかもあの飯嶋ともクラスが離れて万々歳だ。
「また同じクラスになったね」
始業式の帰り道、美緒の言葉に俺は顔を綻ばした。
「まったく、隆太郎宿題ちゃんとやってきてよ。毎回見せるのは嫌ですからね」
彼女の口から漏れる内容は憎ったらしいものばかりだったけれど。
嫌々そうな顔をしつつも、目が嬉しそうに笑っているのが見て取れて、俺はそれだけで十分だった。
それからも俺たちの関係は相変わらずで、季節は順調にときを巡っていった。
中2の夏休み。そろそろ受験を意識する季節になり、俺は大きなひとつの壁にぶつかった。
高校をどうするかだ。
美緒と同じ高校に入りたいのは山々だった。それならそうすればいい。けれど、問題は俺の学力レベルが彼女のものに対して劣っているということだった。
「高校、どこ受ける?」
緊張を交えながらも問うと、美緒は迷うことなく高校名を口にした。そこは結構……いや、かなりレベルの高い私立高で、受かればそのまま大学へ上がれる付属校だった。
「……隆太郎は?」
少し不安げに尋ねてきた美緒に、俺は少し考えながら決心を口にした。
「俺も、そこ受ける」
その日の帰宅後、すぐに俺はそのことを両親に話した。母親はレベルの高い高校ということに素直に歓喜し、父親には大丈夫かと心配された。姉には心底びっくりたまげられてそのあと大笑いされた。
「隆ちゃんにちょっとそれは敷居高いんじゃなーい?」
けらけら笑う姉にむっとすると、横から割り込んできた母が俺の肩に手を置いた。
「大丈夫よね? 隆太郎はやるときはやるもの。そ、れ、に。美緒ちゃんがいるものね?」
「みーお?」
不思議そうに首を傾げた姉に、母は楽しそうな笑顔を作った。
「美緒ちゃんも受けるのよねえ?」
いたずらっ子のような母の瞳。途端姉は納得したように頷いた。
「なーんだ、そっか」
うんうん、と何度も首を縦に振る。
「美緒も受けるのか。隆ちゃん急に学問に目覚めちゃったのかと思ったわよ」
「ねえ」
「ねえ」
にっこーりと嫌みなくらいに2人は顔を見合わせて笑んだ。
「ほんと、美緒ちゃんには感謝しなきゃ」
「そうそう、美緒のおかげだよね、隆ちゃんがまともでいられるの」
「うるせー……」
すっかりその会話から除け者にされていた俺は、意味もなく付けっぱなしにされているテレビを睨み付けながらつぶやいた。
思い立ったが吉日。俺はすぐに評判の良い塾に手続きをしにいった。授業が始まるのは夜7時半から。美緒と過ごす時間に何も支障はなかったから本当にすぐさま入塾した。
授業は月、水、金の3回。科目は英数国と主要科目だけだった。
塾に入ったことを美緒に告げると、彼女はもともと大きな瞳をもっとまん丸にして、これ以上ないくらいに驚いた。
「隆太郎が、塾?」
あまりの衝撃だったのか、美緒は声をひっくり返らせた。
「な……なんで?」
「塾でも入んきゃ、俺高校受かんねーもん」
「そっ、か……」
驚きを継続させつつも、美緒は俺の言葉に納得したようすをみせた。無茶苦茶微妙な心境だった。確かに俺は美緒より頭は悪いけれど、普通よりはまあまあ上の位置にいるはずだ。
「頑張ってね?」
「当たり前だろ。お前も俺に抜かされないように頑張れよ」
2人で合格しなきゃ意味がない。
うん、と頷いた美緒が可愛くて、俺はたまらず彼女の髪をくしゃくしゃと撫でた。
* * *
それから俺はめちゃくちゃ必死に勉強をした。受験まで1年半ほどあったけれど高校が高校だ。ただでさえ頭の良い奴ばかりが集まるというのに、俺みたいな普通の奴がのんびりしていられるわけがなかった。
塾に入ってひとつだけいいことがあった。気の合う友人ができたということだ。そいつ――日詰孝明は俺と同じ志望校で、バスケ好きな良い奴だった。
「ミオちゃんの写真、今度見せろよ」
そして何より。
美緒のことを話せる初めての相手でもあった。
孝明と美緒は面識がない、そのことが俺の口をよくしゃべらせる要因になったのだと思う。孝明が面白がって聞きたがったということもあるが、俺は美緒のことをよく話した。
「俺もミオちゃんみたいな幼馴染ほしかったなあ」
そして話せば話すほど、孝明はそんな言葉をつぶやいた。写真を見せれば可愛いと素直に言った。他のやつがそんなことを言ったらむかついてぶんなぐりたくなっただろうけれど、美緒と直接会ったことのない孝明にはそれを許せた。むしろ美緒がいかに可愛いかを自慢したいくらいだった。
「俺も幼馴染いるけど、あんま何も思ったことないな。可愛いっちゃあ可愛いけど、年下だし髪短いんだよな」
髪の長さ、は孝明にとって重要事項らしい。
将来はプロの美容師になりたいと言っていた。けれどあいにく両親にそろって反対されているらしく、専門学校に行くことは叶わないようだった。高校にここを選んだのはそれが親の条件だったらしい。有名高校にちゃんと合格できたらそのやる気を見込んで考えてやると言われたそうだ。
「髪の長さってそんな重要?」
尋ねると孝明は即答した。
「当たり前だろ。そりゃ別に短くたっていいけど、長い方がいじり甲斐あるし。それに俺は長い髪の子の方が好みなの」
「へえ」
俺は、美緒が美緒だったら何だっていいんだけど。
そんなことをぽつりとつぶやいたら、いつもはそこまで呆れない孝明もげっそりとした表情を作った。
「隆太郎はミオちゃん馬鹿すぎる」
苦々しげにそうこぼした。
* * *
美緒は塾へ行かず勉強を頑張っているようだった。俺には信じられないことだがきっと要領がいいんだろう。模試の結果はいつも合格圏内で、中2の時点でも安心して受験に臨めるようだった。
「……どうだった?」
模試が返ってくると、いつも美緒はおそるおそるといったようすで尋ねてきた。悲しいことに俺は合格圏内に手は届いていなかった。まあ、それでも前より幾分ましになったから成績が上がっていないわけではなかったけれど。
「C」
判定、C。ボーダーラインというところだ。合格率50パーセント。受かるのも落ちるのも自分次第。
「そっか」
美緒はどこか残念そうな、それでもほっとした表情を作った。
「前より良くなったよね。まだ1年あるしこれからもっと良くなるよ」
「うん」
「頑張ってるんだね」
「うーん」
確かに最高に頑張っていたけれど。
肯定するのも照れくさくて、俺は曖昧に返事を返すだけだった。
* * *
制服を身につけての、3度目の桜の季節。俺と美緒はとうとう最終学年に上がった。
またもや美緒と同じクラスになれた俺は、ただひとつの問題を省いて幸せの絶頂にいた。
飯嶋だ。クラス名簿をよく見ていなかった俺は教室に入った途端思わず顔をしかめてしまった。出席番号順に机が並べられている中、一番右側の列の先頭部にその姿はあった。
どん、と背中に衝撃を受けたことも気付かないほどに、俺はそいつに意識を持っていかれた。目が合ってしまい、案の定、思い切り睨まれた。
「りゅーたろー?」
何やってんの、と幾分気分を害した美緒の声が背後から聞こえた。腕を引っ張られ振り返ると、額を押されている彼女の姿があった。
「ちょっと、急に止まらないでよ。痛いじゃないのよー」
「ごめん」
手が、自然と美緒へのびた。彼女が押さえるその部分に触れようとする間際、飯嶋の声が、それを止めるかのように割り込んできた。
「佐藤」
「……あ、飯嶋くん」
美緒はその声に振り返り、ぱっと笑顔をそいつに向けた。
「また一緒のクラスだな。これからよろしく」
「うん」
なんだこいつは。
飯嶋は、俺を睨み付けるあの表情からは想像もつかないほどの優しい顔をしていた。思いやりがあって、誠実そうな優しい笑顔。微笑みを返す美緒を見て、俺の心の中に真っ黒い染みがじわりと滲んだ。
「隆太郎、ほら、飯嶋くん」
前言ってたでしょ、と言って、制服の裾を引っ張られた。
「よろしく」
俺と2人だったら有り得ないような友好的な態度を飯嶋はを示してきた。美緒がいる手前、こちらも何もできない。嫌々ながらもよろしく、と言葉を返すと、俺は美緒の腕を取って教室の奥へ進んだ。
「あいつに近付くのやめろよ」
小声でそう言うと、美緒は不思議そうに俺を見た。
「なんで?」
「何でもだよ。あいつ、相当性格悪いよ」
「うそ」
美緒は小さく顔をしかめた。
「飯島くん、すごく優しいんだから。隆太郎、何か勘違いしてるんじゃないの?」
「違う」
「でも……」
「いいから」
あいつを庇い立てする美緒の言葉なんて聞きたくなかった。
「とにかく、やめろよ。何考えてるか分かんない奴なんだから」
「…………」
美緒が、俺をじっと見つめてきた。何かを探るように、何かを伺うように、戸惑いながらも俺を見つめた。
腕を取られ、教室の外に出た。誰もいない階段の踊り場。そこに辿り着くと美緒はくるりとこちらを向き、俺の腕を握ってきた。
「何があったかは知らないけど……隆太郎、らしくないよ?」
「…………」
本当に、ほとほと自己嫌悪に陥る。
幼稚な物言い。いくら飯島がむかつくからといってこんなことを言うのは筋違いだと分かっていた。
「ごめん……」
「隆、」
「ごめん、俺、今ちょっとおかしい……」
「…………」
美緒の小さな手のひらが俺の髪に触れた。優しく、優しく、俺を慰めるかのように美緒は俺の頭を撫でた。
俺は、まだまだ子どもだ。こんなちょっとのことで美緒に心配をかけてしまうような、馬鹿な男だ。
どうしたらいいんだろう。どうすればいいんだろう。
美緒を悲しませたくない。苦しめたくない。俺のことなんかで心を痛めてほしくない。
俺は、いったいいつになったら――大切な女の子を守れるだけの力を持てるようになるんだろう。
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