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第三章 隕石が産まれるの
44 水晶玉
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もちろん、ヴェルをこのままにはしておけない。
ヘルッタにシーツを持ってきてもらってハンモック状にし、その上にヴェルの身体を静かに乗せる。
そして、俺とキッサとヘルッタの三人がかりでシーツの端を持ち、ヴェルをヘルッタの家へと運んだ。
ヘルッタの寝室のベッドに、ヴェルの身体をそっと横たわらせる。
ヴェルはもう痛みすら感じないほどなのか、声も上げず、ただただ荒い呼吸を繰り返していた。
ベッドの上で横たわるヴェルの傷を改めて確認すると、くそ、これはひどい。
見るのもためらわれるほどの重症だ。
大量の出血、内蔵もやられているようで、はっきりいって現代日本の高度救命救急センターに運んだとしても助かる見込みはほとんどないんじゃないか。
というか今現在で生きているのが不思議なくらいだ。
ヴェルの呼吸は浅く短く、額には汗が浮き出ている。
意識はほとんどないようだ。
最期のリューシアへの攻撃、あれも無意識にやったのかもしれない。
ミーシアはヴェルの枕元でぼろぼろと涙をながし、嗚咽を漏らしながら「ヴェル、ヴェル……」と名前を呼び続けている。
「これは……助けることは、できないのか?」
キッサにそっと聞く。
「…………残念ながら……。今、騎士様は自らの法術の力でなんとか命をつなぎとめている状況です。ですが、体内に蓄積されたマナを使い果たしたら、それも……」
使い果たすもなにも、ヴェルはリューシアとの闘いで法力、つまりマナのほとんどを失っていたはずだ。
ってことはもう長くもたねーじゃねーかよ……。
「なんとか……ならないのか……」
「…………すみません、エージ様……。騎士様はシュシュを守ってこんな大怪我をしたのです……。私もできれば助けて差し上げたいのですが……方法が、ありません」
ちくしょう。
どうしようもないってのか。
「なんか、こう、回復法術みたいなのはないのか? そうだ! ほら、シュシュはそういう回復の術使えるっていってたよな?」
「……例えばシュシュに最上位の宮廷法術士ほどの力があれば、延命くらいはできるでしょうが……。シュシュはまだ九歳の訓練もしていない子どもです。こんな大怪我、シュシュ程度の力ではどうしようも……」
「……そうか……。そうだよな……」
ゲームの回復魔法みたいに簡単に回復させられればいいのに。
もう、どうしようもないってのか。
ミーシアはヴェルの手を握り、それに頬ずりするようにして泣いている。
玉座に鎮座する、あのすました女帝陛下の面影はどこにもない。今はただ、親友の死の影に怯え、怖れる、十二歳の女の子だ。
そのようすをちらりと見てキッサは口をつぐみ、暗い顔で俯いた。
シュシュも不安そうな顔で、ただ黙ってヴェルを眺めている。
ヘルッタはいたたまれなくなったのか、泣きはらした顔で部屋を出ていった。
俺も、もう何も言葉が出てこない。
戦乱の世。
現代日本とは違う。
人を殺し、殺され、奴隷にしたり、奴隷にされたり。
死や残酷さは日常の一部、いや、日常そのものなのだ。
ヴェルは皇帝に忠誠を誓う騎士。
愛する皇帝のために闘った。
そして今、闘いで負った怪我で死のうとしている。
たぶん、死にゆこうとしている本人にしてみれば。
それは、本望、なのだろう。
主君である――いや、親友であるミーシアを守るために死ぬ。
ヴェルにとって、もしかしたら一番望んでいた死に方なのかもしれない。
だけど俺たちはそんなこと、全然望んでないのに。
沈鬱な空気が部屋の中に漂う。
聞こえるのはヴェルの苦しげな吐息とミーシアのすすり泣く声だけ。
俺は今しがた、俺達の命を狙ってきた人間の命をこの手で奪った。
ヴェルはそいつの攻撃で命を奪われようとしている。
そういえば、「補給袋」に入っていた奴隷達――彼女たちも命を奪われたのだ。
あれも命、これも命。
俺が生まれて二十三年間、日本で培った倫理観や世界観やなんというか根本的な「正しいこと」の基準やなんかが、ガラガラと音をたてて崩れる。
もう、この世に絶対的な正しいことなんか存在しないんじゃないかと思えてくる。
俺自身、みんなを守るためとはいえ、人を殺してしまったわけだし。
この世界に来てからずっと頭が混乱しっぱなしだったけど、今が一番混乱の頂点を極めている。
くそ。
人が死ぬところなんか、これ以上見たくねえ。
なんだか、この場にいたくない。
俺もヘルッタのように部屋から出て行ってやろうか……。
逃げ出したい。
そう思っていると、そのヘルッタが何かを持って部屋に戻ってきた。
手にしているのは、直径五センチくらいの、……これは水晶玉だろうか?
ヘルッタはその水晶玉をヴェルにすがるミーシアのもとへと持っていく。
それが視界に入ると、ミーシアは顔を歪め、
「う……く……ふ……ふぅー……うううー!」
とさらに大きな嗚咽を漏らしつつも受け取った。
そして水晶をヴェルの両の手に握らせ、その手をヴェル自身の胸の上へ。
そうしてから、ミーシアとヘルッタはヴェルの枕元に跪き、頭を垂れ、二人同時に、なにか呪文のようなものを唱え始めた。
「ファラスイの御使いよ……聖石を持ちし者がその者なり……この者が迷わぬよう、導かれんことを……。この者の心と身体の痛み、心の臓とマナの鎖から解き放ちたまわんことを……」
シュシュもその隣に跪き、ミーシアたちと合わせて詠唱し始める。
キッサもそれにならおうと膝を床につこうとする。
俺はそのキッサの袖を掴み、詠唱の邪魔をしないよう小声で訊いた。
「キッサ、これは……なんだ、なにか、回復の効果がある法術なんだろう? 俺に手伝えることはあるか?」
俺の質問にキッサは一瞬目を見開く。その紅い瞳は涙で充血していた。闘いで法術を連発して疲労が濃いのだろう、せっかくの美人なのに顔色も悪く、肌のツヤもなく、でもその目には涙を溢れさせていることに、俺は少しだけ救われた気持ちになった。
あんなにヴェルのことを嫌っていたキッサも、今はヴェルのために泣いていたのだった。
「……そうでした、エージ様はご存知ないですよね……」
とキッサは静かに言い、そして、とてもとても寂しそうな笑顔で、
「いいえ……これは、死にゆく者が安らかに天界へ行けるよう、神にお祈りする儀式です」と続けた。
聞こえていたのか、ミーシアがいったん詠唱をやめ、顔をあげる。
そして、涙声で俺にこう言った。
「エージ……タナカ・エージ……。あなたも……ヴェルのために祈ってあげてくれませんか……。せめて、せめてヴェルが先に亡くなったお母上様のところへ迷わないでたどり着けるように、祈ってあげて下さい……」
まだ幼さの残る十二歳の皇帝陛下は、そう俺に懇願するのだった。
両耳の赤く巨大な聖石、国家の秘宝マゼグロンクリスタルが揺れる。
窓から差し込む太陽の光を受けて、それは深い輝きを放っていた。
ああ、そうか。
ヴェルは、死ぬんだな。
――生命が生まれ、そして時がくれば死ぬ。
あれ、これはどこで聞いた言葉だっけ、そうだ、俺がこの世界に蘇生召喚された時、女帝陛下――ミーシアが初めて俺にかけた言葉がこれだった。
元いた世界でもここでも、生命が生まれて死ぬ、それだけは変わらない真実だ。
あれ?
でも、俺は生き返ったわけで。
どうやって?
法力を蓄積し、増幅させ、放出する、特異な力を持った聖石、マゼグロンクリスタルの力で。
それを思い出した時、特に考えもせずに言葉が口をついて出ていた。
「陛下、そのマゼグロンクリスタルで、ヴェルのことをなんとか助けてやれませんか」
ヘルッタにシーツを持ってきてもらってハンモック状にし、その上にヴェルの身体を静かに乗せる。
そして、俺とキッサとヘルッタの三人がかりでシーツの端を持ち、ヴェルをヘルッタの家へと運んだ。
ヘルッタの寝室のベッドに、ヴェルの身体をそっと横たわらせる。
ヴェルはもう痛みすら感じないほどなのか、声も上げず、ただただ荒い呼吸を繰り返していた。
ベッドの上で横たわるヴェルの傷を改めて確認すると、くそ、これはひどい。
見るのもためらわれるほどの重症だ。
大量の出血、内蔵もやられているようで、はっきりいって現代日本の高度救命救急センターに運んだとしても助かる見込みはほとんどないんじゃないか。
というか今現在で生きているのが不思議なくらいだ。
ヴェルの呼吸は浅く短く、額には汗が浮き出ている。
意識はほとんどないようだ。
最期のリューシアへの攻撃、あれも無意識にやったのかもしれない。
ミーシアはヴェルの枕元でぼろぼろと涙をながし、嗚咽を漏らしながら「ヴェル、ヴェル……」と名前を呼び続けている。
「これは……助けることは、できないのか?」
キッサにそっと聞く。
「…………残念ながら……。今、騎士様は自らの法術の力でなんとか命をつなぎとめている状況です。ですが、体内に蓄積されたマナを使い果たしたら、それも……」
使い果たすもなにも、ヴェルはリューシアとの闘いで法力、つまりマナのほとんどを失っていたはずだ。
ってことはもう長くもたねーじゃねーかよ……。
「なんとか……ならないのか……」
「…………すみません、エージ様……。騎士様はシュシュを守ってこんな大怪我をしたのです……。私もできれば助けて差し上げたいのですが……方法が、ありません」
ちくしょう。
どうしようもないってのか。
「なんか、こう、回復法術みたいなのはないのか? そうだ! ほら、シュシュはそういう回復の術使えるっていってたよな?」
「……例えばシュシュに最上位の宮廷法術士ほどの力があれば、延命くらいはできるでしょうが……。シュシュはまだ九歳の訓練もしていない子どもです。こんな大怪我、シュシュ程度の力ではどうしようも……」
「……そうか……。そうだよな……」
ゲームの回復魔法みたいに簡単に回復させられればいいのに。
もう、どうしようもないってのか。
ミーシアはヴェルの手を握り、それに頬ずりするようにして泣いている。
玉座に鎮座する、あのすました女帝陛下の面影はどこにもない。今はただ、親友の死の影に怯え、怖れる、十二歳の女の子だ。
そのようすをちらりと見てキッサは口をつぐみ、暗い顔で俯いた。
シュシュも不安そうな顔で、ただ黙ってヴェルを眺めている。
ヘルッタはいたたまれなくなったのか、泣きはらした顔で部屋を出ていった。
俺も、もう何も言葉が出てこない。
戦乱の世。
現代日本とは違う。
人を殺し、殺され、奴隷にしたり、奴隷にされたり。
死や残酷さは日常の一部、いや、日常そのものなのだ。
ヴェルは皇帝に忠誠を誓う騎士。
愛する皇帝のために闘った。
そして今、闘いで負った怪我で死のうとしている。
たぶん、死にゆこうとしている本人にしてみれば。
それは、本望、なのだろう。
主君である――いや、親友であるミーシアを守るために死ぬ。
ヴェルにとって、もしかしたら一番望んでいた死に方なのかもしれない。
だけど俺たちはそんなこと、全然望んでないのに。
沈鬱な空気が部屋の中に漂う。
聞こえるのはヴェルの苦しげな吐息とミーシアのすすり泣く声だけ。
俺は今しがた、俺達の命を狙ってきた人間の命をこの手で奪った。
ヴェルはそいつの攻撃で命を奪われようとしている。
そういえば、「補給袋」に入っていた奴隷達――彼女たちも命を奪われたのだ。
あれも命、これも命。
俺が生まれて二十三年間、日本で培った倫理観や世界観やなんというか根本的な「正しいこと」の基準やなんかが、ガラガラと音をたてて崩れる。
もう、この世に絶対的な正しいことなんか存在しないんじゃないかと思えてくる。
俺自身、みんなを守るためとはいえ、人を殺してしまったわけだし。
この世界に来てからずっと頭が混乱しっぱなしだったけど、今が一番混乱の頂点を極めている。
くそ。
人が死ぬところなんか、これ以上見たくねえ。
なんだか、この場にいたくない。
俺もヘルッタのように部屋から出て行ってやろうか……。
逃げ出したい。
そう思っていると、そのヘルッタが何かを持って部屋に戻ってきた。
手にしているのは、直径五センチくらいの、……これは水晶玉だろうか?
ヘルッタはその水晶玉をヴェルにすがるミーシアのもとへと持っていく。
それが視界に入ると、ミーシアは顔を歪め、
「う……く……ふ……ふぅー……うううー!」
とさらに大きな嗚咽を漏らしつつも受け取った。
そして水晶をヴェルの両の手に握らせ、その手をヴェル自身の胸の上へ。
そうしてから、ミーシアとヘルッタはヴェルの枕元に跪き、頭を垂れ、二人同時に、なにか呪文のようなものを唱え始めた。
「ファラスイの御使いよ……聖石を持ちし者がその者なり……この者が迷わぬよう、導かれんことを……。この者の心と身体の痛み、心の臓とマナの鎖から解き放ちたまわんことを……」
シュシュもその隣に跪き、ミーシアたちと合わせて詠唱し始める。
キッサもそれにならおうと膝を床につこうとする。
俺はそのキッサの袖を掴み、詠唱の邪魔をしないよう小声で訊いた。
「キッサ、これは……なんだ、なにか、回復の効果がある法術なんだろう? 俺に手伝えることはあるか?」
俺の質問にキッサは一瞬目を見開く。その紅い瞳は涙で充血していた。闘いで法術を連発して疲労が濃いのだろう、せっかくの美人なのに顔色も悪く、肌のツヤもなく、でもその目には涙を溢れさせていることに、俺は少しだけ救われた気持ちになった。
あんなにヴェルのことを嫌っていたキッサも、今はヴェルのために泣いていたのだった。
「……そうでした、エージ様はご存知ないですよね……」
とキッサは静かに言い、そして、とてもとても寂しそうな笑顔で、
「いいえ……これは、死にゆく者が安らかに天界へ行けるよう、神にお祈りする儀式です」と続けた。
聞こえていたのか、ミーシアがいったん詠唱をやめ、顔をあげる。
そして、涙声で俺にこう言った。
「エージ……タナカ・エージ……。あなたも……ヴェルのために祈ってあげてくれませんか……。せめて、せめてヴェルが先に亡くなったお母上様のところへ迷わないでたどり着けるように、祈ってあげて下さい……」
まだ幼さの残る十二歳の皇帝陛下は、そう俺に懇願するのだった。
両耳の赤く巨大な聖石、国家の秘宝マゼグロンクリスタルが揺れる。
窓から差し込む太陽の光を受けて、それは深い輝きを放っていた。
ああ、そうか。
ヴェルは、死ぬんだな。
――生命が生まれ、そして時がくれば死ぬ。
あれ、これはどこで聞いた言葉だっけ、そうだ、俺がこの世界に蘇生召喚された時、女帝陛下――ミーシアが初めて俺にかけた言葉がこれだった。
元いた世界でもここでも、生命が生まれて死ぬ、それだけは変わらない真実だ。
あれ?
でも、俺は生き返ったわけで。
どうやって?
法力を蓄積し、増幅させ、放出する、特異な力を持った聖石、マゼグロンクリスタルの力で。
それを思い出した時、特に考えもせずに言葉が口をついて出ていた。
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