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30. 俺と結婚しろ

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 売る、と言った。

 ばあちゃんは確かに「売る」という言葉を使った。

 そんな言葉、人間に対して使っていいはずがない。


「そんなこといってもさ、星多。あんた、なにをどうしてやれるの?」


 まだ怒り心頭で目を充血させたままの星多に、愛想美が心配そうに声をかける。


「わかんねえよ! だから今こうして考えてんだよ!」


 自室、今のところ星多の唯一の自分の場所。

 そこには白鳥のままの愛想美、それにメイド姿の凛々花と女給姿のツナ。

 三人の少女は不安げな目を星多に向けている。


「なあ、愛想美、俺は、中学生のとき、ラッキーだと思った」

「なにがよ」

「ユキさんだ。ユキさんが、ここのお手伝いさんで、よかったって思ってたんだ」

「そりゃあね、好きな人に出会えたんだもんね、なに急に関係ないこと言い出してんのよ」


 困惑したように眉をひそめる愛想美。


「いや、違う、関係ある。あんとき、俺は……ユキさんがここの住み込みのお手伝いさんで、まあ普段はお前にも厳しい態度とってたけど、でも究極的には、ここの使用人なんだから、愛想美には逆らえないはずだ。だから、愛想美が強くすすめれば、俺の告白も断れないんじゃないかって、……思ってた」

「ふーん……。そういう風に思ってたんだ……。よかった、あたし、実はやだったらやめといた方がいいよ、あいつ変な奴だからすすめないよ、って言っちゃってた、ごめん」

「え、まじ? そんなこと言ってたのかお前」

「だって! あんたはあたしが……。いやそうじゃなくて、ええと……」


 そこに、ツナがこほん、と咳をして口を挟む。


「変な奴、どころか、あげた写真をオカズにして毎日自家発電にいそしんでる、と言ってたのではないですか?」


 思わず星多は愛想美の顔を見る。

 愛想美はてへっ、と舌を出して横を向く。


「てへっ、じゃねえよ! 毎日じゃねーよ!! せいぜい週五だよ!」

「変わんないじゃないの! ってか、まじそれ!? うえっ、きもっ! ちょっとあんた、近寄らないでよ、うわちょっと待って、なんか病気ウツると悪いから距離とるわ」


 ずりずりと座ったまま星多から離れる愛想美。

 ちなみに、同じく凛々花も星多からじわじわと離れていく。


「星多くん、一年間私をオカズにしてたってのはあれ、冗談じゃなかったんだ……」


 離れていく、どんどん離れていく。

 女の子達がみんな星多から離れていく。

 ちょっと傷付いた。


「凛々花先輩まで! 先輩、俺の目を見てください! 俺がそんなスケベに見えますか!?」

「え……」


 凛々花にまっすぐ顔を向ける星多。

 そんな星多を、二秒間だけ見つめた凛々花は、


「ぷふっ」 


 と吹き出した。


「普段の星多くんを知らない人が見たら、即通報するような目してるよ……」


 ものすごく傷ついて、ガクッと首をうなだれる。


「目が血走ってますものね」


 と、ツナ。


「俺ってそんな目してますか……? 正直、すごくへこむんですけど……。っていうか、なんの話してたんだっけ」

「以前の告白のとき、勤め先の主人の友人という立場を利用して、使用人を手篭めにしようとした話です」


 平静な口調でツナが言った。


「人聞き悪っ! ……いや、でもまあ、そういうことだったんだろうな。サンキューな、愛想美。助かったぜ。もし無理矢理あのとき、ユキさんにOKさせてたら……俺は、最低の人間になってた。今日のばあちゃんと同じだ」

「まあそれはいいけど。結局あんたはこっぴどくフラれたんだし。で、何かするつもり?」

「ああ。今、考えてる」


 星多は頷いた。

 まず、状況を整理しよう。


「ばあちゃんは、多分何か見返りと引き換えに、凛々花先輩たちを、政治家に売ろうとしている」


 ツナはいつもの無表情、凛々花はかなり不安そうな顔で星多を見る。


「その政治家の目的は、まあきっと、ええと、なんというんだこの場合……」

「愛人……というより妾ですね。そういう目的でわたくしたちを欲しているのでしょう」


 ツナが口を挟む。


「ねえ、凛々花先輩たちは……嫌ですよね、そんなの?」


 聞くまでもないことを聞いてみる。


「そ、そりゃ、嫌だけど。でも、妹を大学にやりたいし、私が犠牲になればいいなら……仕方がない……嫌だけど……しょうが、ないよね……」


 凛々花はそう言って俯く。長い黒髪が、華奢な肩から力なく落ちて、くたりと揺れる。


「わたくしの身体で借金が払えるなら、それは良い取引でしょう。今の給料だと、毎月の利子の払いがせいぜいですし。どうせ寄る辺もない身でございますから」


 ツナは感情のこもってない声で言った。


「金かよ、結局金だっつーのかよ、この世の中は」


 あまりにも悔しい。

 大人だって難しい額なのに、高校生の自分にできることがあるとは思えない。


「なあ、むしろ俺が身体売るとか」

「ばっかじゃないの、ツナとか凛々花先輩みたいな美少女ならともかく、あんた男じゃん。どうやって身体売るの」

「いや、俺みたいなのでも一応需要はある、はずだ」

「そうだとしても、ツナや凛々花先輩並に稼げるわけないじゃん!」


 まあ、そりゃそうだ。くそっ、なんとかならねえのか?


「なあ、愛想美、お前二千万くらい、持ってないのか? 金持ちの娘だろ、俺に貸してくれ、一生かけて返す!」


 愛想美は唇をむむうとへの字に曲げて、


「あのね、私のお小遣いは月三千円なの。あのばあちゃん、未成年に現金もたせたらロクなことにならないって言ってさ。服とかは言えば買ってくれるけど……。なんなら服を売ってもいいけど、さすがに二千万円は無理よ。……あ! あのティアラなら……でも、ああいうのって、どこで売るんだろ。高校生相手でも買いとってくれるのかな」


 母親の形見ですら、なんの躊躇もなく売ることを口にする愛想美。


「お嬢様、それはいけません。わたくしの家族の借金はわたくしの責任で……」

「ツナ、あのね、私は産まれた時から恵まれてて、多分これから一生、生きていくのに困らないくらいの資産はあるはずなの。物とかお金とかに私は執着がないの、家族以外で、いえ、家族と同じで、あんたより大事なものなんてこの世に存在しないのよ」


 家族……そこには一応、義兄となった星多が含まれているのかどうか。

 ん? 家族?


「あ、そうだ、母さんとおじさんにお願いして……」


 それを忘れていた。

 母さんはもちろん、あの優しそうなおじさん――今は一応、義父ということになる――に頼めば、きっと何とかしてくれるに違いない。

 愛想美もぱっと顔を明るくして、


「そうよ、パパなら絶対そのくらいのお金ぽーんと出してくれるわよ!」

「駄目ですね」


 否定の言葉を吐いたのはツナ。


「若旦那さまと若奥様は現在、ご夫婦で新婚旅行中でございます。一ヶ月間、豪華客船『明日香』で太平洋クルーズをお楽しみです」


 そういえばそうだった、と星多は思う。だけど、電話くらいはつながるはずだ。


「太平洋上ですから、携帯電話の電波は届きません。船舶電話で連絡することになります。でも、若旦那様は入社以来初めての長期休暇ということで、一切の仕事の話から離れたいらしく、そもそも連絡を禁じられております」

「そ、それでも一ヶ月後には帰ってくるんだから、それまで待てばいいんだよな?」


 星多の言葉に、ツナは淡々と返す。


「先方……山橋様はお急ぎのようで、一週間ほどで決めろと奥様はおっしゃってました」

「くそ!」


 ダン! と星多は床を叩く。

 なんなんだこれ、子供だからって、金がないからって、人間が人間をモノのように売買していいのか? 畜生、カスだらけだ、この世の中は。

 星多はクラシカルメイドと和装の女給を見る。

 クラシカルメイド、凛々花は長い髪に顔を隠すようにして俯いたままだ。時折、身体を震わせている。泣いているのだろうか。

 和服に身を包んだツナは、感情を表に出さないまま、じっと前を向いている。

 なにしてもいいって言ったり、政治家に売ろうとしたり。

 こんなクズみたいな話、あるか!

 そこで、星多は「ん?」と思った。

 そう、ばあちゃんは、確かに、「なにしてもいいぞ」と言った。

 よしわかった、自分で言ったんだ、そのとおり、俺は俺の思ったようにやらせてもらう!

 星多は顔をあげた。


「愛想美」

「なによ」

「お前、俺と結婚しろ」

「はあああああああああっ!?」


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