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これからもずっと
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「えーっ、うっそおうっそおうっそおー!」
わたしが開口するやいなや、優花は突然大きな声を上げてわたしに詰め寄ってきた。
まだ何も話していない。実はね、の「実」の字も口にしていなかったんじゃないだろうか。両肩をがしりと掴まれ、びっくりしたわたしは優花の顔をまじまじと見つめた。
「な、ななな」
優花の視線はわたしの胸元。そこには昨日隆太郎にもらったあのハートのペンダントがある。
「ちょっと! 美緒、これどうしたの?!」
ぎゅっと肩に優花の指がくいこみ、接近してきたの彼女の顔にわたしは幾分おののいた。
「あ、うん、えーと、ね。昨日、」
「昨日?!」
「き、昨日、隆太郎にもらったの……」
あまりの迫力に大きく身を引いてしまった。
沈黙。
「え、えー!」
そして、思わず耳を塞ぎたくなるような大音量。優花はもともと大きな瞳をこれ以上ないくらいにまん丸させると、身を守るかのように自分の身体を抱きしめた。
「う、うそぉ……ほんとに?」
「ほんと、だけど?」
優花が何に驚いているのか分からなくて、わたしは戸惑い気味に声を返す。
いったい何をしたいのか、彼女はおそるおそる片手を胸元の前にやると、2本の指を立てピースを作った。
「だ、だって、これだよ?」
「これ?」
ピースがいったいなんだっていうんだ。
わたしは不審げ満々に眉を寄せると、説明を求め、優花を見つめた。
「だ、だから、これだって……」
「これ?」
「それ、げ、限定品でしょ? かなりのレアものでわたしもほしかったんだけど買えなくて……」
「……で、なんでそれがピース?」
さっぱり訳が分からなくて首を傾げると、優花は急に勢いだって鼻息を荒げた。
「だ、か、ら、値段よっ。ね、だ、ん!」
「値段……?」
ピース。
指が2本。
「2、2千円……?」
「一桁違うっつーの!」
「2、2万……うええっ、2、2万ー?!」
あまりの驚きに声がひっくり返ってしまった。
2万。これが2万。
手にとってペンダントを見つめた。確かに高価そうなものだなあとは思っていたけれど。まさか……まさか、そんなにする代物だとは。
「成瀬くん高校生でしょ? なんでそんなの買えるのよお」
知らない。そんなのこっちが聞きたい。
「あああ、もう。なんで美緒ってこんなに愛されてるのよぉ~」
くうう、と優花が意味不明な呻き声を上げた。
いや、それにしても。隆太郎はどうやってこのペンダントを買ったんだろうか。
もしかして、毎月こつこつお小遣いをためてたとか? ううん、お年玉かもしれない。……いや、でも隆太郎っていつも食費だけでお小遣いなくなるとか言ってるし、足りなくなってお年玉使っちゃうとか言ってるし……。あ、でもそういえば隆太郎、去年の暮れから家庭教師のバイト始めたんだっけ。うーん、でもあれも新しいパソコン買いたいからとか言ってたし、バイトのことで隆太郎が話すことといえばその家にいる犬のことばっかだし、あーそういえば1回その生徒さんから電話もらったことあったなあ……。
「みーお! ちょっと聞いてるの?」
「え?」
腕を掴まれ、わたしは我に返った。
顔を上げれば間近にある優花の顔。びっくりして少し身を引くと、優花はわたしの腕を離した。彼女は大きく息をはき出し、腰に手を当てた。
「こんなものもらっておいて、まだ「隆太郎とは何もないの~」とか言わないよね?」
そしてぐっと眉を寄せる。
不意に昨日の記憶がさまざまと蘇ってきた。
大好き、そう素直に伝えた言葉、苦しいくらいに抱きしめられ、頬に触れた柔らかな感触、熱い吐息も間近で見た隆太郎のきれいな瞳も、はっきりと思い出すことができる。
かああ、と顔が熱くなった。
「……美緒?」
そんなわたしへ向けての、優花の不審そうな声。
顔が上げられない。赤くなる頬を両手で押さえた。
だめだ、本当にいらぬことまでいろいろと思い出してしまう。
「え、もしかして本当に何かあったの?」
優花の声に、驚きが交じる。
「え、うそうそ、ほんと? もしかしてとうとう告白された?」
「~ッ」
堪えきれなくなってわたしはぶんぶんと首を横に振った。優花に対しての答えじゃない。隆太郎の温もりだとか、唇の感触だとか、そんな不謹慎なことばかり考える自分をどうにかしたかったのだ。
「うそっ、絶対何かあったでしょ! じゃなきゃそんなに顔赤くなるはずないもん」
優花はぐっと拳を握りしめる。
「ほら、白状しなさいっ」
ボンッと音を立てて、頭の上から火が出そうだった。
わたしはほてった頬を冷やすように両手を当てたまま、小さく口を開いた。声を絞り出す。
「……したの」
「え?」
「告白、したの」
わたしが。
そう付け足すと優花は一瞬ぽかんとした表情を作った。口がぱかっと開く。まぬけ面。そして彼女は驚愕の声を上げた。
「み、美緒がぁ?」
「うん……」
「な、成瀬くんはなんて?」
「え……と」
この先ずっと永遠に忘れないであろう隆太郎の言葉を、わたしは心の中で反芻した。
「ん……と、隆太郎も、同じ、気持ちだそうです」
「…………」
……反応がない。
そろそろと顔を上げると、こちらを見つめたまま固まっている優花の姿があった。
「優花?」
声を掛けたと同時優花の口が小さく動いた。よく聞こえない。
「……い」
「え?」
「す、すごいじゃないー!」
両拳を握りしめ、優花は目をきらきらさせた。
「すごい、すごいよーっ。ああ、やっとこの日が来たって感じ! もう毎日毎日心臓かゆい思いしなくてすむのね。嬉しい、ああもう超うれしーっ」
ばんざーい、と手を挙げて優花はわたしに抱き付いてきた。
「美緒、ほんとよくやったよ! あーもう嬉しい。さ、い、こ、うーッ」
鼻歌まで歌い出す始末だ。
ここまで喜んでくれる優花に、わたしの心臓はじーんと波打った。嬉しくて思わずぎゅうっと抱き返してしまう。
どこからか視線を感じた。後ろ……ではない。前からだ。視線を上げるとそこには今まさに話題になっていた人物がいた。
隆太郎は、わたしたち2人を見つめたままぽかんと口を半開きにしていた。
きゃあきゃあ言いながらがっちりと抱き合う2人。端から見れば怪しい光景このうえないだろう。
「何やってんの」
わたしと目が合った隆太郎は、不審感をマックスにしてそう言った。
「え、あれ? 成瀬くん」
声に反応してだろう、優花は驚いたように声を上げるとわたしから離れた。にこにこ、とした顔が隆太郎を見た瞬間ほわわーんとした表情に変わる。
「もー聞きましたよー。おめでとうございまーす」
どこのおばさんだ。
呆れて優花を見ると、彼女はすでに自分の世界に入ってしまっている。こうなると優花は止まらない。案の定、隆太郎は頭の上に疑問符をたくさん浮かべ、優花を見ていた。
「……ああ、今日はもうお邪魔みたいだからわたしは退散するねえ。あとで話聞かせてね、美緒。楽しみにしてるよ~」
「あ、ちょっとっ」
わたしが止めるのも聞かず、優花はひらひらと手を振るとその場から駆け出していった。
あっという間に遠くなる彼女の背中。わたしは唖然とした表情でそれを見送った。
* * *
「隆太郎、部活は?」
裏庭にあるベンチに腰掛けながら、わたしは彼に尋ねた。
時刻は4時半。部活終了時刻は5時半だから、隆太郎にこんなことをしている暇はないはずだ。のんびりとしている彼が不思議だった。
隆太郎は一度わたしを見やって、それから自分もベンチに腰掛けた。
「今日はもう上がり。孝明と……雄介、ダウンして練習にならない」
「ふーん……」
曖昧な返事しか返せなかった。何だか、隆太郎らしくない。
隆太郎は去年の12月下旬からバスケ部の部長――もといキャプテンになって、部を一生懸命引っ張ってきていた。だから、メンバーが2人欠けたくらいで練習をやめるなんていつもならないはずだ。
「……何かあったの?」
思わず問いかけてしまった。
顔を覗き込んで、隆太郎を見る。不意に上がった隆太郎の視線は、驚きの色を放っていた。
「なんで?」
「え、なんでって……」
しかし逆に問い返されてしまい、少しだけ狼狽する。
「なんか、ちょっと、変だなあって……」
「……俺、変?」
何だか困ったようすで隆太郎は言った。
「うん、変、かなあ?」
変、だと思う。
いつもなら、わたしが見当違いなことを言ったとき、隆太郎はすぐさまそれを否定する。けれど、今回はそれをせずに問い返してきた。あきらかに変だ。
「そっか……変か……」
しかも納得してしまっている節もある。
隆太郎は小さくため息をついた。
「どうしたの?」
尋ねると、隆太郎はうーんとうなり声のようなものを上げた。
「多少は、覚悟してたんだけど……」
「うん……?」
「実際こうなると、すげー痛くてさ」
「うん?」
意味が分からなかった。
わたしが首を傾げているのを見ると、隆太郎はちょっと笑ってわたしの頭をなでてきた。よしよしと、訳の分かっていない子どもをあやすような撫で方で、少し不満げな瞳を隆太郎に向けた。
「分かんない?」
「うん」
「だよなー」
はっきり頷いたわたしの返事に、隆太郎は当たり前のようにそう答えた。
「俺ってサイテーなの」
そして自嘲気味な笑みを浮かべる。
「覚悟はできてたはずなのに、実際こうなったらなんかさ……。あいつのあんな顔見たらもう何も言えなくて。あいつの気持ちすっごく分かるから、余計苦しくてさ。もー女々しいのなんのって自分がめっちゃ情けない」
隆太郎の瞳がひどく辛そうに歪んだ。不意に腕を取られ、そのまま抱き寄せられる。
「でも、美緒はもう俺のものだから。絶対離さない。誰を傷つけようが何があろうがお前だけは絶対に誰にも譲らない。……こんな傲慢なこと思ってる俺が、あいつを傷つけたからって自分まで傷つく権利なんてないんだ。変だろ? 俺、言ってることと思ってることがすっげえ矛盾してる」
ぎゅうっと、彼を苦しめる何かから逃れるように、隆太郎はわたしを抱きしめてきた。
隆太郎が誰のことを思ってこんなことを言っているのかは分からなかったけれど。
今のわたしの顔はこの場にふさわしくないだろう。熱い頬。隆太郎がこんなにも辛そうだというのに、わたしは彼の言葉が嬉しい。
手をのばして、そっと隆太郎の髪に触れた。柔らかい。隆太郎はわたしの肩に顔をうずめたままじっとしている。それをいいことに、わたしは彼の髪を梳いたり、引っ張ったり、ぐしゃぐしゃにしてみたりとその感触を楽しむ。
「……隆太郎は、ずっと、わたしといてくれる?」
耳元にささやいた。
顔を上げた隆太郎は、少し驚いたようにわたしを見つめた。そして先ほどまでとは違う真剣な表情を作る。
「当たり前だろ」
その言葉にわたしは相好を崩した。
「なら、隆太郎は最低じゃない。わたしにとって、隆太郎は最低じゃないから」
隆太郎はぽかんとした表情を作った。そして、わたしを見つめたままくしゃりと破顔した。
「なんだよ、それ」
「うん」
くすくすと、笑いを漏らす。
まったくもって、ただの屁理屈だけれど。
隆太郎は最低じゃない。わたしにとって隆太郎は最低じゃないから。むしろ、最高なの。優しくて、強くて、人の痛みが分かる人。優しい笑顔も、鼓膜を震わすその声も、わたしを真っ直ぐに見つめてくれる瞳も、全部全部大好きなの。
隆太郎は目を細めると、わたしの胸元で光るペンダントを手に取った。隆太郎に導かれてわたしはペンダントを手に握る。彼の大きな手が、ペンダントを握るわたしの手を優しく覆った。
「美緒の未来は全部、俺が守るから」
目を瞬いた。
真摯な瞳。まっすぐとわたしを見つめる、隆太郎の瞳を――わたしは、ただ呆然と見つめ返した。
次第に言葉の意味がわたしの脳にゆっくりと浸透していく。目を見開いた。息をのむ。だって、これは――。
「返事は?」
揺れる、隆太郎の瞳を見つめ返した。
耳に届く彼の声はわたしの耳を熱くする。
「う、ん……」
ふにゃりと笑顔を作った。嬉しすぎて泣きそうだ。胸の奥がじんじんと熱い。
「ずっと、側にいてね」
側にいてくれるだけでいい。
それだけでわたしは安心できるから。愛しい温もりに触れているだけで強くなれる気がするから。
だから、ずっとわたしの側にいて。
隆太郎の右手が頬に触れた。彼の左手はわたしの手を包んだまま。
吐息が近付いて、わたしは瞳を閉じる。
時が止まったように感じた。
触れるだけの、キス。
わたしは、これからもずっと隆太郎だけを想い続ける。
ずっとずっと、永遠に――。
わたしが開口するやいなや、優花は突然大きな声を上げてわたしに詰め寄ってきた。
まだ何も話していない。実はね、の「実」の字も口にしていなかったんじゃないだろうか。両肩をがしりと掴まれ、びっくりしたわたしは優花の顔をまじまじと見つめた。
「な、ななな」
優花の視線はわたしの胸元。そこには昨日隆太郎にもらったあのハートのペンダントがある。
「ちょっと! 美緒、これどうしたの?!」
ぎゅっと肩に優花の指がくいこみ、接近してきたの彼女の顔にわたしは幾分おののいた。
「あ、うん、えーと、ね。昨日、」
「昨日?!」
「き、昨日、隆太郎にもらったの……」
あまりの迫力に大きく身を引いてしまった。
沈黙。
「え、えー!」
そして、思わず耳を塞ぎたくなるような大音量。優花はもともと大きな瞳をこれ以上ないくらいにまん丸させると、身を守るかのように自分の身体を抱きしめた。
「う、うそぉ……ほんとに?」
「ほんと、だけど?」
優花が何に驚いているのか分からなくて、わたしは戸惑い気味に声を返す。
いったい何をしたいのか、彼女はおそるおそる片手を胸元の前にやると、2本の指を立てピースを作った。
「だ、だって、これだよ?」
「これ?」
ピースがいったいなんだっていうんだ。
わたしは不審げ満々に眉を寄せると、説明を求め、優花を見つめた。
「だ、だから、これだって……」
「これ?」
「それ、げ、限定品でしょ? かなりのレアものでわたしもほしかったんだけど買えなくて……」
「……で、なんでそれがピース?」
さっぱり訳が分からなくて首を傾げると、優花は急に勢いだって鼻息を荒げた。
「だ、か、ら、値段よっ。ね、だ、ん!」
「値段……?」
ピース。
指が2本。
「2、2千円……?」
「一桁違うっつーの!」
「2、2万……うええっ、2、2万ー?!」
あまりの驚きに声がひっくり返ってしまった。
2万。これが2万。
手にとってペンダントを見つめた。確かに高価そうなものだなあとは思っていたけれど。まさか……まさか、そんなにする代物だとは。
「成瀬くん高校生でしょ? なんでそんなの買えるのよお」
知らない。そんなのこっちが聞きたい。
「あああ、もう。なんで美緒ってこんなに愛されてるのよぉ~」
くうう、と優花が意味不明な呻き声を上げた。
いや、それにしても。隆太郎はどうやってこのペンダントを買ったんだろうか。
もしかして、毎月こつこつお小遣いをためてたとか? ううん、お年玉かもしれない。……いや、でも隆太郎っていつも食費だけでお小遣いなくなるとか言ってるし、足りなくなってお年玉使っちゃうとか言ってるし……。あ、でもそういえば隆太郎、去年の暮れから家庭教師のバイト始めたんだっけ。うーん、でもあれも新しいパソコン買いたいからとか言ってたし、バイトのことで隆太郎が話すことといえばその家にいる犬のことばっかだし、あーそういえば1回その生徒さんから電話もらったことあったなあ……。
「みーお! ちょっと聞いてるの?」
「え?」
腕を掴まれ、わたしは我に返った。
顔を上げれば間近にある優花の顔。びっくりして少し身を引くと、優花はわたしの腕を離した。彼女は大きく息をはき出し、腰に手を当てた。
「こんなものもらっておいて、まだ「隆太郎とは何もないの~」とか言わないよね?」
そしてぐっと眉を寄せる。
不意に昨日の記憶がさまざまと蘇ってきた。
大好き、そう素直に伝えた言葉、苦しいくらいに抱きしめられ、頬に触れた柔らかな感触、熱い吐息も間近で見た隆太郎のきれいな瞳も、はっきりと思い出すことができる。
かああ、と顔が熱くなった。
「……美緒?」
そんなわたしへ向けての、優花の不審そうな声。
顔が上げられない。赤くなる頬を両手で押さえた。
だめだ、本当にいらぬことまでいろいろと思い出してしまう。
「え、もしかして本当に何かあったの?」
優花の声に、驚きが交じる。
「え、うそうそ、ほんと? もしかしてとうとう告白された?」
「~ッ」
堪えきれなくなってわたしはぶんぶんと首を横に振った。優花に対しての答えじゃない。隆太郎の温もりだとか、唇の感触だとか、そんな不謹慎なことばかり考える自分をどうにかしたかったのだ。
「うそっ、絶対何かあったでしょ! じゃなきゃそんなに顔赤くなるはずないもん」
優花はぐっと拳を握りしめる。
「ほら、白状しなさいっ」
ボンッと音を立てて、頭の上から火が出そうだった。
わたしはほてった頬を冷やすように両手を当てたまま、小さく口を開いた。声を絞り出す。
「……したの」
「え?」
「告白、したの」
わたしが。
そう付け足すと優花は一瞬ぽかんとした表情を作った。口がぱかっと開く。まぬけ面。そして彼女は驚愕の声を上げた。
「み、美緒がぁ?」
「うん……」
「な、成瀬くんはなんて?」
「え……と」
この先ずっと永遠に忘れないであろう隆太郎の言葉を、わたしは心の中で反芻した。
「ん……と、隆太郎も、同じ、気持ちだそうです」
「…………」
……反応がない。
そろそろと顔を上げると、こちらを見つめたまま固まっている優花の姿があった。
「優花?」
声を掛けたと同時優花の口が小さく動いた。よく聞こえない。
「……い」
「え?」
「す、すごいじゃないー!」
両拳を握りしめ、優花は目をきらきらさせた。
「すごい、すごいよーっ。ああ、やっとこの日が来たって感じ! もう毎日毎日心臓かゆい思いしなくてすむのね。嬉しい、ああもう超うれしーっ」
ばんざーい、と手を挙げて優花はわたしに抱き付いてきた。
「美緒、ほんとよくやったよ! あーもう嬉しい。さ、い、こ、うーッ」
鼻歌まで歌い出す始末だ。
ここまで喜んでくれる優花に、わたしの心臓はじーんと波打った。嬉しくて思わずぎゅうっと抱き返してしまう。
どこからか視線を感じた。後ろ……ではない。前からだ。視線を上げるとそこには今まさに話題になっていた人物がいた。
隆太郎は、わたしたち2人を見つめたままぽかんと口を半開きにしていた。
きゃあきゃあ言いながらがっちりと抱き合う2人。端から見れば怪しい光景このうえないだろう。
「何やってんの」
わたしと目が合った隆太郎は、不審感をマックスにしてそう言った。
「え、あれ? 成瀬くん」
声に反応してだろう、優花は驚いたように声を上げるとわたしから離れた。にこにこ、とした顔が隆太郎を見た瞬間ほわわーんとした表情に変わる。
「もー聞きましたよー。おめでとうございまーす」
どこのおばさんだ。
呆れて優花を見ると、彼女はすでに自分の世界に入ってしまっている。こうなると優花は止まらない。案の定、隆太郎は頭の上に疑問符をたくさん浮かべ、優花を見ていた。
「……ああ、今日はもうお邪魔みたいだからわたしは退散するねえ。あとで話聞かせてね、美緒。楽しみにしてるよ~」
「あ、ちょっとっ」
わたしが止めるのも聞かず、優花はひらひらと手を振るとその場から駆け出していった。
あっという間に遠くなる彼女の背中。わたしは唖然とした表情でそれを見送った。
* * *
「隆太郎、部活は?」
裏庭にあるベンチに腰掛けながら、わたしは彼に尋ねた。
時刻は4時半。部活終了時刻は5時半だから、隆太郎にこんなことをしている暇はないはずだ。のんびりとしている彼が不思議だった。
隆太郎は一度わたしを見やって、それから自分もベンチに腰掛けた。
「今日はもう上がり。孝明と……雄介、ダウンして練習にならない」
「ふーん……」
曖昧な返事しか返せなかった。何だか、隆太郎らしくない。
隆太郎は去年の12月下旬からバスケ部の部長――もといキャプテンになって、部を一生懸命引っ張ってきていた。だから、メンバーが2人欠けたくらいで練習をやめるなんていつもならないはずだ。
「……何かあったの?」
思わず問いかけてしまった。
顔を覗き込んで、隆太郎を見る。不意に上がった隆太郎の視線は、驚きの色を放っていた。
「なんで?」
「え、なんでって……」
しかし逆に問い返されてしまい、少しだけ狼狽する。
「なんか、ちょっと、変だなあって……」
「……俺、変?」
何だか困ったようすで隆太郎は言った。
「うん、変、かなあ?」
変、だと思う。
いつもなら、わたしが見当違いなことを言ったとき、隆太郎はすぐさまそれを否定する。けれど、今回はそれをせずに問い返してきた。あきらかに変だ。
「そっか……変か……」
しかも納得してしまっている節もある。
隆太郎は小さくため息をついた。
「どうしたの?」
尋ねると、隆太郎はうーんとうなり声のようなものを上げた。
「多少は、覚悟してたんだけど……」
「うん……?」
「実際こうなると、すげー痛くてさ」
「うん?」
意味が分からなかった。
わたしが首を傾げているのを見ると、隆太郎はちょっと笑ってわたしの頭をなでてきた。よしよしと、訳の分かっていない子どもをあやすような撫で方で、少し不満げな瞳を隆太郎に向けた。
「分かんない?」
「うん」
「だよなー」
はっきり頷いたわたしの返事に、隆太郎は当たり前のようにそう答えた。
「俺ってサイテーなの」
そして自嘲気味な笑みを浮かべる。
「覚悟はできてたはずなのに、実際こうなったらなんかさ……。あいつのあんな顔見たらもう何も言えなくて。あいつの気持ちすっごく分かるから、余計苦しくてさ。もー女々しいのなんのって自分がめっちゃ情けない」
隆太郎の瞳がひどく辛そうに歪んだ。不意に腕を取られ、そのまま抱き寄せられる。
「でも、美緒はもう俺のものだから。絶対離さない。誰を傷つけようが何があろうがお前だけは絶対に誰にも譲らない。……こんな傲慢なこと思ってる俺が、あいつを傷つけたからって自分まで傷つく権利なんてないんだ。変だろ? 俺、言ってることと思ってることがすっげえ矛盾してる」
ぎゅうっと、彼を苦しめる何かから逃れるように、隆太郎はわたしを抱きしめてきた。
隆太郎が誰のことを思ってこんなことを言っているのかは分からなかったけれど。
今のわたしの顔はこの場にふさわしくないだろう。熱い頬。隆太郎がこんなにも辛そうだというのに、わたしは彼の言葉が嬉しい。
手をのばして、そっと隆太郎の髪に触れた。柔らかい。隆太郎はわたしの肩に顔をうずめたままじっとしている。それをいいことに、わたしは彼の髪を梳いたり、引っ張ったり、ぐしゃぐしゃにしてみたりとその感触を楽しむ。
「……隆太郎は、ずっと、わたしといてくれる?」
耳元にささやいた。
顔を上げた隆太郎は、少し驚いたようにわたしを見つめた。そして先ほどまでとは違う真剣な表情を作る。
「当たり前だろ」
その言葉にわたしは相好を崩した。
「なら、隆太郎は最低じゃない。わたしにとって、隆太郎は最低じゃないから」
隆太郎はぽかんとした表情を作った。そして、わたしを見つめたままくしゃりと破顔した。
「なんだよ、それ」
「うん」
くすくすと、笑いを漏らす。
まったくもって、ただの屁理屈だけれど。
隆太郎は最低じゃない。わたしにとって隆太郎は最低じゃないから。むしろ、最高なの。優しくて、強くて、人の痛みが分かる人。優しい笑顔も、鼓膜を震わすその声も、わたしを真っ直ぐに見つめてくれる瞳も、全部全部大好きなの。
隆太郎は目を細めると、わたしの胸元で光るペンダントを手に取った。隆太郎に導かれてわたしはペンダントを手に握る。彼の大きな手が、ペンダントを握るわたしの手を優しく覆った。
「美緒の未来は全部、俺が守るから」
目を瞬いた。
真摯な瞳。まっすぐとわたしを見つめる、隆太郎の瞳を――わたしは、ただ呆然と見つめ返した。
次第に言葉の意味がわたしの脳にゆっくりと浸透していく。目を見開いた。息をのむ。だって、これは――。
「返事は?」
揺れる、隆太郎の瞳を見つめ返した。
耳に届く彼の声はわたしの耳を熱くする。
「う、ん……」
ふにゃりと笑顔を作った。嬉しすぎて泣きそうだ。胸の奥がじんじんと熱い。
「ずっと、側にいてね」
側にいてくれるだけでいい。
それだけでわたしは安心できるから。愛しい温もりに触れているだけで強くなれる気がするから。
だから、ずっとわたしの側にいて。
隆太郎の右手が頬に触れた。彼の左手はわたしの手を包んだまま。
吐息が近付いて、わたしは瞳を閉じる。
時が止まったように感じた。
触れるだけの、キス。
わたしは、これからもずっと隆太郎だけを想い続ける。
ずっとずっと、永遠に――。
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